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2013年8月

ショウ マスト ゴー オン

三谷幸喜の若い頃の作品に「ショウ マスト ゴー オン 幕を下ろすな」という芝居がある。

これは、ある劇団の公演の舞台袖で起こるさまざまな騒動やハプニングを描いた傑作喜劇である。

副題が「幕を下ろすな」とあるように、いちどはじまってしまった芝居は、どんな事情があろうとも、続けなければならない。だが実際には、舞台上でさまざまなハプニングが起こる。そしてそのハプニングを、舞台裏の人たちが懸命に回避しようとする。その葛藤の中に、喜劇と感動が生まれるわけである。

いちど幕が上がってしまったら、途中で幕を下ろすことはできない。ノンストップなのである。舞台監督は、公演を止めないことだけに、命をかけるのである。

たとえば、こんな場面がある。

主演と演出を兼ねている劇団の座長が、本番の舞台上で、突然台本にないセリフを言い出す。

当然、そのセリフに見合ったセットを組んでいるわけでも、小道具を用意しているわけでもない。しかし座長は、この劇団における絶対権力者である。座長の機嫌を損ねることはできない。このセリフを舞台袖で聞いていたスタッフたちは、慌てふためく。

だが舞台監督は、わずかの間に知恵を絞って、きまぐれに言った座長のセリフに見合ったセットを作り、小道具を用意するのである。

絶対権力者である老練な座長。その座長の気を損ねないようにしながらも、次から次へと起こるハプニングに、機転を利かせて対処していく舞台監督。

これはまさに、「芸術家」と「職人」の関係ではないか

そこには深刻な対立もあるが、信頼関係もある。

「人生で起こることは、すべてショーで起こる」

これは、1953年に公開された映画「バンド・ワゴン」で使われた曲“That's Entertainment"の冒頭の部分の歌詞である。

だが、果たして本当にそうだろうか。

むしろ私には、

「人生で起こることは、すべて舞台裏で起こる」

と思えるのである。

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グローバル映画、ドメスティック映画

2013061212102814304映画「ソルグクヨルチャ」。直訳すると「雪国列車」

タイトルだけを見ると、なんとなく演歌っぽいが、さにあらず。氷河期になってしまった地球で、残された人類が、一台の汽車に乗り合わせて生き残ることになる。走り続ける汽車の中で、生死をかけた戦いがくり広げられる。

ポン・ジュノ監督の、記念すべきハリウッド進出作である。ソン・ガンホ、コ・アソンという「グェムル」コンビが登場する。

フランスの漫画が原作だそうだが、この作品にあらわれるモチーフじたいは、古今東西、よく見られるもので、いってみれば「ノアの方舟」映画である。日本でいえば、「漂流教室」とか、「復活の日」などが、すぐに思い浮かぶだろう。

だが、これまで、そのどれもが、映画化に失敗している。映画「漂流教室」(大林宣彦監督)は、楳図かずおの大傑作「漂流教室」を、メチャクチャなまでに愚弄した、大駄作である。

「復活の日」も、潜水艦が浮上するシーンや、草刈正雄が放浪するシーンにお金をかけすぎて、肝心な「人類の死と再生のドラマ」を、全然描くことができなかったのである。

つまりこれまでの「ノアの方舟」映画は、日本映画に関するかぎり、その本質をまったく描こうとはしてこなかったのである。

この映画は、私が「ノアの方舟」映画に期待していた、ありとあらゆる描写がつめこまれている。これまで誰も描こうとしなかった、いや、描こうと思っても描くことのできなかった場面が、この映画の中で実現している。

なにより、走り続ける列車という設定が、映画的である。

そう!黒澤明監督の幻の映画「暴走機関車」のごとく、である。

それにしても、ソン・ガンホがどんどんかっこよくなっているなあ。

Ps13071100018さて、「ソルグクヨルチャ」がグローバルな映画だとすれば、映画「カムギ」は、きわめてドメスティックな韓国映画である。

「カムギ」とは、直訳すると「風邪」。これは、パンデミックをテーマにしたパニック映画である。

韓国では、夏にこの手のパニック映画を公開する。私はこれを、「真夏のワッショイ映画」と呼んでいる。

主演のチャン・ヒョクはかっこいいし、ス・エは、息をのむほど美しい。脇役のユ・ヘジンは、相変わらずいい味を出している。映画の出来は、決して悪くないのである。というより、いまの日本映画界の「体力」では、このレベルの映画を作り上げることすら、至難のワザであろう。

だがこの映画は、「ツッコミどころ満載」である。

ひと言で言えば、「韓国社会の価値観が、良くも悪くもあらわれている映画」といえる。だから、たとえば私がこの映画を見ても、うまく感情移入できないのだ。

韓国映画界って、ちょっと油断すると、こういう映画を作ってしまうんだよなあ。

グローバルな部分とドメスティックな部分が混在するのが韓国映画である。

そこのところを見極めて映画を見ないと、韓国映画の本質は理解できないのではないだろうか、と、この2つの映画を見て思うのである。

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いまひとたびのクイズ

たった2枚の写真から、2日目の旅の場所を見事に正解したこぶぎさん。

でも初日の場所は、さすがにあの写真2枚だけではちょっと難しかったか。

ヒントは、「私にとって思い出の場所」。

「宿泊の拠点としている場所から、KTXで30分。さらにそこからバスを乗り継いで1時間半のところにある場所」

わっかるかなあ。

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旅先で見た風景・その3

8月28日(水)

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今回の旅は、この町を拠点にして動き回っている。

今日は、地下鉄とバスを乗り継いで、2時間かかる町に行く。

まだ明るいうちに、この町に戻ったので、町の周辺を歩くことにした。

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映画のセットのような町並みである。

実際この町並みは、ある映画のロケ地として有名である。

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味わい深い看板を見つけた。

いまのところ、この地域の再開発の波からは、奇跡的に取り残されている。

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アイスアメリカーノ革命!

8月27日(火)

最近の韓国コンビニ事情。

韓国のコンビニで、こんなものを見つけた。1

シャンプーの詰め替え用の袋みたいなものに、アイスアメリカーノ(アイスコーヒー)が入っている。

これをどうやって飲むのか?と、店員さんに聞くと、コンビニの、アイスなどが入っている冷凍庫に、氷しか入っていないコップが並んでいるので、そのうちの1つを一緒に持っていき、そのコップの中にアイルコーヒーを入れて飲め、という。

コンビニの奥の方にある、アイスなどが入っている冷凍庫を見ると、たしかに、氷だけが入ったコップが並んで置かれている。

それを1つ取り出し、一緒に持ってきて、レジで精算する。もちろん、氷の入ったコップは、無料である。

滞在中のホテルに戻り、詰め替え用シャンプーの袋みたいなものに入っているアイスコーヒーを氷入りのコップにあける。

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すばらしい!これで「氷入りアイスアメリカーノ」のできあがりである。

これは大発明ではないか!

日本のコンビニには、あるのだろうか?いや、見たことがない。

これは近年にない、稀にみる大発明である!

だって、氷入りのアイスコーヒーが簡単に作れるのだ!もし日本でもまだなら、絶対にコンビニで採用すべきである!

…あれ?賛同を得られない?大発明だと思っているのは私だけか?

同感されない理由は2つくらい考えられる。

1つは、わざわざコンビニで氷入りのアイスアメリカーノを買って飲むほど体を冷やすことは、いくら夏だからといってもよくない、という健康面の問題。

もう1つは、アイスアメリカーノをこのような方法で作ることにより、通常より2倍のゴミが増える、という環境面での問題。

この2つが解消されない限りは、日本での発売は難しいかもしれない。

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旅先で見た風景・その2

8月26日(月)

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観光地で有名な町のバスターミナルから市外バスに揺られること1時間、終点の小さな町に着いた。そこから、ある場所に登った。そこは、見晴らしのいい場所だった。

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帰りのバスの中から見た風景。

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旅先で見た風景

8月25日(日)

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ある目的地に向かうため、市街地から路線バスに乗る。

1時間に1本の路線バスは、どんどんと田舎道を走り、1時間ほどたって、やがてある海岸に出た。

午後12時半、私はその海岸の停留所で降りた。もう1人、サングラスをかけた、私より少し年上くらいの、こじゃれた服を着た西洋人の女性が、バスを降りた。

バスを降りた場所は、海水浴場である。

もちろん私は、海水浴が目的で来たのではない。別の目的で、この場所にやってきた。

しかし解せないのは、その上品そうな西洋人の女性である。

荷物もほとんどなく、白いスカートをはいて、およそ海水浴に来たとも思えない。

観光旅行だとしたって、絶対に来ないような場所である。そもそも、公共交通機関がものすごく不便な場所なのだ。地元の人たちは、もっぱら自家用車でここまで来るのである。

(こんな、地元の人しか来ないような海水浴場に、何しに来たのだろうか?)

と疑問に思ったが、

(とりあえず昼飯を食おう)

と、店を探している間に、その女性はどこかに行ってしまった。

昼食後、必要があってこのあたりをいろいろと歩き回り、先ほど降りたバス停の、2つ手前のバス停からバスに乗り、市街地に戻ることにした。時間は、午後3時20分である。

バスに乗ると、行きで見かけた、サングラスをかけた西洋人の女性が乗っていたのである。おそらく、先ほど降りたバス停から、また乗ったのだろう。

それにしても不思議である。

12時半にバスを降りてから、およそ3時間。

上品そうなスカートをはいた彼女は、およそ海岸で海水浴をしていたとも思えない。

1人で、3時間も何をしていたのだろうか?

海水浴で地元の人が来るていどの、ひっそりとした海岸である。

私はこの海岸の周辺を、必要があって歩き回っていたが、この女性に会うことはなかった。

いったい、どこで何をしていたのか?

