« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »

2013年11月

無言の味方

11月29日(金)

明日の土曜日と、来週の水曜日に、イベントの司会をやることになっていて、今日はその2つのイベントの打ち合わせと準備で、1日が終わった。

どちらも、どうしても成功させなければならないイベントなので、プレッシャーに押しつぶされそうになる。

若いころ、同業者の大先輩たちが、やれシンポジウムの司会だの、やれ講演会だのと、節操なく引き受けているのをみて、

「まるで、本業よりも司会業、講演業だな」

と心の中でバカにしていたが、いまや自分がそうなろうとは、苦笑を禁じえない。

だが、今回の2つのイベントは、そうした凡百のものとはわけが違う。

2つのイベントは、まるで違う内容のものだし、かかわる人もまったく異なるのだが、共通しているのは、「志」とか「心意気」をともにする人たちによる、手作りのイベントである、ということである。

だから、おざなりなものにしてはいけない。絶対に成功させなければいけないのだ。

「志」とか「心意気」をともにする、などという機会は、めったにあるものではない。

それで思い出した。

先日、会議でよかれと思って発言したことが「苦情」と受けとられていたことに衝撃を受けた、と書いたが、その一方で、その会議に出ていた職員さんが、けっこう真剣に受け止めてくれたらしく、何らかの対応を考えてくれている、という話を人づてに聞いた。

私が発言したことは、無駄ではなかったのだ。

自分の見えるところには冷ややかな連中ばかりしかいなかったとしても、その向こう側には、「無言の味方」がいるのかも知れない。

だから、捨てたものではないのだ。

| | コメント (0)

殺し文句は「くるわを出でよ」

11月28日(木)

このブログのコメント欄でおなじみのこぶぎさんは、前の職場の、同期入社の同僚である。

頻繁に連絡を取り合っているような印象を受けるかも知れないが、実はふだんは、まったく連絡を取り合っていない。

そもそも、こぶぎさんは携帯電話をもっていない。お互いの電話番号すら知らないのである。

メールも、数年に1度、やりとりをするかどうか、というていどである。

もっぱら、このブログのコメント欄が、お互いの消息を知る唯一の手段なのである。

そのこぶぎさんから、今年の6月4日に、次のようなメールが来た。

なんと、仕事の依頼である。

「本日開かれた某会議にて、わたくしめが強く推薦いたしまして、本年度後期の「SKK」の講師の1人として、鬼瓦さんを「ゼヒもの」扱いでリストアップいたしました。

ついで、F先生とも内通しまして、同じ時間に開講している「SGJ」との合同授業として開催する段取りも整えております。

われながら、すばらしい根回し力!

というわけで、こちらの段取りはすっかり整いましたので、ぜひともSKKの講師をお願いしたいという次第でございます。木曜日はお忙しいということでしたが、そこを何とかご調整頂いて、10月~1月までの木曜14:40~16:10を1コマお割き下さいませんでしょうか。ぜひ、韓国留学時の「猟奇的な先生」や中国人留学生との楽しいスライドを見せて頂いて、「クルワを出でよ」という学問的刺激を、うちの学生にもお示し頂ければと思います」

ふだん、おバカなコメントばかり書いているこぶぎさんから、めずらしく、まじめなメールが来たのである。

少し解説しておくと、前の職場では、毎週木曜日の午後、週替わりで外部講師を招いて話を聞く「SKK」と「SGJ」という、ふたつの授業が開講されている。2つの授業は同じ時間に開講されているため、当然、それぞれ別の外部講師が招かれるのである。

前の職場ということもあって、これまで何度となく、「SGJ」の外部講師を依頼されたのだが、木曜日の同じ時間に、「今の職場」で授業があることから、いつもお断りしていた。

ところが今回は、こぶぎさんが「SKK」の外部講師として私を呼びたいのだという。さらには、「SGJ」を受講している学生も聴けるように、特別に「合同授業」とする、という段取りも組んだというのである。

つまり、いっぺんに2つの授業の講師をするというわけである。

そして講義のテーマは、専門分野の話ではなく、韓国留学の体験を綴った「キョスニムと呼ばないで!」。

満を持して、というべきか、外堀を埋められた、というべきか、ここまでの段取りを組まれてしまっては、断るわけにはいかない。

さらに決定的だったのは、メールの中に書いてあった、「くるわを出でよ」という言葉である。

この言葉は、こぶぎさんにとっても、私にとっても、特別な意味を持っていた。日本のある有名な思想家の言葉だが、それは、同僚だったOさんがこよなく愛した言葉でもあった。

「くるわを出でよ」

私は、メールの画面を見ながら、この言葉を何度かくり返しつぶやいた。

結局、この「殺し文句」が決め手になって、私はこの「1回かぎりの講義」の依頼を、引き受けることにした。

引き受けた理由がほかにもある。

笑われるかも知れないが、私には夢があって、笑福亭鶴瓶の「鶴瓶噺」みたいに、この「キョスニムと呼ばないで!」を、「90分のひとり噺」として確立したい、と思っていた。

そのためには、この「噺」を、何度も何度もお披露目することで、作品として高めていかなければならない。

かくして、通算4度目になる「キョスニムと呼ばないで!」の講義を、今回は「前の職場」の学生たちの前で、話すことになったのである。

さて、講義本番の2日前、ブログのコメント欄に、こぶぎさんから、講義についての業務連絡が入っていた。先にも書いたように、こぶぎさんとの連絡は、メールではなく、もっぱらこのブログのコメント欄でおこなわれるのだ。

「今週に迫ったSKKですが、そちらの日程がKKCだそうで、SRをKGMに渡すようにDDRしました。それで、KGGにOSに使う部屋が取れなかったそうなので、すみませんが、わがKKSでIPKして下さい。それでは、当日はYRSKONGISMS。」

それに対する私の返事。

「MRMRのDDR、ARGTGZMS。TJTはHYMにTCKして、前のJKNのKMGのJGにも出てくれないか、と、FMOさんに言われましたが、どうなるかはわかりません。HYMにTCKした場合、KBGさんかFMOさんのKKSにHMNします」

さらにこぶぎさんの返事。

「KGMはOS用にYKIN室を押さえてますので、HYMにTCKされたら、OCでも飲んでお待ち下さい。JMKKのTTSがOTするDDRです。前のJKN、KBGはZMの最中なので、SMMSNが、KMGのJGの方で、JKNをTBSて頂けるとTSKRます」

もう、このやりとりが、可笑しくて仕方がない。とくに「DDR」という言葉がたまらなく可笑しい。だがこれで、当日のDDRが、あらかたわかったのであった。

さて当日。

階段式の大きな教室に、100人くらいの学生が集まってきた。

前の職場で授業をするのは、約10年ぶりくらいである。

同期入社のこぶぎさんが出世して偉くなり、私を是非にと、講師として呼んでくれて、さらにこぶぎさんの司会で、私の講義が始まる。

これは、10年という月日とも相俟って、予想以上に感慨深いことである。

さて肝心の講義は、時間配分を間違え、10分ほど超過してしまった。

100分間、喋りたおした。もっともそのほとんどは、このブログの朗読である。

どのていど、私の話が伝わったかはわからないが、過去4回の中でいちばん反応がよかったことはたしかである。

そして最後に私は、学生たちに「くるわを出でよ」と言った。

本来ならば、同僚だったOさんが言うはずだった言葉である。

もしこの場にOさんがいたら、私の話をどんなふうに聴いてくれただろう?

聴いてもらいたかったなあ。

最後に、そんなことを思った。

| | コメント (2)

関心のギャップ

11月27日(水)

会議が終わったあと、組合の親睦会があり、教室の一室を借りて、みんなで鍋を囲む。

歓談していると、突然、教室の電気が消え、真っ暗になった。

「なんだ?闇鍋か?」とみんながざわつく。

思い出した。この教室は、夜8時になると、強制的に電気が落ちるのだ。

そのことに、誰ひとり、気づかなかったのだ。

「どうしてこんなことになるんでしょうか?」と主催者の同僚が首をかしげる。

「206教室は、夜8時になると強制的に電気が落ちるんです」私が答えた。

「そうだったんですか…」

「ほら、あそこに金属の箱のようなものがあるでしょう?」私は、教室の天井近くを指さした。「あの箱の中にある機械で、消灯時間を設定しているのです」

「そうだったんですか…」

「でもあの鍵は事務室で管理していて、職員さんに言わないと、消灯時間の変更はできないことになっています」

「知りませんでした。ほかの教室もそうですか?」

「ええ。教室によって、消灯時間が違うんですよ。たとえば、203教室は、午後6時になると強制的に消灯します。202教室と205教室は、わりと遅くまで大丈夫です。公開講座なんかで、遅くまで使用することがありますから」

…と、ここまで説明して、気づいた。

誰も、こんなことに関心がないのか???と。

というか、何で私は、こんなことに詳しいのか?

