見えざる恐怖
9月13日(金)
つねひごろから、「指サック市民権運動」にかかわっている者です。
「指舐め紙めくり」の被害は、思った以上に深刻である。
昨日の被害者から、新たな被害届が出された。
例の、指を
ペロッ
と舐めてから紙をめくるという40代半ばくらいのオッサンから、郵便物が届いたという。何枚にもわたる、会議の資料である。
しかし先日、そのオッサンが紙をめくるたびに指を、
ペロッ
と舐めているところを見ちゃっているから始末に負えない。
(この封筒に入っている資料も当然、いちいち指を
ペロッ
と舐めながら仕分けして、封入しているのではないだろうか)
という疑念が生まれてくる。いや、疑念というより、確実にそうしているはずである。
それだけではない。
封筒そのものも、指を
ペロッ
と舐めてから封筒を開け、資料を封入している可能性がある。
いやいや、それ以前に、未使用の封筒が積んである棚から封筒を1枚取り出すときに、指を
ペロッ
と舐めてから取り出している可能性だってあるのだ。
そうなるともう、どこに「指舐め」のあとがあるかわかったものではない。もはやどこにもさわることができなくなってしまうのである。
まさに「見えざる恐怖」ではないか!
「本来封筒は再利用すべきなのに、『指舐め』されているかと思うと、再利用できず、そのまま廃棄せざるを得ません。つまり『指舐め紙めくり』は、深刻な環境問題にも発展するのです」とその被害者。
この「見えざる恐怖」に、どう立ち向かうか。
たとえば、こんな技術は開発できないものか。
「唾液に反応する紙」である。
唾液が付着した紙は、乾いてしまえば肉眼では確認できなくなるが、紙の表面に特殊な加工をほどこして、真っ暗な場所では、唾液が付着した部分が、まるで蛍光塗料を塗ったように光るようにするのである。
そうすれば、どの部分に「指舐め」を行ったかが一目でわかり、「指舐め」からわが身を守ることができるのである。
しかしこれには大きな問題がある。
それは、「指舐め」を可視化することにより、被害の大きさをますます実感し、よけいにさわることができなくなる、という危険性である。
「見えざる恐怖」は、見えたとしても、恐怖なのだ。
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コメント
つねひごろから、「指ペロ推進市民権運動」にかかわっている者です。
もし指ペロを否定するのであれば、韓国で大流行した「キヨミソング(キヨミは「かわいい」の意味)」の「6+6」をどう歌えばよいのだろうか。
http://www.youtube.com/watch?v=7PgGHm9qJOs
このキヨミソングからわかるように、カワイコちゃんとかイケメンが指ペロをしていても悪い気がしないとすれば、指ペロがキモいのはおっさんがしているから、ということなる。これは、ただの「おっさん差別」である。
大体、指サックにしても、Lサイズは大きすぎて外れてしまうし、Mサイズは締め付けすぎて指先が壊死しそうである。指サックからの解放は、さまざまな指先の太さの人間の多様性を認めるという意味で、ヒューマニティあふれる行為なのである。
かの由利徹の裁縫コントだって、針の糸を通す時に唾を使っているばかりでなく、頭の油を糸につけて滑りをよくしているではないか。人間が身の回りものを使って工夫することは、しごく当然のことなのです。
http://www.youtube.com/watch?v=TAp6Wes_-kg
ところで、こんな記事をずっと書いてるなんて、もしや沢山の紙をめくる仕事をしていません?
たとえば後回しにして、貯まりに貯まった学生レポートの採点に追われているとか。
投稿: 指ペロこぶぎ | 2013年9月14日 (土) 15時59分
いえいえ、書いていたら、単に「指舐め紙めくり」とか「ペロッ」とか「指サック」とかいった言葉が面白くなっちゃって、それでつい何度も書いてしまったわけです。
でももう飽きちゃったので、「指サック市民権運動」はひとまずお休みです。
投稿: onigawaragonzou | 2013年9月15日 (日) 13時22分