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2013年10月

「女子力」が高い男子

10月31日(木)

これは本人たちも認めていることだが、今年の実習に参加している男子学生たちは、「女子力」が高い。

いちばん驚いたのは、自由行動の計画書である。

例年、実習3日目は「自由行動の日」である。

あらかじめ、自由行動の日にはどこをまわるつもりかをA41枚の紙に書いてもらい、提出してもらったのだが、男子と女子とでは、歴然とした差があった。

女子は軒並み、

「○○寺、○○寺、○○寺、等」

と、かなり大雑把にしか書いていなかったのだが、男子学生はほぼ全員、

「○時×分~△時□分まで○○寺見学→バス移動(○分)→×時○分~□時△分まで○○寺見学→12時~3時まで○○庵で昼食→バス移動(○分)→…」

というように、なんと分刻みでスケジュールがぎっちりと書いているのである!

まわる場所も、けっこう女子力が高そうな場所である。

さらに驚いたことに、昼食の場所まで決めているではないか!

私のこれまでの印象では、男子学生は大雑把で、女子学生の方が、食事の場所までこだわる、というパターンだったように思うのだが、今回にかぎっては、それがまったく逆なのだ!

むしろ女子の方が大雑把で「男前」である。

もう1つ驚いたのは、初日のお好み焼き屋さんでのことである。

男子と女子の席が分かれてしまった、というのは前に書いたが、女子学生は食べ終わるとすぐにお店を出たのに対し、男子学生はずーっとおしゃべりをしながら食べている。お好み焼きのとりわけ方も、じつに気が利いている。

しかも見たところ、意外とみんな、少食である。

うーむ。一体これはどういうことだ?

「おれがあいつであいつがおれで」みたいなものか?

いや、そうではない。

「女子力」という言葉は、もはや女子だけのものではないのだ。

むしろ、男子にだってあてはまるのだ。

それに代わる適当な言葉がないから、「女子力」という言葉を使っているに過ぎない。

つまり「女子力」とはすでに、時代遅れの言葉なのだ!

Photo私も「女子力」を上げるために、以前に訪れたことのある場所を再訪した。私が好きな場所である。

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昼休みの自由時間

人が行った場所に訪れる、というのは、その人に対するよっぽどの関心がなければ、できないことである。

最近の例でいえば、こぶぎさんがそうである。私の学外実習コースを、このブログの曖昧な表現から推理して、まるで「聖地巡礼」のごとく訪れたのである。これには驚いた。

つい最近も、別の友人から、ある人が行った場所に訪れたという話を聞いたことがあり、やはりそれも、同じような心性によるものだろうと思ったものである。

人が行った場所に訪れることの理由のもう1つは、のちのちの話題にすることができるからである。

「この間、あの場所に私も訪れましたよ」と、その人に向けてメッセージを発することができるのである。こぶぎさんの事例も、まさにそうである。

10月30日(水)

街の洋食屋さん、というのが好きである。

旅先であっても住んでいる場所であっても、そういう店を見つけると、とくにお昼時などには、つい入ってしまう。

ところがそんな洋食屋さんは、今ではめっきり減ってしまった。効率を重視するこのご時世からしたら、いろいろなメニューを取りそろえ、それを注文に応じてこなしていく仕事は、大変な労力がかかることなのだろう。

それでも続けている店は、作り手の「心意気」以外の何物でもない。

実際、そういう店は、はやっているのである。需要はあるのだ。

今日の学外実習のお昼休み、昼食は自由行動とし、私は一人で、その町のアーケード街にある喫茶店に入った。お昼は洋食の定食を出しているような、街の喫茶店である。

店に入ると、ちょうどお昼時なので、4人掛けのテーブル席がほぼ満席である。「相席でよろしいですか」と聞かれた。「相席」なんて言葉、本当に久しぶりだなあ。おそらく厨房は、戦場なのだろう。

日替わりランチ定食を食べ終わり、まだ集合時間まで、若干の時間がある。

1つ思い出した。

風の便りで聞いたのだが、元同僚の弟さんが、この近くで、小さな喫茶店をはじめたらしい、というのである。

このアーケード街を抜けたところに、昔からの古い町並みが残っている地区があり、そこには、旧家を利用した様々な店が並んでいることはよく知っている。

その元同僚というのは、数年前まで一緒に仕事をしていた人で、まあ私とは真逆で、おしゃれでスマートな人だった。なぜか愚鈍な私のことを気にかけてくれ、たまに夕食に誘ってくれたりもした。気軽に夕食に誘ってくれる同僚は、彼くらいしかいなかったのである。

そんな貴重な存在だったが、数年前に彼が職場を移ってからは、連絡を取り合っていない。そのことが、ずっと気にかかっていた。

それと、そういうおしゃれな同僚の弟さん、ということだから、さぞおしゃれな店なのだろう、と、想像が膨らんだ。その元同僚の年齢から察するに、弟さんというのは、私と同じくらいの年齢の人であろう。

アーケード街の喫茶店を出た私は、その足でアーケード街を南に抜けて、古い町並みのある地区へと向かった。

断片的な情報を頼りにすると、その喫茶店というのは、G寺という有名なお寺のすぐ近くにあるという。そして店の名前は、プラハで生まれた世界的な作家の名前からとったというのだ。

その作家は、きわめて特異な小説を書き、そもそもが、繊細で屈折した人物だったといわれている。その作家の名前を店名にするところに、ある種のこだわりが感じられる。

さて、G寺の周りを歩いてみるが、それらしい店が見当たらない。

時間があれば、店に入ってコーヒーの1杯でも飲もうかと思ったが、午後の集合時間がだんだん近づきつつある。

諦めようと思ったが、この古い町並みの入り口に、観光案内所があることを思い出し、いったんそこに戻って、店の場所を尋ねてみた。

Photo教わったとおりに行くと、はたしてG寺のすぐ近くに、その店があった。あまりに小さくて、気がつかなかったのである。

しかし、旧家を利用したお店のたたずまいは、実に清潔そうで、おしゃれだった。何よりセンスがいい。

さすが、元同僚の弟さんである。

しかしもう、時間がない。

それに、お店の中をチラッと覗いてみたが、灯りはついているものの、人がいる様子がない。

お店の中には、本棚があり、そこに本がたくさん並べられている。ブックカフェ、というもののようだ。やはり私の憧れる喫茶店である。

(今日は定休日かな…)

集合時間がせまっているので、店の外観だけを確認してその場を立ち去ることにした。

お店を覗いたとき、小さな張り紙がしてあるのに気づいた。

「正社員募集」

もし私が、今の仕事をすっぱりと辞めて、この店の正社員になったら、この先どんな人生が待ち受けるだろうか、などと想像しながら、集合場所に向かう。

やがて集合場所に学生たちが集まってきて、

(俺の仕事は、こっちだった)

と、現実に戻った。

さて、そのお店の名前というのは…。

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共食リハビリ

10月29日(火)

昨日の記事は、学生たちとの関係を念頭に置いたものでした。

学外実習中は、夜は完全な自由時間にすることにしていた。だって、実習の時間が終わってからも教員と一緒に行動するなんて、自分が学生だったら耐えられないもの。だからこれまでずっと、「夕食は各自で勝手にとってください」と決めていた。

しかし、まったくの自由時間ということにしてしまうと、相互のコミュニケーションがはかれないこともたしかである。

初日の夕方、宿にチェックインしたあと、思い切って提案してみることにした。

「…この近くに、おすすめのお好み焼き屋さんがあるんだけど…」

男子学生たちはすぐさまその提案にのった。ほどなくして、女子学生たちもその提案にのることになった。

かくして、その町で有名な老舗のお好み焼き屋に、9人全員で行くことになった。お好み焼きも有名だが、明石焼きでも有名なお店である。この店に来る人は、必ずといっていいほど明石焼きを注文するのだ。

店内は狭く、しかもウナギの寝床のように、間口が狭く、奥行きがある。私をふくめた9人が同じ席に座ることができない。

仕方がないので、女子4人はテーブル席に、男子4人と私は、座敷に座ることになった。

Photo_2味については保証されているし、めったに食べる機会はないだろうから、学生たちにとっても悪くはなかっただろう。

私にとっては、「共食リハビリ」のよい機会であった。

ところで今回の男子学生たちは、これまでにない、非常に特徴的な学生たちなのだが、この話はまた、回をあらためて書くことにしよう。

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ひとり酒万歳!

10月28日(月)

夕方、仕事が終わったその足で、飛行機とバスを乗り継ぎ、今年もまた、ここにやってきた。

夜、カウンターだけの焼鳥屋に入る。

たしか昨年も、この店に入った。

「ひとり酒」である!

カウンターだけの焼鳥屋に平気で一人で入れるなんて、もう完全なオッサンだな!

…たんに友達がいないだけなんだが。

この地域に、知り合いがいないこともないんだが、もちろん呼び出して一緒に飲むなんてことは、決してできない。

そもそも私は、気軽に声を掛けあって食事をしたり、誘いあってお酒を飲んだりすることが、大の苦手なのだ。

そういうことが自然にできる人は、素直にうらやましいと思う。

ふだんから自然に声をかけ、また、それに自然に応じる関係性って、双方がよしとしなければ成立しない。声をかけ慣れている人と、かけられ慣れている人の両方とも、である。

それがあたりまえになっている人って、たぶん自覚していないと思うんだけど、できない人にとってみたら、すごくうらやましいのだろうと思う。自転車に乗れる人と、乗れない人の関係みたいなものである。

そんなことを考えながら、生ビールと焼酎、そして焼き鳥と土手焼きをいただく。少し飲みすぎた。

Photo

明日からがまたタイヘン。

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今日のそば

10月27日(日)

そばを食おうと思い立ち、久しぶりに、車で40分ほどかかる山里のそば屋まで、一人で食べに行った。訪れるのは、2年ぶりくらいだろうか。

今日のそば(新そばかどうかはわからない)

Photo

店内には、このそばの味に感動してその気持を切々と書いて送ってきた手紙が貼ってあったりして、微笑ましい。

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書道教授

たまに廊下ですれ違う同僚が、話題がないのか、すれ違うたびに私に松本清張の話をしてくる。

以前、何かの会議で一緒だったときに、たまたまそんな話になり、私が松本清張の小説のファンであることを知り、それ以来、廊下などで会うと、松本清張の小説の話題を出すようになったのである。

決まって聞いてくるのが、

「松本清張の小説の中で、何が一番好きか?」

という質問である。

私は、松本清張の小説を全部読んでいるわけではない。とくに長編小説はぜんぜん読んでいない。いずれにしても、難しい質問である。

悩んだあげく、

「書道教授」

と答えた。

612diorhsrl__sl500_たぶん、ぜんぜん有名でない小説である。『鴎外の婢』(新潮文庫)に入っているが、この本じたいがもう、品切れである。

この小説は、主人公の中年銀行員・川上の妄想が、やがて殺人に手を染めるに至る、という物語である。

町で見かける、呉服屋、古本屋、そして書道教室といった、一見何の変哲もない場所のことが、川上にはなぜか気にかかる。

ほとんど客も来ない、儲けがあるのかどうかもわからない店で、人はどのように生活しているのか?

そんな興味から、川上は、ふだんは誰も関心を持たない場所に、関心を持ち始める。

彼は、「書道教授」という看板にひかれ、自分も書道を習おうと、その門をたたく。

しかし、どうも様子がおかしい。書道を習っている弟子は他にもいるはずなのに、習うのはいつも自分一人だけである。どうやら、他の弟子たちにはわざと会わせないらしい。

あるとき、いつものように書道教室に向かって歩いていると、自分がよく行く古本屋の経営者である夫婦のうちの、妻のほうが、男性と二人で、その書道教室の中に入っていくのを目撃した。

そしてこれまで目撃した断片的な光景をつなぎ合わせていくと、あるとんでもない仮説が浮かび上がるのである。

やがてそれにまつわるある事件が起こるのだが、その事件をきっかけに、彼の妄想は確信に変わってゆく。彼はその事件を推理する一方で、今度は自分が、ある犯罪を計画することを思いつくのである。

そう、この小説は、そのほとんどが、川上の妄想によって貫かれているのだ。

そしてその妄想が、やがて殺人事件を引き起こす。

むかし、これを読んだときに、主人公の、いや、松本清張の妄想力に、舌を巻いたものである。

これは、松本清張の脳の中をさらけ出した小説であるといってもよい。

誰もが、日常に出くわす光景のほとんどを、気にもとめない。

しかし、その光景に「意味」を求めたら、どうなるだろう?