そのたたずまいが不思議だっただけに、妙に気になるのである。

1時間ほどたって、バスは市街地に到着した。

バスを降りようと思ってふと見ると、すでにその女性は、いなかった。

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しばらく旅に出ます

いつものところです。

機会があれば、旅先から更新しましょう。

それではまた。

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職人・芸術家・評論家

8月23日(金)

午前中、ちょっとした打ち合わせが入り、ある職人さんとお話をする。その道何十年という、老練な職人さんである。

いつも思うことだが、職人さんの話を聞くのは、とても面白い。

たぶん職人さんの話が面白いのは、経験をふまえて考え、それを理論化していくという過程が、聞いていて面白いからなんだろうな。

さまざまな条件に合わせながらも、プロとして対応していく姿勢、というのも、見ていてすばらしいのだ。

私自身は、手に職を持っているわけでもないし、むしろ不器用な人間である。

私の祖父は大工をしていたが、私が3歳の時に亡くなったので、祖父の記憶はあまりない。

父は、小さな会社のサラリーマンだった。大工になるつもりはなかったらしい。

だから、祖父が大工だったといっても、私にはほとんど関係のない世界だった。

中学1年のとき、「技術家庭」という授業で、木の「おぼん」を作る、という課題が出たのだが、どういうわけか成績は五段階評価の「1」だった。

「大工の孫なのにねえ」と、親に呆れられたものだ。

だが、職人に対する憧れは、ずっと持ち続けていたのである。

…と、つらつらと考えていて、すごいことに気づいた。昨日に続く大発見である。

人間のタイプは、3種類に分かれるのではないだろうか。

「職人」と「芸術家」と「評論家」である。

どんな人間も、この3つのタイプに分類されるのだ。もちろん、比喩的な意味で、である。

自分の同業者を、思い返してみればよい。あるいは、私の職場を見渡しても、そうである。

どんな職業でも、職人肌の人、芸術家肌の人、そして評論家然とした人に分かれるのではないだろうか。

私がめざすのは職人。無理なのは芸術家。なりたくないのは評論家。

でも、この三者の中で、圧倒的に多く、かつ、いちばん目立つのが、評論家なのである。

目立ちたがるのも、評論家である。

そんな評論家たちが、わが世の春を謳歌している様子を横目で見ながら、地道に少しずつ、前に進んでいこう。

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2つのひまわり

8月22日(木)

すっかり昼食難民である。

12時すぎに構内の食堂に行くと、

「本日は停電のため営業は12時までです」

と貼り紙が貼ってあった。

(まいったな…)

コンビニの弁当だけは、避けたい。

仕方がないので、蒸し暑かったが、職場の外に出ることにした。

(そうだ、久しぶりにカレー屋に行こう!)

チキンカレーが美味しいことで有名な店に行く。

さほど遠いわけでもないのだが、歩いているだけで汗がドボドボと流れる。

やっとの思いで到着すると、入り口の前におじさんが立っていた。

「いっぱいですよ」と、そのおじさん。店の中を見ると満席だった。

待つのも面倒くさい。

(まいったな…)

仕方がないのでカレーをあきらめることにした。

(そうだ、久しぶりに、「よく喋るシェフ」のいる店に行こう!)

踵を返して、[よく喋るシェフ」がいる、こじゃれた欧風料理の店に向かって歩いた。

この時点でもうすでに汗だくである。

(久しぶりにあの「よく喋るシェフ」のオヤジの愚痴でも聞きに行くか…)

店の前まで来た。

(待てよ…)

お昼休みは、若手同僚たちの憩いの場だったことを思い出した。

(もし中に入って、鉢合わせしたりしたらイヤだな)

急にビビッて、店に入るのをためらった。

…というか、何の影におびえてるんだ?!

この店の2軒ほど隣に、定食屋さんを見つけた。最近できたお店だろうか。

通りに面した部分がガラス張りになっているので、中の様子が確認できる。

知っている人間がいないことを確認して、中に入る。

…だから、何の影におびえてるんだ?!

ごくフツーの定食屋さんである。日替わりランチも、ごくフツーの定食だった。値段の割に、ボリュームがある。

「よく喋るシェフ」を裏切ったみたいで、少し後ろめたかったが、仕方がない。

食べながら、ぼんやりとメニューに書いてある店名を見ていて、すごいことに気づいた。

この店の名前は、日本語で「ひまわり」を意味する日本語である。

…まわりくどいな。つまり「ひまわり」という名前の定食屋なのである。

すぐ隣にある「よく喋るシェフ」のいるこじゃれた欧風料理店の名前は、「ひまわり」の学名からとられた名前なのである!

つまり、「ひまわり」の名前を持つ食堂が、同じ通りに2軒並んで存在しているのである!

これは単なる偶然か??

それとも、あとからできた定食屋が、「よく喋るシェフ」を挑発する意味で、同じ意味の店名をつけたのか?

店の雰囲気があまりにも違うので、両者が親戚どうしとか身内どうしとかといった可能性は、まず考えられない。

これって、誰も気づいていないんじゃなかろうか??

それとも二つの店の前の道路が、「ひまわり」に関係しているのだろうか?

しかし解せないのは、店の入り口の方角である。

二つの店とも、入り口が北に向いているのである!

つまり、太陽とは正反対の方向を向いていて、全然「ひまわり」ではないのだ!!!

…ますます謎である。

いっそこの閑静な通りを「ひまわり通り」と名づけて、ここにある定食屋や飲み屋を、すべて「ひまわり」にちなんだ名前にしたらどうか?

sunflower(英語)、tournesol(フランス語)、Sonnenblume(ドイツ語)、girasol(スペイン語)、girasole(イタリア語)、girassol(ポルトガル語)、向日葵(中国語)、해바라기 (ヘバラギ、韓国語)等々。

そんな妄想をふくらませながら、日替わりランチを平らげた。

それにしても、こんな偶然ってあるのか??おそらく誰も気づいていない大発見である!

以上、超どーでもいい話でした。

たいして面白い話がない日は、こういうもんです。

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韓国語は身を助ける

8月21日(水)

お昼休み、構内の食堂でお昼を食べようと、仕事部屋を出る。

もちろん、ショルダーポーチは忘れていない。

廊下を歩いていると、昨日に引き続き、4年生のSさんとすれ違う。昨日、私が財布を忘れてお金を借りたSさんである

「あ、先生、今メールをお送りしようと思っていたところでした」

「どうしたの?」

「さっき、多目的室で勉強していたら、韓国の学生の方に話しかけられたんです」

「留学生?」

「いえ、何でも、東京の大学に留学していて、たまたまいま、こちらに来ている人たちだそうです」

「人たち?」

「ええ、何人かいるみたいです。で、先生の話をしたら、ぜひお話がしたい、っていうんです」

「何でまた?」

「先生は韓国に留学されたことがあって、韓国語が話せる、とお話ししたら、ぜひ先生に会いたいと」

数日後に韓国に出かける私にとっても、韓国語の練習になるかもしれない。

「今、その人たちどこにいるの?」

「今食事中で、午後になったら先生にお会いする時間を作りたいって言ってました」

「じゃあ時間が決まったら連絡してください」

「わかりました」

Sさんと別れて再び歩き出すと、今度は前からものすごい勢いで走ってくる人がいた。

この4月から勤務している新人職員のOさんである。

「あ、先生!これから午後の実習の準備です!」

そうか。Oさんにとっては、初めての実習補助体験である。

「頑張ってください」

と、ものすごい勢いで走り去るOさんに声をかけた。

建物を出ると、今度は7月に海外留学から帰ってきたSさんとすれ違う。

「先生こんにちは」

「こんにちは。どうですか、最近は」

「卒論のテーマがなかなか決まらなくって」

ということで、20分ほど、立ち話で卒論相談をする。

「ありがとうございました」

…これでようやく昼食にありつける。時計を見たら、仕事部屋を出てから30分が経過していた。

さて、午後。

4年生のSさんとNさんが仕事部屋にやって来た。

先ほどの韓国人の学生たちが、食堂の前にいるというので、Sさん、Nさんと一緒に食堂まで行くことにした。

食堂の前に、4~5人の若者たちがいた。

「アンニョンハセヨ(こんにちは)」

久しぶりに使う韓国語である。以下、韓国語での会話。

「先生でいらっしゃいますか?」

「はい」

「韓国の方ですか?」

「いえ、日本人です」

「あんまり発音がお上手なので、韓国の方かと思いました」

韓国人がよく使うお世辞である。だが実際私は、韓国語の発音がいいと、いろいろな人に褒められたことがある。発音だけは、自信があるのだ。

で、発音がいいと、韓国語が堪能だと思われてしまい、早口で喋りかけてくるのである。

引き続き、韓国語による会話。

「韓国語はどうやって勉強したんですか?」

「韓国に1年3カ月ほど、留学したことがあるんですよ。みなさんは、東京からいらしたんですか?」

「はい。いま東京の大学に通っています」

「ご出身は?」

「私はソウルです」

「私は中国のハルピンです」もう1人が答えた。

「ということは、朝鮮族ですか」

「そうです。ご存じですか?」

「ええ、知っています」

…とまあ、こんな会話が延々と続いた。

久しぶりに喋る韓国語は、口がまわらず、聞き取りもままならず、さんざんだったが、韓国語がわかる日本人がいた、というだけで、彼らも嬉しかったらしい。

「お目にかかれてよかったです」

彼らはこのあとパーティーがあるとかで、15分ほど話して、お別れした。

さて、この一部始終を見ていたのが、4年生のSさんとNさんである。

「せ、先生!」

「どうした?」

「先生が韓国語で話しているのを、はじめて見ました」

そういえば、うちの学生たちの前で、韓国語を使ったことは、一度もなかった。

「先生、カッコイイです!」

4年生の2人は、びっくりした様子だった。

「少しは見直したでしょう?」

「はい」

これで昨日の「財布を忘れた一件」は、帳消しになっただろうか。

「先生、どんなことを話してらしたんですか?」

「いろいろさ」

「私、『政教分離』という言葉だけ、聞き取れました。政教分離、政教分離、って、何度も言ってましたよね?」とNさん。

「セイキョウブンリ???」

政教分離なんて話題、まったくしていなかったぞ。

別の言葉がそのように聞こえたのだろうが、いくら思い返しても、「政教分離」に近い発音の言葉を使った記憶はなかった。

いったい何が、そう聞こえたのだろう?

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サザエさんか!

8月20日(火)

この稼業、夏のこの時期はヒマだと思うでしょう?

