プレゼントのことを、韓国語で「ソンムル」という。
9月8日(日)
午後3時、大邱市内の現代百貨店の前で、ナム先生とナム先生の姉夫婦と、待ち合わせる。
昨年に引き続き、ナム先生の義理の兄(ヒョンブ)の運転で、ドライブすることになったのだ。
どういうわけかナム先生のオンニ(姉)とヒョンブは、私と会うことを、ことのほか喜んでいるらしい。「日本のキョスニムと知り合いだ」ということが、珍しいからだろう。
「お久しぶりです」とヒョンブ。さっそく、ヒョンブの運転で目的地に向かう。「今日は、美味しい料理をごちそうします」
車中、いろいろな話をする。ヒョンブからは、韓国現代政治の話。そしてナム先生からは、いま自身が籍を置いている大学院博士課程の話を聞いた。
「来週、チュソクがあるでしょう?」とナム先生。チュソクとは、日本でいうお盆休みのようなものである。
「もう気が重いんです。チュソクに、自分の指導教授にソンムル(贈り物)を持って挨拶に行かないといけないんですから」
「そんな義務があるんですか?」と私。
「いえ、義務ではないんです。でも、大学院生たちがみんな、それをするものだから、なんとなくしなければならない雰囲気なんです。心から尊敬していれば、自主的に贈り物をしてもいいとは思うんですけれど…でも韓国の指導教授は、いつも忙しくて、直接に指導を受ける機会があまりないんです。お忙しいから、こちらから連絡をするのも気が引けるし…」
「私も大学時代、教授に用があって研究室の前まで行くと、よくお腹が痛くなったんですよ」とオンニ。韓国の学生は、教授に対して、みな同じような思いを抱いているらしい。
チュソクにソンムルを準備するのも、日本でいえば、お中元やお歳暮を持って挨拶に行くようなものなのだろう。私は自分の指導教授に対してそんなことは一度もしたこともないし、逆に自分がされたこともない。
「少なくとも私は経験がありませんね」
「そうですか。じゃあ、キョスニムが論文を書くために、学生にデータを集めさせたり、資料を調べさせたりすることはありますか?」
「いえ、一度もしたことはありません」
「そうですか。韓国ではそういうことがあって、それも気が重いんです」
実際、私は韓国でそんな光景を何度か見たことがある。教授からまかされた仕事を、言われたとおりにすることで、教授の覚えがめでたくなるわけである。教授は絶対権力を持ち、従わない学生は非主流に追いやられる。かくして学生は、教授に従わざるを得なくなるのだ。…あ、日本にもいたか。
「研究がしたくても、そういうことに時間がとられるのがイヤなんです」とナム先生。ふだんは語学院の先生として忙しいナム先生にとって、勉強の時間は貴重なのだ。
「非主流でもいいじゃないですか」と私。「私だって、今までそうやってきたつもりです。それでなんとかなってますから」
「そうですよね。自分が気楽に勉強できることが一番重要ですよね。キョスニムのような方が指導教授だったらよかったのに…」
一連の会話を聞いていたヒョンブが言う。
「キョスニム、韓国の大学に交換教授として来てください。で、そのときは、僕を助手として使ってください。日本語はしゃべれませんが、運転だけは得意です」
「もしそうなったら、お願いします」
1時間半ほどで、目的地に着いた。
古いお寺を見たあと、近くの食堂で「山菜韓定食」を食べることにする。この町の名物料理だという。
食事をごちそうしてもらうことがわかっていたので、プレゼントを用意していた。といっても、日本で買う暇がなく、韓国で買ったプレゼントである。
3人に渡すと、「実は僕たちもあるんです」と、ヒョンブが車からプレゼントをとってきた。大きな紙袋が2つあり、私と妻の分ということだった。
ナム先生が、プレゼントの説明をする。
「キョスニムは暑がりでしょう。1つは、夏用の薄い掛け布団です。もう1つは、扇子です。奥さんにも、同じものです」
やはり私を知る人は誰しも、すぐに「暑さ対策」「汗対策」のソンムルが思いつくのだろう。
「包装は、私自身がしたんですよ」とナム先生。
「それが一番貴重です」と私。開けるのがもったいない。
「まだあるんですよ」
1冊の本を取り出した。タイトルは、「아프다면 청춘이다」、日本語で言えば、「つらいならば青春だ」、という意味だろうか。
著者は大学教授で、学生の悩みに答えるような内容の本らしい。
「韓国ではめずらしく、大学の教授が学生の悩みにアドバイスする、という内容の本で、この本を読んだときに、キョスニムのことを思い出したんです。キョスニムにも、こんな本を書いてもらいたいと」
私は自分のことで精一杯で、学生の悩みにアドバイスできるような人間ではないのにな、と思いながらも、ありがたく受け取る。
「まだあります」
紙袋から、最後に残ったソンムルを取り出した。
「キョスニム、語学院で学んだとき、1級から4級までのすべての学期で、成績優秀者として『奨学生』に選ばれたでしょう?」
「ええ」私は全部の学期にわたって、成績優秀者として奨学金をもらったのだった。
「この前、語学院の職員室を掃除していたら、キョスニムが最後の学期で『奨学生』となったときの『奨学証書』が出てきたんです」
「最後の学期のですか?」つまりは、卒業証書のようなものである。
「ええ。それがなぜか、語学院の職員室に残っていました。たぶん、キョスニムがこれを受け取らずに帰国されたんだと思います」
そうだったのか。全然気がつかなかった。それにしても、よく残っていたものだ。
「ということで、今から、授与式を行います」
私は語学院を卒業して3年半ぶりに、正式な卒業証書を受け取ったのであった。
食事が終わった7時過ぎには、外がすっかり暗くなっていた。
車で帰る途中、ナム先生の携帯電話が鳴った。
大学時代の後輩男子からで、長らくつきあっていた人と結婚することになったという報告だった。
結婚式は、シンガポールで、家族だけで行うのだという。
電話を切ったあと、ナム先生が言う。
「私の夢は、結婚式なんて儀式ばったことをしないで、心から祝福してくれる人たちだけを呼んで、小さなレストランでパーティをすることなんです」
韓国の結婚式は盛大である。そのかわり、あまり縁のない人が出席したりすることもあるという。なかには食事が目当てでくる人もいるとか。
「私も、結婚式はしませんでしたよ」と私が言うと、びっくりした表情をした、
「ご家族は反対されなかったんですか?」
「ええ」
「いいなあ。でも私の場合、そうしたくても、問題は相手のご両親でしょうね」
見栄を何よりも重んじる韓国社会では、たしかになかなか難しいだろう。
「でももしそうなったら、絶対にキョスニムをご招待します。飛行機のチケットも全部こちらで用意しますから」
「そのときは、ぜひ呼んでください」
車は、私の泊まっているホテルの前に着いた。
「キョスニム、また来年お会いしましょう」とヒョンブ。
「どうか健康にお気をつけて」とオンニ。
「ソンムル、本当にありがとうございました」私は3人に感謝した。
丁寧に包装されたソンムルは、帰国してから開けることにしよう。

最近のコメント