目撃した断片的な光景をつなぎ合わせていくと、とてつもない妄想の世界が広がってゆくのである。「そこまで考えるか?」というくらいに。

考えてみれば、私もふだんから、頭の中ではそんなことばかり考えていて、そのたびに疲れてしまうのだが、言ってみれば、その作業こそが、小説家の仕事である。その意味で、松本清張の妄想力が遺憾なく発揮された小説が、この「書道教授」なのである。

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心強い仲間たち

10月26日(土)

朝9時すぎ、車で1時間半以上かかるO村に向けて出発する。昨年からはじまったO村訪問も、今回で5度目である。

このブログには全く書かなかったが、この10月は、12日(土)と19日(土)に、ほんの少しだが、ある場所でボランティア作業を行った。そして今日も、その仲間たちとの「調査」である。

この調査を取りしきるT君はこれまで、仕事の合間を見て、日程調整や、地元のKさんとの交渉などを、粘り強く行ってきた。そのことをよく知っている私が、参加しないわけにはいかない。

作業仲間の「知恵袋」であるTさんや、隣の隣の県からはるばるやってきたKさんとも、現地で合流する。もちろん、今回もまた、地元のKさんの全面的な協力をいただく。

いずれも、心強い仲間である。この活動をしなければ、知り合えなかった人たちである。

学生3人も、今回はじめて参加してくれた。

台風の影響であいにくの天気だったが、予定していた午後4時に、調査は終わった。

不思議である。

私はこの村のことが、どんどん好きになっていく。

もちろん私は、冬が来るたびにこの村が直面する、自然の苛酷さを知らない。

同時に、春を迎え、田植えがはじまったころの棚田の美しさも知らない。

しかし今日、この村の奥深くにある沼を見た。

Photo

とても美しい沼である。

「落ち込んだときにこの沼に来たら、立ち直れそうですね」

と私が言うと、「また始まった」とばかりに周りが笑った。

実際私は、この沼を見たおかげで、昨日からの陰々滅々とした気持ちが、いくぶんかやわらいだのである。

やはり励まされているのは、私のほうであるらしい。

Photo_2

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そういえば、もう新そばの季節である。

今年こそはあちこちに行って、うらやましいくらい新そばを食べまくろう。

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居場所を作る仕事

10月25日(金)

お昼休み、ひどく憂鬱なことに出くわし、仕事部屋にきびすを返す。

この憂鬱さを克服するにはどうしたらいいか。

ひとつ、ずっと気になっていたことがあった。

私の仕事部屋がある建物は、昨年、耐震工事を行い、今年の2月に工事が終わった。この建物には、私の仕事部屋だけではなく、専門誌などが配架されていた共用の「資料室」がある。通常ならば、引っ越しが終わったらすぐにダンボールを荷解きして、雑誌をもとの本棚に配架しなければならないのだが、上層部からなぜか「待った」の声がかかり、荷解きが行われないまま、ダンボールが部屋の中にうずたかく積まれていたのである。

昨年の「荷作り風景」については、ここを参照のこと。

卒業論文のシーズンになり、どうしても、その部屋にある雑誌が必要になるという事態が生じてきた。だが、欲しい論文はダンボールのどこかにあり、取り出すことができない。

「どうしたらいいでしょうか」と学生。

私はさっそく昨日の小さな会議で提案した。

「上層部は、まだ荷解きをするなといっていますが、それからいっこうに何の指示もありません。学生は卒論に必要な雑誌を見ることができず、困っています。こんなことでは埒があかないので、こちらの一存でダンボールを荷解きして、雑誌を本棚に並べてよろしいでしょうか」

「かまわないんじゃないですか?」

…ということで、また言い出しっぺの私が、この「資料室」の整理担当者をかってでることになったのである。まったく、仕事を増やす天才だな。

そうと決まったら、善は急げである。

…ということで、今日のお昼過ぎにメールで学生に呼びかけたところ、5人の学生が集まってくれた。

午後2時。作業開始である。100箱ぐらいのダンボールを前に、最初は茫然としたが、仕事の段取りと役割分担を決め、作業にとりかかることにした。

夕方4時からは、新たに3人が加わり、ひたすら、ダンボールを開けて、雑誌や書籍を「ある基準」にもとづいて本棚に配架していく。

午後8時までかかり、おおよそのめどがついた。私もほとんどこの作業にかかりきりだった。

学生と楽しく話しながら、久しぶりに力仕事をしたりして、お昼休みのあの憂鬱な場面が、次第にバカバカしく思えてきた。

たぶん、学生に手伝ってもらってここまでの作業ができる同僚は、他にいないだろうな。それだけは断言できる。

ありがたいことである。

私の希望は、この部屋を、勉強したい学生が使いやすいような部屋にすることである。

居場所のない学生のための、居場所を作ることである。

昨日書いた、「青春デンデケデケデケ」の寺内先生が、そうしたように、である。

たぶん今日の作業を突き動かしたのは、その思いである。

Photo

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寺内先生

大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ」(1992年)は、直木賞をとった芦原すなおの同名小説を映画化したものである。

1960年代、香川県観音寺市に住む高校生、ちっくん(林泰文)が、ある日突然、ロックに目覚め、友達と一緒にロックバンド「ロッキングホースメン」を結成する。

青春映画の金字塔である!

若いころに見たときは、ちっくんをはじめとする高校生に感情移入して見たものだが、いまはむしろ、高校の先生のほうに感情移入してこの映画を見るようになった。

なかでも、岸部一徳が演じる、英語の寺内先生は、教師としての、私の理想の姿である。

1960年代の高校生にとって、ロックバンドは未知の存在だった。それは周囲の大人たちにとっても同様である。大人たちはなかなか、高校生のロックバンドに理解を示してくれなかったりする。

そんな中で、彼らを後押しするのが、寺内先生である。寺内先生は、ちっくんたちが自らの意志でバンドを結成し、自分たちの頭で考えながら、楽器の調達や練習場所の確保に苦心している様子を、よく知っていたのである。

ある日ちっくんは、職員室に来るようにと寺内先生に呼び出される。

「何か問題を起こしたのだろうか?」「ロッキングホースメンは解散させられるのか?」と、ちっくんはビビりながら、職員室に入る。

すると寺内先生は、自分の机の引き出しから、一冊の楽譜集を取り出す。

「お前、英語の歌好きなんなら、これやるわ」ロックの楽譜集である。

「ええんですか?もろても」

「やるっちゅうんじゃから、もろとかよかろ。進駐軍の仕事しおったときに、人からもろたもんじゃ。わしゃ、どうせ譜面読めんしの。それにもう、日本の歌がようなったんじゃ」

「先生がこういうの好きだとは思わなんだです」

「日本以外の国のもんが、何でもよう見えた時期が、わしにもあったんじゃ」

「今は?」

「だから今は、『ユー・アー・マイ・サンシャイン』より『長崎の女(ひと)』の方がええ」

よく知られているように、岸部一徳は若いころ、グループサウンズ(GS)全盛期にタイガースのリーダーをつとめていた。このセリフを岸部一徳が言うと、寺内先生の言葉なのか、岸部一徳自身の言葉なのか、虚実皮膜の間をさまよっているような感覚になる。

それはともかく。

ロックバンド「ロッキングホースメン」の活動は軌道に乗り始めるが、相変わらず練習場所の確保が難しい。やはりロックバンドに対して、周りの人がなかなか理解してくれないのだ。

ある日、ブラバンの部室の前で、ちっくんは寺内先生に言う。

「ブラバンは、学校で練習できるからええですね」

「ああ、おまえら、練習場所に困っとるゆうとったな」

「はい。合同練習が思うようにでけんで、困っとります」

「『部』にすりゃええがな」

「…登録とか、顧問の先生とかは…」

「わしが顧問になってやる」

「ほんまですか?」

「名前は、…第2軽音楽部でええやろ。ま、軽音楽部はほとんど活動しておらんみたいじゃから、すぐ第1になるわ。学校にはわしが許可をとっといてやる。部屋は…コーラス部のところを半分使(つこ)たらええ。悪いけど、そこで練習すりゃあええ」

あまりのトントン拍子に、浮かない顔をするちっくん。

「なんぞ?」

「なんか、…ひいきされとるみたいで…」

「やる気のある生徒はドシドシひいきするんじゃ、わしは。…部室、見に行こか」

そう言って階段を駆け上がっていく寺内先生。

まじめにロックをやりたい、というちっくんたちの心を理解し、彼らが活動しやすいようにと、即座に対応する寺内先生の姿は、今の私にとっての、指針である。

なぜなら私も今、ロックバンドサークルの顧問だからだ。

「やる気のある生徒はドシドシひいきするんじゃ、わしは」

この潔いセリフが、とても小気味よい。

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未来都市

若い頃、福永武彦の中編小説「未来都市」(『廃市・飛ぶ男』新潮文庫所収)を耽読した。

人生に絶望した画家である「僕」が、「自殺酒場」という名のバーに、吸い込まれるように入っていく。

その店のバーテンから、あるカクテルを勧められる。勧められるままにそのカクテルに口をつけた「僕」は、そのまま意識を失い、次に意識を取りもどしたときには、「未来都市」とよばれる見知らぬ町にいた。

この未来都市は、実に整然とした町である。人びとは規範意識に溢れ、憎しみも恨みも嫉みもない、理想的な都市だった。芸術には陰鬱さの欠けらもなかった。戦争や狂気もなく、すべての人が幸福に暮らしていた。

この未来都市は、ある哲学者によって作られた。彼は、人間の脳の中にある「異常ノイロン」、すなわち「負の感情」を破壊することに成功し、人間から、絶望や憎しみといった負の感情を取り去ったのである。

しかし「僕」は、ローザという女性と愛しあうことになり、その感情に苦しむ。ローザは、この未来都市を作った哲学者の妻だったのだ。苦しまないはずの未来都市で、「僕」とローザは、本来存在しないはずの感情に苦しむのである。

「僕」は、ローザと一緒にこの未来都市から逃げ出すことにし、その前に、この未来都市を作った哲学者と対決することを決心する。

「すべての悪をこの都市から取り除いた」という哲学者に対して、「僕」が言う。

「悪の部分を機械的に抹殺して、それで残りが善だとどうして言えます?人間は善と悪とを弁証法的に繰返して、ほんの少しずつ、善の方に進んでいくものです」

そして「僕」は、哲学者に、ローザを愛していることを告げる。

ローザもまた、「僕」を愛していることを、夫に告げるのである。

哲学者は言う。

「それなら行くがよい。もしお前たちがこのことを私に言い出さなかったなら、お前たちの善意は決してお前たちを行かせなかったはずだ。しかし、賽は投げられた。行け。早く。私に残された少しばかりの悪が私を裏切らないうちに」

かくして二人はボートに乗り、未来都市から海へ向かってこぎ出す。

二人のボートが沖合に出たころ、未来都市は火を噴いて、崩壊していった。

哲学者の心の中に、本来あるはずのない「絶望」という感情が芽生え、自ら死を求めたのである。

燃え続ける未来都市を背に、ボートは暗い波の上を、行方も知らず進んでいく。

…ここで、この小説は終わる。

この小説を読んだとき、もし自分が映画監督だったら、この小説を映画化したい、と思ったものだ。とくに最後の場面は、映画的である。

「未来都市」が、カリカチュアされ描かれている点も、映画的である。

そもそもこの小説では、人間にとって芸術とは何か、という、福永武彦の強烈な思いが込められている。

しかし、最近私は思うのだ。

これは決して、カリカチュアされた未来の姿ではない。

いまの私たちは、この「未来都市」のような社会に向かっているのではないか、と。

「悪の部分を取り除けば、善だけが残る」と信じて疑わないような社会に、である。

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奇妙な友情

以前に書いてはみたものの、書いてみてあまりにわかりにくすぎたのでボツにした記事を、公開します。今宵はこれで、ご勘弁を。

映画「スターウォーズ」に出てくる、R2D2とC3POは、黒澤明監督の映画「隠し砦の三悪人」に登場する藤原釜足と千秋実をモデルにしている、ということは、映画ファンなら誰でも知っていることである。

しかし、この凸凹コンビが、日本を代表するドラマにも登場することは、意外と知られていない。

そう、それは、ドラマ「人間の証明」(1978年)の岸部シローと中丸忠雄である!