あらためて、他の同僚とのギャップに、落ち込んだ。

関心の違い、といって、いつも思うのが、職場の印刷室である。

職場の印刷室には、コピー機が2台と、リソグラフ、大型プリンター、シュレッター、「紙を二つ折りにする機械」(正式名称は不明)、それと、「一度に10枚の紙をソートする機械」(これも正式名称は不明)、といった、種々の機械がある。

たぶん、そのほとんどの機械を使いこなしているのは、職場の中でも、私くらいなものだろう。

ポスターや垂れ幕なら、いまや簡単に印刷できるのだ。

というか、私ができるくらいだから、操作は簡単なのだ。

しかも私は、2台あるコピー機の、人間でいうところの「人間性」の違いとか、その日のリソグラフの「ご機嫌」、といったものまで、なんとなくわかるのだ。

だが、ほとんどの人は、こんなことに関心を寄せようとはしない。

こんなことを話したところで、「ふーん」と聞き流されるのが関の山なので、話題にもできない。

私が孤独感を味わうのは、まさにこの点においてである。

私からしたら、なぜほとんどの同僚は職場のこういうところに関心が向かないのか、不思議でならない。

| | コメント (0)

表彰式エレジー

「賞」と名のつくものをもらったのは、中学3年の時、市のロータリークラブが主催する作文コンクールで佳作に選ばれたときだけである。

しかしその「賞」も、いまだに私の中で、本当にもらったものなのか、確信が持てない。

作文コンクールのテーマは、「私の父」というものだった。ある晩、父がひどく酔っ払って、自分のそれまでの挫折だらけの人生について私に語ったことがあった。私はそのときのことを作文に書いたと記憶する。内容が内容だけに、ひどく暗い作文だったと思う。

私が、書いた作文を国語の先生のところに持っていって、「作文コンクールに出したいのです」というと、

「え?出すの?」

と言われた。まさかうちの中学校から、作文コンクールに応募する生徒なんていないだろう、と、国語の先生は思っていたのである。

そのころ、私の中学校は、ひどく荒れていて、およそ勉強をするという雰囲気ではなかった。ましてや、自分から作文を書く、なんて学生は、ただの1人もいなかったのである。

やれやれ、めんどくせえなあ、という感じで、国語の先生は、私の作文をロータリークラブに送った。

その後は、なしのつぶてである。

たぶん駄目だったんだろうな、と、私自身も半分忘れかけていたら、あるとき、小学校のころの担任の先生から、手紙が来た。

「この前の作文コンクールの表彰式に来なかったけれど、何かあったのか?」

と書いてあった。小学校の時の担任の先生は、作文コンクールの審査員の1人だったらしいのである。

表彰式?知らないぞ、そんなもん、と思い、中学校の国語の先生に聞いてみると、

「どうやら佳作をとったらしい」

というのである。

というか、その知らせが私に届かなかったのは、どういうわけだ?

しばらくして、賞状が中学校に送られてきた。私は月曜日の朝礼で、校長先生から賞状をもらうことになった。

私がいた中学は、卓球部と陸上部が強く、大会で優勝すると、朝礼で校長先生から表彰された。表彰されるのは体育会系ばかりで、文化系の人間が表彰されることはまずなかった。

そこで初めて、私が文化系の人間として朝礼で表彰されるのである。ちょっと誇らしかった。

ところが、表彰の日。

体育館で、全校生徒を集めて朝礼が始まった。舞台袖で、緊張しながら呼ばれるのを待っていると、国語の先生が近づいてきた。

「たった今、舞台裏で副賞の図書券が盗まれた。申し訳ないが、壇上では賞状だけを受け取ってくれ」

ええっ!どういうこっちゃ?

私の中学時代は、校内暴力の全盛期。しかも私の通っていた中学は、市内でも札付きの「ワル」中学だった。毎日、何かしら事件が起こっていた。だから舞台裏で、ほんの一瞬の隙を突いて図書券が盗まれる、というのも、さほど不思議なことではなかった。

それにしても、先生も先生だ。このセキュリティの甘さはいったい何なんだ?

壇上で校長先生から賞状を受け取ったが、嬉しさも半分である。

数日後、国語の先生に呼び出され、職員室へ行った。

すると先生は、「盗まれた図書券が見つかった」といって、2000円分の図書券を私に渡した。

いま思うと、本当は盗まれた図書券なんて、見つからなかったのだろう。国語の先生が、自分のポケットマネーで図書券を用意したのだと思う。

それにしても、この達成感のなさは何だろう?と、それからというもの、ずーっと、モヤモヤした感じが残った。

そもそも、自分はいったい、作文にどんなことを書いたのか?

提出した作文が戻ってこなかったため、自分がどんな内容の作文を書いたのか、すっかり忘れてしまった。

…表彰式にも出ず、副賞の図書券も「盗まれた」と言われて当初はもらえず、提出した作文も残っていない…。

私は、本当に作文を書いたのだろうか?

| | コメント (0)

誰が半熟卵がいいって言った?

戸田学『上岡龍太郎 話芸一代』(青土社、2013年)より、上岡流講談「キヨスクにおけるベストセラーの考察」の一節。

「あの鉄道弘済会のゆで卵ちゅうのは、必ず、あの、カッチンコのよく茹でになってます。ご存じですね。あれは正しいゆで卵の姿です。半熟卵、ご存じですね。あれは、邪道です。「俺はゆで卵を食うぞ!」と決めたクセに途中で止めて半熟にする、というのは、もってのほかです。ゆで卵というのは、カッチンコに茹でたやつを喉につめて、ホッホッホッと、こうむせながら食う。この肉体と卵の葛藤の中に美があるんですね。こういう観点から私は弘済会出入り業者の、あの断固たる茹で方をこよなく愛しております」

まったくもって同感。

最近のラーメン屋さんって、なぜか、よく得意げに「半熟卵」を売りにしたりしているけれど、私には、半熟卵のどこがいいのか、まったくもってわからない。

ラーメンにのせるゆで卵は、カッチカチのものが好きなのだ。半熟を強制されてはたまったものではない。

半熟卵が美味しいって、誰が決めたんだ?

| | コメント (0)

粉唐辛子鍋、はじめました

11月27日(水)

いつもそうだが、会議で「言わなくてもいいこと」を言ってしまう。

そのときは、こっちはよかれと思って言ってるのだが、今日は、参加者のみなさんがカチンとこられたらしく、

「ただいまの苦情につきましては…」

と、日ごろ周りからの信頼の厚いとされている上司からも「苦情」と言われてしまった。

やはり、「クレーマー」だと思われていたんだな、と、意気銷沈。

これで敵にまわさなくていい人まで敵にまわしてしまった。

誰も咎めてくれる人がいないのが、よけいに孤独感を誘う。

こんな感じで、日々落ち込んでばかりいるのだが、ここ最近の楽しみは、粉唐辛子鍋を作ることである。

毎年、冬になると、毎日のように作る「粉唐辛子鍋」である!

この冬も、復活した。

体が温まるし、健康になった感じがする。

昨年は、シメに「サリ麺」を入れていたが、今年は、「ひやむぎ」を入れてみた。

これがなかなかよい。かなりクセになる。

今年の大発見である。

| | コメント (0)

岡目八目

すごい名言を思いついた。

「企画の趣旨をいちばん理解していないのは、ほかならぬ主催者である」

これまでの経験を思い返してみると、たいていのイベントが、これにあてはまるのである。

いやあ、これで世の中のだいたいのことが説明できるぞ、と、いろいろな人に、自分が考えた言葉だといって得意げに説明していたら、ある人に言われた。

「つまり、『岡目八目』ということですよね」

…おかめ…はちもく…。

そうか、私が言いたかったことは、「岡目八目」ということだったのか。

私が発見していたと思い込んでいた真理は、ずっと前から、短い言葉で言い表されていたのだ。

そういえば思い出した。

黒澤明監督の映画「椿三十郎」の冒頭場面。

血気盛んな藩の若者たちが、人里離れたお堂に集まり、藩の汚職をあばくため、藩の上層部の誰を味方につけるか、密談をしている。城代家老か?大目付か?

単細胞な若者たちは、大目付の言葉をそのまま信じ、大目付こそ、自分たちの主張のよき理解者だと、意見が一致する。

そこに、三船敏郎演ずる椿三十郎が登場。素浪人の椿三十郎は、このお堂をねぐらにしていたところ、この密談を耳にしたのだ。

「ところでおい、盗み聞きってものはいいもんだぜ。岡目八目。話しているやつより、話の本筋がよくわかる」

密談をきかれて、焦る若者たち。

「まあ聞きな。俺に言わせりゃ、城代家老が本物で、その大目付の菊井ってやつは、眉唾だぜ」

「なに?無礼を申すとたたではおかんぞ!」椿三十郎に飛びかかろうとする若者たち。

椿三十郎はまったく動じることなく、静かに語り出す。

「俺はその二人の面(つら)も知らねえ。しかし知らねえからかえって、見かけで迷わされる心配もねえ。…おい、城代はつまらねえ面(つら)してるだろう?…そうらしいな。しかしな、話から察すると城代はなかなかのタマだぜ。てめえがバカだと思われていることを気にしねえだけでも大物だ。

ところでその、大目付の菊井だが、てめえたちは『やっぱり話せる、やっぱり本物だ』なんてとこからみると、こいつはまず、見かけは申し分はねえ、らしいな。しかし、人は見かけによらねえよ。アブねえアブねえ」

かくして椿三十郎は、大目付の菊井こそが危ない人物と判断し、若者たちとはまったく逆の結論に至るのである。

そしてその椿三十郎の予想は的中する。すでにお堂は、大目付の一派に取り囲まれていたのだ。

「岡目八目、ズバリだ」

ここから椿三十郎の活躍がはじまる。

…私がはじめて、「岡目八目」という言葉を覚えたのが、この「椿三十郎」だったのだ。

| | コメント (0)

忙中笑あり

11月25日(月)

とにかく、忙しい。

もちろん、世の中には忙しい人がたくさんいるのはわかっているが、自分の卑小な能力を越えている、という意味で、忙しいのだ。

授業の合間に、見事なまでに会議が入りこむ。終わってからも、会議の議事録をまとめたりして、時間があっという間に過ぎてしまう。

ただうれしいのは、先日書いた「頼まれてもいない仕事」を、意外にも理解してくれる人が多いということが、今日の会議の場でわかった、ということだ。

やはり私は、被害妄想が強いのかもしれない。意地を張らずに、素直になることが大事だ。

それともうひとつ、今日の会議の資料を見て、笑ったことがあった。

今度、うちの会社の中に、新しい組織が立ち上がる可能性があるという。

で、その組織の名称なのだが、○○○○○○○○○…、という長い名前のもので、その略称が、

「YUKJCIC」

というのだそうだ。

これには笑ってしまった。

ぜんぜん略称じゃないじゃん!

だいいち、覚えられないよ!

