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ほかの人にはわからない

9月21日(土)

遅ればせながら、宮崎駿監督の映画「風立ちぬ」を見た。

まぎれもない傑作である!!!

映画の終盤、なぜか涙が止まらなかった。

やっぱり、宮崎駿監督って、すげえなあ。

もっとまじめに、これまでの宮崎作品を見ておけばよかったと、反省した。

映画を見終わったあと、妻に勧められて、TBSラジオ「ライムスター宇多丸のウィークエンドシャッフル」における宇多丸さんの映画評と、TBSラジオ「たまむすび」における、町山智浩さんの映画評を聴いた。どちらも完璧ともいえる映画評なので、詳しくはそちらを参照のこと。

細かな批判はあるかもしれない。

だが、史実やストーリーを期待してこの映画を見ようとすると、本質を見誤ることになる。

この映画は、あくまでも宮崎駿の妄想を、映像化したものである。

無粋な説明は、いっさいないのだ。

「わからないやつは、放っていくぞ」というスタンスである。

もし、ストーリーを追おうとするのならば、観客の側で、「関東大震災から終戦」に至る日本の現代史の知識を補いながら、行間を読んでいくしかないのだ。

奇しくも、宇多丸さんも町山さんも同じことを述べているのだが、この映画のエンディングに流れる荒井由実の「ひこうき雲」に出てくる歌詞、

「ほかの人にはわからない」

これが、この映画の本質である。

飛行機作りにとりつかれた主人公もまた、「ほかの人にはわからない」希望や苦悩や矛盾を抱えて、生きている。

そしてそれは、宮崎駿監督自身の姿でもあるのだ。

これだけ個人的で難解な映画であるにもかかわらず、なぜ多くの人が宮崎作品に足を運ぶのか?

「村上春樹に対する現象と似たものがある」という宇多丸さんの指摘が、いちばんしっくり来ると思う。

映画を見たあと、自分なりに考えてみた。

この映画は、黒澤明監督の映画でいうところの、「夢」にあたるのではないか、と。

黒澤明監督の映画「夢」は、文字通り黒澤明自身が見た「夢」を映像化した作品である。言ってみれば、黒澤明の妄想を、最高の芸術的感性で映像化した作品なのだ。

著しく精彩を欠いてしまった黒澤明監督の晩年の作品群の中で、この作品だけは、別格である。晩年の代表作であるといってよい傑作である。

だが、いかんせん黒澤明監督の妄想の世界を描いた作品なので、説明的な表現はまったく見られない。そもそも、万人にわからせようなどとは思っていないのである。

しかし、映像表現は、超一流である。身震いするような場面もある。

「風立ちぬ」もまた、同じである。

考えてみれば「風立ちぬ」の中でも、主人公が夢を見たり妄想したりする場面が頻繁に出てくる。まさにこれは、宮崎駿監督自身の夢であり、妄想なのである。

宮崎駿監督の「風立ちぬ」は、老境に入った芸術家が、自らの妄想を最高の芸術的感性をもって映像化した、黒澤明監督の「夢」と並び称されるべき、希有な傑作である。

映画「風立ちぬ」は、そのような作品としてとらえるべきである。

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