このドラマは、アメリカ人、ジョニー・ヘイワードの殺人事件を軸に話が進んでいくが、実はサイドストーリーがある。

銀座のクラブのホステスの小山田文枝(篠ひろ子)が、政治家の息子の運転していた車にひき逃げ去れ、殺されてしまう、という事件である。

病弱で無職の夫・小山田武夫(岸部シロー)は、翌朝になっても妻が帰ってこないのを不審に思い、妻がつとめていた銀座のクラブを手はじめに、妻を探し始める。数日後、妻に不倫相手の男性がいることをつきとめる。不倫の相手は、大手企業のサラリーマンの新見雅弘という男(中丸忠雄)である。

中丸忠雄といえばあーた、日本映画界を代表する名バイプレーヤーですよ。一流企業の管理職という役柄が、最もよく似合う俳優である。

それに対し、篠ひろ子の夫役を演じたのは、岸部シローである。岸部シローは、情けない男をみごとに演じている。

不倫相手の新見も、数日前から、文枝とまったく連絡がとれなくなってしまったことに、不審を抱いていた。自分たちの関係が、夫に知られてしまったのではないか、と、気が気でならなかった、というのである。

妻が失踪してから数日後、新見の会社に、文枝の夫の小山田が訪れる。

夫の小山田は、不倫相手の新見を疑うが、新見も、文枝が失踪した理由がわからない。

…ややこしいのは、文枝の銀座での源氏名が「ナオミ」であり、新見は、文枝のことを「ナオミ」と呼んでいる。もちろん夫の小山田は、文枝と呼んでいる。

「ナオミ、…いや、文枝さんを探しましょう」

「あなたに何がわかるんです?僕は文枝を愛していたんですよ」

「僕だってナオミ、…いや、文枝さんを愛していたんです」

「そんなこと、僕に言うことじゃないでしょう!」

「…そうでした。…すみません」

このあたりのちぐはぐなやりとりが、当人同士が真剣であるだけに、面白い。

社会的にも外見的にも、病弱で無職の小山田(岸部シロー)よりも、一流企業の管理職の新見(中丸忠雄)のほうが、立場的には上だが、だがこの関係性においては、小山田のほうが新見よりも優位に立っているのである。

こうして、夫の小山田(岸部シロー)と、妻の不倫相手の新見(中丸忠雄)の二人による捜索がはじまる。

当初は、反目しあっていた二人だが、やがて奇妙な友情が芽生えてゆく。

このあたりの早坂暁の脚本が、じつに面白い。

会社を休んで、小山田と一緒に文枝(ナオミ)の行方を執念深く捜索する新見。

ある日、行方の捜索が夜遅くまでかかってしまい、家に帰れなくなってしまう。

新見が小山田に言う。

「あのう…今晩、お宅に泊めてもらえないでしょうか…」

このセリフに、大爆笑である。中丸忠雄がくそ真面目に言うから、なおさらである。

かくして物語の終盤で、二人は確固たる友情を築いてゆくのである。

なんとも奇妙な友情である。

しかし早坂暁の脚本は、このサイドストーリーを、実に丁寧に描いてゆく。

それが、ドラマに深みを与えるのだ。

だから私は提唱したい。

岸部シローと中丸忠雄こそが、日本のR2D2とC3POなのだ、と!

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ポンコツを生きる

10月19日(土)

夕方、「前の職場」のKさんから電話があった。

「朝、作業部屋の鍵、お渡ししましたよね」

この日の午前中は、「前の職場」で「作業」に参加した。そのさい、作業部屋の鍵を、元同僚のKさんから預かったのだった。Kさんが別の用事で作業に関われないためである。

午後、私は「前の職場」から50㎞離れた「今の職場」に戻った。Kさんは、私が鍵を持ったまま帰ってしまったと思ったのであろう。

「Hさんに渡しましたよ」と私。

私はその鍵を持っているのが不安だったので、すぐさまそれをHさんに渡したのだった。つい先日も、Kさんから預かったUSBメモリを、自分のポケットに入れたことを忘れたまま、kさんがなくしたと思い込んで探し回ったことがあったからだった。

「本当ですか?」Kさんも、その「USBメモリ事件」が念頭にあったためか、すっかり私を信用しなくなっていた。

「間違いありません」と私。

「わかりました」Kさんは、ようやく納得したようだった。

しかし、ここ最近の私は、そう疑われても仕方がないくらい、ポンコツである。

翌日(20日)の夕方。

自分の部屋のLANケーブルに足を引っかけて、もんどり打って頭から転んでしまい、テレビ台に頭を強打した。

死ぬかと思った。メガネはゆがむし。

気を取り直して、スーパーに買い物に行くと、レジでおつりの小銭を受け取ってそれを財布に入れようとしたとき、手元が滑って、がま口が開いた財布ごと落っことし、床に小銭が散乱した。

小銭を一枚一枚拾っている自分が、あまりに惨めで、情けなかった。

ああ。完全にポンコツである。

話は変わって、私と同世代のラジオDJが、「ラジオDJとして成功する秘訣は?」と、リスナーから質問されて、

「放送局の偉い人に媚びることです」

と答えているのを聴いて、思わず笑ってしまった。

なぜならそのDJは、ある放送局の上層部と大げんかをして、その放送局を出入り禁止になっているからである。

だが今は別の放送局で、カリスマ的人気を誇っている。

反骨の彼はおそらく、一面は皮肉として、一面は真実として、そう答えたのであろう。

私の業界も、これに近いことがある。

「媚びる」ということはないが、「見えるところ」で「マメな人」ほど重宝され、仕事をたくさんもらい、それが「実力」として評価される。そしてどんどん高みに登ってゆく。

自分には、とてもまねのできないことである。それを「実力」と呼ぶなら、私は「実力」のない人間である。

愚鈍な私は、たとえ注目されなくとも、自分のできることをやるしかないと、思い知るのみである。

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超どーでもいい話

雨が憂鬱なふり方をしているので、超どーでもいい話していいですか?

7年後に開催される世界的スポーツ大会をどこの国で開催するかを決めるイベントが先日行われ、そのときのプレゼンテーションで、女性フリーアナウンサーの方が、「おもてなし」と言って話題になったじゃないですか。それが決め手になって、開催地が決まったとか。なかには「女神」だなんて持ち上げたりする人もいたりして。

たしかに美人だし、語学も堪能だし、注目される人なんだろうなあ、と思うんだけど、私はぜんぜんファンでも何でもない。

ただ以前、私と同世代のラジオDJが、この人のことについて言っていたのが印象的だった。

「僕だけなのかも知りませんけど、フリーになったTさんに魅力を感じないんですよね。夜のニュース番組で、『続いてのニュースです』ぐらいしか言わせてもらえなかったころは、好きだったんですけどね」

「すごい綺麗で、すごいデキる感じじゃないですか。『キャッキャ言いながらはしゃいでいる他の女子アナ連中とは違って、本当にデキるのはTちゃんだからねって、俺だけがわかっているんだからね!』って思っている時が、一番、ときめくんだろうね」

「その後、『私、価値があるでしょ?』みたいな感じになって、あれ…?ってなりますよね。『なんだろう、このときめかなさは』って思うんですよ。さらに、なんか急に化粧品のCMとかに出るようになって…『あの子は、クラスの中で目立たないけど、可愛いのは俺だけは気づいているけどね』って思ってて、『もっと自分に自信をもって!』って言ったら高校に入ってすごいハッチャケちゃった、みたいな感じだよね」

まあ、モテない男子の独りよがりの発言この上ないが(笑)、同じモテない男子の一人として、その感じ、スゲーよくわかるなあ、と、当時聴いていて思ったものである。

もし私が滝川クリステルの無名のころからのファンだったとして、…あ、名前言っちゃった…、世界が注目している舞台に立って、世界的スポーツ大会を主催するガッハッハなおじさんたちの前でスピーチをしている姿を見たとしたら、

(あ~あ、もういいや。そんなんじゃないのになあ)

って思ってしまうだろうなあ、きっと。

もともと、世界的スポーツ大会の開催地にも滝川クリステルにも興味がないので、どーでもいい話なのだが。

もう1つ、超どーでもいい話をしていいですか?

毎年大晦日に、男子歌手と女性歌手に分かれて歌の優劣を競い合う番組があるじゃないですか。

あの番組の司会って、男性チームは若手アイドルグループが。女性チームはドラマの主演をつとめた若手女優が、ここ数年担当していますよね。

どちらも好感度が高くて、一生懸命やっている姿が、とても微笑ましいのだけれど、ちょっと、

「学芸会みたい」

と思ってしまうのは、私だけだろうか?

つまり、学芸会で、息子や娘の舞台を見ている親が、

「がんばれ」

と応援したくなってしまう、そんな司会ぶりなのである。

紅白歌合戦といえば、…あ、番組名言っちゃった…、昔は「司会のプロ」みたいな人が、ちゃんと曲紹介をしていたイメージがあった。だから、紅白の司会に選ばれるということは、「しゃべりのプロ」「司会のプロ」という位置にいる人なんだ、という認識があったのだ。

しかし今は、そんなことが司会に求められなくなっているのだ。

たとえば、綾小路きみまろが最初から最後までホンイキでこの番組の司会をしたら、面白いんじゃないだろうか、とか、夢想したりする。

もともと、この番組にぜんぜん思い入れもないので、これもまた、超どーでもいい話である。

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ああ!火災報知器

10月18日(金)

2週間ほど前だったか、アパートのドアの新聞受けのところに紙がはさまっていたので、見てみると、

「近日、火災報知器の交換工事を行います。つきましては、お部屋に入って作業をするため、ご都合のいい日時をお知らせください。工事は5分から10分程度で終わります」

と書いてある。業者が置いてったらしい。

火災報知器とは、火災を検知するためのもので、確認したところ、私のアパートの3DKの各部屋の天井についていた。つまり、4つ付いている、ということである。

だがこっちは忙しいし、頼んだ覚えもないので、無視していたら、数日前、大家さんから電話が来た。

「火災報知器の交換工事をしなければならなくて、業者さんから、いつならご都合がいいか、と聞かれています。いつがいいですか?」

直々に大家さんから電話があった、ということは、やはりこれは義務らしい。

「じゃあ金曜日の午前中でお願いします」

と返事をした。

しかし困った。

なぜなら、3DKのアパートの私の部屋は、かなり散らかっていて、人を中に入れるような状況ではないのだ。

しかも3つの部屋のうちの1つは、本であふれていて、とてもではないが人が入れる状態ではない。

あるていど片付けてみたが、焼け石に水である。

(まあいいか…)

あまり見られたくはないが、仕方がない。

さて当日。

業者のお兄ちゃんがやってきた。

「部屋、散らかってますけど、いいですか?」と私。

「ええ、まあ」

「5分か10分で終わるんでしょ?」

「それが、そうはいかないんで…」

「どうしてです?」

「先日来、このアパートの各部屋の付け替え工事と行っているんですが、各部屋には、火災報知器が9つ、付いているんです」

「こ、こ、こ、…9つ????!!!」

私はびっくりした。自分の小さなアパートの部屋に、火災報知器が9つも付いているとは!!!