以前、映画「グッド・モーニング・ベトナム」という映画をこのブログで紹介したときに、「なんでもかんでも頭文字のアルファベットで略称を作るのは、アタマが悪そうな感じだ」と書いたことがあったが、それを思い出した。

組織のすごく偉い人たちが、真剣に

「YUKJCIC」

という略称を考えている姿は、可笑しくてたまらない、と思い、少し癒やされたのだが、そんなことをおもしろい、と思っているのは、私だけだろうか。

授業や会議のあと、夕方からはいつもの作業である。

参加しているみなさんの手際がだんだんよくなっているのは、嬉しいことである。

「同い年の盟友」Uさんが来てくれて、奥さんとの会話をおもしろ可笑しく話してくれるのだが、それはまたいずれ、紹介することにしよう。

| | コメント (3)

さながら、ドキュメンタリー映画のカメラのようである

11月23日(土)

そもそもこのブログは、韓国留学中に起こったさまざまな出来事を綴るためにはじめた、「セルフ・ドキュメンタリー」というべきものであった。

ブログを書くようになってから、自分が、さながらドキュメンタリー映画のカメラになったような気分になることが、しばしばある。

今日は、まさにそんな1日だった。

Aさんが、40年来のつきあいである、古い友人のBさんを見舞う。今はお互い、遠く離れた場所に住んでいるので、久しぶりの再会である。

長く闘病生活を続けているBさんの体調がこのところ少しずつ回復していると聞いたAさんは、Bさんの住む町を訪れたこの日、外で会食することになったのである。外での会食もまた、久しぶりのようであった。

Aさん夫妻とBさん夫妻が再会し、会食する場面。そこになぜか私は、縁あって、立ち会うことになったのである。

Bさんは、久しぶりにAさんと話ができて、嬉しそうである。

Aさんも、Bさんの体調が回復していることに、喜んでいる。

私は、古い友人どうしが交わす会話を、ただただ見守るほかない。

さながら、ドキュメンタリー映画のカメラのようである。

お昼の会食を終え、ファミリーレストランに場所を変えてお茶を飲んでいると、そこに次々に古い仲間たちが集まってきた。

みんな、Bさんに会うためである。

閑散としていたファミリーレストランの一角で、賑やかな「同窓会」が始まったのである。

私は、自分とはまったく関係のない同窓会に、紛れ込んでしまった感覚にとらわれる。ふたたび私の存在は、ドキュメンタリー映画のカメラとなる。

夕方になり、Aさんが提案する。

「B君と、ほんの少しでいいから、お酒を一緒に飲みたい」と。

みんなで、この近くで10人ほどが入れるようなお店を問い合わせてみるが、週末のためか、お休みだったり、満席だったりして、なかなかお店が見つからない。

少し離れた町に、お魚の美味しい店があるというので、タクシーでそこまで移動する。

たしかにお魚が美味しい店である。Bさんは、Aさんと向かい合って、ビールや日本酒を飲んだ。久しぶりだったのだろう。その表情は、とても嬉しそうだった。

私もしだいに、その「同窓会」の一員として、その古い仲間たちの思い出話を共有してゆく。

まことに不思議な感覚である。

話が尽きないまま、8時半になり、会はお開きとなる。

お店の外に出て、Bさんが一人ひとりと、握手を交わす。

私と握手したとき、Bさんは言った。

「縁があったら、またお会いしましょう」

Bさんの握った手は、とても力強かった。

| | コメント (0)

気分はコピーライター

11月22日(金)

うちの職場では、半年間ないし1年間、海外留学した学生のことを、「短期留学生」という。

今年度は、海外に短期留学した学生が多く、今年の秋に、留学を終えて、次々と帰国した。

同僚のNさんと、「じゃあ、短期留学から帰ってきた学生たちの報告会をやりましょう。彼らが海外で何を感じたか、それを語ってもらえば、この先も、留学しようと思う学生が増えるかも知れない」と盛り上がった。何度も海外留学を経験しているNさんはもちろん、韓国留学を経験した私にとっても、1人でも多くの学生に、留学してもらって、何かを感じてもらいたいと思ったからである。

さっそく関係の委員会に提案したところ、「やりたいのならどうぞ」といった雰囲気だった。まあ、いつものことである。

イヤむしろ、そういう反応の方が、こちらとしては盛り上がるのである。なにしろ私は、「頼まれてもいない仕事に精を出す」ことが、好きなのだ。

どうせなら、人目をひくポスターを作って、大々的に宣伝しようではないか。

報告会も、たんなる報告ではなく、参加した学生たちがおもしろいと感じ、その気になってくれるようなイベントにしよう。

ということで、企画を立てることにした。

で、火曜日の夜に、Nさんからポスターのデザイン案が送られてきた。今度はそれを、私が印刷して宣伝する番である。

水曜日はまる1日、仕事で拘束されていたから、木曜日に、Nさんのデザインした原稿を、大型印刷機でB2サイズの大きさのポスターに仕上げ、職場の各所に貼ることにした。

「やりたいのならどうぞ」と思われている仕事なので、誰にも頼めない。というか私は、あまり他人を信用していないので、頼めないのだ。

24インチのロール紙を使って、B2サイズを印刷すると、どうしても「余白」というか、フチができてしまう。食パンでいうところの「耳」の部分である。それを1枚1枚、定規とカッターで切り落として、ポスターを完成させていく。

昨年、イベントのポスターを何度も手作りしたので、手慣れたものである。

木曜日の夕方、できあがったポスターを、1人で各所に貼った。

しかし、できあがったポスターを見て、あとで気づいた。

留学体験を語ってくれる学生6人の名前が、入っていなかったのである。

同僚のNさんも同じことを思っていたようで、「名前を入れればよかったですね」とメールが来た。

気づいちゃったものは見過ごすわけにはいかない。もう一度、ポスターを作り直すことにした。

今日は車で40分ほどかかるS市で仕事があり、職場に戻ったのが、6時過ぎである。夕食を終えてから、6人の名前を入れたポスターに作り直し、印刷作業にとりかかることにした。

再び印刷室の大型プリンターで、ポスター印刷を始めるが、1つ問題があった。

それは、フチを切り取るためのカッターと定規がないことである。

木曜日の作業のときは、事務室の職員さんにカッターと定規を借りたのだが、いまは勤務時間を過ぎてしまったため、事務室には鍵がかかっており、カッターを借りることはできない。

仕事部屋にもない。

構内を探しまわるが、どこにもカッターがないのだ。

つまり、公共の場には、カッターが置いていないのだ。

犯罪防止なのか?それとも、思い詰めた人が使わないための措置なのか?

よくわからない。

あるのは、印刷室にある小さなハサミだけである。

仕方がないので、ハサミで、フチを切り取ることにした。

やってみて気づいたのだが、ハサミだけで十分にまっすぐ切れるものなんだね。

ハサミを固定して、適度な速さと力で紙の方を動かし、紙の動きに身を任せると、スーッと、まっすぐ切れるのだ。

なあんだ。カッターなんかいらないんじゃないか。

だんだん、そんな技術ばかり覚えていく。

いったい俺は何なんだ?と、1人で苦笑する。

そういえば、高校時代のあこがれの職業は、「コピーライター」だった。それで毎月、雑誌「広告批評」を読んだりしていた。

このポスターのキャッチコピーと文面を考えたのは、私である。

もちろん、そのキャッチコピーじたいはたいしたことないかも知れないが、いま私は、まぎれもなく、高校時代にあこがれていたコピーライターのまねごとをしているのである。

どうりで、こういう仕事が苦にならないわけだ。

あらためて気づく。

たとえ、いまはあこがれの仕事に就いていなくても、かつてあこがれた仕事の、そのまねごとをするチャンスは、訪れることがあるのだ、と。

夜10時すぎ、手直ししたポスターを職場の各所に貼り直す作業が終了した。

| | コメント (0)

店妄想

自分に商売っ気がないのは重々承知しているが、やはり少し憧れてしまう。

この稼業を辞めたあとは、喫茶店を開きたい、と、このブログで何度も書いてきた。

そんな妄想をしているときが、いちばん楽しいらしい。

単なる現実逃避なのかも知れないが。

どんな喫茶店にするか、アイデアはあるのだが、ここに書くと盗まれそうだから、書かない。

理想のお店を語りあう、というのは、概して楽しいものである。

映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」には、そんな場面がある。

甥の担任の柳生先生(檀ふみ)のお母さん(京マチ子)に恋をした寅次郎。柳生先生のお母さんは、今はすっかり没落してしまった旧家の「お嬢様」だった。夫と離別し、娘と二人で暮らす「お嬢様」は、長い間病気をしていて、余命幾ばくもないことを、寅次郎やとらや一家は知らなかった。

ある日、娘(檀ふみ)とともに葛飾柴又のとらやを訪れ、夕食をごちそうになった「お嬢様」(京マチ子)は、世間知らずの自分を恥じた。なにしろこの年齢になるまで、自分でお金を稼いだことがないのだ。そして、それぞれが自立して生活しているとらやの人々を見て、うらやましいと思ったのである。

とらや一家は、そんな「お嬢様」を励ますために、今から仕事を始めてはどうか、と提案する。

もちろん、実際にはそんなことは実現するはずもないのだが、その夢物語を語るとらや一家と「お嬢様」は、じつに楽しそうである。

「この近所に、小さいお店を開くなんて、どうだい」タコ社長が提案する。

「あら、お店?」と、「お嬢様」の目が輝く。

「社長、お前、いいとこに気がついたな」と寅次郎。

「御母様、どんなお店にする?」と、娘が、母である「お嬢様」に聞く。

「そうねえ、何屋さんがいいかしら?ねえ、寅さん」

いきなり聞かれて、とまどう寅次郎。

「…まず、だんご屋はダメ。儲からないから。あと、魚屋とか、八百屋とか、ニオイがしたり重たいものを持ったりする仕事、これもダメ。えーっと…あとは…」いい店が思いつかない寅次郎。

「じゃあ、おもちゃ屋さんは?」妹のさくら(倍賞千恵子)が助け船を出す。

「あら、おもちゃ屋さん!いいわねえ」と、「お嬢様」の目がふたたび輝く。

「こんなのはどうです?文房具屋さん」今度はおいちゃん(下条正巳)の提案である。

「それもいいわねえ」

「ダメだダメだ」寅次郎が首を横に振る。

「どうして?」

「ハナを垂らしたガキがですよ、汚ったない手に100円玉握って、『おばちゃん、おくれ』なんて、そんな店ができますか?ダメでしょう?…もっとなんかほかにいい店ないかよ」