さにあらず。本業以外の、原稿の締め切り、というのが、この時期に設定されることが多い。

理由は、「この時期にみんなヒマだろうから、ヒマな時期に原稿を書いてもらおう」という、先方(債権者)の思惑が強くはたらいているからである。

しかし、同じことを考える債権者が多いので、結局この時期に、原稿の締め切りが集中することになる。

原稿の締め切りに苦しむ同僚には、

「終わらない原稿はない」

といって励ますのだが、これは同時に自分に対する励ましでもある。

今日、原稿の締め切りに苦しむ同僚が、ようやく原稿を出してホッとしたという。

「言った通りでしょう?『終わらない原稿はない』って」

「ええ。でも、終わったというか…流した、という感じです」

「流した?」

「そう、ウンチみたいに」

「ウンチ?」

言い得て妙である。たしかに、自分の書いた文章は、排泄物に等しい。とくに本業に関する自分の文章なんて、二度と見たくないもの。

文章を書くとか、原稿を書くってのは、排泄行為に等しいくらい、恥ずかしい行為なんだな。

このブログだってそうである。つまり読者は、私の排泄行為を見ている、ということなのだ。

だから、気を許した人にだけ、見てほしいというのが、こちらの希望なのである。できれば、気を許していない人には読んでほしくない。

…もっとも、排泄行為そのものは、気の許した人にも見せたくないが。

恥ずかしいことといえば、今日はこんなこともあった。

ちょっと話が長くなるのだが。

いま履いているズボンは、ポケットに財布を入れるとかなり不格好になるタイプのものなので、ポケットに財布を入れずに、肩からかけるショルダーポーチみたいなものに入れて、持ち歩くことにしている。

これがなかなか慣れなくて、うっかりショルダーポーチを仕事部屋に置いたまま外に出たりすることが多い。

さて午後、構内のコンビニに飲み物を買いに行こうと仕事部屋を出たが、出たあと、ショルダーポーチを忘れていることに気づく。

(いけね。ショルダーポーチを忘れてた)

仕事部屋に戻り、ショルダーポーチを肩にかけて、再び構内のコンビニに向かった。

コンビニに入ろうとすると、後ろからゲラゲラと笑い声がする。

(誰だ?俺を笑っているのは。どうせまた俺の悪口を言っているんだろう)

と思って振り返ってみると、4年生のSHさん、SYさん、NYさんの3人である。1年生の頃からよく知っている3人。このところ、面接カードの添削をしている。

彼女たちは、私を見ると、いつもなぜかゲラゲラと笑うのだ。きっと悪口を言っているに違いない。

気にせずコンビニの中に入り、飲料水のペットボトルを1本とって、レジに並ぼうとすると、その3人がコンビニに入ってきた。

「先生、暑いですねえ」とNYさん。

「暑いねえ」

「アイス的なものが食べたいですねえ」

アイス的なものって何だ?アイスとは違うのか?

そのときに気がついた。ははあ~ん。これは、アイスを奢れ、ということだな、と。

「よし、いいよ。ここで会ったが百年目だ。3人にアイスを奢りますから、好きなものを一つずつ選びなさい」

「先生、そんなつもりで言ったんじゃありません」

「いや、いいんだ。奢ると言ったら奢るんだ」

こっちも、引っ込みがつかなくなった。

「じゃあ、…ハーゲンダッツでもいいんですか?」と、調子に乗るNYさん。

ハーゲンダッツ?…って、高いアイスだろう?一瞬、躊躇したが、

「ハーゲンダッツでも何でもかまわない。好きなものを選びなさい」

「本当にそんなつもりで言ったんじゃないんです」

「こっちだって、一度言ったことを引っ込めるわけにはいかない。ここは私の顔を立てて、遠慮なく好きなアイスを選びなさい」

気分は、大盤振る舞いをするときの「寅さん」である。

「ありがとうございます」3人はアイスを選び、レジに並んだ。

私は意気揚々と、レジの店員さんに、

「全部一緒に会計してください」

と言い、ショルダーポーチを開けてみて、顔面蒼白になった。

財布が…入ってない!

…そういえば、さっき仕事部屋で、ショルダーポーチから財布を取り出して、机の上に置いたのだ。それを、ショルダーポーチに戻すのを忘れたまま、出てきたんだった!

「あのぅ…悪いんだけど、お金貸してくれない?」私はSYさんに言った。

この時ほど恥ずかしい思いをした瞬間はない。「奢ってあげるから、大船に乗ったつもりで好きなアイスを選びなさい」と言ったばかりである。その私が、まさか財布を持っていなかったとは!

3人はゲラゲラと笑った。

「まるでサザエさんですよ」

まったくだ。これでは、

「買い物しようと町まで出かけたが財布を忘れて愉快なサザエさん」

ではないか!

「逆に、うちらがいなかったら、どうするつもりだったんですか?」と、レジでお金を払ったSYさんが言った。

たしかにそうだ。もしこの場に私一人だったら、レジでお金を払おうとした段階で財布がないことに気づき、手に持っていた飲料水のペットボトルを、

「やっぱりいいです」

とか何とか言いながら戻して、何も買わずに帰るところだったのだ!

この場合、「救いの神」が降りたのは、いったいどちらなのか?

たまたまコンビニの前で私に会い、アイスを奢ってもらうことになった3人の学生のほうなのか?

それとも、たまたまコンビニの前で3人の学生に会い、お金を借りることができた私のほうなのか?

…いや、どちらでもよい。

意気揚々と奢るつもりが財布を忘れて、結局は学生からお金を借りるという恥ずかしい事態を招いたことだけは、事実なのである。

NYさんが言う。

「この話、ブログ的なところに書くんでしょう?」

ブログ的なところ?

NYさんがこのブログの存在を知っているのかどうかは定かではないが、そう言われたら書かざるを得ない。

もちろん、SYさんから借りた479円は、すぐに返しました。

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夕飯時に押しかけるダメな親戚

ふだんの私は、本当にダメな人間である。

休みだからといって、体を動かすとか、登山に行くとか、自転車で走るとか、スポーツを観戦するとか、そういう前向きなことをいっさいしていない。

家族にとっては、本当に厄介者なのだろうと思う。

話は少しさかのぼって、映画「選挙2」を見に行った日(13日)。

生まれて1歳9ヵ月になる姪の顔をしばらく見ていないなあと思い、映画を見終わった夕方、妻と一緒に義理の妹の家に行くことにした。

「ついでに、夕食もごちそうになっちゃおう」と私。夕飯時に家に行こうとは、なんとも厚かましい親戚である。

妻と私は夏休みだったが、義理の妹とその夫は、通常通り仕事である。

義理の妹が姪を連れて帰ってくるころを見はからって、義理の妹のマンションに行った。

「あれ?いらっしゃるとは思いませんでした」

妻が1人で来ると思っていたらしい。

「カレー、足りるかなあ」

今晩の夕食はカレーだそうである。だが、急に客人が2人も増えたので、ご飯とルーの量が心配になったのだ。しかも、そのうちの1人は、大飯食らいときている。

「待っていてください。いま用意しますから」

そのあいだ、私は姪の相手をしようと思ったが、ビックリしたことに、姪は私の方を見向きもしない。

完全無視である!

しばらく会っていないから、忘れてしまったのか?

結局、姪の面倒をみることもできず、ふて寝をした。

ほどなくして、義理の妹の夫が帰ってきた。

…「義理の妹の夫」という表現が面倒なので、ふだん呼んでいる「課長」というあだ名を使うことにする。平社員だが、なぜか「課長」というあだ名なのである。

「ただいま」

課長が帰ってきたとたん、姪が課長のところに嬉しそうに駆けよった。私には見向きもしなかったのに。ま、当然といえば、当然である。

「いらっしゃい」

「おじゃましてます」

タイミングをはかったかのように、カレーが完成した。

「足りないかも知れませんね。すみません」と義理の妹。

悪いのは、夕飯時に押しかけたこちらの方なのだ。

仕事で疲れて帰ってきているのに、休みで暇をもてあましているからという理由で、夕飯時に押しかけるなんて、ほんと、サイテーの親戚である。

カレーを食べながら、課長が言う。

「この前、朝起きたら、胸が痛かったんですよ。最初は我慢していたんですが、あまりに痛いので、医者に行ったら、肋骨にヒビが入っている、って言われたんですよ」

「肋骨にヒビ?」私は驚いた。「どうしてヒビが入ったの?」

「それがまったく心当たりがないんです」と課長。

「ほら、原因はあれでしょう?ドクターストレッチ」と義理の妹。

「ドクターストレッチ?」

「僕、体がすごく硬いんです。それでドクターストレッチに通ってみたんです。…でもそれは、関係ないと思いますよ」

「それしか考えられないじゃない」と義理の妹が反論する。

ストレッチが原因で、肋骨にヒビが入ったのだろうか?だとしたら、そうとう軟弱な体である。ストレッチをするたびに骨にヒビが入ったのでは、危なっかしくてストレッチなんかできやしないではないか。ただ実際、課長は小動物のような感じの人なのだ。

「で、そのあと、病院から自転車で家に帰ろうとしたら、転けてしまいましてね」課長が続けた。「両膝をすりむいて、こんなになってしまいました」

そう言うと、課長は両膝を私に見せた。両膝には大きな絆創膏が貼ってあり、かなり痛々しかった。

「大丈夫かい?…そんなにハデに転んで、小学生じゃないんだから」と私。だが課長であれば、さもありなん、である。

肋骨にはヒビはいるし、自転車に乗ったらハデに転んで両膝をすりむくし、まったくどれほどツイていない人なんだ?

「カレーも食べ終わったことだし、そろそろ帰ろうか」と私。食べるものだけ食べたら帰るなんて、ほんと、サイテーな親戚である。

「あ、お帰りですか?」と課長。「玄関を出たら、セミに気をつけて下さいね。さっき僕、家に入ろうとしたらセミにおしっこ引っかけられましたから」

「ええええぇぇぇぇ!!セミにおしっこ引っかけられたの?」

「はい」

まったく、どこまで運のない人なんだ?