どんだけ火災にビビってんねん!!!

「だって、部屋は4つしかありませんよ」

「玄関と、洗面所と、押し入れ3カ所すべてにも付いています」

お、お、お、押し入れにも?!!

…知らなかった。

と、ということはですよ。火災報知器の交換のために、すべての部屋と、さらには洗面所や押し入れの中まで全部見られてしまうってことですか???

「どうぞ、もう勝手にしてください」

私はすっかり呆れてしまった。

結局、すべて交換し終わるのに1時間近くかかっていた。

なんか、全然知らない人に、部屋の中のすべてを見られて、すごくイヤーな感じである。

アパートやマンションに、火災報知器って、そんなにたくさん付いているものなのだろうか?

で、知らない人が平気で入ってきて、部屋の中をくまなく見て、火災報知器を交換する。

これって、普通のことなのだろうか?

なんか、この土地独特の因習のような気がしてならないのだが…。

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校庭のおじさん

10月18日(金)

今日の「ほぼ日」にあがっていた、糸井重里さんの「今日のダーリン」は、久々にグッと来たなあ。

以下、引用させていただきます。

「娘が、学校に通っているころに思ったことがあります。

校庭に、小さい家を建ててね、

そこに普通のおじさんが住んでたらいいのに、と。

学校でおもしろくないことがあったときとか、

なんか家のことで心配ごとがあるときとか、

誰それとけんかしたとか、腹が減ったとか、

映画や小説の話がしたいときとか、

「校庭のおじさん」のところに行くんですよ。

おじさんは、教育者じゃないわけだから、

必ずしも「正しい」とされることを言うわけじゃない。

いや、「正しい」よりも大事なことを教えるんです。

ほら、学校って、学校であるという立場上、

「社会」の実際とはちがっていても、

教育的な指導をせざるを得ないじゃないですか。

それが、先生と生徒と両方を苦しめると思うのです。

だから、おとなではあるけれど、先生じゃない人間、

つまり、「おじさん」を学校に住まわせる。

で、生徒たちは、自由にそのおじさんを利用すればいい。
 
それは、立派な人じゃなくて、かまわないと思うんです。

なんだったら、交代制でもいい。

「生徒の言うことを親や先生に告げ口しない」約束です。

どこかの学校で、試しにやってみないものかなぁ。」

私がいまやっていることって、「校庭のおじさん」みたいなことかもしれない。

昨日も、ある学生が仕事部屋にやって来た。授業でぜんぜん教えたことのない、他の部局の学生である。

ほとんど初対面に近いその学生は、いま自分の身のまわりで起こっている問題に義憤をおぼえ、大人である私に、アドバイスを求めてきた。

私は1時間以上その学生と話をして、一緒に対応策を考えた。

帰り際にその学生が言った。

「溜飲が下がりました。身近に相談できる大人がいるというだけで、心強いです」

たぶん、ひごろの相談相手といえば、同年代の友人や先輩である。しかしそれだけでは、いかにも心細い。学生たちだけでは、解決のつかない問題が、山ほどあるのである。

かといって、親や指導教員に相談できないことだってある。

学生にとっては意外と、「親にも先生にも友人にも言えないことを相談できる大人」というのが、いないのではないだろうか。

いや、学生だけではない。大人もそうではないだろうか。

数少ない友人が、腹の立つことや、心配事、おもしろかったことや失敗談など、実にいろいろな話をしてくれる。

親しい友人との会話なので、聞いているこちらもぜんぜん苦にならない。むしろその話にうなずき、共感するのだ。

解決する問題もあれば、解決しない問題もあるが、話をするだけで、とりあえずは、すっきりするらしい。

そしてそれを、私は誰に言うわけでもない。

そうか。私は「校庭のおじさん」なのだ。

職場にだって、「校庭のおじさん」は必要なのだ。

ひょっとして妻にとっても、私は「校庭のおじさん」なのかもしれない。

糸井さんは男性なので「おじさん」という言い方をしているが、もちろん、「校庭のおばさん」がいてもかまわない。

先ほどの糸井さんの文章には、続きがある。

「今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます」

というおきまりのフレーズのあとの1行である。

「「おじさん」という場所にいる人って、大事なんですよね。」

これからは胸を張って、「おじさん」になろうじゃないか。

ただし、「しなやかなおじさん」に!

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TSUMAGOI

昨年の大学祭で、学生とアルトサックスのフュージョンバンドを組んで演奏をした。

渡辺貞夫「Nice Shot」、MALTA「Sweet Magic」「Morning Fright」の3曲である。

そのとき録画してくれた仲間が、「Nice Shot」だけ録り損ねたそうで、残念ながらあとから聴き直すことはできなかったのだが、なんとベースを担当した4年生のAさんが、このときの音源を持っているというので、CDに焼いてもらった。

私にとっては「幻の1曲目」を、1年たって、ようやく聴くことができたのである。

聴いてみると、私のアルトサックスは、すげえ下手くそである。

だが、サックスの音色を、渡辺貞夫のそれに近づけようとしているのが感じられ、われながら微笑ましい。

サックスの音色は、人間の声と同じで、演奏者によって一人一人異なる。たとえ同じ楽器、同じマウスピースを使っていても、おそらくぜんぜん違うのだろうと思う。

当然、渡辺貞夫とMALTAでは、音色がぜんぜん違うのだ。

でも私は、何とかナベサダの音色に近づけようと、かなり意識していることが、演奏からうかがわれた。

好きな歌手の歌い方をまねするように、好きなサックス奏者の音色に近づきたいと思うものなのだ。

つい懐かしくなり、動画サイトをいろいろと検索してみると、1984年11月18日に中野サンプラザで行われた、渡辺貞夫と東京フィルハーモニーオーケストラのジョイントコンサートを収録した、FM東京「渡辺貞夫 マイ・ディア・ライフ」(1984年12月15日放送)から、「ナイス・ショット」の1曲がアップされていた。

すげえ懐かしい!

私も高校生の頃、この回のラジオを、リアルタイムで聴いていた。このコンサートがとてもすばらしく、録音したテープを何度も聴いたものだが、いまではどこかに行ってしまった。

このときのコンサートで演奏した「TSUMAGOI」という曲が、とても好きだった。この曲のことが、ずーっと頭から離れなかった。

「TSUMAGOI」は、私が知る限り、スタジオ録音されたものはなく、音源化されているものとしては、1980年7月3,4日に、武道館で行われたコンサートを収録した「How'sEverything」というアルバムに、フルートでメロディを吹いているバージョンがおさめられているものだけである。

1984年の中野サンプラザのコンサートでは、アルトサックスでメロディを吹いていて、私は断然、こちらの方が好きだった。

オーケストラとジョイントするときは、必ずこの「TSUMAGOI」を演奏するのだが、残念ながら、アルトサックスでメロディを吹いたものが音源化されたことはない。

さらに動画サイトを探してみると、同じ人が、「題名のない音楽会」という音楽番組で渡辺貞夫が出演している回をアップしていることがわかった。

私は見た記憶がなかったが、ここでも、東京交響楽団をバックに、「TSUMAGOI」や「Nice Shot」を演奏している。

「Nice Shot」は、渡辺貞夫の、最も渡辺貞夫らしい曲とされているのだ!

さて、「TSUMAGOI」を演奏する前の、司会の黛敏郎と渡辺貞夫の会話が、とても興味深い。

まず、「TSUMAGOI」の曲名の由来である。

ナベサダがある時期、曲作りのさいに滞在していた静岡県掛川市の、「ヤマハリゾートつま恋」からとったというのである。つまり地名である。

もう一つ、二人の掛け合いの中で、ナベサダの音楽が、アメリカ、ブラジル、アフリカ、インドなど、世界各地の音楽の影響を受けていることを紹介したあとで、黛敏郎が、

「日本の音楽の影響は受けていないのか?」

と質問する。いかにも、黛敏郎らしい質問である。

これに対してナベサダは、「日本の音楽は、敬遠していたんです」と答える。

「しかしあなたのお父さんは、薩摩琵琶の名手だったんだから、日本的なセンチメンタリズムが入った曲もあるんじゃないですか」

と、黛敏郎が食い下がる。これに対してナベサダは、

「そこらへんは、…僕が日本人であるということで勘弁していただいて…」

と、上手くかわすのである。

このあたりのナベサダの気負わない答え方が、実に素晴らしい。

こんなふうに生きられたら、どんなに素晴らしいだろう、と、あらためて思う。

さて、このやりとりのあと、「TSUMAGOI」の演奏がはじまるのだが、ここであらためて気づく。

渡辺貞夫のこれまでの曲の中で、日本語のタイトルがついているのは、この「TSUMAGOI」だけである。

曲調も、実にセンチメンタルな雰囲気である。

黛敏郎が、おそらくはこの曲を念頭に置いて「日本的なセンチメンタリズム」の要素を問うたのも、うなずけるような気がする。

では、お聴きいただきましょう。

渡辺貞夫で、「TSUMAGOI」です。

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空色の故郷

10月15日(火)

夕方6時、今日もまた、市内のパブで開かれている、小さな上映会に行くことにする。本当は映画など見ている場合ではないのだが。

今日の映画の1本目は、韓国のドキュメンタリー映画「空色の故郷」(キム・ソヨン監督、2000年)、2本目は、劇映画「ポエトリー アグネスの詩」(イ・チャンドン監督)である。

2本目の映画「ポエトリー」は、私が大好きな映画「シークレット・サンシャイン」(原題「ミリャン」)と同じ監督の作品なのだが、以前に見たことがあったので、今日は1本目の映画だけ見ることにした。

「空色の故郷」は、旧ソ連時代の1931年に、居住地のウラジオストックや沿海州から、中央アジアに強制移住させられた朝鮮族の人たちの苦難の歴史を、生存した人びとのインタビューを中心に描き出す。なかでも映画の中心となるのは、生存者の一人であり、「アジアのピカソ」とよばれた画家、シン・スンナムである。9歳の時に強制移住させられた彼は、朝鮮族の苦難の歴史を30年にわたって描き続け、大作「レクイエム」を完成させる。芸術家としてのシン・スンナムの軌跡は、彼らのたどった想像を絶する人生そのものである。

画面には、実際に強制移住させられた人たちの生々しい証言が次々と映し出される。その多くは高齢であり、今となっては、貴重な証言である。高齢の生存者たちの証言をもとに構成していく手法は、以前に見たドキュメンタリー映画「ひめゆり」を彷彿とさせる(「ひめゆり」の公開は2007年)。

また、最後の数分間は、シン・スンナムが渾身の力を込めて描いた大作「レクイエム」が延々と映し出されるが、これはまさに、映画「愛と哀しみのボレロ」の最後で、時代に翻弄された人びとのこれまでの幾多の苦難を飲み込むかのように、「ボレロ」が演奏される場面と、同じカタルシスを感じてしまう。

いろいろなことを考えさせられる映画だった。

上映終了後、会場に来ていたキム・ソヨン監督とのトークイベントがあった。キム・ソヨン監督は、日本語がとても上手である。そして華奢ながら、とても力強い映画を撮る人だなあ、と、驚いてしまった。つい私も調子に乗って、二つ三つ質問した。

ウズベキスタンに住む二世、三世の人たちは、また新たな苦難に直面しているという。

「ぜひ、この続編も作ってください」

と、厚かましくもお願いした。

すっかりキム・ソヨン監督のファンになった私は、トークイベント終了後、サインをもらったとさ。ミーハーだなあ。

なお、画家のシン・スンナムは晩年、大作「レクイエム」を含む全作品を韓国に寄贈し、現在、韓国の国立現代美術館に所蔵されている。そして2006年、78歳でこの世を去った。