「じゃあどんな店がいいんですか」義弟の博(前田吟)が寅次郎に尋ねる。

このあとの寅次郎の「語り」がすばらしい。

だからたとえばさ。

ひっそりとした裏通り。

しゃれた構えの、こぢんまりとした店。

お湯がチンチンチンチン沸いていて、

火鉢のそばで読書にふけっていると、

忘れたころに、ポツリ、ポツリと客が来る。

これがみんな、上品な、懐(ふところ)豊かな女の客ばかり。

なにやら楽しい話をしているうちに、

いつの間にかスッと品物が売れている。

夕方、豆腐屋のラッパが鳴る頃に店を閉めて、

土曜、日曜、祝祭日、もちろん休みです。

それでほどよくお金が儲かる。

…そんなような店、ないか?おい

「そんなのあるかしら?ねえ」と、さすがの「お嬢様」も呆れてしまう。

「その店で何を売るんですか?」と、笑いながら聞く博。

「それを考えろって言うんだよ」

結局、どんな店がいいかは、決まらなかった。

さて映画の終盤、病に冒された「お嬢様」は、この世を去ってしまう。

シリーズ中、唯一、マドンナが死んでしまう、という異例の結末である。

悲しい別れのあと、寅次郎は、例によって旅に出る。

柴又駅のホームで電車を待つあいだ、寅次郎とさくらが語り合う。

「なあ、さくら、人の一生なんて、儚いものだなあ。みんなでとらやの茶の間に集まって、ワイワイ騒いで飯食ったのも、ついこのあいだだもんな」

「そうだったわねえ。…あのとき、柳生先生のお母さん、とっても楽しそうだったわね。みんなで一生懸命、お母さんのお店は何屋さんがいいか、考えたりして」

「そうそう!俺、あの時からずっと考えていたんだよ。いい店あったぞ!」

「何屋さん?」

「花屋よ!」

「花屋さん?」

「いいだろう?あの奥さんが花の中に座っていたら、似合うぞ!」

「そうね。とってもいい考えね」

「その…なんだ…仕込みだとか、配達とか、掃除とか、そういう面倒なことはいっさい俺がやるんだよ。で、あの奥さんは、そこに座っていればいいんだ。それで花束を作って、お客さんに『どうもありがとうございました』と、渡してくれりゃあいいんだよ。この店、流行るぞ!」

「あのお母さんに、その話聞かせてあげたかったわね…」

もはやその夢が絶たれたあと、人は本当の理想にようやく気づくのだろうか。

| | コメント (0)

黒糖焼酎覚書

黒糖焼酎は、奄美群島でのみ製造される焼酎である。

奄美群島の主要な農産物であり、価値が高いものとされた黒糖は、本来は焼酎の原料ではなかった。ところがアジア・太平洋戦争期からアメリカ占領期にかけて、黒糖を島外へ持ち出すことができなかったことから、余剰ができてしまい、サトウキビを原料とする黒糖焼酎がつくられるようになったのである。

奄美群島が本土に復帰した1953年、1つの問題が起こる。サトウキビに含まれる糖蜜を発酵・蒸留して作られた黒糖焼酎は、ラム酒と同じ製法であったため、税法上は“洋酒(スピリッツ)”に分類されたのである。

日本では当時、洋酒は国内産のお酒よりも税率が高かった。島民は、これを洋酒ではなく、焼酎として扱ってもらうことを望んだのであった。

そこで政府は、一次仕込みの際に米麹を使用することを条件に、奄美群島にかぎって黒糖焼酎の製造を認めたのである。

かくして黒糖焼酎は、税法上、晴れて焼酎となり、奄美群島の特産品となったのである。

Imagescam31x9gところで、黒糖焼酎とは別に、奄美群島の徳之島などでは、国産のラム酒がつくられていることも、忘れてはならない。

黒糖焼酎もラム酒も、その味わいのごとく、奥が深いのだ。

| | コメント (0)

誇り高き自虐者

11月19日(火)

61z5c1ayixl__ss500_忙しくてなかなか本が読めないのだが、構内の書店で、戸田学『上岡龍太郎 話芸一代』(青土社、2013年)を見つけた。

上岡龍太郎こそは、私にとっての「語り」の師匠である。もちろん、心の師匠ね。

まず惹かれたのは、表紙に書かれている次の言葉。

「芸は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、上岡龍太郎です」

これは、上岡龍太郎が自己紹介するときに決まって言ったセリフである。

こういうセリフ、言ってみたいねえ。これこそ、「誇り高き自虐者」である。

そう、私がめざしているのは、「誇り高き自虐者」なのだ!

「学は一流、人気は二流、ギャラは三流、恵まれない天才、鬼瓦権造です」

私のような稼業だと、自分のことを「一流」とか「天才」というのがかなりイヤミになるが、芸人ならば、シャレとして許されるのだろう。

上岡龍太郎の引退から13年。最近の本人のインタビューを含めた、「上岡龍太郎の記録」は、今すぐにでも読みたいが、時間的にも精神的にも、余裕がない。

…といいつつ、付録に付いていたCD「上岡流講談 ロミオとジュリエット」を、まず聴いてみることにした。これは、1996年8月7日に大阪・千里セルシーホールでおこなわれた舞台を録音したものである。貴重な音源だ。

これぞ、話芸の真骨頂である!

立川談志の落語「源平盛衰記」を彷彿とさせる、名人芸である。

いっぺん、授業で90分、こんな「語り」をしてみたい。

この語りに少しでも近づくことができたならば、死んでもいい。

| | コメント (0)

マジョリティとマイノリティ

1930年に台湾で起こった「霧社事件」を題材にした台湾映画「セデック・バレ」を見て、つくづく考えてみた。「マジョリティとマイノリティ」ということについて。

私自身は、マジョリティの方だと思う一方で、マイノリティだと感じる部分もある。他人から見たら、些細なことかも知れないが、この場合、他人がみて些細であるか否かは、まったく関係のないことである。

たぶん私は、自分がマジョリティであると思っているうちは、マイノリティの人の気持ちを、つい忘れてしまうのだろうと思う。

しかし、自分がマイノリティだと思っている部分に関しては、人知れず、けっこう気にするところがある。

そのときに思うのは、マジョリティの人が悪気なく言ったこととか、多くの人に支持される価値観というのは、マイノリティの人にとっては精神的にかなりキツいことなのではないか、ということである。

悪気がないだけに、それについて悪く言うこともできず、マイノリティの人は、かえって苦しんだりするのではないだろうか。

霧社事件という凄惨な事件は、台湾の霧社という地域に生活する日本人や先住民族が一同に会する、年に1度の子どもの運動会の日に起こった。これが象徴的である。

もちろん、この日にすべての日本人が同じ場所に集まるという理由で、先住民族による「暴動」計画は実行されるわけだが、そもそも、子どもの運動会という、一見爽やかで誰もが楽しめそうな行事が、マジョリティとマイノリティを残酷にも分けてしまうという意味をもっていたことも、忘れてはならない。

マイノリティの人々からとってみたら、マジョリティの人々が楽しむための運動会が、苦痛で仕方がないのではないだろうか。映画では、その点も丁寧に描いていたように思う。

そしてマイノリティの部分を持っていると感じている人は誰しも、多かれ少なかれ、そういう感情を持っているのではないだろうか、と思うのだ。

| | コメント (0)

セデック・バレ

11月17日(日)

61fjw1lchul__sl500_aa300__3念願の台湾映画「セデック・バレ」を劇場で見た。

今年、妻と見に行きたい映画がいくつかあって、「選挙2」は見ることができたのだが、今年前半に公開された「セデック・バレ」は、ぜひ見たいと思いながらも、公開期間が短く、見ることができなかった。

それがこの日、都内の某名画座でリバイバル上映されるというので、見に行くことにしたのである。

日本統治下の台湾で1930年に起こった、先住民族の抗日武装蜂起である「霧社事件」をテーマに、台湾の先住民族であるセデック族と、日本軍との戦闘を描く、4時間半にわたる劇映画である。これまで、霧社事件が映画で取りあげられたことはおそらくなく、私も恥ずかしながらこの映画ではじめて、霧社事件がどういうものかを、具体的に知ることができたのである。

台湾には、高地に住む先住民族でいて、日本では「高砂族」とも呼ばれている。セデック族もそのうちの1つである。彼らは独特の自然観や死生観を持っていた。とくに、敵の首を狩ることで、一人前の大人になると認められる「首狩り」の風習は、彼らの独特の価値観を表していた。ちなみに映画のタイトルである「セデック・バレ」とは、セデック語で「真の人間」という意味で、真の人間として誇り高く生きようとするセデック族の姿が、この映画の中で描かれている。

だが、台湾を支配している日本からすれば、その風習は野蛮きわまりない。日本は彼らに、野蛮な風習をあらためさせ、「文明化」をめざすべく教育を施す。だが、セデック族にとっては、それは自分たちの文化が奪われることを意味し、屈辱なのである。この食い違いが、「霧社事件」という悲劇を生むことになる。映画ではセデック族と日本軍との戦いに焦点が絞られ、もっぱらセデック語と日本語が使用されている。

このあたりのことは、TBSラジオ「たまむすび」で放送された、町山智浩さんの映画解説を参照のこと。

この映画は、歴史映画として見るだけでなく、戦闘アクション映画としても見るべきである。野山を自由に駆けまわり、近代兵器を持つ日本軍を翻弄するセデック族の戦闘シーンは、圧巻というほかない。

セデック族の戦士や家族を演じる役者たちは、みな、台湾の先住民族の血を引く人たちばかりである。とりわけすごいのは、セデック族のカリスマ的な頭目(リーダー)、モーナ・ルダオを演じた、リン・チンタイである。彼はタイヤル族出身の一般人で、映画初出演であるという。

映画を見た人はみんな思ったと思うが、このモーナ・ルダオを演じたリン・チンタイの存在感やオーラは、ハンパではない。とても映画初出演とは思えない。むしろ日本人のプロの役者の方が、演技がぎこちなく感じられるほどである。

劇中に流れるセデック族の歌もまた、すばらしい。

大事なことは、民族や国籍にかかわらず、人間として誇り高く生きることなのだ、ということを、教えてくれる。

| | コメント (0)

