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映画的カタルシスの限界

昨日、霧積温泉の金湯館(きんとうかん)の話を書いたら、映画版とドラマ版の「人間の証明」で、金湯館がどう映っているかが見たくなり、松田優作主演の映画版(1977年)と、林隆三主演のドラマ版(1978年)を見返してみた。

ドラマ版では、「金湯館」の名前は出てくるが、撮影場所はまったく別の場所だった。

それもそのはずである。この当時、まだ金湯館には電気が来ていなかったのだ。現地での撮影はできなかったのだろう。

ところで、この林隆三主演のドラマ版「人間の証明」は、日本のこれまでのドラマの中でも、最高傑作の部類に入る名作である。

まず、早坂暁の脚本がすばらしい。映画版とは異なり、地味に淡々と進んでいくが、登場するどの人物にも、生命が吹き込まれている、といった脚本である。

そして、主演の棟居刑事役の林隆三がすばらしい。

とくに最後の場面における、高峰三枝子との演技対決は、身震いするほどすばらしい。高峰三枝子の名演技とともに、神がかり的な場面である。日本のドラマ史上、屈指の名場面といってよい。

ちょっと話がそれるが、1970年代後半、

「横溝正史シリーズ」の古谷一行。

「森村誠一シリーズ」の林隆三。

「高木彬光シリーズ」の渡瀬恒彦。

いずれも当時30代半ばくらいの脂ののりきった時期だったと思うが、この3人は、実にすばらしい演技をしていた。

とくに私は、林隆三の演技に、小学生ながら胸を打ったのである。

おそらくいまのどの俳優も、この時の林隆三のレベルで、棟居刑事を演じることはできないであろう。誰一人として、である。

ところが不思議なことにこの3人はその後、年齢を重ねるにつれて、次第に演技の精彩を欠いていく。

30代半ばで、あれだけ神がかった演技をしていたのにもかかわらず、である。

なぜ、このあとこの3人は、精彩を欠いていったのか?私には永遠の謎である。

それはともかく。

では、映画版「人間の証明」はどうか?

こちらの方は、松田優作が棟居刑事を演じていて、当時、話題作となったが、いま見ると、映画の完成度は全然高くない。とくに、長編小説を2時間の映画に圧縮したためか、ストーリー展開が雑である。

それに、見ていてあらためて気づいたのだが、この映画の監督である佐藤純彌監督の作風なのか、あるいは製作者の角川春樹の方針なのか、随所に、過去の名画でカタルシスを感じさせる場面をリスペクトしていると思われる場面がある。

どういうことかというと、

たとえば、大勢の刑事が集まって、捜査会議をする場面がある。

この場面は、絶対に黒澤明監督の映画「天国と地獄」の捜査会議の場面を意識しているよなあ、と思えてしまう。

それから、事件の捜査でアメリカに渡った棟居刑事が、殺されたジョニー・ヘイワードの父に会う場面。

病に伏しているジョニーの父を訪ねていき、ジョニーの母親が誰かについて、問いただす。

だがジョニーの父は、決して言おうとしない。

そこで棟居は、ジョニーが肌身離さず持っていた西條八十詩集の「帽子」の詩を読み上げる。

「母さん、僕の帽子…」

それを聞いたジョニーの父は、堰を切ったように涙を流し始める。

…これって絶対、映画「砂の器」の加藤嘉の、あの名場面を意識しているよなあ。たぶん、映画「砂の器」を見た人ならば、ぜったいに連想するはずである。

つまり、過去の映画でカタルシスを感じる場面を、この映画の中でも、随所にちりばめているのである。

たぶん監督自身が、そういうふうに撮りたかったのだろうと思う。

しかし残念なことに、本来ならばカタルシスを感じる場面であるはずが、どれも安っぽく見えてしまうのである。

映画「人間の証明」の次に製作された、映画「野性の証明」の場合でもそうである。監督は同じ佐藤純彌監督。

この映画のラストシーンは、主人公の味沢(高倉健)が、娘のより子(薬師丸ひろ子)を背中に負いながら、自分に向かってくる何台もの戦車に向けて、死を覚悟して拳銃を発砲する、という、原作にはまったくない、とんでもない終わり方をするのだが、高倉健が拳銃を撃った瞬間、ストップモーションとなり、ここで映画が終わる。

(これって、ぜったい映画「明日に向かって撃て!」のラストシーンのパロディーだよな…)

映画ファンならずとも、すぐにわかることである。

どうも監督は、名画へのオマージュというべきか、こういう場面をちりばめるのが好きなようなのである。

だが、肝心のストーリーはご都合主義で、かなりざっくりしているのだ。

どうも私には、

「どうせ観客なんか、ストーリーの細かいところなんて気にしていないんだ。カタルシスを感じるような場面をちりばめておけば、何となくいい映画っぽく見えるものなのだ」

というスタンスで、映画を作っているような気がしてならない。

だから私は、映画版の「人間の証明」と「野性の証明」は、あまり評価していない。

そのアンチテーゼとして作られたと思われる、ドラマ版の「人間の証明」「野性の証明」(いずれも林隆三主演)の方が、はるかに完成度が高いのだ。

ただし、映画版「野性の証明」は、高倉健と薬師丸ひろ子のプロモーションビデオのつもりで見れば、すごく楽しめる。

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