夜更けのひとりごと
しばしばここで、拙い映画評を書いたりするが、たいていの場合、私の身のまわりの現実世界で起こっていることや思っていることを、直接には書けないので、映画に仮託して書いている。
しかし、書いているうちに、行間にこめすぎて、何が何だかわからなくなる。たぶん、読んでいる人も、その意味するところは、何が何だかわからないんだろうと思う。
こういうのを、メタファーというのか?よくわからない。
映画「ニュー・シネマ・パラダイス」で、老練な映写技師のアルフレードが、幼い友人である「トト」に、人生のいろいろなことを教えるのだが、そのほとんどが、映画の中のセリフなのである。人生のほとんどの時間を映写室の中で過ごしていた彼にとっては、当然のことであった。
アルフレードは、現実世界の抱えるさまざまな問題を映画のセリフに仮託して解決しようとする。彼にとって、映画は現実世界を解き明かすための教科書なのだ。それは、彼が不慮の事故で視力を失ったあとも、同じである。
映画の中で、成長したトトに、アルフレードが語りかける場面がある。
アルフレード「ここを出ろ。ここは邪悪の地だ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じる。だが、ここを出て2年もすると何もかも変わっている。頼りの糸が切れる。会いたい人もいなくなってしまう。一度村を出たら、長い年月帰るな。年月を経て帰郷すれば友達やなつかしい土地に再会できる。今のお前には無理だ。お前は私より盲目だ。」
トト「誰のセリフ?クーパー?フォンダ?」
アルフレード「違うよ。誰のセリフでもない。私の言葉だ。人生はお前が見た映画とは違う。人生はもっと困難なものだ。行け。ローマに行け。お前は若い。前途洋洋だ。私は年寄りだ。もうお前とは話したくない。お前の噂を聞きたい」
アルフレードはここではじめて、自分の言葉を語り出すのである。
こうしてトトは、故郷のシチリア島を離れ、ローマに行く決意をする。
いよいよ出発のとき。列車が近づく駅のホームで、アルフレッドはトトに最後の言葉をかける。
「自分のすることを愛せ。子どものころ映写室を愛したように」
アルフレードが、映画からの借り物ではなく、自分の言葉で語りかけた、その言葉が、いまでは、世界の映画史上、最も「泣かせる」セリフとして、多くの人びとの人生の指針になっているのだ。
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