キネマの天地・ふたたび

山田洋次監督の映画「キネマの天地」(1986年)。

以前にもこの映画のことについて書いたことがある

この映画は、日本映画の草創期である1930年代半ばを舞台にした、有森也実演じる「田中小春」という架空の女優の、成長物語である。

浅草の映画館で売り子をしていた小春が、ある日、映画監督の目にとまり、女優の道に進むことになる。

天性の愛くるしさをもつ小春は、下積みの時期に苦労しながらも、しだいに観客の注目されるところとなり、やがては、映画会社の看板女優として成長する。

それまで無名の新人だった小春が、あるとき、映画の主演女優に抜擢され、一躍スターになったところで、この映画は終わる。

これは、有森也実という女優自身の歩みとも、シンクロしている。

この映画は当初、藤谷美和子が小春役を演じる予定だったが、降板したため、急遽、当時新人女優だった有森也実が抜擢された、というのは、有名な話である。

まさに「虚実皮膜のあいだをさまよう」ような映画といえる。

有森也実は、私とほぼ同い年だったこともあり(正確には私が1学年下だが)、デビュー当時から、ひそかに注目していた。1984年にフジテレビが放送した岩井小百合主演の「クルクルくりん」という、漫画が原作のドラマを見たとき、主役の岩井小百合よりも、脇役の有森也実に強く惹かれたのである。

このドラマを見ていた人、いるかなあ。こぶぎさん、見ていたかなあ。

それが、1986年に山田洋次監督の映画「キネマの天地」で、いきなり主役に抜擢されちゃった。まさに小春を地でいくような女優人生である。

これに対する私の気持ちは、複雑である。ひとつは、まだ誰も注目されていない頃から注目していた私にとって、「どうだい、俺も見る目があるだろう」という気持ちである。

その一方で、その成功に喜びながらも、みんなに注目されてしまったことに、逆に冷めてしまったのである。「もうすっかり、遠い存在になってしまったなあ」と。

これは今でいえば、無名だったころから注目していた韓流スターが、有名になっていくときの気持ちによく似ている。

ファンというのは、かくも身勝手な勝手な存在である。

まあ、どうでもいい話なのだが、ふと思い出したので、書いてみた。

| | コメント (0)

紙の砦

手塚治虫の短編漫画「紙の砦」。

自らの戦争中の体験をもとに描いたフィクションだが、自伝的漫画ともいえる。

まず、タイトルがすばらしい。

「紙」とはすなわち、漫画を書く紙である。

漫画を書くことが好きな主人公は、戦争中、厳しく禁じられていた漫画を、こっそり書くことで、生きる希望を見つけていた。漫画こそが、自らを守る砦だったのである。

主人公は、オペラ歌手をめざしている宝塚歌劇団の女性と知り合う。

2人はお互いの夢を語り合うが、やがてその夢が、戦争によって引き裂かれる。

主人公は、終戦とともに「漫画を書く自由」を取り戻すが、女性は、オペラ歌手として舞台に立つ夢を絶たれてしまう。

墜落した飛行機に乗っていた米兵を、主人公が叩きのめそうとして思いとどまる場面は、とりわけ印象的である。

憎い敵の死体を叩きのめしたところで、何が報われるというのか。

すべては、こんな戦争を始めた愚かな人間の仕業なのである。

戦争はなぜ、憎むべきものなのか。

それは、この短い「紙の砦」を読めば、何度でも考えることができる。

もしその日が「平和について考える日」であるのならば、その日にこそ、手塚治虫の「紙の砦」を読むべきである。

| | コメント (0)

くたばれ!業界用語

もう10年以上前のことだと思うが、高校時代の恩師が、自身のホームページを持っていて、そこに、世の中のオカシなことについて、自分の怒りを書いていた。まだ、ブログもツイッターもなかった時代である。

ただ、何でもかんでも書いていた、というわけではなく、恩師の「キレるポイント」というのは、おもに2つだったと記憶している。

1つは、公共の場でのたばこを吸っている人間に対する嫌悪である。

たばこが大嫌いな恩師は、何のデリカシーもなく公共の場でたばこを吸っている人に、当時メチャメチャ腹を立てていた。

私もたばこを吸わない人間なので、その意見には、強く賛同していた。

10年たった今、状況はかなり改善されたのではないか、と思う。食堂や喫茶店でも、分煙という概念があたりまえになってきた。

ただ、それだけに、いまだに、たばこを吸わない人が近くにいるのにもかかわらず、平気でたばこを吸っている人を見ると、

「お前、いつの時代の人?」

と、問い詰めたくなる。

もう一つ、恩師が腹を立てていたのは、「略語」である。

恩師が勤務していた「学校」という場では、教師にしか通用しないような「略語」が多すぎる、というのである。「略語」は、その集団にしかわからない閉鎖的な言葉、つまり業界用語であり、そんな言葉を使い続けているから、いつまでたっても教師というのは社会から隔離された、閉鎖的な集団なのだ、と、これまた強い調子で、主張していたのである。

たとえば、

「しょっかい」

という言葉がある。これを、教師たちは平気で使っているというのである。こうした業界用語を平気で使うことは悪弊にほかならない、と、恩師は主張する。

「しょっかい」って、なんだかわかりますか?

これにも私は、なるほどと思った。ふだん、何気なく業界用語のような略語を使うことがあるが、よくよく考えると、これって、なんかキモチワルイ。

社会に出てから、労働組合が「ベア」とか言っているのも、すごくキモチワルかった。それに、「しょっこん」って、何?あと「じょうせん」。

…とまあ、とにかく私も恩師と同様、業界用語みたいな略語が大嫌いなのである。

もっとも、世代を問わず、いつの世も、略語は使われる。

「その件については、メーリスで流します」

このへんは、ちょっとイラッと来るくらいである。

学生が使う略語で衝撃的だったのは、

「今日、『しゃこう』がありますので、早退します」

である。「しゃこう」???

「しゃがく」と言っている学生もいたな。

とにかく自分だけは、なるべく略語を使わないようにしようと心がけているが、果たしてちゃんと実行されているかどうかは、心もとない。

もし私が労働組合の委員長になったら、

「業界用語をすべて廃止する!」

という方針を、真っ先に決めるだろうな。

…もっとも、なりたいとは思わないし、そんなことを言うヤツは、なれない。

| | コメント (0)

最悪のコンディションでも美味しいコーヒー

11月13日(水)

午前、隣県からお客さんが来ることになっていた。久しぶりにお会いする方である。

別の用事でこちらに来るついでに、私の仕事部屋に20分ほど立ち寄ってくれるという。

私の散らかっている仕事部屋を見られるのは、かなり恥ずかしい。ふだん見慣れている人ならまだしも、めったにお話しする機会のない方だけに、よけいに恥ずかしいのだ。

いま私の仕事部屋は、私以外に、もう1人だけ座ることのできるスペースがある。しかもかなり窮屈である。

そして、かろうじて、コーヒーメーカーを置くスペースを確保した。

いま、私のもっぱらの楽しみは、自分の仕事部屋で、先日もらったコーヒー豆でコーヒーを淹れて1人で飲むことなのである。

(せっかく来ていただいたのだから、コーヒーを飲んでいただこう。しかし、こんな汚ったねえ部屋で飲めるか!って言われそうだなあ)

本来ならば、コーヒーを落ち着いて飲んでいただけるような環境をととのえなければならないのだ。しかし実際は、その逆である。

それでも、コーヒーを入れる準備をした。

お客さんが来た。

「散らかっていてすみません。どうぞ」

窮屈なパイプ椅子に座っていただく。

「コーヒーお飲みになりますか?」

私はそう言って、コーヒーメーカーでコーヒーを作り始めた。

なにしろ、「淹れたて」が重要なのだ。

雑談をしているうちにコーヒーができあがった。

話をしている途中で、コーヒーを飲み始めたそのお客さんは、

「あ、このコーヒー、すごく美味しいですね」

と、ふつうに言ってくれた。

もらったコーヒー豆は、その店のこだわりの一品というべきもので、美味しいに決まっているのだが、だがそんな予備知識もなく、しかも知識のない私がコーヒーメーカーで適当に淹れたもので、さらには汚ったねえ私の部屋という最悪の環境で飲んでいるにもかかわらず、

「美味しい」

と、言ってくれたのである。

つまり、もともとの自家焙煎したオリジナルブレンドのコーヒー豆が、どんだけすごいかってことですよ!

最悪のコンディションで飲んでも、そうとう美味しいのである。

最高の環境で飲んだら、イヤなことなんて、すぐに忘れてしまうんじゃないだろうか。

だからここ数日の私の「やる気スイッチ」は、このコーヒーなのである。

| | コメント (2)

タイヤを交換しました!

11月12日(火)

ここ最近の身のまわりの話題で、最も気になることといえば、

そう!「タイヤ交換をいつするか?」ということである。

もうこれは、この地域の「アルアル」だね。

「もうタイヤ換えました?」

この時期、たいていの人は、これが挨拶代わりになるのである。

で、自分がまだ換えていないのに、挨拶代わりに聞いてみたら「もう換えましたよ」と言われたりすると、ちょっと「負けた」と思ったりする。

タイヤの換え時、というのが難しい。

あんまり早く換えすぎるのも、「お前何ビビッてんだよ」とバカにされそうだし、といって、できるだけ換えずに頑張った場合、ある日突然予期せぬ大雪が降ったりすると、「最悪の事態」を迎える可能性だってあるのだ。

といって、じゃあいちばん無難な時期を選ぶとすると、「予約でいっぱい」ということになる。

どないせいっちゅうねん!