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よく見つけてきたよなあ

10月14日(月)

やらねばならない仕事があるのだが、まったくはかどらない。

夕方、地元でおこなわれる国際的な映画祭に行くことにした。

といっても、私が行ったのは、映画祭の正式プログラムではなく、映画祭の時期に合わせておこなわれた、小さな映画上映会である。

うちの職場の「映画マニア」たちは、この映画祭に積極的に参加して、イベントなども企画しているようだが、私は、映画についての知識がまったくないので、蚊帳の外である。

恥ずかしいことに、こちらに来て10年以上もたつのに、この映画祭を見に行ったことがなかった。あまりにももったいないので、せめて小さな上映会に行くことにしたのである。

その上映会とは、「韓国の女性監督が撮った映画」という特集である。

韓国では女性監督の活躍する場がまだあまりなく、活動の場がどうしても、独立系の映画や、ドキュメンタリー映画になってしまうのだという。

今日見たのは、「牛と一緒に7泊8日」というフィクション映画と、「2LINES あるカップルの選択」というドキュメンタリー映画。どちらも地味な映画だが、面白かった。

「牛と一緒に7泊8日」は、江原道で年老いた両親と農作業をしながら暮らすアラフォーの独身男性が、耕作用に飼っていた牛と一緒に家出をして、牛を売りさばこうと、軽トラで旅に出る、というロードムービーである。

牛と一緒に旅をしながら、いろいろなことに遭遇するのだが、内容については、ここには書かない。

主人公は牛を乗せて、江原道から、南へ南へとトラックを走らせる。

どのあたりを走っているのか、映像を見ているだけではなかなかわからないのだが、途中でふれあう人々との会話を聞いていると、あるところで突然、その土地の人の言葉が慶尚道訛りになっている。

ああ、いま、慶尚北道まで来ているんだな、ということがよくわかる。

訛りを聞いてどの土地かがわかるなんて、私の語学力もすごいと思いません?

…いや、自慢して失敬。

「2LINES あるカップルの選択」は、子どもができたカップルが、法的に結婚すべきか、あるいは非婚を貫くかについて葛藤する様子を描いたドキュメンタリー映画である。主人公は、監督自身である。こちらも、ドキュメンタリー映画としてとてもよくできていた。

1本目と2本目の間に、トークショーがあった。地元で老舗の和菓子屋さんを営む、8代目の若き職人さんのお話である。

「韓国女性監督映画特集」なのに、なぜ、地元のばりばりの職人さんのトークショーなのか?と、不思議に思ったが、お話を聞いていると、これはこれで、とても面白い。

とくに8代目の、控えめだが確固たる意志を持ったお話ぶりに、思わず聞き入ってしまった。

やはり職人さんのお話は、面白い。

印象的だったのは、自分の開発した和菓子の新作が、テレビの全国ネットや、雑誌で取り上げられるようになった、というお話である。

「よくもまあ見つけてくれる人がいるものです。田舎で変わったモノを作るやつがいると思ってくれているんでしょうね」

積極的に宣伝しているわけでもないのに、見つけてくれる人がいる、というのである。

これは、ここ最近の私のテーマでもある。どこかで必ず「見つけてくれる人」がいるのだ。

そういえば、今日見た2つの韓国映画も、

「よく見つけてきたよなあ」

というくらい、地味な映画である。だが、その良さを見つける人は、必ずいるのだ。

「よく見つけてきたよなあ」

この感覚を、大切にしたい。

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ポンコツはどっちだ?

10月12日(土)

「前の職場」のイベント会場でのこと。会場は2階にある。

午前中の行事が無事に終わったあと、Kさんが、「あれ?」とつぶやきながら、何かモノを探している。

「どうしたんです?」

「Sさんからお預かりしたUSBメモリが、どっか行っちゃったんです」

今日の行事にかかわる一連のデータが入っていた、USBメモリである。

「それはまずいじゃないですか。あの白いUSBメモリですか?」

「ええ。でも先ほどSさんに電話をして聞いたら、バックアップはとってあるから、大丈夫だって言ってました」

Sさんはすでにこの会場を離れ、別の場所に移動中だった。

「でも預かったUSBメモリがなくなったというのは、やはり気になりますよ」と私。

「ええ。どこに置いてしまったんだろうなあ」

「1階の印刷室じゃないですか?朝、ポスターを印刷したとき、あのUSBメモリの中に入っているファイルを印刷しましたよね」

「そうでした。印刷室のパソコンにつけっぱなしかも…。1階の印刷室に行ってきます」

そう言うと、Kさんは階段で1階に降りていった。

しばらくして、戻ってきた。

「どうでした?」

「ありませんねえ。印刷室のパソコンからUSBメモリを抜いて、ずっと手に持っていたと思うんですが、どこかで無造作に置いちゃったんでしょうね。最近、よくやるんですよ」とKさん。

「ずっと手に持っていたでしょう?」

「ええ、印刷室を出たときも、手に持っていたと思うんですけどねえ」

「じゃあ、4階の作業部屋ではないですか?印刷室を出てから、一度立ち寄ったでしょう?そのときに、無造作に置いてしまったとか」

「そうでしょうかねえ。記憶にないなあ」

「とにかく、行ってみた方がいいですよ」

「そうですね」

Kさんは、今度は階段で4階の作業部屋に行った。

しばらくして、戻ってきた。

「どうでした?」

「やはりありません」

「ちゃんと探しましたか?」

「ええ」

「Kさん、一度、ご自身の仕事部屋に戻られたでしょう?」

「ええ」

「仕事部屋ではないですか?」

「そうでしょうか…」

Kさんの仕事部屋は、イベント会場とは別の棟である。

「ちょっと行ってきます」

今度はKさんは自分の仕事部屋に探しに行った。

しばらくして戻ってきた。「前の職場」は、エレベーターがないので、歩きまわったKさんはヘトヘトである。

「ありませんでした」

「おかしいなあ」

「もういいですよ。バックアップはあるんだし」

ヘトヘトなKさんは、すっかりあきらめ顔である。

「いや、そういうわけにはいきません。もう一度、ご自身のポケットをよーく調べてみてください」

Kさんは、ポケットの中に手を入れてゴソゴソと探してみるが、やはりUSBメモリは出てこない。

「やはりありません」

「うーん…。そうだ!Sさんにお返しした、ということはないですか?」

「記憶にないです」

「いや、無意識のうちにお返ししたんですよ。それをSさんが忘れてしまったのかも」

「そんな…」

「Sさんに電話をかけて聞いてみてください。USBをお返ししませんでしたか、と」

「そんな、Sさんを疑うようなことできません」

「いや、可能性はあると思いますよ」私も疑い深い。

「もういいですよ」Kさんはすっかりあきらめてしまった。

さて、それから数時間たった。

夕方、大学祭も終わり、もう帰ろうということになり、車の鍵を出そうと、私が自分のポケットの中をまさぐっていると、鍵とは違うものが入っていることに気づいた。

(何だろう?)

取り出すと、なんと!白いUSBメモリではないか!

「あったあった!ありました!」

白いUSBメモリは、なぜか私のポケットに入っていたのだ!

「どういうことでしょう?」私もまったく思い出せない。

Kさんが思い出したようだった。

「印刷室でポスターの印刷が終わったあと、私が手に持っているものを、いったんそちらに預けたんじゃなかったでしたっけ?」

「そうでしたっけ?」私は、ぜんぜん記憶にない。

一部始終を見ていたこぶぎさんが、呆れた調子で言う。

ポンコツなのは、二人ともだよ」

ただ間違えなくいえることは、自分をまったく疑おうとせず、KさんやSさんを疑っていた私は、サイテーの人間だということだ。

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居心地のよい場所

10月12日(土)

朝9時前、「前の職場」に行き、午前中に行われる行事の準備をする。

折しも今日は、年に1度の大学祭の日で、昨晩、今日の行事の準備をしていたときも、まわりでは、学生たちが大学祭の準備に追われていた。

私の持論だが、文化祭や大学祭の前日こそが、青春の証明である。準備の様子を見ていると、大林宣彦監督の映画「青春デンデケデケデケ」を思い出し、胸が少し熱くなる。

こちらも、仲間たちと諸々の準備をととのえ、午前11時からの行事にのぞむ。

私なりに、私のできることを頑張ったつもりだが、さてどのように思われたのかは、わからない。真摯に取り組んだつもりだが、そうでないと思われたのだとしたら、それは私の力不足である。

40分後、ひとまず行事が終わり、そのあとのイベント会場での店番なども一段落すると、急にお腹がすいてきた。

「屋台で何か買いましょう」

20131012212604_61870782こぶぎさんと二人で建物を出て、学生が出店している屋台をまわる。あいにくの雨で、濡れながら、焼きそばとホットドッグ、それにワッフルを買う。

それを食べていると、あっという間に1時半になろうとしていた。

「せっかくですから、うちのサークルの演奏会を聴きに行ってください」とKさん。Kさんは、三味線や琴や笛といった和楽器のサークルの顧問をしていた。Kさん自身も、三味線をたしなむのだ。

私も先日、三味線を弾かせてもらって、すっかり三味線の虜になったこともあり、演奏会を聴きに行くことにした。

学生全員が浴衣を着ての演奏。それが実に可愛らしい。

Photo演奏者の多くが1年生だという。初心者が一生懸命練習して、この晴れの舞台にのぞんだ様子がうかがえ、微笑ましい。

演奏会が終わると、司会の学生が言った。

「このあと、楽器を演奏する体験ができます」

私は三味線のところに行き、学生に教えてもらいながら、「荒城の月」を演奏させてもらった。

演奏会場を出て、イベント会場に戻ると、店番をしていたこぶぎさんが言う。

「ご満悦のようだね」

「三味線で『荒城の月』を弾かせてもらったんでね」と私。

「すっかりなじんでいるねえ。全然ここにいても違和感がないよ」

「そうだねえ」

夕方になり、イベント会場を閉めたあとも、しばらくの間、学生たちとお喋りをした。

考えてみれば、昨日から今日にかけて、「前の職場」で作業をしていて、とても居心地がよかった。厚かましいような言い方だが、まるで自分の職場にいるような感覚だった。

それに、自分の職場の大学祭のように、今日の大学祭を楽しんでいる。

もともと私は、文化祭や大学祭が、好きなのだろうか。

だが、居心地がよい理由は、それだけではない。

かつて同僚だったKさんやこぶぎさんがいることも、大きな理由である。職場が離れた今でも2人と交流しているのは、3人とも、学生に対するスタンスが同じだからである。OQさんの影響を受けた3人だからだろう。

それに私は、ここにいる、素直でまじめで可愛らしい学生たちが、好きなのだ。ここにいる学生たちは、私が10年以上も前にこの職場にいたときの印象と、ほとんど変わらない。

私はだんだんと、この職場に勤めていたときのことを、思い出した。

そしてあらためて気づいた。

たった2年半しかいなかったが、私は「前の職場」が、大好きだったのだ!