義妹の家を出たあと、妻が言った。

「世の不運を一身に受けたような人だね、あの人は」

俺にくらべたら彼はまだマシさ、と私は言いかけて、口をつぐんだ。

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お早うの朝

8月17日(土)

車の中でAMラジオを聴いていたら、不意に流れてきた曲。

「それじゃあここで曲です。『鈴木慶一とムーンライダーズ』で『髭と口紅とバルコニー』」

ムーンライダーズ。懐かしい。

およそこの手の曲をかけるような番組ではなかっただけに、ちょっと驚いた。

ぼんやりとその曲を聴いていて、ある曲を思い出した。

小室等の「お早うの朝」。

ドラマ「高原へいらっしゃい」(1976年、山田太一脚本、田宮二郎主演)の主題歌である。

作詞:谷川俊太郎、作曲:小室等、編曲と演奏:ムーンライダーズ。

両者の編曲の感じが、よく似ている。あたりまえだ。同じムーンライダーズなんだもの。

ちなみに、小室等のアルバム「いま生きているということ」に収められている「お早うの朝」は、なぜか編曲がこれとは異なる。

心地よさ、という点からすると、ドラマ主題歌版の「お早うの朝」の編曲が、断然すばらしい。

そう、ムーンライダーズのよさは、この「心地よさ」だったのだ。

不意に、ドラマ「高原へいらっしゃい」の舞台となった、あの場所に行きたくなったので、一人で行くことにした。

一人で、と書いたのは、家族に言うと「また行くのか」と呆れられるからだ。

なにしろ、この場所に行くのはじつに3回目なのである。

Photo_2

まったく、バカみたいな話だ。

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星空の映画祭

8月16日(金)、17日(土)

車で山道を走っていると、手書きの小さな看板が目にとまった。

「星空の映画祭↑」

星空の映画祭?

さらに進むと、やはり手書きの小さな看板に、

「星空の映画祭↑」

とある。

やけに気になる。

看板に導かれるままに車を走らせると、暗闇に小さな明かりが見えてきた。どうやら入り口らしい。

入り口には続々と車が入ってきた。

誘導員の指示に従い、駐車場に車を止める。

チケットを買って、奥にどんどん進むと、野外ステージのような、大きな広場に出た。

Photo客席にあたる部分が、階段式になっているが、客席と呼べるほどのものではない。単なる地べたである。

当然、何も用意してこなかったので、草の生えている地べたにそのまま座ることにした。

野外ステージの前方には、大きなスクリーンがかかっている。そして後方には仮設の小さな建物があり、中には大きな映写機がある。

何も知らずに来たのだが、ずいぶんと本格的な映画上映である。

Photo_2そうこうしているうちに、人がどんどん集まってきた。

あっという間に客席がいっぱいになる。

「本日の上映作品は、昨年公開された『レ・ミゼラブル』です」

と、司会者の声。

今年の初めに見て、そのときの感激ぶりはこのブログにも書いたが、幸運にも再び、大きなスクリーンで見ることができるのである。

午後8時になると同時に、明かりが消えて真っ暗になった。

山の中だから、真っ暗になって当然である。

すぐに映画が始まった。

あっという間の二時間半。再び感動さめやらぬまま、映画は終わった。

映画が終わると同時に、観客から拍手が起こった。

立ち上がろうとすると、アナウンスが聞こえた。

「みなさん、空をご覧ください」と司会者。「ちょうどスクリーンの真上に、カシオペア座が見えます」

そういえばこれは、「星空の映画祭」だった。

空を見上げたあと、司会者が再び言う。

「一番後ろには、映画を映しだした映写機があります。デジタルの時代になって、映写機で映画を映すことも珍しくなってしまいました。この機会に是非ご覧ください」

Photo_3立ち上がり、会場の一番後ろにまわり、映写機が置かれている建物に行くと、映写技師と思われる職人肌のおじさんが立っていて、中には、思った以上に大きな映写機が置いてあった。

まるで映画「ニュー・シネマ・パラダイス」とか、「虹をつかむ男」(主演:西田敏行、監督:山田洋次)みたいな世界である。

こうやって、星空の下で、「かけたい映画」をかけ、どこからともなく人がワイワイと集まってくれて、たくさんのお客さんに見てもらい、最後に拍手をしてもらう、というのは、映写技師冥利につきるのではないだろうか。

いや、それが本来の映画の見方、というものだろう。

「ジャベール警部役のラッセル・クロウは、1回目に見たときより、いい演技をしていたね」

と妻にいうと、呆れたように笑い、

「それをいうなら、ファンティーヌが、1回目よりもよかったと思うよ」

と返された。

不思議である。映画なので芝居が変わるはずはないのだが、まるで1回ごとに演技が変わる演劇を見ているようである。1回目に見たときとは、確実に見方が変わっているのだ。

「レ・ミゼラブル」は2回以上見ることをおすすめする。しかもスクリーンで、である。

「明日の上映作品は、『おおかみこどもの雨と雪』です」と、場内アナウンスが流れた。

翌日も、同じ時間、同じ場所に見に行ったことは、言うまでもない。

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フォレスト・ガンプか!

8月15日(木)

久しぶりに、実家に立ち寄る。

そういえば、7月に出た本を渡していなかった。

両親は、私がどんな内容の仕事をしているかを、いまひとつ把握していない。私が自分の仕事について、ほとんど何も言わないせいもあるが、両親は、私が進んだ道とは無縁の人生を歩んできた。いや、私の方が、両親の歩んできた道とは無縁の道に進んだ、と言うべきかもしれない。

とくに父は、ほとんど何もわかっていないのではないか、と思う。

ふだん、本も読まず、映画も見ず、暇をもてあましてばかりいる。あまりに暇をもてあまして、1日に5時間も6時間も自転車、それもママチャリを乗り回しているのだ。それは、一昨年に大きな手術をしてからも、変わらない。

父に本を無造作に渡すと、

「本、出したのか」

と言って、パラパラとめくりだした。

「難しそうで、全然わからないな」

予想していた反応である。

「本を出すと、儲かるのか?」

「逆だよ。印税なんてないし、ある程度は買い取らなきゃならない」

「そうか。…ま、儲からなくったっていいさ。生活できる程度に稼いでいれば」

父らしい言葉である。

パラパラめくっているうちに、「韓国」という言葉が目についたらしい。

「韓国にも、日本と同じようなものがあるのか?」

「そうだよ」

「へえ…。ま、そりゃあそうだよな。人間の考えることなんて、だいたいは同じようなものだからな」

私はハッとなった。

私が何年もかけて、留学までして、やっと気づいたようなことを、父はふつうのことのように言ったのだ。

もしここで父が、

「儲かるような本を書け」

とか、

「そうはいっても、韓国と日本はちがうんだろう?」

みたいなことを言ったとしたら、私は父に失望しただろう。

本も読まず、映画も見ず、そういったものにいっさい関心のない父。父からはほとんど何も教わったことがなく、子どもの頃から私は、本や映画から、人生を学ぼうとしていた。

だが、やはり今の私の人生観や価値観は、父の影響を受けたのだ、と、今になって気づいた。

「この前、選挙があっただろ?」父が続けた。「たまたまある駅の前を通りかかったら、N田前総理大臣が候補者の応援に来ていて、握手してもらっちゃったよ」

「え?前総理大臣と握手したの?」私は驚いた。ホンジャマカの石ちゃんこと、石塚さんと握手したことに続いての、「有名人との握手」である。

なんという引きの強さだ…。

まるでフォレスト・ガンプみたいだ。

このたとえが適切なのかどうかは、わからない。

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夏休み特別企画2 刑事ドラマエンディング傑作選

前回に引き続き、今回は、70年代の刑事ドラマのエンディング曲の中から、私のお気に入りの名曲を紹介します!

まず最初は、「特捜最前線」のエンディング「私だけの十字架」です。

チリアーノという歌手が歌っています。

事件が結末を迎えたあと、まるで余韻を断ち切るかのようにこのエンディング曲が流れる。これがじつによかった。夕焼けに染まる東京を空撮している映像がバックに流れるのですが、これがまた切なさを漂わせていたのです。

続いて、「Gメン75」のエンディング曲「追想」です。

しまざき由理という歌手が歌っています。作曲は、劇伴の名手、菊池俊輔!

ふつう、「Gメン75」のエンディング曲といえば、同じしまざき由理が歌う「面影」の方が有名ですが、私は、「面影」の次にエンディング曲に使われた「追想」の方が好きです。

3拍子と4拍子が交錯していて、これがまたすばらしいです。

「Gメン75」は、救いのない終わり方をすることがよくあったのですが、「救いのない結末」のあと、このエンディング曲が流れると、もう号泣です。

今でも、この曲を聴くだけで、涙がこぼれてきます。

続いて、「夜明けの刑事」(TBS系列)から、「でも、何かが違う」、そして「明日の刑事」(TBS系列)から、「愛に野菊を」です。

いずれも、鈴木ヒロミツが歌う名曲です。

刑事ドラマ「夜明けの刑事」「明日の刑事」、そして鈴木ヒロミツの歌うエンディングの歌については、このブログでも取り上げたことがありますので、そちらを参照してください。

では、2曲続けてどうぞ。

いかがでしたか?2回にわたってお送りした、夏休み特別企画、刑事ドラマ音楽傑作選。

ほかにも名曲があるじゃないか!と言われるかもしれませんが、あくまでも、私が思い入れのある曲のみをとりあげました。

それではよい夏休みをお過ごしください。

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夏休み特別企画1 刑事ドラマメインテーマ傑作選

暑いですねえ。

夏休み恒例の、音楽特集です。

昨年は、キム・グァンソク特集でしたが、今年は、「70年代刑事ドラマ特集」です!

刑事ドラマのメインテーマには、名曲がとても多いです。その中でも、私の好きな曲を選りすぐってお届けします。

これを聴いて、暑い夏を乗り越えてください!

まず最初は、石原プロ制作の刑事ドラマ「大都会」シリーズ(日本テレビ系列)からお送りいたします。

「大都会」、名作でしたなあ。

私はPARTⅡから見はじめたと記憶していますが、オープニングの曲がめちゃくちゃかっこよかった。

PARTⅡとPARTⅢでは、メインテーマが異なりますが、個人的には、PARTⅢのメインテーマの方が好きです。トランペットの高い音色が、とてもすがすがしいです。

たぶん子供のころ、このメインテーマを聴いて、ホーンセクションのよさに目覚め、後に吹奏楽を始めるようになったのではないか、と思います。

では、2曲続けてお聞きください。

なお、石原プロは、このあと「西部警察」(テレビ朝日系列)を制作します。こちらのメインテーマもなかなかよいのですが、ドラマ自体が、「ちょっとやりすぎだなあ」という印象があって、私自身は今ひとつのめり込めませんでした。なので今回は割愛します。

続いて、私がいちばん好きな刑事ドラマ「特捜最前線」(テレビ朝日系列)のメインテーマです。

このドラマの音楽担当は、私が大好きな木下忠司。有名なところでは、「水戸黄門」の音楽も担当していますね。木下忠司の音楽には、哀愁があります。小学生のころ、このメインテーマを脳内で再生しながら、自分が刑事になったつもりで、思いっきり自転車をこいだものです。バカですねえ。

そして最後は、ご存じ!「Gメン75」のテーマです!

