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未来都市

若い頃、福永武彦の中編小説「未来都市」(『廃市・飛ぶ男』新潮文庫所収)を耽読した。

人生に絶望した画家である「僕」が、「自殺酒場」という名のバーに、吸い込まれるように入っていく。

その店のバーテンから、あるカクテルを勧められる。勧められるままにそのカクテルに口をつけた「僕」は、そのまま意識を失い、次に意識を取りもどしたときには、「未来都市」とよばれる見知らぬ町にいた。

この未来都市は、実に整然とした町である。人びとは規範意識に溢れ、憎しみも恨みも嫉みもない、理想的な都市だった。芸術には陰鬱さの欠けらもなかった。戦争や狂気もなく、すべての人が幸福に暮らしていた。

この未来都市は、ある哲学者によって作られた。彼は、人間の脳の中にある「異常ノイロン」、すなわち「負の感情」を破壊することに成功し、人間から、絶望や憎しみといった負の感情を取り去ったのである。

しかし「僕」は、ローザという女性と愛しあうことになり、その感情に苦しむ。ローザは、この未来都市を作った哲学者の妻だったのだ。苦しまないはずの未来都市で、「僕」とローザは、本来存在しないはずの感情に苦しむのである。

「僕」は、ローザと一緒にこの未来都市から逃げ出すことにし、その前に、この未来都市を作った哲学者と対決することを決心する。

「すべての悪をこの都市から取り除いた」という哲学者に対して、「僕」が言う。

「悪の部分を機械的に抹殺して、それで残りが善だとどうして言えます?人間は善と悪とを弁証法的に繰返して、ほんの少しずつ、善の方に進んでいくものです」

そして「僕」は、哲学者に、ローザを愛していることを告げる。

ローザもまた、「僕」を愛していることを、夫に告げるのである。

哲学者は言う。

「それなら行くがよい。もしお前たちがこのことを私に言い出さなかったなら、お前たちの善意は決してお前たちを行かせなかったはずだ。しかし、賽は投げられた。行け。早く。私に残された少しばかりの悪が私を裏切らないうちに」

かくして二人はボートに乗り、未来都市から海へ向かってこぎ出す。

二人のボートが沖合に出たころ、未来都市は火を噴いて、崩壊していった。

哲学者の心の中に、本来あるはずのない「絶望」という感情が芽生え、自ら死を求めたのである。

燃え続ける未来都市を背に、ボートは暗い波の上を、行方も知らず進んでいく。

…ここで、この小説は終わる。

この小説を読んだとき、もし自分が映画監督だったら、この小説を映画化したい、と思ったものだ。とくに最後の場面は、映画的である。

「未来都市」が、カリカチュアされ描かれている点も、映画的である。

そもそもこの小説では、人間にとって芸術とは何か、という、福永武彦の強烈な思いが込められている。

しかし、最近私は思うのだ。

これは決して、カリカチュアされた未来の姿ではない。

いまの私たちは、この「未来都市」のような社会に向かっているのではないか、と。

「悪の部分を取り除けば、善だけが残る」と信じて疑わないような社会に、である。

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