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「ひとり合宿」は死亡フラグ

10月11日(金)

最近、ブログを書くのが疲れてきた。

何も毎日更新することはないのだが、

「何だよ、せっかく時間を見つけてアクセスしてやったのに、更新されてないのかよ」

と思われるのが、申し訳ないのだ。

こうなるともう、どうかしているな。

今日の夕方、所用で「前の職場」に行き、終わってから、こぶぎさん、Kさん、Sさんと「ガスト会議」である。といっても、ガストではなく、前回行った台湾料理屋さんである

議題は、「原稿を書くためのひとり合宿」「八甲田山」「ブログ聖地巡礼」「伊福部昭チルドレン」「50分で7つの伝統芸能」といったところか。

疲れていてすべてを再現するのは不可能だが、この中でも、同世代の話題として無関心でいられないのは、何といっても「原稿を書くためのひとり合宿 ~締め切りに追い詰められた原稿を、どうやって仕上げるか?~」、という議題ではないだろうか。

9月末締め切りの原稿を抱えていたこぶぎさんは、締め切りに間に合わず「もはやこれまで」と諦めていたら、なんと締め切りが延長され、首の皮一枚つながった。

この機に乗じてなんとか原稿を仕上げようと考えたあげく、思いついたのが「ひとり合宿」である。

週末の金曜日の午後、隣県の温泉旅館で原稿を書こうと思い立ち、インターネットの旅館予約サイトで探したところ、ちょうどいい旅館が見つかった。

ここまでは完璧な計画である。温泉で原稿を書くなんて、まるで文豪ではないか。

すぐさま車に乗り、50分かけて、温泉旅館に着いた。

ところがお風呂に入り、夕食をたらふく食べ、テレビを見るうちに、いい心持ちになり、寝てしまったのである。

結局、原稿を書かないまま、ふつうに温泉旅館に泊まってきた、というだけだったのだ。

私も以前に同じようことをしたことがあるので、よくわかる。

「ひとり合宿」は、「死亡フラグ」なのだ!

「原稿を書くためのひとり合宿」は、やめておいた方がよい、というのが、この「ガスト闘論」での結論である。

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軽はずみな約束

10月10日(木)

夜、「前の職場」のKさんから電話が来た。電話をとると、

「いま、代わります」とKさん。

「どーもー」

こぶぎさんである。こぶぎさんは携帯電話を持っていないので、Kさんの携帯電話を通してしか、通話ができない。

「昨日はすまなかったね」

昨日の記事を読んで、心配になって連絡をくれたらしい。

「あれはネタですよ。たまに自虐的なことを書くことにしているんです」

「そうなの?」

わざわざ心配して電話をくれるところが、ありがたい。友情だね。

だが少し話し始めたところで、

「…あ、カレーうどんが来たんで、また」

と、電話が切れた。カレーうどんに負けたか…。

…いや、今日書こうと思っていたのは、そんなことではない。

今朝、韓国の語学学校のナム先生から、メッセージが入っていた。1カ月前に韓国でお会いした先生である。

「キョスニム、お元気ですか?」

不思議なことに、こっちの心がどんよりしているとき、たまに思い出したようにメッセージをくれることが多い。人間のバイオリズムというのは、おもしろいものだ。

「日本も新学期が開講して、お忙しいことでしょう。こちらは、開講して、もう1学期の半分が過ぎました」

韓国の語学学校は、2ヶ月半(10週間)が1学期である。9月から開講しているから、すでに学期の半分が過ぎたのだ。

「キョスニムのおかげで、新しい授業は、楽しみながらしています」

と書いてあった。

これには注釈が必要である。

最近は、韓国の語学学校の留学生気質も、大きく変わったらしい。授業中に、平気で机の上にスマホを出していじっている学生が増え、学生が授業にまったく集中しなくなっている、というのだ。

どこでも同じなんだな。

「今学期の留学生たちは、とにかくいままで経験のないような困った学生たちです」

先月お会いしたとき、ナム先生をはじめ、他の先生も、すっかり自信を失っていた。

「たった10週しか授業を受け持たなくて、いったい彼らに対して何を教えられるんでしょう」とナム先生。

「10週しか授業を受けなくても、学生は、後々まで記憶に残っているはずですよ」と私。

現に私や妻が、そうであった。

「そうでしょうか」

「一生の先生になるはずです」

その後、ナム先生は、発想を変えて、楽しみながら授業をするようになったのだという。

よかったよかった、と思って読み進めると、メッセージの最後にこうあった。

「いま習っている中国語も、中国人留学生たちに使ってみたりして楽しんでいます。まだまだ道のりは遠いですが、キョスニムとの約束のことを考えて、一生懸命に頑張ります」

えええぇぇぇぇっ!!!

1か月前に、語学学校の3人の先生たちと交わした約束のことを思い出した。

「お互い中国語を勉強して、1年後に会ったときに、中国語で会話できるようにしましょう」

という約束である。

そういえば、先月末、ナム先生のヒョンブ(義理の兄)からも、メッセージが来ていた。

「義妹はいま、キョスニムとの約束のために、語学学校の中国語クラスを受講して、熱心に勉強しているみたいですよ。キョスニムも奮起しなければなりません」

何と、ナム先生は、語学学校で本格的に中国語の勉強を始めていたのだ。

それだけではない。

語学学校の2級クラスの先生だったクォン先生からも、先月末にメッセージが来ていた。

それも中国語で!

「你好!老师!キョスニム、中国語、しっかり勉強してくださいね」

うーん。クォン先生も、中国語を勉強しているらしい。

もうお一人、チェ先生も、この様子だと絶対に中国語を勉強しているはずである。

完全な「中国語包囲網」である!

…実は私、1カ月前にその約束を交わして以来、まったく中国語を勉強しておりません!

困ったなあ。

軽はずみな約束をしてしまうのは、私の悪い癖である。

「いつやるの?」「明日から」

というのが、私がオリジナルに考えた人生の方針。

だがこれでは、永遠に、中国語を勉強できない。

…そうか、「いつやるの?」の答えが「明日から」なのがまずいのかな。

では、「いつやるの?」のあとに、何と答えれば、中国語を今すぐ勉強するようになるのか?

…まったく思いつかない。

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ポンコツな日々

10月9日(水)

なんかエラそうなことばかり書いてますけど、実際のところは、日々落ち込むことばかりですよ。

この時期、年に1度の「お得意さんまわり」という仕事があって、先日、A社とB社のそれぞれに、訪問日程について電話でアポを取ったんです。

A社とB社に「4日の午後はいかがでしょう」とたずねると、A社は大丈夫だったんだが、B社は

「その日は創立記念日なので、誰もいません」

という。そこでB社は8日に訪問することになった。

私は、「A社は4日、B社は8日」と手帳にメモを書いた。

で、4日の当日、約束した時間にA社に行ってみると、ひとっこひとりいない。

(おかしいなあ)

守衛さんに聞いてみると、「今日は創立記念日ですよ」という。

そこでハタと気づいた。

「そうか!創立記念日だったのは、B社ではなく、A社だったのか!」

私はメモをとるときに、勘違いして、A社とB社の日程を逆に書いてしまったのだ!

自分の書いたメモが信用できないとは…。完全にボケているではないか!いったい何を信じればいいんだ?

一昨日は、朝、出勤しようとすると、カードキーだのコピーカードだの図書館のカードなどが入った「カード入れ」が見当たらない。

(おかしいなあ)

急に不安になって家の中を探しまわるが、ぜんぜん出てこない。

記憶をたどっても、まったく思い出せない。

(どこかに落としたのだろうか?)

いや、そんなはずはない。昨晩遅く、カードキーを使って職場に入っているから、少なくとも前の晩の時点では、確実に存在していたのである。

(では、職場に置きっぱなしだったのか?)

出勤して、職場の仕事部屋を探すが、やはり見当たらない。

(困ったなあ)

こうなると気になって仕方がない。

お昼休みに、急いで家に戻って、もう一度探すことにする。

すると、何と洗濯機の中に、カード入れが放り込んであるではないか!

まったく記憶にない、というのが怖い。

そして今日。

朝、家を出て、職場に向かってしばらく歩いていると、あと職場までもう少し、というところで、あることに気づく。

(仕事部屋の鍵を忘れた!)

家に、仕事部屋の鍵を置いてきてしまったのだ!

慌てて踵を返し、鍵を取りに家に戻る。

もう汗だくである。

ここのところ、そんなことばかりが続く。

(人として完全にポンコツだな…)

それに昨日の午後は、職場でお節介なことをしたりして、

(俺がやっていることは、正しいのか?)

と、例によって自問がはじまる。

こうなるともう、何も前に進まなくなり、家でめったに飲まないビールを、一人で飲んで、気分を何とか紛らわす。

そんな昨日である。

今日もまた、どんよりした気分を引きずったまま、それでも一通りの仕事を終える。

誰かと話さなきゃ、ぜったいダメになる!と、夕方、前の職場のKさんに、所用にかこつけて電話をすると、

「これから、こぶぎさんとFさんと、夕食に行くんです」

と、早く切りたいご様子。

「…あ、そ、そうですか…」

仕方ない。今日も家に帰ってひとりでビールを飲むか。

そんなポンコツな日々。

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たった三つのセンテンス

10月8日(火)

私は最近、「クレーマー」のようになっていて、今日の午後も、いくつかの件で、複数の同僚のところに「クレーム」をつけに行く。

「いくつか」って、いくつもあるの?厄介なやつだなあ。

疲弊して仕事部屋に戻ると、以前一緒に仕事をした、出版社の編集者のKさんから、メールが来ていた。

3年ほど前、中高生を対象にした本を書いた。大手出版社による鳴り物入りの企画だったが、結果は「大コケ」だった。まったく売れなかったのである。

結果、担当の編集者は配置換えになった。たぶん、責任をとらされたのだろうと思う。

自分としてはけっこう自信作だっただけに、かなり落ち込んだ。自分には華がないことを痛感した。

その本の編集担当者からのメールである。何が書いてあるんだろう、とおそるおそる開いてみた。

メールの内容は、次の通りだった。

「国が経営している、日本でいちばん大きな図書館の中に、「子ども図書館」という図書館があります。そこから、我が社に次のような依頼が来ました」

ふむふむ。

「その図書館で来年度、中高生を対象にした「電子展示会」というのを行うそうです。電子展示会というのは、中高生が○○学を学び、楽しむことができるように工夫したコンテンツのことだそうです」

ふむふむ。

「そのコンテンツのなかに、先生(つまり私)が、本の『はじめに』に書かれた、以下の文章を転載することを希望されています」

メールには、私がその本の「はじめに」に書いた三つのセンテンスが、引用されていた。

たった三つのセンテンスである。

「上記の先生の文章が、中高生に対し、○○学を学ぶ意義を簡潔にわかりやすく説くために、たいへん素晴らしいものなので、是非とも許諾をお願いしたいとのことです」

私が書いてるんじゃありませんよ。編集者のKさんがメールで書いた表現そのままです。

つまり、3年前に私が書いた本の「はじめに」の中に書いてある三つのセンテンスを、ホームページに転載したいので、転載を許可してほしいと、出版社に依頼が来たというのである。

あらためて、自分が書いたこの三つのセンテンスを読み返してみるが、別にたいしたことは書いていない。ふつうの文章である。

これをなぜ、転載しようと思ったのか、よくわからない。

驚いたのは、「こんな文章、よく見つけてくれたなあ」ということだった。

たしかに、「はじめに」の文章は、中高生に向けて書いた、私なりの渾身のメッセージであった。だがたぶん、その思いはほとんど伝わらないだろう、と思っていた。

こんな文章、誰も読まないだろうな、と、そのときは思った。この本を手にとった読者でも、ほとんどの人は読み飛ばすだろうな、と。ましてや、まったく売れなかった本である。

ところが少なくとも、その図書館に勤めている、誰かの目にはとまったのだ。

「中高生へのメッセージとして、ホームページに転載したい」と言ってくれたのだ。

もっとも、他の人たちにも、同様の転載依頼を多数送っている可能性があり、私の文章は、そのうちの1つ、ということかもしれない。それにしても、よくまあ見つけてくれたものだ。

Kさんのメールには続きがあった。

「ただし無償での転載を希望されているので、謝礼は発生しません」

ガクッ!