このメインテーマもすばらしい!

作曲は、菊池俊輔!テレビドラマの劇伴といえば、菊池俊輔です!

いかがでしたか?どの曲も、聴いているだけで、元気が出てくるでしょう。

明日は、「刑事ドラマエンディング傑作選」です!

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抱腹絶倒、拍手喝采!その2

8月13日(火)

Tirashi_senkyo02_2映画「選挙2」を、念願かなって劇場で見ることができた。

映画「選挙2」は、ドキュメンタリー映画の奇才、想田和弘監督の最新作である。

想田監督は、自身の映画を「観察映画」と称していて、ナレーションも音楽も字幕もつけず、事実だけを淡々と映しだすのが特徴である。

2007年に公開された映画「選挙」を見たとき、こんな面白い映画があったのか!と驚愕した。これほど面白い映画に出会ったことは、これまでになかった。

「選挙」の内容は、次の通りである。

6081_photo12005年、いわゆる「郵政選挙」で「小泉旋風」が吹き荒れていたころ、川崎市で市議会議員の補欠選挙が行われることになった。切手・コイン商を営んでいた当時40歳の山内和彦さんは、ふとしたことから自民党の公認候補となり、川崎市にそれまで縁がなかったにもかかわらず、「落下傘候補」として出馬することになった。

ところがこの山内和彦さんこと「山さん」は、政治に関してはずぶの素人であった。そこで自民党の国会議員や県会議員、さらには党員たちが、山さんに自民党流の選挙運動を徹底的に「教育」する。いわゆるドブ板選挙を教え込むのである。慣れない山さんは、とりあえず言われたとおりにドブ板選挙を展開し、見事当選を果たす。

この様子をあますところなく映しだしたのが、映画「選挙」である。

日本の奇妙な選挙運動の実態や、それを生み出す社会的な地盤、さらにはゆがんだ政治風土が、この映画を通じて明らかにされたのである。

さてその後、山さんは一年あまりで任期満了となり、いろいろあって自民党の公認を取り消され、次の選挙に立つことなく、「主夫」としての生活を送ることになった。

東日本大震災の直後の2011年4月、統一地方選挙が行われることになった。

「主夫」をしていた山さんは、突然、再び川崎市議会議員に立候補することを思い立つ。

震災にともなう原発事故のあと、政治家が誰一人、原発についての政策を語らないことに強い怒りをおぼえた山さんは、完全無所属で、「脱原発」を掲げて立候補することを決意したのである。

前回のドブ板選挙のバカバカしさを痛感した山さんは、それとは正反対の選挙運動を展開する。ま、正確には、選挙運動といえるほどのものではないのだが。

その様子をあますところなく映しだしたのが、映画「選挙2」である。

これも、めちゃくちゃ面白かった!抱腹絶倒、拍手喝采!である。

絶対に見るべき映画である。

初めて見る人には、まず「選挙」を見てから、「選挙2」を見ることを、強くおすすめする。

見ていない人に内容を語っても仕方がないので、この映画を見て感じた点をいくつか書く。

この映画は、一見、淡々と映しだした映像をつなぎ合わせただけのように見えるが、実はそうではない。映像の編集が、じつに巧みである。

一見、無駄に思えるような会話やセリフ、短い映像が、じつは後々の伏線になっているのである。だから一つとっして、無駄なカットがない。すべてが、意味のある映像である。

そこに気づいたとき、私たちは目の前で起こる出来事に抱腹絶倒できるのだ!

この見せ方は、見事というほかない。「ドキュメンタリーの神様」が降りてきた、とは、こういうことをいうのであろう。

また、大手政党の候補者のほとんどが抱えている「選挙運動に対する後ろめたさ」が、この映画によってさらけ出されている。候補者たちの生々しく、切なく、ぶざまな姿を見るだけでも、この映画は見る価値がある。

こうした映像を引き出す想田監督は、かなり「人が悪い」のではないか、と、思わず笑ってしまった。ひょっとして、ドキュメンタリー映画の監督に最も必要な資質は、「人が悪い」ことなのかもしれない。マイケル・ムーアしかりである。

あと個人的に面白かったのは、候補者たちが演説で使っている「日本語」である。

ほとんどの候補者が、

「お訴えをさせていただきます」

という「日本語」を使っていた。

ふつうならば、

「訴えます」

と言えばすむところを、政治家はなぜかみんな、

「お訴えをさせていただきます」

と言うのである。

これは、「訴え」のあとにわざわざ目的語の助詞「を」をつけて

「お訴えをする」

とし、さらに過度な謙譲表現である

「させていただきます」

をくっつけて、

「お訴えをさせていただきます」

という奇妙奇天烈な「日本語」を生み出すのである。

昨日読んだばかりの、内館牧子『カネを積まれても使いたくない日本語』(朝日新書)の中で、政治家が多用する醜悪な日本語が数多く紹介されているが、

「お訴えをさせていただきます」

もまさにその一つとして、紹介されている。

この映画に出てくる候補者たちが、あまりにセオリー通りにこの言葉を使っているので、爆笑するやら、情けなくなるやら。

ただ、山さんは、こういう政治家言葉は使わない。

街頭演説に望んだ山さんは、誰よりもふつうの言葉、自分の言葉で、道行く人々に自分の考えを訴えかける。

空虚で、まるで「思考停止」しているがごとく「テンプレ通り」のことしか言わない政治家とは、対照的である。

「選挙」「選挙2」を見た人なら誰しも、「無類のお人好しで、鈍くさくって、脇が甘くて、へこたれない」山さんの、ファンになるだろう。およそ「よくいる政治家」とは真逆のタイプだからである。

私も山さんのファンの一人である。

だが驚くべきことに、その山さんが、ふつうの言葉、自分の言葉で、自分の考えを訴えかけていても、道行く人は、誰一人、その言葉にすら耳を傾けようとしないのだ。

そこで、この映画が終わる。

「思考停止した政治家」と、「無関心な私たち」。

抱腹絶倒した果てに、最後に見た光景は、それだった。

もう一度言う。

絶対に見るべき映画である。

この映画を見ずして、私たちを取り巻く社会の本当の姿を理解することはできないであろう。

(わが地元では、8月24日(土)から劇場で公開されます!)

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抱腹絶倒、拍手喝采!

8月12日(月)

いやあ、久しぶりに読んでいて痛快だった。

内館牧子『カネを積まれても使いたくない日本語』(朝日新書、2013年7月)である。

「ら抜き言葉」とか、ヘンな敬語とか、あいまいな表現とか、日本語が乱れている、と、よく言われる。

その手の本はかなり出版されていると思うが、それを内舘さんの軽妙な語り口と皮肉な文体で容赦なく説かれると、抱腹絶倒、拍手喝采、読んでいて、思わず頬をゆるめてしまう。

ヘンな日本語は、若者が使いがちであるが、決してそうではない。むしろ問題なのは、政治家や役人の使っている日本語である。

内舘さんは、こうした言葉を使う政治家や役人を「知性がないのか」と表現している。もちろんその通りだと思うのだが、私に言わせれば、「思考停止」がなせるワザである。

もし政治家や役人が、少しでも自分のドタマで考えるという努力をすれば、これほどおかしな日本語を使うはずはないのである。

…あら、「ドタマ」などという「カネを積まれても使いたくない日本語」を使ってしまいました。

詳細はこの本を読んでいただくとして、ここでは一つだけ紹介する。

以前、「○○力」について、このブログでも取り上げたでしょう?

「○○力」についてのコント台本も書きました。

内舘さんはこの本の中で、私が考えていたこととほとんど同じことを書いています。

「私は「力」の乱用にも同様の危惧を感じる。一番最初に、昨夏の赤瀬川源平さんが『老人力』という本を出した時は、その卓越したタイトルに驚愕した。「老人力」という造語には、「老人」というマイナスイメージを覆し、プラスイメージとユーモアと愛嬌と老獪さがある。今まで誰一人として気づかなかった「力」の使い方だ。何とすごいセンスかと思った。が、その後はもう「力」が出てくる、出てくる。恥ずかしくないのかと思うほど、幼稚な造語であふれ返った」

ここで例示されているのは、「与党力」、「授業力」「献立力」「教師力」「信用力」「文化力」「防災力」「東北力」「ご近所力」「人物力」「健康力」「天然力」「後輩力」「仕事力」「シミュレーション力」「着やせ力」「もて力」「まちりょく(町力、街力)」等々。

ほらね。私とまったく同じことを、内舘さんも危惧している。

断っておくが、私が書いたあとにこの本が出たので、つまりは私が思っていたのと同じことを、内舘さんも思っていた、ということである。

…だからどう、というわけではないのだが、つまりは日常生活で、言葉遣いに関する「モヤモヤした違和感や嫌悪感」を、言葉のプロがはっきりと書いてくれているので、痛快なのである。

この本を読んで、二つほど考えた。

一つは、この本で「カネを積まれても使いたくない日本語」に認定されている言葉を、このブログでは、できる限り使わないようにしよう、ということ。

もう一つは、この本で「カネを積まれても使いたくない日本語」に認定されている言葉を平気で使っている政治家、官僚、学者、組織の上層部、リーダーとかいわれている人たち、こういう人たちを、「思考停止した人たち」「知性のない人たち」とみなす、ということ。

若者は大人の鏡だ、ということを、肝に銘じておいた方がよい。

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人間はロボットと共存できるか

先日、石ノ森章太郎の萬画館に行ったことは、すでに書いた

子どもの頃、「ウルトラマン派」か、「仮面ライダー派」か、などとよく言ったものだが、私はどちらかといえば「ウルトラマン派」であった。

大人になった今から見れば、あれは「東宝」対「東映」ということだったのか、などと、まあなんとも夢のないことを考えてしまう。

石ノ森章太郎に「マンガ家入門」という名著があって、その中に石ノ森自身が描いた初期の短編作品である「龍神沼」をテキストにして、漫画の書き方を説明する、というものがあった。萬画館にも、その「龍神沼」の原稿が展示されていた。

あらためて、というか、おそらくはじめて「龍神沼」という作品を読んでみたが、

あの作品は、完璧である!

