職人・芸術家・評論家
8月23日(金)
午前中、ちょっとした打ち合わせが入り、ある職人さんとお話をする。その道何十年という、老練な職人さんである。
いつも思うことだが、職人さんの話を聞くのは、とても面白い。
たぶん職人さんの話が面白いのは、経験をふまえて考え、それを理論化していくという過程が、聞いていて面白いからなんだろうな。
さまざまな条件に合わせながらも、プロとして対応していく姿勢、というのも、見ていてすばらしいのだ。
私自身は、手に職を持っているわけでもないし、むしろ不器用な人間である。
私の祖父は大工をしていたが、私が3歳の時に亡くなったので、祖父の記憶はあまりない。
父は、小さな会社のサラリーマンだった。大工になるつもりはなかったらしい。
だから、祖父が大工だったといっても、私にはほとんど関係のない世界だった。
中学1年のとき、「技術家庭」という授業で、木の「おぼん」を作る、という課題が出たのだが、どういうわけか成績は五段階評価の「1」だった。
「大工の孫なのにねえ」と、親に呆れられたものだ。
だが、職人に対する憧れは、ずっと持ち続けていたのである。
…と、つらつらと考えていて、すごいことに気づいた。昨日に続く大発見である。
人間のタイプは、3種類に分かれるのではないだろうか。
「職人」と「芸術家」と「評論家」である。
どんな人間も、この3つのタイプに分類されるのだ。もちろん、比喩的な意味で、である。
自分の同業者を、思い返してみればよい。あるいは、私の職場を見渡しても、そうである。
どんな職業でも、職人肌の人、芸術家肌の人、そして評論家然とした人に分かれるのではないだろうか。
私がめざすのは職人。無理なのは芸術家。なりたくないのは評論家。
でも、この三者の中で、圧倒的に多く、かつ、いちばん目立つのが、評論家なのである。
目立ちたがるのも、評論家である。
そんな評論家たちが、わが世の春を謳歌している様子を横目で見ながら、地道に少しずつ、前に進んでいこう。
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