でも転載を断る理由もないので、快諾することにした。

本当に、儲からないなあ。

そんなことは関係ない。私が書いた「たった三つのセンテンス」が、息を吹き返し、再び日の目を見ることになるのだ。

どんな些細なことでも、見てくれている人が、いるのだなあ。

それだけで、元気が出てきた。

最近、私の周りには、「勝ち馬に乗る人」が増えてきているように思えて、「勝ち馬に乗れる人」が期待されるような職場になりつつある。勝ち馬に乗じて、派手なイベントを行ったりする人が、注目される時代である。

それにくらべれば、こんなことは、些細なことである。

しかし私にとっては、何よりも誇らしいことである。だって、いままで日の目を見なかった自分の文章が、ぜんぜん知らない人の目にとまって、その人の心を動かしたんだもん。

「…自慢は終わりましたか?」と、この一部始終を電話で聞いた妻。「そろそろ切りたいんで」

「はい」

(付記)

上の文章を書いたあと、ビールを飲みながら考えた。

…ちょっと待てよ。もしかしたら、文章だけ転載されて、私が書いた文章であることが明記されない可能性もあるぞ!

…ま、いいか。もしそうだとしたら、とことん、ツイてないなあ。

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「ふるさと」といえば、松山千春

文部省唱歌の「ふるさと」、という歌が、実はあまり好きではない。

あそこに歌われている「ふるさと」は、私のふるさとではない。

「うさぎ追いし かの山」といわれても、私はうさぎを追いかけたことがない。

「小鮒釣りし かの川」は、私の子どもの頃にも経験があるが、さほど、その川に思い入れがあるわけでもない。

歌われている情景は、「借り物のふるさと」という感じがしてならないのだ。

こんなことを考えるのは、私だけだろうか。

ひねくれついでに書くと、「あなたのふるさとはどこですか?」と聞かれたら、いまの私なら、私の実家のある町ではなく、

「韓国の大邱です」

と答えるだろう。40歳の時、留学のために1年間暮らした町である。あるいは、

「いま住んでいる町です」

と答えるかもしれない。

子どもの頃に暮らしていた町だけが、「ふるさと」なのではない。「懐かしさを感じる町」という点でいえば、実家のある町よりも、大邱の方だし、「思い入れのある町」という点でいえば、東京を離れ、10年以上住み続けている「いま住んでいる町」である。

「ふるさと」という歌で、思い出したことがある。

長編ドキュメンタリー映画「ひめゆり」は、沖縄のひめゆり学徒隊の生存者たちの証言で構成された、記録映画である。私はこの映画を、劇場で3回見た。

その中に、たしか、こんな証言があった。

戦闘が激しくなり、いよいよひめゆり学徒隊の女子生徒たちも、死を覚悟する事態に陥る。

死ぬ前に、せめてひと目でも家族に会いたい、と、誰もがそう思うほど、事態は極限に達していたのだ。

そのとき、一人の生徒が、文部省唱歌の「ふるさと」を歌い始めた。

すると、それに呼応して、周りにいた生徒たちも、「ふるさと」を歌い出す。

やがて、そこにいる生徒たちがみんな、「ふるさと」を合唱する。

このときみんなは、離ればなれになった故郷の家族たちのことを思い、「ふるさと」を歌ったのである。

たしか、そのような話だったと思う。

一緒に映画を見ていた妻が、後で私に言った。

「あの、死を覚悟したときに『ふるさと』をみんなで歌ったって話。なんだか身につまされるよね」

たしかに身につまされる話である。だが妻が言いたいのは、そういうことではなかった。

「なぜ、自分の家族や故郷のことを思い浮かべたとき、とっさに出てきたのが、『ふるさと』だったんだろう?沖縄には、昔から歌い継がれ、口ずさまれている歌もあるはずなのに。それよりも、学校で習った『ふるさと』がとっさに出てきたのは、ちょっと複雑な思いがするんだよねえ」

沖縄の心象風景とはおそらく無縁なところで作られた「ふるさと」という歌が、学校教育を通じて、かくも深く、当時の沖縄の生徒たちに影響を与えていたことに、複雑な思いを禁じえない。

それだけ名曲なのだ、という言い方もできるのかもしれない。

しかし私には、何か割り切れない思いが残るのである。

私にとっての「ふるさと」は、松山千春の「ふるさと」である。6分以上もある、「物語」のような歌である。

中学生の時に初めて聴いて、涙が止まらなかった。

いや、いまも私のiPodに入っているが、聴くと涙が止まらなくなる。

「田舎者」の若者が、一旗あげてやろうと都会に出てきたが、都会の空気になじめず、挫折感を味わう。

募るのは、家族の住むふるさとへの思いばかりである。

だが、その挫折感を、故郷の家族たちには知られたくない。

その一方で、ふるさとへの思いはますます募る。たまらず公衆電話を探し、故郷の家族に電話をかける。

「帰りたいさ 今すぐにでも

それが言えずに 『それじゃ、また』」

別に私自身は、実家の両親のもとへ帰りたい、と思ったことはないが、それでも、なぜかこの歌を聴くと涙が止まらなくなるのである。

なぜなんだろう、と考えてみた。

この歌には、「ふるさと」の情景が、まったく歌われていない。

ここで歌われているのは、「帰りたい場所に対する思い」のみである。

ひたすら、「帰りたい場所に対する思い」のみが、綴られているのである。

「ふるさと」に対する情景は、一人一人違う。それは、文部省唱歌で歌われる「ふるさと」でカバーされるものでは、とうてい有り得ない。

松山千春の「ふるさと」は、そこを歌わないのである。

だから聴く側が、それぞれの「帰りたい場所」を思い描くことができるのだ。それは別に、「故郷」に限ったものではない。

私にとって、「ふるさとの情景」を歌った、文部省唱歌の「ふるさと」ではなく、「今すぐにでも帰りたい場所」への思いを歌った松山千春の「ふるさと」こそが、心を揺さぶる「ふるさと」なのである。

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KYの起源

「KY」とは、「空気を読まない」こと。

「MK5」は、「マジで恋する5秒前」。

「HB」は、「ほとんどビョーキ」あ、これは俺が考えたやつだった。

…とにかく、最近よく使われているローマ字の略語って、どこかバカっぽい。

こんな頭の悪い言い回しを考えたやつって、誰だろう?と思っていたら、すごい発見をした!

ロビン・ウィリアムス主演の映画「グッドモーニング、ベトナム」(1987年)は、ベトナム戦争が本格化する1965年に、ベトナム駐留の兵士たちの士気を高めるために派遣されたラジオDJの物語である。私が大好きな映画のひとつである。

この映画をきっかけに、ロビン・ウィリアムスは日本でも知られるようになり、以後、「いまを生きる」「レナードの朝」「グッド・ウィル・ハンティング」など、「アメリカの良心」を背負った俳優となってゆく。まあそれはともかく。

ラジオDJのクロンナウア(ロビン・ウィリアムス)は、ハイテンションの喋りで兵士たちに笑いの渦を巻き起こし、一躍ベトナムのラジオスターとなる。だがあまりに毒舌と風刺が効きすぎて、上官たちの反感を買う羽目になる。

ハイテンションで喋り続けるラジオDJという設定は、ロビン・ウィリアムスの本領を発揮した適役であるといえるが、日本とアメリカで笑いのツボが異なるためか、彼の繰り出すマシンガントークは、劇中の兵士たちが大笑いするほどには、笑えない。ま、笑いのツボが違うのは、お互いさまなのだろう。

だが、笑った場面もある。

人望のまったくない、「むかつく上官」が、部下やクロンナウアにお説教をする場面である。

この上官、器が小さくて、部下たちからもバカにされているのだが、彼は記者会見のことを「PC」と略したり、副大統領のことを「VP」と略したり、やたらに、自分が勝手に作ったローマ字の略語を使う癖があるようなのだ。

「ニクソン元VPは金曜に着く。VPのPCはすべて録音し、半日以内に放送しろ」

この上官の言い方に、部下たちは笑いをこらえきれない。部下たちにとっては、「頭の悪い言い回し」に聞こえるのである。

「ガーリック!何がそんなに可笑しいのか?」

「クックックッ…。別に…元VPっていうのは魅力的です」

部下のガーリックにとって、「VP」というバカっぽい略語が、笑いのツボにはまったらしい。

すると隣にいたクロンナウアが、まじめな顔をして上官をからかう。

「とにかくVPはVIPですから、PCもQT(極秘)にしないと、VC(ベトコン)にMIA(行方不明)にされ、オレたちKP(食事当番)行きです」

こうなるともう、バカバカしすぎて、ナンダカワカラナイ。上司も反論ができない。

この場面には思わず爆笑してしまった。

たとえていえば、

「OSはKKされていますので、TOPはまったく問題ありません。私たちにはOTSというBKがあります」

と言っているようなものなのだ。わっかんないだろうなあ。

そして気づいた。そう、これこそが、「KY」のルーツなのだ!

本場アメリカでも、ローマ字の略語は、「アッタマの悪そうな」感じに聞こえるのである。

このことに、いまになって気づいたとき、この映画が、より面白く思えてきた。

かつては今ひとつ面白さがわからなかったものでも、いまになって笑えたりする。つまり笑いのツボとは、時代とともに変化していくものなのではないだろうか。

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日本一の文化祭

先日の高校のクラス会で話題になっていたのだが、私の母校の高校の文化祭は、いま、「日本一の文化祭」と言われているそうだ。実際、「日本一の文化祭」で検索をかけたら、うちの母校のことが出てくる。

理由は、高校3年生がクラスごとにおこなっている「演劇」である。

この「演劇」が、高校生の「演劇」としては、ビックリするくらいハイレベルの水準らしい。

しかもクラス対抗戦になっていて、最優秀のクラスを決めるから、各クラスは燃えるのだ。

芝居はもちろん、舞台のセットもハンパなく凄いのだという。

「俺らの頃とくらべたら、雲泥の差だな」と、テニス部だったクサカリが言う。

「そうだな」と私。

「なにしろ…俺たち、アッタマ悪かったからなあ」

「そうだよなあ」

だんだん思い出してきた。

高2のときの文化祭で、我がクラスは、8ミリ映画を撮って、上映した。

…といっても、全然たいしたものではない。

「二者面談」というコントで、先生役のサイトウ君が、次々と生徒と面談をして、先生と生徒が「シュールなことを言い合う」、という、何ともつまらなそうな映画である。

セットは教室をそのまま使い、しかもカメラは固定したままで、そこに次から次へと、学生が「二者面談」にやってくる。

次々と「変わった生徒」が教室に入ってきて、先生と生徒が「シュールなこと」を言い合う。言ってみれば、「ショートコント」をつなぎ合わせて、ひとつの映画にしたのである。

私も生徒役で出演した。たしかセリフは、その場で考えたのだと思う。

詳しくは忘れたが、最後に先生役のサイトウ君が私に向かって、「キミ、体格がいいから自衛隊に入らないか?」と言って、「ジャンジャン!」と終わる。

このオチが、全然つまんない。

まあ、ひどい映画だった。客なんか、ほとんど来なかった。

いまから思ったら、なんであんな映画を作ったんだろう?