…ということで、私は今日、無事にタイヤ交換をすませました。

いい言葉を思いついた。

「人生とタイヤ交換は、タイミングが大事」

これはドラマ「王様のレストラン」に出てくる名言「人生とオムレツは、タイミングが大事」をもじったものである。だからこれを、

「タイヤ交換とオムレツは、タイミングが大事」

と言い換えてもかまわない。

ちなみに、

「タイヤ交換をいつするか?」「今でしょ!」

というギャグは、寒いので言わないほうがよい。

| | コメント (0)

挽きたて、淹れたて

11月11日(月)

昨日訪れた喫茶店のご夫婦から、帰り際にオリジナルブレンドの「挽いたコーヒー豆」をいただいた。

早く飲まないと風味が損なわれる、というので、コーヒーメーカーを使ってコーヒーを入れることにした。

しかし、久しぶりなので、勝手がよく分からない。貧乏根性の私は、一度に大量のコーヒーを作りすぎてしまった。

美味しいと思って飲むにしても限界がある。仕方がないので、残ったコーヒーをコーヒーメーカーでそのまま保温して、しばらくしてから飲んでみたら、これがえらく酸っぱい。

調べてみると、やはりこれは、保温したことにより酸っぱくなったようである。

つまりコーヒーというのは、「挽きたて、淹れたて」にまさる美味しさはない、ということなのである。

まさに人生と同じ、「一期一会」である!

横着をして、一度に大量に作るなんてことをしてはいけないのだ。

そもそも、コーヒーメーカーで作るというのが、美味しさの限界を示すのである。本来であれば、豆を挽くところから、すべて手動でやるべきなのかもしれない。

こんなあたりまえのことに、この年齢になってやっと気づいたのである。

コーヒーは、こだわればこだわるほど、美味しくなる、ということか。

つまりコーヒーとは、自分が物事にこだわっているかを知るための、「こだわりのバロメーター」なのである。

…とまあ、何でも理屈をつけなければ自分を正当化できない私の性分である。

そういえば思い出した。

むかし、上岡龍太郎が、それまでさんざん批判していたゴルフを始めたことがあった。それ以来彼は、ゴルフにのめり込むことになる。

笑福亭鶴瓶がある時、上岡の「変節」ぶりを批判した。

「師匠、前はあれだけゴルフを批判してたやおまへんか?いま、なんでゴルフしてまんの?」

上岡は答えた。

「ゴルフというのは、貴族のスポーツや。貴族はなんでも意のままになる。だが、ゴルフはどうや。自分が思っていたところにボールは飛ばんし、パターも思うように入りはせん。つまり、『人生とは意のままにならん』ということを学ぶためのスポーツなんや」

上岡流の屁理屈に、テレビを見ていた私は笑った。

上岡もまた、理屈をつけなければ、新しいことを始められない性格なのだ、とその時思った。

厄介な性格である。

| | コメント (1)

冬が来る前に

11月10日(日)

予報では、週明けに雪が降るかもしれないという。

毎年恒例のタイヤ交換も、そろそろ行わなければならない。

雪が降り出し、冬が本格的に始まる前に、今年最後の「カーナビのない一人旅」に行こうと、ふと思い立った。

目的地は、前々から行きたいと思っていた喫茶店である。

Photo森の中にあるこぢんまりとした喫茶店。

笑われるかもしれないが、コーヒーについてほとんど知識がないにもかかわらず、喫茶店の雰囲気が好きなのである。

とくに、高原の喫茶店とか、森に囲まれた喫茶店とか。

できれば、少し早めにこの稼業を引退して、そんな感じの喫茶店を開いてみたい、などと夢想しているのだが、もちろん、家族は猛反対である。というか、できるはずがない、と思っている。

たしかにそうかも知れない。しかし、少しずつだが、コーヒーの勉強を始めているのだ。

目的の喫茶店は、かなりわかりにくい森の中にあったが、日曜日だったせいか、お客さんがとぎれることなく入っているようだった。

とても穏やかそうなご夫婦が、二人でお店を切り盛りされていた。仕事をリタイアされてから始めたのだろうか。

Photo_2窓に向いたテーブルに座ると、森の向こうに、雲におおわれた山がかすかに見える。この付近でいちばん大きな山だろうか。

「何にいたしましょうか」ご夫婦のうちの奥さんが、注文を聞きに来た。

「ブレンドをお願いします」

「かしこまりました」

「とても景色がいいですねえ」

「晴れていればよかったんですが、今日はあいにくの天気で残念です」

「そんなことありません」と私。「こちらでお店を始められてどのくらいたつのですか?」

「来年の1月で丸5年です」

「なんだか憧れます」

「でも最初は、日々の生活に追われるばかりで…。最近になって、ようやく落ち着いてきたという感じです」

「そうですか」

しばらくして、コーヒーが運ばれてきた。

「どうぞごゆっくり」

Photo_3窓の景色を眺めながら、コーヒーを飲み、原稿の校正を行う。

ここ最近のどんよりした気持が、少しずつ晴れていくような気がした。

完全に呆れられていると思うが、やはり私は、「形から入るタイプ」なのだ。

コーヒー2杯分の時間を過ごし、席を立った。

レジのところで、ご夫婦と会話をする。

「この辺もやはり、雪が積もりますか」

「ええ、12月に入ると本格的に降り始めて、3月の中旬頃が、雪どけの時期です」

「雪が降る前に一度うかがいたいと思っていたんです。たぶん、今日が最後のチャンスだろうと思って」

「そうですか。ぜひまたおいでください」

「またうかがいます」はたして、そんな機会はまたおとずれるだろうか。

私は森の中の喫茶店を、あとにした。

|

幻の懺悔サミット

3年ほど前、私が毎回司会進行をつとめる委員会の会議で、8分36秒1という史上最短時間で、会議を終わらせたことがある。

…という話を、前回書いた。

「8分36秒1」というタイムは、その会議に出席していたある同僚が、たまたまそのとき持っていたiPodのストップウォッチ機能により計測したもので、会議終了後、私にメールで知らせてくれたのである。

しかしよくよく考えてみると、不思議である。

その同僚は、会議が始まると同時に、iPodのストップウォッチ機能を使って、会議の時間を計測したのだろうか?もしそうだとすると、その同僚は毎回、会議の時間を計っているのか?それとも、たまたま気まぐれに計ってみたところ、史上最短時間の記録が出たということなのか?

「8分36秒1」というのは、その同僚特有のジョークで、もともと時間など計測していなかったのではないか、という気がしてきた。

その同僚はもう転出してしまったし、3年も前のことを、いまさらほじくり返すのは、野暮というものかもしれない。

「8分36秒1」というタイムを知らせてきた同僚のメールをあらためて読み返してみると、そのあとに、こんなことが書いてあった。

「ところで私は来月10日に、東京の学会で研究発表をするそうです。

いつも以上にやる気が出ず、このままではプチ死にたいどころか会場で切腹して果てることになりそうです。その時は介錯をお願いします。旅費は研究費から出します。

どうして何かやろうとすると、あれも読んでない、これも読んでない、ということばかりが走馬灯のように目の前を回るのか?と思います。

まあこういうことでもないと、ずっとダラダラして勉強しないからな、こういうのも警告と思うしかないな、と無理矢理ポジティヴに考えつつ、日本刀を研いでおります。

そのうち、後悔の多い研究生活を送っている者で集まって、懺悔サミットでも開きませんか」

こんなことが書いてあったなんて、すっかり忘れていた。

私からすれば、うらやましいくらいに、着実でスマートな研究生活を送っている人、という印象があっただけに、「いつも以上にやる気が出ず、このままではプチ死にたいどころか会場で切腹して果てることになりそうです」という、ダメ人間的な発言は、とても意外であった。

「プチ死にたい」という表現は、私がこのブログでよく使う、「軽く死にたくなる」という表現と、まったく同じである。

やる気が出ない、とか、軽く死にたくなる、というのは、決して自分だけではないのだ。

多くの同業者がそうした苦悩と戦いながら、この稼業を続けているのだ。そうに違いない。

そしてそれを無理矢理ポジティヴに考えようと、第三者に宣言することで、自分に言い聞かせているのであろう。私も今までそうやってきた。

さて、そのメールに対する私の返信も残っていた。

「偶然ですね。この日、私も東京で研究発表をするそうです。まったく準備してません。当日はお互いが日本刀で斬り合うことになるかもしれません」

このときの研究発表がどういう結果になったかは、まったく覚えていない。

「懺悔サミット」が行われた記憶もない。

| | コメント (0)

「校庭のおじさん」気取り

11月8日(金)

私の悪い癖、というのか、性分、というのか。

「誰にも頼まれない仕事」に精を出す、ということである。

あるいは、「見えないところで仕事をする」というべきか。

私のまわりには、「目立つところで仕事をしたがる」人が多く、それはそれですごいなあ、と思うのだが、へそ曲がりの私は、「見えないところの仕事」に魅力を感じるのである。

今日は、朝から晩まで、そんな1日だった。

同僚が誰1人やりたがらない「資料室」の整理を、学生に手伝ってもらいながらしたり、学生主催の総会に「顧問」として出席したり。

どちらも、「誰にも頼まれない仕事」「見えないところでする仕事」である。

とくに後者は、3週間ほど前から、主催者の学生たちと一緒に準備を進めてきた。

100人近い構成員を集めた「総会」は、主催者の学生たちにとっては初めての試みである。

開催すること自体に、構成員から強い抵抗があることも、よく知っていた。

どのようにしたら、総会を円滑に、できるだけ不満なく進められるか。

私も学生と一緒に、悩んだ。

ただ、こんな性格だが、昔から、会議慣れはしている。

私は中学生のときに生徒会長をしていたので、かつて「生徒総会」をとり仕切ったことは何度かある。

社会人になってからは、会議の連続だ。

今の職場では、3年ほど前に、こんなことがあった。

ある委員会の会議で、毎回司会進行役をつとめていたのだが、あるとき、会議を信じられない手際のよさで、終わらせたことがある。

たまたまそのとき、iPodのストップウォッチ機能を使って時間を計測していた同僚がいて、「8分36秒1」だったという。委員会史上、最短の会議時間である!

まあそんないろいろな経験をしてきたから、少なくとも無駄に年齢を重ねている分、会議については学生よりも慣れているのである。

会議の資料も、学生が作ってきた原案を何度も推敲して、文章表現を工夫し、レイアウトを見やすくして、合計26頁の膨大な資料を仕上げていった。これにはけっこう苦労した。

こんな仕事をしている同僚など、他にいないだろうな。

その前に、こんな仕事を私がしていること自体、誰にも知られていないのだ。

さて、午後4時半にはじまった今日の総会は、午後7時、主催者の学生たちの献身的な努力によって、無事に終了した。もちろん私は、傍観者である。

総会がひととおり終わって、冷静に思ったことは、

(「顧問」である大人が、学生の意志決定の場に、ここまで深く関わってよかったのだろうか?)

