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負けるのは、美しく

8月8日(木)

同世代の友人とよく話すのは、「大人になったら、そんなに悩むことなんてないのだろう、と思っていたが、そんなことはない。四十を越えた今でも、悩んだり、迷ったりしてばかりの毎日である」ということである。

「たしか、言いましたよねえ。孔子でしたっけ?四十にして…」

「『四十にして惑わず』ですね」

「でも、惑ってばかりです」

「あれは、孔子が自分自身に言い聞かせた言葉だったんじゃないですか?『四十にして惑うんじゃねえ!俺!』と。孔子自身も惑っていたんじゃないでしょうか」

「だとしたら、迷惑な話ですね。てっきり、『四十になったら惑わなくなるもんだ』という意味だと思って、惑っている自分がダメなんじゃないかと思うじゃないですか」

日ごろ、学生の相談事を聞いたりしているが、本音を言えば、「自分のことで精一杯」なのである。

つい先ごろ亡くなった俳優・児玉清のエッセイ集『負けるのは美しく』を少しずつ読み始めている。俳優になり始めた若い頃から晩年までのさまざまな出来事を綴っているが、なかでも俳優になりたての、血気盛んな頃の話は、テレビなどからうかがえる穏やかなイメージとは少しかけ離れていて、実に興味深い。

私の悪い癖で、いつも本の「あとがき」から読んでしまう。「あとがき」の一節が印象的だったので、引用する。

「ところで『負けるのは美しく』というタイトルの由来だが、僕の俳優の道は、いつももやもやとした敗北感といったものに包まれていた。勝った!!やったあ!!という気持になったことがなく、終れば絶えず苦渋のみが残るばかりだ。たった一人でやっているだけに、周りの声は何も聞こえてこない。仲間や身内に聞けば、褒めてくれるかも知れないが、それは単なる慰めと考えなくてはならない。しかも他人は決して本当のことを言ってはくれない。聞けば褒めてはくれるだろう。しかしそれは決して本心ではない。役者殺すにゃ刃物は入らぬ、ただめちゃめちゃに褒めればいい、と言われたように。俳優は自分をあくまでも客観的に冷徹な目で眺めなければならない、と心に誓ってきたものの、客観的に眺めようとすればするほど、欠点ばかりが目立って、どうにも敗北感や挫折感しか生じない。しかし、それだけでは、あまりにも立つ瀬がない。意気銷沈するばかりだ。そこで知らぬ間に心に期するようになったのが「負けるのは、美しく」ということであった。どうせ勝利感を得られないのなら、また明確な勝利も望むべくもないのなら、いっそ、せめて美しく負けるのを心懸けたら、どうなjのか、そう考えたとき、はじめて心に平和が訪れた思いがしたのだ。心の中にあったもやもやと苦渋の塊は消して霧散はしないが、何よりもの俳優として生きる心の励みと戒めとなったのだ。爾来、「負けるのは、美しく」は僕のモットーとなった。」

児玉さんの文章の特徴は、一段落が長いことで、それが児玉さんの文体のリズムであり、語り口になっているのだと思う。

物腰の柔らかなイメージの一方で、歯に衣着せぬ保守派の論客でもあった。

またその一方で、「挫折感」「敗北感」「心のもやもや」が、終生消えることがなかったのだと、このあとがきで書いている。「四十にして惑わず」どころではないのだ。

人間とはまことに、一筋縄ではとらえられないものである。

ドラマ「白い巨塔」(田宮二郎版)の関口弁護士役は、すばらしかったと思う。

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