隣のクラスも8ミリ映画を作って上映した。こちらの方は、長編のラブコメであった。

ダサくて、全然モテない男の子が、ふとしたきっかけで突然クラスでいちばん美人の女の子と話をするようになり、仲良くなっていくが、結局ふられる、というストーリーだったと思う。ま、当時の男子高校生が考えそうな脚本である。

実際、隣のクラスには、ビックリするくらいダサイ男の子と、息をのむくらい美人の女の子がいて、この二人がキャスティングされたのである。

オリジナルの脚本で、かなり手作り感の溢れる映画だったが、当時は見ていて、グッとくる映画だった。お客さんもそこそこ入っていた。

隣の隣のクラスは、8ミリ映画に対抗して、演劇をおこなった。

これがけっこう好評で、文化祭の2日間とも、大入り満員だった。

翌年の文化祭、私たちが3年生のときである。

昨年好評だったこともあり、3年生のクラスの中で、演劇を出し物とするクラスが増えた。

それに対して、8ミリ映画を上映するクラスは、演劇に押され、完全に駆逐されてしまった。

さて、うちのクラスはどうしよう。

「演劇なんて、めんどくせえ」

という意見が大勢を占めて、喫茶店をやることにしたのであった。

「それだったらさあ、BGMはナベサダにしようぜ」

と、なぜか私は、強引に喫茶店のBGMをナベサダにしてしまい、家から持ってきたLPレコードをかけたのであった。

時代を感じるなあ。

さて、演劇を出し物にしたクラスは、昨年にもまして、好評だった。

私たちが卒業して、1,2年たったあとの文化祭には、ついに3年生のクラスが全部、演劇をやるようになっていた。

かくして、高3のクラスが、文化祭で演劇をする、という「伝統」は、形成されていったのである。

それから四半世紀がたって、「日本一の文化祭」となった。

俺たちは、その前夜の世代、ということになる。

「なにしろ…俺たち、アッタマ悪かったからなあ」

というクサカリの発言は、めんどくさがって演劇をやらずに、喫茶店などという安易な出し物に走ってしまったことを、念頭に置いた発言であると思われる。

あのとき、面倒くさがらずに、クラスが一丸となって演劇にとり組んでいたら、少しは人生が変わっただろうか?

高2のときの8ミリ映画も、稚拙だった。いま見たら、とても見られたもんじゃないと思う。

だがしかし、と、オジサンは思う。

オジサンたちが高校生のころ、「アッタマ悪い」ながらも作りあげた8ミリ映画や演劇は、既製の台本ではなく、オリジナルの台本だったのだ。

そのことだけは、誇らせてほしい。

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筋を通す生き方

以前にも書いたが、女優の浅丘ルリ子は、「筋を通す女性」を演じさせると、絶品である。

「決して媚びないが、それでいて可愛らしい」

これこそが、浅丘ルリ子の真骨頂である。

彼女の良さが最もよく出たドラマが、木皿泉脚本の「すいか」(日本テレビ、2003年)である。

東京・三軒茶屋の下宿を舞台に、少々風変わりな下宿人の女性たちの、さまざまな日常を描く。

とくにストーリーめいたものはないが、1つ1つのセリフが、じつに素晴らしい。脚本家・木皿泉の代表作である。

この中で浅丘ルリ子は、大学で文化人類学を教える崎谷(さきや)教授を演じている。

私が最もあこがれる教授は、実在の教授ではない。この崎谷教授なのである。

(あと、『マスター・キートン』のユーリー・スコット教授ね)

たとえば、ドラマの第1話にこんな場面がある(シナリオ集を、少し改変)。

大学のゼミ。殺気立った雰囲気。

崎谷教授が立っている。その前で1人の女子学生が、泣きそうに立っている。

崎谷「あなたに、泣いてる時間はあるのですか?」

女子学生「(ウッと耐える)」

崎谷「あなたが、十分に準備をしてこなかったために、いま、まさにみんなの時間を無駄にしているのですよ。この上、あなたが泣き終わるまで、待てと言うつもりですか?」

おずおずと手をあげる男子学生。

崎谷が、「はい」と、男子学生を指す。

男子学生「(立ち上がり、おずおずと)まあ、先生の言うことは、正論やし、判るんやけどぉ、女子やから、しゃーないとちゃうんかな、と」

崎谷「なぜ、女子だと仕方がないんですか?その根拠を説明して下さい」

男子学生「だから一般論として…」

崎谷「どこをもって一般論と主張しているのですか?あなたの言葉に客観性がありますか?ここは、議論の場です。どこからか引っぱってきた、あなたの愚かな偏見を開陳する場所ではありません」

男子学生「おお、こわー」

崎谷「怖い?自分の頭で考えようとしない。自らの手で学問を捨て去ろうとする。そのことの方が、はるかに私を恐怖させます!」

…文字だけでは伝わりにくいが、浅丘ルリ子が啖呵を切ると、もう涙が出るくらい、拍手を送りたくなる。

そう。私が勤める「大学」という場所は、本来こういう場所なのだ!

そのことを忘れてはならない!

だが、筋を通す崎谷教授は、決して厳しいだけの人間ではない。

第3話。

崎谷教授は、大学時代の友人のタマ子が末期ガンであることを知り、お見舞いにかけつける。病院の屋上からは、かつて二人が住んでいた、下宿屋が見えていた。

タマ子「不思議よねえ。ナッちゃん、まだ、あそこに住んでるんだもんね」

崎谷「部屋も同じよ」

タマ子「あのとき、大学の方を選んでたら、私、まだそこにいたのかしら?あの部屋に」

崎谷「もしそうだったら、私は大学に残ることもなく、大学教授なんてバカな仕事にもつかずにすんで、普通に結婚してたのに」

タマ子「ごめんね。押しつけちゃって」

崎谷「そーよ。そっちの方が優秀だったのに。お豆腐屋さんになんか嫁いでしまうんだもん」

タマ子「でも、あの人と豆腐屋やってよかったわよ。大学で研究するのと同じくらい楽しかった」

崎谷「今なら、わかる」

タマ子「お互い、ずいぶん遠くまで来ちゃったわよね。生きてみないとわからないことばっかりだったわ」

崎谷「そうよ。これからだって、何が起こるか」

タマ子「…もし、…生きて帰れたら、うさぎ飼いたいわ」

崎谷「うさぎ?」

タマ子「あんな雲みたいな、ふわふわのウサちゃん」

崎谷「いい歳して、何がウサちゃんよ」

タマ子「あんただって、いい歳して厚化粧じゃない」

崎谷「化粧なんかしてないもん。これが素顔だもん」

タマ子「ウソつけ!」

他愛のない、友人同士の会話である。

病院を出ようとする崎谷教授の後ろから、タマ子の息子が声をかける。

息子「あの、…これ、うちの豆腐です。母が持って帰ってもらえって」

崎谷「ありがとう」

息子「今日は、ありがとうございました。本人も、もうダメだって知ってるみたいで…。最後にどうしても崎谷さんに会いたいって、お袋、ずっと言ってました。本当に、わざわざありがとうございました」

崎谷教授は、何も言うことができず、ただ深々と頭を下げ、病院をあとにする。

木皿泉の描く崎谷教授は、人間に対する共感に溢れている。友人との何気ない会話の中に、それを感じることができる。そこが、最大の魅力なのだ。

さて、最終回。

崎谷教授は、大学を辞め、長年住み慣れた下宿を出て、新天地へと旅立つ。

崎谷教授を見送る、下宿屋の人々。

「先生は、ずっとここで学問を続けるのだと思っていました」

「外に出ないと見えないこともあるのよ。

もちろん、中にいないとわからないこともあるわ。

人はどこでも学べるということを、実感したいの。

何だって、遅すぎることなんてないのよ。私たちは、何でもできるんだから」

こうして、崎谷教授は下宿をあとする。

…ちょっと、思いのほか、長く書きすぎましたな。

ではこのへんで。

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「今日の人生のピーク」と「原稿狂騒曲」

10月2日(水)

「今日の人生のピーク」

午前、今学期はじめての講義。

相変わらず愚鈍な授業しかできない自分に、落ち込むばかりである。

授業が終わってから、3年生のSさん、Oさん、Wさんが教壇のところにやって来た。

「夏休みにディズニーシーに行ってきたんです」

3人はそれぞれ別々に行ってきたらしい。

「これはおみやげです」

そう言って、3人は、一人ひとつずつ、私に「アメ玉」をくれた。

「ありがとう」

私は合計3つの、可愛らしいアメ玉を受けとった。ありがたいことである。

おみやげにアメ玉一個をくれる、というのが、とても面白い。

しかも想像してみたまえ。

授業が終わったばかりで汗だくの、小太りで40すぎのオッサンが、20歳そこそこの学生から、可愛らしいアメ玉をもらっているのである。

客観的に見たら、かなり面白い光景ではないか。

そんな自分を俯瞰で想像したら、やたら可笑しくなった。

しかし、これが「今日の私の人生のピーク」である。

その直後からさらに気分は落ち込み、憂鬱な状態が続く。

ま、よくあることなので、さほど気にすることではない。

「原稿狂騒曲」

9月末、というのは、原稿締め切りのピークのようで、私の周りにも、原稿締め切りに追われて苦しんでいる人たちが、けっこういる。しかもいろいろなパターンがあって、

「9月末の段階で原稿が集まらないという理由で、まさかの締め切り延長となり、首の皮一枚つながった人」

とか、

「締め切りが実は10月末日ではなく10月1日であったことを直前に知り、それでもなんとかまとめ上げ、締め切りの日ギリギリに提出した人」

とか、

「9月末日が原稿の締め切りのようだった気がするが、怖くて依頼主に聞けず、督促状が来るまでとりあえず動向をうかがっている人」

など。

たしか妻も、この時期原稿の締め切りだったと思うのだが、進捗状況は、怖くて聞けない。

かくいう私はといえば、9月末締め切りの原稿4つのうち、3つは提出したが、残る1つが、どうしても終わらない。

ついに締め切り日を過ぎて、ビクビクしていたら、とうとう本日、督促状が来た。

来週まで待ってもらうことにしたが、はたして仕上がるかどうか。

いつも思うのだが、みんな、原稿って、どうやって書いているんだろう?

同僚の多くは、売れない私なんかよりもはるかに多くの原稿を抱えているはずなのだが、夜遅くまで残って原稿を書いている、という人は、ほとんど見受けられないのだ。

私なんぞ、「宿直の刑事」なみに職場に残っていても、全然終わらないのだ。

私がとりわけ「遅筆」なのだろうか?誰か原稿を早く書くコツを教えてほしい。

…そんなことをグズグズ言っていても仕方がない。

私のことだから、何とかなるだろう。

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夜更けのひとりごと

しばしばここで、拙い映画評を書いたりするが、たいていの場合、私の身のまわりの現実世界で起こっていることや思っていることを、直接には書けないので、映画に仮託して書いている。

しかし、書いているうちに、行間にこめすぎて、何が何だかわからなくなる。たぶん、読んでいる人も、その意味するところは、何が何だかわからないんだろうと思う。

こういうのを、メタファーというのか?よくわからない。

映画「ニュー・シネマ・パラダイス」で、老練な映写技師のアルフレードが、幼い友人である「トト」に、人生のいろいろなことを教えるのだが、そのほとんどが、映画の中のセリフなのである。人生のほとんどの時間を映写室の中で過ごしていた彼にとっては、当然のことであった。

アルフレードは、現実世界の抱えるさまざまな問題を映画のセリフに仮託して解決しようとする。彼にとって、映画は現実世界を解き明かすための教科書なのだ。それは、彼が不慮の事故で視力を失ったあとも、同じである。

映画の中で、成長したトトに、アルフレードが語りかける場面がある。

アルフレード「ここを出ろ。ここは邪悪の地だ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。だが、ここを出て2年もすると何もかも変わっている。頼りの糸が切れる。会いたい人もいなくなってしまう。一度村を出たら、長い年月帰るな。年月を経て帰郷すれば友達やなつかしい土地に再会できる。今のお前には無理だ。お前は私より盲目だ。」

トト「誰のセリフ?クーパー?フォンダ?」

アルフレード「違うよ。誰のセリフでもない。私の言葉だ。人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行け。ローマに行け。お前は若い。前途洋洋だ。私は年寄りだ。もうお前とは話したくない。お前の噂を聞きたい」

アルフレードはここではじめて、自分の言葉を語り出すのである。

こうしてトトは、故郷のシチリア島を離れ、ローマに行く決意をする。

いよいよ出発のとき。列車が近づく駅のホームで、アルフレッドはトトに最後の言葉をかける。

「自分のすることを愛せ。子どものころ映写室を愛したように」

アルフレードが、映画からの借り物ではなく、自分の言葉で語りかけた、その言葉が、いまでは、世界の映画史上、最も「泣かせる」セリフとして、多くの人びとの人生の指針になっているのだ。

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