という疑問である。

知らず知らずのうちに、私は、大人の価値観を、彼らに押しつけてしまったのではないか?

学生には学生なりの、自由な進め方があり得たのではないか?

すっかり「校庭のおじさん」気取りだが、本当は「よけいなお世話」だったのではないか?

「押しつけがましいオッサン」がいることで、不快に思った構成員の学生もいたのではないだろうか?

そんな疑念が次々と頭をもたげてきて、心がどんよりしてきた。

…ま、読者ならおわかりの通り、こんなことを考えるのは、いつもの私の病(やまい)なので、気にすることはない。

そして学生以上に、こんなことに思い悩む大人は、この職場で、私くらいなものだろう。

しかし悩んでいるうちは、私もまだ捨てたもんじゃない、とも思う。

この複雑な心理は、たぶん誰にもわからないだろう。

| | コメント (0)

忙しい木曜日

11月7日(木)

木曜日は、何かと忙しい。

午後イチの授業の次のコマは、「非正規」の授業。それが終わり、もう一つ用事があったのだが、学生2人から相談があると言われ、急遽、その用事を取りやめた。ま、急ぐ用事でもない。

2人の学生とすっかりと話し込んでしまい、気がついたら夜の7時半である。

話の内容はここには書けないが、彼女たちは、自分の今のことや、これからのことに、思い悩み、自分と向き合おうとしている。

もちろん、ダメ人間の私に、適切で気の利いたアドバイスなどできるはずもない。ただ、その話を聞き、的外れなコメントを言うだけである。

しかし、そんな的外れなコメントでも、彼女たちはなにがしかを考え、前に進もうとする。

教えられるのは、こちらの方なのだな、と、ダメ人間の私は思うのである。

むしろ後ろ向きなのは、今の大人の方である。「思い込みが激しい」「自分の身を守ることしか考えない」などの言葉が浮かぶ。

今の世の中を悪くしているのは、確実に大人の方だな、と、確信した。

そういえば、映画監督の黒澤明が、こんなことを言っていたのを思い出す。

「この世に生れ落ちた時、人間は皆天才なんだ。それをこねくり回して、駄目にするのは大人の仕業。親の尺度を押し付けたら、それ以上にはなれない」

私もまた、職業柄、「こねくり回して、駄目にする」ほうに荷担している大人の一人である。

最近になって、「こねくり回さないほうがよい」ことに、ようやく気づきはじめた。

| | コメント (0)

シンクロ

11月6日(水)

昔からよく経験することだが、ラジオを聞いていたら、たまたま自分がそのとき思っていたことを、ラジオDJが言っていたりすることがある。

こういうのを、「シンクロする」というのだろうか。

最近では、「ほぼ日」で糸井重里さんが書く「今日のダーリン」が、たまたまそのとき自分が考えたこととシンクロする内容だったりすることがある。

今日の記事が、まさにそうだったので、引用しておく。

「たとえば、誰かに軽口でからかわれても 

とてもいやな感じがする場合と、 

笑ってしまう場合がありますよね。 

どこがちがうんだろう? 

人? 人柄? そうねぇ‥‥。 

スポーツの選手が、コーチや監督に叱られるのも、 

「そうか」と素直に聞ける場合と、 

「コノヤロ」と逆らいたくなる場合がありそうです。 

どこがちがうのか? 

ふだんの行動とか言動? そうだねぇ‥‥。 

ぼく自身が、あの人いやだなぁとか思うこともあります。 

あるいは、けっこうなこと言われても、 

それはいいんだよ、と思うようなこともあります。 

なまいきでいやなやつ、と思える場合と、 

気さくでおもしろいやつ、と感じる場合もあります。 

どこがちがうんだろうということについて、 

ぼくなりに、けっこうずっと考えてきたのです。 

で、先日、手帳に書きつけた二文字が、これです。 

「敬意」 

相手を尊敬する気持ちということでしょうか。 いや、そこまで「上」への意識じゃなくてもいいんです。 

もっと「平ら」の感覚で「敬意」を説明するならば、 

「ばかにしちゃだめだ」ということになります。 

ちっぽけな愛玩犬でも、のら猫でも、 

「ばかにしちゃだめだ」とつきあってる人は、 

その動物に対しての敬意があります。 

目上とか目下ということばにとらわれずに、 

あらゆる人のことを「ばかにしちゃだめだ」と、 

根っから思っている人のすることは、いい感じです。 

逆に、「敬意」の対象を限定していて、 

多くの人を「こんなやつ」と思っている人のすることは、 

いやな感じというふうに思えるのではないでしょうか。 

じぶん自身のことを考えると、若いうちのほうが、 

自身の弱さをごまかすためなのか、 

周囲への「敬意」がほんとうに足りなかったと思います。 

いま会ったら、やさしく説教してやりたいですけどね。」

昔は、親しい人とか親しくなりたい人とかに、親しさの意味を込めて、軽口をたたいたり茶化したりしたことがよくあったけれど、いや、今もあるかもしれないけれど、でも、こっちとしては親しさの表現であったとしても、それで本当に思い悩んだり、不愉快に思ったりする人がいるから、本当は不用意に茶化したり軽口を叩いちゃいけないんだな、ということに気づいたのは、ごく最近のことである。

それでも、不用意なことを言っているかもしれず、そんなときは、消え入りたい気分である。

| | コメント (0)

キャッツアイか!

11月5日(火)

長い出張から戻り、久しぶりに職場の仕事部屋に行くと、ドアのところにマグネットで何か貼ってある。

手帳の切れ端と思われる紙に、汚ったねえ字で、

「毒ラムネ三兄弟 長男(A)

 また来ます!   K」

と書いてある。

2011年3月に卒業した、A君とKさんである。

この二人にNさんを加えた3人を、「毒ラムネ三兄弟」と名づけたのは、ほかならぬこの私である。その由来については、以前に書いたことがある

それにしても、手帳の切れ端に、殴り書きみたいな字で書かれているのはどうだろう。それに、日付も書かれていないので、いつ来たのかもわからない。

「毒ラムネ三兄弟」ならぬ、キャッツアイだな、これじゃあ。

出張中に遊びに来たのだろうか?相変わらず、間(ま)の悪い連中だ。

それにこういう場合、ドアノブにお土産のお菓子のひとつもぶら下げておくものだろう。

まったく、相変わらず気が利かない連中だ。

…とまあ、軽口はともかく、この年度の卒業生には格別の思い入れがある。

卒業直前に震災に遭い、卒業式をすることができなかったのである。

3月11日に震災が起きてから、25日に卒業するまでの間、彼らと過ごした日々のことは、生涯忘れないだろう。彼らもまた、同じだろうと思う。

もちろん、彼らの年度だけではない。すべての年度の卒業生に、思い入れがある。

たとえば、2009年3月に卒業した学生たち。

ちょうど私が韓国に留学していたときで、彼らの卒業式に立ち会うことができなかった。

卒業式が終わったあと、その中の一人が、韓国にいる私にメールをくれた。

「先週、無事に卒業式を終えて、1日からいよいよ仕事が始まります。

あらためて、4年間お世話になりました。この専攻分野を選んでよかったなあと思います。

先生もこれから長いですが、体に気をつけてほどほどに頑張ってくださいね。

そのうちまたみんなで飲みましょう!」

ふだん面と向かってお礼など言われた記憶がなかったので、気恥ずかしくもあり、嬉しくもあった。

だが何より嬉しかったのは、メールをくれた時間である。

メールをくれたのは、4月1日の午前0時過ぎ、つまり、学生として、最後の最後に迎えた夜に、私にメールをくれたのである。

(学生として過ごす最後の時間に、私にメールをくれたんだなあ)

それはその卒業生にとっても、「学生から社会人へ」と変わるための、儀式のようなものだったのかもしれない。

…ん?自分に都合よく解釈しすぎか?

いずれにしても、私にとって思い出に残るメールであることには変わりない。

「そのうちまたみんなで飲みましょう」という提案は、まだ果たされていないが、それはそれでよい。

そのうちいつか、実現するだろう。

期待しないで、待っていよう。

| | コメント (0)

ダメ人間の再訪

11月2日(土)

自分のダメっぷりにひどく嫌気がさすことがしばしばあって、ちょうど実習が終わったあとくらいから、そんな状態になった。実習の期間がどんなに充実したとしても、「ああすればよかった」「こうすればよかった」という悔いが残るのである。

実習が終わってその日のうちに東京の家に戻ればよかったのだが、翌日もまわるつもりで、ずいぶん前にホテルを予約してしまった。

このままでは悶絶しそうだったので、夜、フラフラと駅の近くの居酒屋に一人で入り、カウンターで生、生、酎(ロック)、酎(ロック)と飲んだら、しこたま酔っ払ってしまった。やはり1人で飲むのはよくないね。

おかげで朝は二日酔いである。

さて、どこに行こうかとホテルをチェックアウトするが、とくに計画があるわけではない。

折しも3連休の初日で、駅前のバスターミナルには、バカみたいに人がごった返している。

こちとら、観光地に行く気など、さらさらない。

とりあえず、近くにある博物館まで歩いてみるが、事前に何の下調べもしていなかったことが災いして、行ってみたら閉館中だった。

もう一度駅に戻り、考える。

以前、こぶぎさんに教えてもらって行ってみた本屋さんに、もう一度行ってみることにしよう。

バスと鉄道を乗り継いで、その本屋に向かった。

Photoその本屋は、本好きのツボを突いた品揃えの店で、不思議と店内をまわっていても飽きないのである。

むしょうに福永武彦が読みたい、と思ったが、探してみたら、最近刊行された『福永武彦新生日記』(新潮社)しかなった。福永武彦って、今ぜんぜん読まれていないんだな。

店内をめぐりながら、別の考えが浮かんだ。

先日訪れた、元同僚の弟さんがはじめたという喫茶店に行ってみよう!