ストーリーといい、心理描写といい、構図といい、本当に完璧な作品である。すべてが計算し尽くされ、一片の無駄もない。

まさに、漫画の教科書と呼ぶにふさわしい作品である。

石ノ森章太郎の作品は、実写化されることが多かった。

Ihttp253a252f252fpds_exblog_jp252fpそのなかでも、子どものころ大好きだったのが、「ロボット刑事」である。

警視庁にロボットの刑事が配属され、難事件を解決する、というストーリー。

上司の刑事役に、高品格が出ていたというから、まあ、シブいにもほどがある。

C8f32c8fa516058918e1f49b3bc45d02ロボットなのに、背広を着て、ハンチングをかぶって、捜査にあたる。

冷静に考えれば、奇妙奇天烈この上ない設定なのだが、ドラマの中では、周りに多少の違和感を与えながらも、同僚たちとしだいに心を通わせるようになり、ともに難事件の解決に挑むのである。

ハリウッド映画の「ロボコップ」は、この石ノ森章太郎の「ロボット刑事」を参考にしたと、誰かが言っていた気がするが、本当のところはよくわからない。

これも、どこかで聞いた話だが、石ノ森章太郎は、「人間とロボットの共存」というのが、漫画を描くときのテーマだったのだ、という。

Toeisそういえば、私が子どものころに熱心に見ていた「がんばれロボコン」も、人間とロボットの共存、というのが、全体を貫くテーマだった。

たぶん未来は、それに近づきつつあるのだろう。

だがそれ以前に、「自分とは異なる者と共存するための意識改革が必要なのだ」ということを、ロボットという存在を借りて、石ノ森章太郎は子どもたちに語りかけていたのではないか、と、大人になった今になって思う。

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映画的カタルシスの限界

昨日、霧積温泉の金湯館(きんとうかん)の話を書いたら、映画版とドラマ版の「人間の証明」で、金湯館がどう映っているかが見たくなり、松田優作主演の映画版(1977年)と、林隆三主演のドラマ版(1978年)を見返してみた。

ドラマ版では、「金湯館」の名前は出てくるが、撮影場所はまったく別の場所だった。

それもそのはずである。この当時、まだ金湯館には電気が来ていなかったのだ。現地での撮影はできなかったのだろう。

ところで、この林隆三主演のドラマ版「人間の証明」は、日本のこれまでのドラマの中でも、最高傑作の部類に入る名作である。

まず、早坂暁の脚本がすばらしい。映画版とは異なり、地味に淡々と進んでいくが、登場するどの人物にも、生命が吹き込まれている、といった脚本である。

そして、主演の棟居刑事役の林隆三がすばらしい。

とくに最後の場面における、高峰三枝子との演技対決は、身震いするほどすばらしい。高峰三枝子の名演技とともに、神がかり的な場面である。日本のドラマ史上、屈指の名場面といってよい。

ちょっと話がそれるが、1970年代後半、

「横溝正史シリーズ」の古谷一行。

「森村誠一シリーズ」の林隆三。

「高木彬光シリーズ」の渡瀬恒彦。

いずれも当時30代半ばくらいの脂ののりきった時期だったと思うが、この3人は、実にすばらしい演技をしていた。

とくに私は、林隆三の演技に、小学生ながら胸を打ったのである。

おそらくいまのどの俳優も、この時の林隆三のレベルで、棟居刑事を演じることはできないであろう。誰一人として、である。

ところが不思議なことにこの3人はその後、年齢を重ねるにつれて、次第に演技の精彩を欠いていく。

30代半ばで、あれだけ神がかった演技をしていたのにもかかわらず、である。

なぜ、このあとこの3人は、精彩を欠いていったのか?私には永遠の謎である。

それはともかく。

では、映画版「人間の証明」はどうか?

こちらの方は、松田優作が棟居刑事を演じていて、当時、話題作となったが、いま見ると、映画の完成度は全然高くない。とくに、長編小説を2時間の映画に圧縮したためか、ストーリー展開が雑である。

それに、見ていてあらためて気づいたのだが、この映画の監督である佐藤純彌監督の作風なのか、あるいは製作者の角川春樹の方針なのか、随所に、過去の名画でカタルシスを感じさせる場面をリスペクトしていると思われる場面がある。

どういうことかというと、

たとえば、大勢の刑事が集まって、捜査会議をする場面がある。

この場面は、絶対に黒澤明監督の映画「天国と地獄」の捜査会議の場面を意識しているよなあ、と思えてしまう。

それから、事件の捜査でアメリカに渡った棟居刑事が、殺されたジョニー・ヘイワードの父に会う場面。

病に伏しているジョニーの父を訪ねていき、ジョニーの母親が誰かについて、問いただす。

だがジョニーの父は、決して言おうとしない。

そこで棟居は、ジョニーが肌身離さず持っていた西條八十詩集の「帽子」の詩を読み上げる。

「母さん、僕の帽子…」

それを聞いたジョニーの父は、堰を切ったように涙を流し始める。

…これって絶対、映画「砂の器」の加藤嘉の、あの名場面を意識しているよなあ。たぶん、映画「砂の器」を見た人ならば、ぜったいに連想するはずである。

つまり、過去の映画でカタルシスを感じる場面を、この映画の中でも、随所にちりばめているのである。

たぶん監督自身が、そういうふうに撮りたかったのだろうと思う。

しかし残念なことに、本来ならばカタルシスを感じる場面であるはずが、どれも安っぽく見えてしまうのである。

映画「人間の証明」の次に製作された、映画「野性の証明」の場合でもそうである。監督は同じ佐藤純彌監督。

この映画のラストシーンは、主人公の味沢(高倉健)が、娘のより子(薬師丸ひろ子)を背中に負いながら、自分に向かってくる何台もの戦車に向けて、死を覚悟して拳銃を発砲する、という、原作にはまったくない、とんでもない終わり方をするのだが、高倉健が拳銃を撃った瞬間、ストップモーションとなり、ここで映画が終わる。

(これって、ぜったい映画「明日に向かって撃て!」のラストシーンのパロディーだよな…)

映画ファンならずとも、すぐにわかることである。

どうも監督は、名画へのオマージュというべきか、こういう場面をちりばめるのが好きなようなのである。

だが、肝心のストーリーはご都合主義で、かなりざっくりしているのだ。

どうも私には、

「どうせ観客なんか、ストーリーの細かいところなんて気にしていないんだ。カタルシスを感じるような場面をちりばめておけば、何となくいい映画っぽく見えるものなのだ」

というスタンスで、映画を作っているような気がしてならない。

だから私は、映画版の「人間の証明」と「野性の証明」は、あまり評価していない。

そのアンチテーゼとして作られたと思われる、ドラマ版の「人間の証明」「野性の証明」(いずれも林隆三主演)の方が、はるかに完成度が高いのだ。

ただし、映画版「野性の証明」は、高倉健と薬師丸ひろ子のプロモーションビデオのつもりで見れば、すごく楽しめる。

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キスミー!

急に思い出した。

小学生の夏休み、毎年、群馬県の霧積温泉というところに泊まりに行った。ちょうど、8月のこの時期である。

前にも少し書いたことがあるが、小学校の同級生のO君のお父さんが、小学校の先生をしていて、毎年夏休みになると、自分の教え子だった卒業生たち有志を連れて、霧積温泉に泊まりに行くというイベントをやっていた。そのとき、息子のO君と一緒に、なぜか私も、その温泉旅行について行くことになったのである。

O君とは、小学校4年生のときにはじめて同じクラスになったから、霧積温泉にはじめて行ったのも、その頃からだったと思う。

中学生になってからも、毎年行っていたんじゃないかな。

霧積温泉は、山深いところにある秘湯である。朝、家を出発し、お昼ごろ、横川という駅に到着する。横川の駅前には、釜めし屋さんがあって、お昼ご飯は、その店で釜めしを食べた。いまではすっかりと有名になった「峠の釜めし」である。

お昼ご飯が食べ終わったころに、旅館から迎えのマイクロバスが駅に到着する。そのマイクロバスに乗って、山道を登って、旅館に到着するのである。

旅館の名前を、金湯館(きんとうかん)という。

というか、霧積温泉には、金湯館という旅館と、もう一軒の旅館くらいしかなかったと思う。

あまりにも山奥で、温泉旅館2軒のほかには何もない。むかしは電気も電話もなく、ランプで灯りをともしていた。記録によれば、金湯館に電気と電話が来たのは、林道が開通した1981年(昭和56)のことだという。それまでは、ディーゼルエンジンや水車の自家発電で電気をまかなっていたので、もちろんテレビもなく、夜になると、電気が消えて真っ暗になった。

どんだけ秘湯なんだ?

1981年(昭和56)といえば、私が中1のときである。ということは、私が小学生のときは、まだ自家発電で、テレビもなかったということになる。そういえば、金湯館の前で、水車がまわっていたことは記憶している。

金湯館でテレビを見た記憶もあるが、それは電気と電話が通じるようになった、1981年(昭和56)以降、つまり中学生の夏休みに行ったときのことだったのだろう。

さて、霧積温泉といえば、森村誠一の小説「人間の証明」である。小説の中では、事件の鍵を握る重要な場所として、この霧積温泉が登場する。

映画が公開されたのが1977年(昭和52)。私が小学校3年生のときである。

その翌年、TBSの「森村誠一シリーズ」(毎日放送製作)の中で、「人間の証明」の連続ドラマが放映された。私が小学校4年生のときである。

小3のときに、この映画を劇場で見たかどうか、記憶にない。

ドラマの方は、リアルタイムで見た記憶がある。

だから、「霧積温泉に行こう」とO君に誘われた小学校4年生のとき、「え?あの、『人間の証明』でおなじみの霧積温泉?」と、思わず聞き返したことを覚えている。

どんな小学4年生なんだ?

とにかく、私たちが訪れた時期は、空前の「人間の証明」ブームで、霧積温泉の名は全国的に知られた時期だったのである。当然、金湯館は映画やドラマのロケで使われた。

だが、だからといって、ブームに乗ったお客さんがたくさん来ていたかというと、その記憶もない。「秘湯ブーム」がおとずれるのは、もっと後になってからである。

いまから思うと、なぜ、O君のお父さんは、霧積温泉に毎年通ったのか?

「人間の証明」の影響か?

それとも、西條八十の詩の影響か?

