まぼろしの人
7月19日(水)
むかしTBSで放送したドラマ「横溝正史シリーズ」が、当時小学生だった私の言語形成に大きな影響を与えた、ということは、前に書いた。
このシリーズは、ファーストシーズンとセカンドシーズンに分かれるが、ファーストシーズンのテーマ曲が、茶木みやこの「まぼろしの人」(作詞作曲/茶木みやこ、編曲/ミッキー吉野)である。この歌の2番の歌詞は、次の通りである。
「たわむれ遊ぶ童(わらべ)のほほに
沈む夕陽の輝きが
やさしい翳りを映す頃
くれなずむ街にはやすらぎが満ちていた
なのにこの同じ空の下
つらい出来事の結末を
つぶやくようにささやいた
あの人はまぼろしだったのでしょうか」
この歌詞の最後の部分の「つらい出来事の結末を つぶやくようにささやいた あの人はまぼろしだったのでしょうか」が、殺人事件の顛末を推理する金田一耕助をイメージして書かれたものであることは、間違いない。
金田一耕助は、事件が全部終わったあとで、謎解きをする。実は金田一の推理が、殺人事件を未然に防ぐことはないのである。その意味で金田一は、「語り部」であり、「狂言回し」なのである。
名探偵でも、事件を未然に防ぐことはできないのだ。ただ、傍観するだけである。
今日、ひょんなことからある出来事に翻弄されたという同僚が言った言葉が、印象的だった。
「結局、すべてが終わった今になって、わかるんですよねえ。あのとき、ああすればよかった、と」
そうか、あのとき、あんな伏線があったのか、など、あとになって気づくのは、世の常である。
「それはまさに、事件が終わったあとで、金田一耕助が謎を解き明かすようなものじゃないですか」と私。相変わらず、たとえがわかりにくい。
「おっしゃるとおりです」このわかりにくいたとえを、わかってくれたらしい。
世の中の出来事は、だいたいそのようなものである。
その渦中にいるときは大変だが、終わってみると、やや客観的に、物事を見ることができる。そしてそれを語ることで、頭の中が整理される。
事件の顛末を推理する金田一耕助の語り口が、私たちをどこかホッとさせてくれるのは、そのせいだろう。
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