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キスミー!

急に思い出した。

小学生の夏休み、毎年、群馬県の霧積温泉というところに泊まりに行った。ちょうど、8月のこの時期である。

前にも少し書いたことがあるが、小学校の同級生のO君のお父さんが、小学校の先生をしていて、毎年夏休みになると、自分の教え子だった卒業生たち有志を連れて、霧積温泉に泊まりに行くというイベントをやっていた。そのとき、息子のO君と一緒に、なぜか私も、その温泉旅行について行くことになったのである。

O君とは、小学校4年生のときにはじめて同じクラスになったから、霧積温泉にはじめて行ったのも、その頃からだったと思う。

中学生になってからも、毎年行っていたんじゃないかな。

霧積温泉は、山深いところにある秘湯である。朝、家を出発し、お昼ごろ、横川という駅に到着する。横川の駅前には、釜めし屋さんがあって、お昼ご飯は、その店で釜めしを食べた。いまではすっかりと有名になった「峠の釜めし」である。

お昼ご飯が食べ終わったころに、旅館から迎えのマイクロバスが駅に到着する。そのマイクロバスに乗って、山道を登って、旅館に到着するのである。

旅館の名前を、金湯館(きんとうかん)という。

というか、霧積温泉には、金湯館という旅館と、もう一軒の旅館くらいしかなかったと思う。

あまりにも山奥で、温泉旅館2軒のほかには何もない。むかしは電気も電話もなく、ランプで灯りをともしていた。記録によれば、金湯館に電気と電話が来たのは、林道が開通した1981年(昭和56)のことだという。それまでは、ディーゼルエンジンや水車の自家発電で電気をまかなっていたので、もちろんテレビもなく、夜になると、電気が消えて真っ暗になった。

どんだけ秘湯なんだ?

1981年(昭和56)といえば、私が中1のときである。ということは、私が小学生のときは、まだ自家発電で、テレビもなかったということになる。そういえば、金湯館の前で、水車がまわっていたことは記憶している。

金湯館でテレビを見た記憶もあるが、それは電気と電話が通じるようになった、1981年(昭和56)以降、つまり中学生の夏休みに行ったときのことだったのだろう。

さて、霧積温泉といえば、森村誠一の小説「人間の証明」である。小説の中では、事件の鍵を握る重要な場所として、この霧積温泉が登場する。

映画が公開されたのが1977年(昭和52)。私が小学校3年生のときである。

その翌年、TBSの「森村誠一シリーズ」(毎日放送製作)の中で、「人間の証明」の連続ドラマが放映された。私が小学校4年生のときである。

小3のときに、この映画を劇場で見たかどうか、記憶にない。

ドラマの方は、リアルタイムで見た記憶がある。

だから、「霧積温泉に行こう」とO君に誘われた小学校4年生のとき、「え?あの、『人間の証明』でおなじみの霧積温泉?」と、思わず聞き返したことを覚えている。

どんな小学4年生なんだ?

とにかく、私たちが訪れた時期は、空前の「人間の証明」ブームで、霧積温泉の名は全国的に知られた時期だったのである。当然、金湯館は映画やドラマのロケで使われた。

だが、だからといって、ブームに乗ったお客さんがたくさん来ていたかというと、その記憶もない。「秘湯ブーム」がおとずれるのは、もっと後になってからである。

いまから思うと、なぜ、O君のお父さんは、霧積温泉に毎年通ったのか?

「人間の証明」の影響か?

それとも、西條八十の詩の影響か?

いや、それ以前に、霧積温泉そのものの魅力だろう。

さて、金湯館でいまでもはっきりと覚えていることがある。

それは、夕食の「鮎の塩焼き」「鯉のあらい」と「山菜の天ぷら」が、メチャメチャ美味しかった!ということである。

とくに「山菜の天ぷら」の美味しさは、小学生の私には衝撃的であった!

私のいまの「天ぷら好き」は、小学生のころに食べた金湯館の「山菜の天ぷら」によって形成されたといっても過言ではない!

その後の人生で、あんなに美味しい「山菜の天ぷら」に出会ったことは、まだ一度もない。

幸いにして、「鯉のあらい」や「山菜の天ぷら」が、わりとすぐに食べられるような地域に現在住んでいるが、それでも、あの美味しさを越えるものに出会ったことはないのだ。

調べてみたら、いまでも金湯館の夕食には、「鮎の塩焼き」「鯉のあらい」「山菜の天ぷら」が出されているみたいだ。

嗚呼!もう一度、あの「山菜の天ぷら」を食べてみたい!

またいつか、霧積温泉に行くぞ!

ところでタイトルの「キスミー」の意味、わかりますよね?

「母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?

ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、

谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、

僕はあのときずいぶんくやしかった、

だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね

紺の脚絆に手甲をした。

そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。

けれど、とうとう駄目だった、

なにしろ深い谷で、それに草が

背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?

そのとき傍らに咲いていた車百合の花は

もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、

秋には、灰色の霧があの丘をこめ、

あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、

あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、

昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、

その裏に僕が書いた

Y.S という頭文字を

埋めるように、静かに、寂しく。」

(西條八十「ぼくの帽子」)

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