いや、それ以前に、霧積温泉そのものの魅力だろう。

さて、金湯館でいまでもはっきりと覚えていることがある。

それは、夕食の「鮎の塩焼き」「鯉のあらい」と「山菜の天ぷら」が、メチャメチャ美味しかった!ということである。

とくに「山菜の天ぷら」の美味しさは、小学生の私には衝撃的であった!

私のいまの「天ぷら好き」は、小学生のころに食べた金湯館の「山菜の天ぷら」によって形成されたといっても過言ではない!

その後の人生で、あんなに美味しい「山菜の天ぷら」に出会ったことは、まだ一度もない。

幸いにして、「鯉のあらい」や「山菜の天ぷら」が、わりとすぐに食べられるような地域に現在住んでいるが、それでも、あの美味しさを越えるものに出会ったことはないのだ。

調べてみたら、いまでも金湯館の夕食には、「鮎の塩焼き」「鯉のあらい」「山菜の天ぷら」が出されているみたいだ。

嗚呼!もう一度、あの「山菜の天ぷら」を食べてみたい!

またいつか、霧積温泉に行くぞ!

ところでタイトルの「キスミー」の意味、わかりますよね?

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。」

(西條八十「ぼくの帽子」)

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負けるのは、美しく

8月8日(木)

同世代の友人とよく話すのは、「大人になったら、そんなに悩むことなんてないのだろう、と思っていたが、そんなことはない。四十を越えた今でも、悩んだり、迷ったりしてばかりの毎日である」ということである。

「たしか、言いましたよねえ。孔子でしたっけ?四十にして…」

「『四十にして惑わず』ですね」

「でも、惑ってばかりです」

「あれは、孔子が自分自身に言い聞かせた言葉だったんじゃないですか?『四十にして惑うんじゃねえ!俺!』と。孔子自身も惑っていたんじゃないでしょうか」

「だとしたら、迷惑な話ですね。てっきり、『四十になったら惑わなくなるもんだ』という意味だと思って、惑っている自分がダメなんじゃないかと思うじゃないですか」

日ごろ、学生の相談事を聞いたりしているが、本音を言えば、「自分のことで精一杯」なのである。

つい先ごろ亡くなった俳優・児玉清のエッセイ集『負けるのは美しく』を少しずつ読み始めている。俳優になり始めた若い頃から晩年までのさまざまな出来事を綴っているが、なかでも俳優になりたての、血気盛んな頃の話は、テレビなどからうかがえる穏やかなイメージとは少しかけ離れていて、実に興味深い。

私の悪い癖で、いつも本の「あとがき」から読んでしまう。「あとがき」の一節が印象的だったので、引用する。

「ところで『負けるのは美しく』というタイトルの由来だが、僕の俳優の道は、いつももやもやとした敗北感といったものに包まれていた。勝った!!やったあ!!という気持になったことがなく、終れば絶えず苦渋のみが残るばかりだ。たった一人でやっているだけに、周りの声は何も聞こえてこない。仲間や身内に聞けば、褒めてくれるかも知れないが、それは単なる慰めと考えなくてはならない。しかも他人は決して本当のことを言ってはくれない。聞けば褒めてはくれるだろう。しかしそれは決して本心ではない。役者殺すにゃ刃物は入らぬ、ただめちゃめちゃに褒めればいい、と言われたように。俳優は自分をあくまでも客観的に冷徹な目で眺めなければならない、と心に誓ってきたものの、客観的に眺めようとすればするほど、欠点ばかりが目立って、どうにも敗北感や挫折感しか生じない。しかし、それだけでは、あまりにも立つ瀬がない。意気銷沈するばかりだ。そこで知らぬ間に心に期するようになったのが「負けるのは、美しく」ということであった。どうせ勝利感を得られないのなら、また明確な勝利も望むべくもないのなら、いっそ、せめて美しく負けるのを心懸けたら、どうなjのか、そう考えたとき、はじめて心に平和が訪れた思いがしたのだ。心の中にあったもやもやと苦渋の塊は消して霧散はしないが、何よりもの俳優として生きる心の励みと戒めとなったのだ。爾来、「負けるのは、美しく」は僕のモットーとなった。」

児玉さんの文章の特徴は、一段落が長いことで、それが児玉さんの文体のリズムであり、語り口になっているのだと思う。

物腰の柔らかなイメージの一方で、歯に衣着せぬ保守派の論客でもあった。

またその一方で、「挫折感」「敗北感」「心のもやもや」が、終生消えることがなかったのだと、このあとがきで書いている。「四十にして惑わず」どころではないのだ。

人間とはまことに、一筋縄ではとらえられないものである。

ドラマ「白い巨塔」(田宮二郎版)の関口弁護士役は、すばらしかったと思う。

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隊列のフォークロア

8月7日(水)

3日続けて行われる地元の夏祭りの、最終日であることを思い出し、職場から歩いて見に行くことにした。

ここのお祭りは、少々変わっていて、独特のデザインを施した笠を持ちながら民謡に合わせて踊りを踊り、しかも踊りを踊りつつ、さながらパレードのごとく、直線の道路を少しずつ前に進んでいく、というものである。

踊りは個人単位で踊るのではなく、職場や学校やサークルといった、組織や団体が一つの単位となって、一丸となって踊るのである。団体ごとに、踊り方や衣装がちょっとずつ異なる、というのも、このお祭りの見所である。

踊りを踊る各団体は、隊列を組んで、音楽に合わせて一糸乱れぬ踊りを見せる。そう、「隊列」という言葉がふさわしいほど、この踊りは整然としているのだ。

旧繁華街の目抜き通りで、この「パレード」は行われる。もともとお祭り用に作られた道ではないので、片側一車線の狭い道路である。それに加えて、両脇の歩道も実に狭く、沿道はいつも見物客でごった返している。

午後6時半過ぎに行くと、すでに多くの見物客がいて、身動きがとれないほどだった。

本当は、通りの反対側にある、「ホテルのシェフが出している屋台」の牛肉の串焼きを食べるのが楽しみだったのだが、もちろん、踊りを踊っている中を横切って道路を渡ることなどできないので、あきらめた。

それにこの日は、知り合いが踊っている団体が一つもないのだ。一人で見ていても面白くも何ともない。

考えてみたら、うちの職場が踊りで参加したのは、一昨日の初日(月曜日)だった。

そういえば、初日(一昨日)の、うちの職場の踊りを見たという人から、こんなことを聞いた。

「うちの社長が踊っているかな、と思って隊列の先頭を見てもいなかったんです。そしたら、2列目にいらっしゃいました」

「ほう。いちばん前じゃなかったんですか}

「前の社長のときは、列の一列目の真ん中に社長がいて、その両脇に副社長がいて、次の列に管理職がいて、管理職の列の後ろが女性社員、そしていちばん後ろが男性の平社員、という順番だったんです」

なんとも、職場のヒエラルキーを具現化したような隊列である。今は、そんなことはないのだろうか?

そこでふと思いついた。

このお祭りに参加した各団体の「隊列」を分析することで、その組織の特徴が明らかになるのではないだろうか、と。

だれか調査して、レポートでも卒論でも、書いてくれないかなあ。

たとえば、社長や管理職が一番前を陣取るような組織は、

「ははーん。さては権威主義の職場だな」

とか、

華やかな女性たちが、華やかな衣装を着て、前方で隊列を組み、後ろに地味な男性たちが隊列を組む会社は、

「ははーん。この職場では、女性だという理由で、受付みたいな華やかな場所に配置させられたりしているんだろうな」

とか、

前方では、小学生たちが男女の別なく元気に踊りまわり、後方に、先生と覚しき大人たちが、これまた男女の別なく、同じ衣装で安定した踊りを見せている小学校は、

「先生たちが、小学生たちの踊りを引き立たせて、しかも男女がわけへだてなく踊っているぞ。いい小学校だなあ」

とか、自分とは無縁の団体でも、見ていると何となくその組織の性格がわかったような気になるのである。

踊りの隊列にこそ、その組織の本質があらわれているといっても過言ではない。

…だが、注意すべき点は、こんな見方をしていると、全然お祭りが楽しめない、ということである。

やはりお祭りは、何も考えずに見て楽しむのがよい。

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荒俣宏になりたい!

荒俣宏みたいになりたい!

というのが私のいまの夢。

妻に勧められて、荒俣宏をゲストに迎えたラジオ番組のポッドキャストを聴いて、感心するやら、笑うやら。

荒俣宏は、汲めど尽きぬ話題をもつ鬼才である。座持ちがいいどころの話ではない。

妻に聞いた話だが、荒俣宏は、世界一周する豪華客船に乗務員として乗り込んだことがあるという。長い航海で退屈しているお客さんに、トークショーをするためである。たとえば、その船がインド付近を通っているとしたら、インドにまつわるお話を、といったように、世界各地のありとあらゆる面白くて知的な話を用意して、お客さんを退屈させない、というのである。

すごいなあ。

さて、そのラジオ番組を聞いていて、印象に残った話を一つ。

いま荒俣宏は、日本、中国、韓国の3カ国共同製作の連続ドラマを作るプロジェクトに参加しているという。

日本、中国、韓国の3カ国のいずれの国においても、歴史上で評価の高い人物を主人公にして、そのドラマを作るのだという。

そんな歴史上の人物、いるのか?

まあそれはともかく。

しかし、聞くだけで面白い企画である。荒俣宏が参加したくなる気持ちはよくわかる。

しかしそこで困ったのは、3カ国それぞれのドラマ観の違いである。

日本が、日本的なドラマのセオリーを提案しようとすると、中国さんは、「そんな生ぬるいペースでドラマが進行したら、うちの国では誰もドラマなんか見ないぜ」と、反対した。

「どうして?週に1回の連続ドラマなら、これくらいの感じでいいでしょう」

と聞くと、

「だってうちの国は、1日に2話放送するんだぜ」

と答えたという。

1日に2話!?どんだけハイペースなんだ、と思って、韓国さんに助けを求める。

「中国さん。1日2話というのは、いくらなんでもやりすぎですよ」と韓国さん。

「じゃあおたくは?」

「うちは少ないですよ。週に3話です」

えええええぇぇぇぇ!!と、またびっくり。

「そんな中で、3カ国共同の連続ドラマを作ろうっていうんですから、そりゃあ、大変ですよ」と荒俣宏。

しかしここで重要なのは、この話を、荒俣宏が「嬉々として」語っていることである。

荒俣宏は、だから他の国がダメだ、とは、決して言わない。

考え方が相当に違う者同士で、どうやって折り合いをつけていこうか、という困難を、楽しんでいるのである。

荒俣宏の「知の巨人」ぶりは、こんなところにあらわれているのだ。

そうか。私が荒俣宏になりたいと思ったのは、こういうところなんだな、と、その話を聞いてあらためて思ったのである。

番組の最後に、今後の抱負を聞かれた荒俣宏。

「もう私も65歳になるので、健康に気をつけようと思います。なんとか体重100㎏を切るのを目標にするのと、いままで朝6時に眠りに就くのがやや不健康だったので、今後は午前3時くらいに眠りに就くのを目標にしたいと思います」

どんな65歳やねん!

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権力者はきまぐれ

8月5日(月)

仕事部屋の外線電話が鳴ったので、受話器を取ると、いつものようにマンション販売の宣伝だった。

(なるほど。これが「テンプレ通り」というやつか…)

まくし立てるような説明をしばらくぼんやり聞いていて、そんなことを思った。

お昼ごろ、職場の構内を歩いていると、多国籍の学生たちの集団とすれ違う。

そういえば、例の5カ国の学生の短期研修が始まっていたのだった。

その中に交じって、4年生のNさんがいた。つい最近、1年間の英語留学を終えて帰ってきたばかりのNさんである。

「今日は、この研修プログラムのボランティアとして参加しているんです」とNさん。

「そういえば、今日は午前中、放送局訪問だったよね。どうだった?」

「すごく楽しかったです」とNさん。「だって、放送局に初めて入ったし、ふだんローカルニュースで見ている人がいるんですから」

そうか、放送局訪問は、うちの学生にとっては楽しかったのか。でも、いきなり連れてこられた海外からの学生たちはどうだったのだろう?よくわからない。だいいち、彼らにとっては、ローカルニュースのキャスターなんて、わかるはずもないのだ。

「午後からは県知事表敬訪問だったよね」と私。

「ええ。でも、中止になったんです」

「えええぇぇぇ!!??どうして?」

「県知事に急な予定が入ったとかで、キャンセルされたんです、私、楽しみにしてたのに…」

どういうこっちゃ???

「でも、この予定はずいぶん前から決まっていたはずだよ。だって、この日のこの時間は、『県知事表敬訪問』が入っていて、どうしても予定が動かせないって、ずいぶん前に言われたんだから」

本当はこの日に、私の企画したイベントを行うはずだったのだが、県知事表敬訪問が先に決まっていたために、断念したのだった。

「じゃあ、午後の予定はどうなったの?」

「予定通り県庁に行って、県庁見学と、それから県庁職員との懇談会をやるそうです」

「懇談会?…ということは、海外から来た学生と県庁の職員が、懇談する、ということ?」

「はい」

うーん。かなりシュールだ。いったい、どんなことを話すのだろう?

「県知事のドタキャン」については、それ自体、考えさせられることがたくさんあるが、ここには書かない。

ある意味、昨年以上にカオスな研修かも知れない。

しかし、がんばっている学生たちには、まったく罪はない。どんな状況でも、彼らは楽しみを見つけるだろう。

「できるだけたくさんの人たちと仲良くなりなさいよ」

そう言って、Nさんと別れた。

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単車の聖地か?

8月4日(日)

恒例の「カーナビのない旅」シリーズ。

今回の場所は、すぐにわかります。

めざした場所は、小さなラーメン屋である。以前にも、何度か訪れたことがある。午後1時過ぎに着くと、かなりの人が並んでいた。昔からの人気店である。

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それにしても驚いた。

小さなラーメン屋に面した道路には、びっくりするくらいの単車が路上駐車してある。ざっと50台くらいはある。座席に高い背もたれがついている単車が多いのが特徴である。

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何でこんなにたくさんの単車がとまっているんだ?この町の名物はラーメンだから、ラーメンを食べに来たとしか考えられない。

しかも、あれはわざとなのか?これまたビックリするくらい大きなエンジン音を吹かせている。乗っている人は、ちょっと怖面(こわもて)の人たちばかりである。

怖面の人たちが、「自慢の単車」を爆音を吹かせながら集団で乗り回して、そのめざした先が、どうやらこの小さなラーメン屋さんだ、というのが、笑ってしまう。

並んでいる我々からしたら、爆音がうるさくて迷惑この上ないのだが、お店の従業員たちは、おそらくラーメンを食べ終わり爆音で去っていく彼らに、会釈したり、手を振ったりしている。

…ということは、常連さんなのか?

あるいは、である。ここからは私の妄想。

この小さなラーメン屋の従業員の1人が、じつはむかし、同じ単車乗りで、ブイブイ言わせていたのだが、近ごろようやく「ヤンチャ」することをやめ、めでたくラーメン屋で働くことになった。

「おい、あいつ、この「単車乗り回し」から足を洗って、まじめにラーメン屋で働くことになったらしいぞ」

「そうか、じゃあみんなで、あいつの就職祝いに、ラーメン屋に食べに行ってやろうぜ」

…というわけで、単車集団がこの小さなラーメン屋に集結した。

ただし、この仮説にはやや問題がある。

というのも、どうもここに来ている単車集団は、ひとつの集団ではなく、よく見ると、いろいろな集団が各地から集まってきているようなのである。

「座席に高い背もたれのある単車」の集団もあれば、そうでない集団もある。

とすると、単に彼らは、集団で単車で乗りつけて、ラーメンを食べに来ただけの可能性が高い。

ここは単車集団の聖地なのか???

30分以上待たされて、ようやくラーメンにありつけた。

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食べている途中、外でものすごい爆音がして、次々と単車に乗った人たちが去ってゆく、。食べ終わり、店の外に出ると、路上にあれほどとまっていた単車が、すっかりとなくなっていた。

先ほどまで、ものすごい数の単車がとまっていた道を歩いていたら、こんな看板がひっそりと立っているのを見つけた。

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「蔵の街 静かに静かに 走ろうね」

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自分にとっての三角形

上岡龍太郎の話題が出てきたので、思い出したことを書いておく。

私は上岡龍太郎が芸能界から引退してからというもの、テレビにほとんど関心を持たなくなった。

上岡龍太郎の言葉で、いまの私の稼業の指針になっているものが、いくつかある。

一つは、上岡龍太郎がダウンタウンとの対談で言っていた言葉である。

「弟子はおらんの?」

「いませんねえ」

「弟子は持っておいた方がええよ。弟子のためではなく、君らのため。弟子に言うことで、自分が再確認できることがあるから」

つまり、弟子に言った言葉は、自分にはね返ってくる、という意味である。

私の稼業も同じである。学生に言う言葉は、自分自身にはね返る言葉である。

もうひとつは、立川談志との対談で言っていた言葉。

上岡「僕はねえ、立川談志師匠と、横山ノックさんと、桂枝雀師匠。この三人とそれぞれ定期的にお会いしてお話しすると、元気をもらうんです。この三角形の中でうろちょろしているのが、僕の中でいちばん心地いいんです」

談志「そんなこと言って、その三人の頂点に立っているとでも思っているんだろう?」

人選はともかく(笑)、上岡龍太郎にとって、立川談志と横山ノックと桂枝雀が、自分の中のメンターなのである。しかもそれぞれ、性格が全然異なる。まさにそれぞれが三角形の頂点である。自分が信頼する三人の「三角形」の中にいる、というだけで、精神的なバランスがとれるのだろう。

これを自分に置き換えてみる。

自分にとっての三角形とは、誰だろうか?

すぐには思い浮かばない。

メンター、というよりも、友人ならば、何となく思い浮かぶかもしれない。

自分にとっての「三角形」を見つけることは、けっこう大事なことなのではないか、という気がする。

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むかしテンプラ、いまテンプレ

前回の記事はシニカルに書きすぎたと、少し反省しました。

疲労していることもあり、凝った記事が書けないので、どうでもいいネタを一つ。

ちょっと前の授業で、学生がこんな感想を書いてきた。

「授業の冒頭で説明しに来ていた奴の話しがテンプレ通りのことだけだったので腹立たしかった」

ちょっと説明を加えておくと、この日、授業の最初に、上級学年のある学生がやって来て、ある「研修」に参加を呼びかける宣伝をさせてほしい、と言ってきた。

決してアヤシイ「研修」ではない。毎年この時期に説明に来ている風物詩のようなもので、授業の冒頭の3~4分を、「研修」の参加を呼びかける宣伝に使ってもらったのである。

学生の感想は、それについてのものだった。

わからないのは、「テンプレ通り」という言葉である。

テンプレって何だ?

「テンプラ学生」なら知っているぞ。

むかし、もぐりの学生のことを「テンプラ学生」といった。在学生でもないのに、その大学の学生をふりをして、授業を受けたりする人のことである。衣(学生服)だけを身につけて、中身は学生ではない人のことを、天ぷらにたとえたのである。

しかし、この場合の「テンプレ」は、「テンプラ学生」とは違う意味だろうな。

例によって気になって気になって仕方がない。

さて先日。

4年生のAさんが仕事部屋にやって来て、進路のことについて話をしている中で、こんなことを言った。

「面接でテンプレ通りの受け答えをする人って、なんかイヤなんですよねえ」

テンプレ???

「ちょ、ちょっと待った!いま何て言った?」

「何がですか?」

「面接でどんな受け答えをする人だって?」

「テンプレ通り、ですか?」

「そう!その『テンプレ通り』って、どういう意味?」

「テンプレートのことですよ」

「テンプレート?」ますます意味がわからない。「テンプレートって?」

Aさんは呆れた様子で答えた。

「つまり…マニュアル通りってことです」

「なるほど、マニュアル通りって意味か!」

思い出した。そういえば、その「研修」への参加を呼びかけた学生の説明は、マニュアル通りというか、宣伝文句通りというか、自分自身の言葉で語っていない、という印象を、そのとき持ったのだった。

面接でも、自分自身の言葉ではなく、マニュアル通りに受け答えする人が多い、ということなのだろう。

これで納得がいった。

その後、念のためインターネットで「テンプレ通り」で検索してみたら、「知恵袋」的なサイトがヒットして、

「見た目だけで中身がない人間をテンプレ人間という」

みたいなことが書いてあった。たしかに、マニュアル通り、言語明瞭に話す人は、えてして中身がともなっていない場合が多い。

でも待てよ。

「見た目だけで中身がない」というのは、それこそ「テンプラ学生」のことではないだろうか?

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