水曜日に訪れたときは、定休日だったようで、店に入ることができなかった。

やはり実際にお店の中に入らなければ、この物語は完結しないのだ!

本屋さんを出て、もと来た道を引き返す。電車を乗り継いで、1時間半ほどで、その町の駅に着いた。

Photo_3駅をおり、古い町並みが残る地区まで歩き、プラハ出身の作家の名前からとったというその店の前に立つと、今日は営業していた。

(入りづらいな…)

旧家を改装したそのお店は、あまりにもおしゃれすぎるのである。

しかしせっかくここまで来たのだ。思い切って入ることにした。

「いらっしゃいませ」

女性の店員さんが、2人ほどいた。

「…1人なんですが」

「どうぞ」

店内には何組かのお客さんがおり、若いカップルか、若い女性の一人旅、といった感じの人たちである。

(ぜったい挙動不審だよな…)

キョロキョロしながら、本棚の前のテーブルに座る。何しろここは、ブックカフェなのだ。

「チキンライスと、コーヒーを」

「コーヒーはいつお持ちしますか?」

「食後にお願いします」

「かしこまりました」

本棚をキョロキョロしていると、店員さんは察したのか、

「どうぞ、ご自由にお読みください」

という。

Photo_4さっそく本棚の本を見てみたが、不思議なことに、店名にしたというプラハ出身の作家の作品が、ぜんぜん見当たらない。あ、いや、「短編集」という薄い文庫本が1冊あるだけである。

これはわざとなのか?「ツッコミ待ち」というやつか?

仕方がないので、殿山泰司のエッセイ集を読むことにした。アクの強い個性派俳優だっただけに、ひどく下品なエッセイ集だった。

この本棚に置いてある本の基準って、何なのだろう?何か周到な意図があるのだと思うのだが、私にはわからなかった。

そういえば、弟さんはどこにいるのだろう?

再びキョロキョロしてみると、カウンターの奥の狭い厨房で、一人で料理を作っていた。
その服装が、めちゃめちゃおしゃれなのだ!

コック帽ではなく、ミュージシャンがかぶっているようなおしゃれな帽子をかぶり、センスのいい服とジーンズで、厨房に立っている。

その雰囲気は、元同僚のそれとそっくりである!

時折聞こえてくる「声」も、そっくりである。

兄弟って、あんなに似るものなのか?すぐに兄弟だってわかるぞ。

まさに「おしゃれ兄弟」である!

黙々と料理を作り、皿洗いをする。

狭い厨房を一人で取りしきっている姿は、「孤高」というにふさわしい。

殿山泰司のエッセイ集そっちのけで、見入ってしまった。

(ぜったい不審者と思われているよな…ひょっとしたら、「そういう趣味」の人だと思われているかも…)

慌てて視線を殿山泰司の下品なエッセイ集に戻した。

(一体俺は、何をやっているのだ?)

自己嫌悪に陥った矢先、チキンライスが運ばれてきた。

Photo_5おしゃれで上品な味である!

店内には、「青春デンデケデケデケ」の頃の「洋楽」が流れていた。

ランチを食べ終わり、再び殿山泰司のエッセイ集を読み始めるが、待てど暮らせど、コーヒーが来ない。

(忘れられているのかな?コーヒーを飲む人間に見られていないのだろう)

コーヒーまだですか?と言えばすむ話なのだが、なんかクレームをつけているみたいな感じに思われるのもイヤなので、黙って待っていた。

結局、コーヒーは来なかった。

将来自分が喫茶店をはじめるために、コーヒーの勉強をしに来たと言っても過言ではなかったのだが、仕方がない。

席を立ち、カウンターのレジのところに向かう。

「チキンライスとコーヒーでしたね」

「いえ、…実は、…コーヒーが来なかったです」

「あら、ごめんなさい」

そこでようやく、女性店員さんが気づいたようだった。

たまたま横にいた弟さんも、

「そうでしたか、ごめんなさい」

という。

「いえ、…いいんです。時間もアレなので」

やはりコーヒーを催促すればよかったかな、と後悔した。

「あのう…」私は思いきって弟さんに言った。「Aさんでいらっしゃいますよね」

「そうですが…」

「私、お兄さんの元同僚だった者です」

「そうですか!」弟さんはビックリした顔をした。「何でまた?職場がこちらに移られたとか?」

「いえ、昨日まで学生を連れてこちらに来ておりまして、…風の便りでここでお店をしておられることを聞きまして」

「そうでしたか…。わざわざ来ていただいたのに、粗相をしてしまいましてすみません」

「粗相をしてしまいまして」という言い方が、お兄さんそっくりだった。

「いえ、そんなことはありません。また寄らせていただきます」

なんとなくばつが悪くなり、急いでお店を出たのであった。

結論としてわかったことが2つあった。

1つは、私のような人間が喫茶店をはじめたとしても、お客さんは入らない。

もう1つは、このおしゃれな店で正社員としてはたらくこともまた、無理である。

| | コメント (4)

クドい返信、略してクドヘン

先月の半ば、、地元で開催された国際映画祭に合わせて、韓国の女性監督が撮った映画の特集上映会が開かれていたので見に行った、という話は、先日書いた。

ソ連邦時代、居住地のウラジオストックや沿海州から中央アジアに強制移住させられたコリアンたちの受難を追ったドキュメンタリー映画で、上映会には、この映画を撮った監督さんも来ていた。

上映会終了後のトークショーで、不躾にも監督さんに、映画について質問をした。トークショーが終わったあと、次の映画が上映されるまでの休憩時間にも、監督さんとお話しをすることができた。

「先ほどの質問、私もずっと気になっていたんです」と監督さん。日本語がとても堪能である。あとで聞くと、日本に留学されていたとのことだった。

「そうでしたか」と私。

「よかったらこのあと、お話ししませんか」

と言ってくださったのだが、監督さんは、別の人に誘われて、食事に行かれたようだった。

私もそのあと仕事があったので、まあ仕方がないかな、と思った。

さて、それから10日くらいたった日のこと。

その監督さんから、メールが来た。

「終映の後、ゆっくりお話ししたかったのですが、できなくて本当に申し訳ありません。

帰った後も、そのときの先生のご質問(ウズベキスタンのコリアンのアイデンティティ)が頭の中に鮮明に残っています。

そのときできなかった対話を、もしよろしければ、メールでさせて頂いてもよろしいでしょうか」

なんと、そのときお話しできなかったことを気にかけてくれ、わざわざメールをいただいたのである。

てっきり社交辞令かと思っていただけに、思わぬメールに喜んだ。

そして、そのときの私の質問に対して、じつに丁寧に、しかも上手な日本語で、答えていただいたのである。

感激した私は、返事を書いた。

なぜ私は、そのような質問をしたのか、その質問の意図は、どういうところにあったのか、とか、映画を見ての感想などを、事細かに書いた。

それはそれはもう、クドいくらいに、である。

このブログの読者なら、私の文章のクドさについては、もうおわかりであろう。

(いつもの悪い癖で、クドい文章になってしまったな…)

と思いながらも、そのまま送信してしまったが、あれから何の音沙汰もないことを考えると、例によって私のメールのクドさに、相手はすっかり引いてしまったのだろうと確信した。

あるいは、クドクドと書いた文章の中に、カチンと来た内容が含まれていたのかもしれない、とも思った。

(またしくじったな…)

これからいろいろと、韓国の映画について聞ける機会ができるだろうと思っただけに、自分の文章のクドさをのろったのである。

ま、当たり障りのない短い返事を書くよりも、たとえ嫌われたとしても、自分の思いを綴る方を自分で選んでしまったのだから、仕方がない。

私のことだから、これからも同じ失敗を何度もくり返すだろう。

どうもこんにちは。

クドい返信、略して「クドヘン」でおなじみなのは、この私です。

| | コメント (2)

真っ白な陶磁器のように

11月1日(金)

学外実習が、無事に終了した。

例年そうだが、今年の学生たちも、規律を守り、実習を楽しんでくれた学生たちばかりだった。冥利に尽きるとはこのことである。

実習の空き時間に、折にふれて、iPodに入れている井上陽水の歌を聞いていた。

井上陽水がすごいのは、他のアーチストと組むと、相手の作風に自分を自在に合わせていくことができるという点である。元来が、柔軟な人なのだろう。

忌野清志郎との「帰れない二人」とか、奥田民生との「アジアの純真」とか、安全地帯との「夏の終わりのハーモニー」とか。

小椋佳との共作である「白い一日」(作詞:小椋佳、作曲:井上陽水)もそうである。

小椋佳の詞は、じつにセンチメンタルである。若いころ、耽聴したものである。

「真っ白な陶磁器を

眺めては飽きもせず

かといって触れもせず

そんな風に君のまわりで

僕の一日が過ぎてゆく」

「目の前の紙くずは

古くさい手紙だし

自分でもおかしいし

破り捨てて寝転がれば

僕の一日が過ぎてゆく」

これを聴いて思いだしたのが、もう7,8年も前に、この学外実習に参加したO君のことである。

O君は実習中、あるお寺の国宝の仏頭(仏像の頭)に恋をした。

展示されている仏頭を間近にして、その美しさに憧れ、つい見とれてしまい、しばらくの間、その場を離れなかったのである。

あとでO君が、たまりかねて私のところにやってきて言った。

「あの仏頭、好きすぎてヤバイっす」

彼にとっては、よっぽど美しいものだったのだろう。

自分にとって本当に美しく、大切だと思うものに対しては、飽きもせず、触れもせず、ただ見とれてしまうものなのかもしれない。真っ白な陶磁器のように。

小椋佳の歌詞は続く。

「この腕をさしのべて

その肩を抱きしめて

ありふれた幸せに

落ち込めればいいのだけれど

今日も一日が過ぎてゆく」

大切なものに触れた瞬間、それは「ありふれたもの」になってしまうのだということなのだろう。

残念ながら、国宝の仏頭はいま、東京の展覧会に貸し出されていて、運の悪いことに今年の学生たちは、その本物を見ることができなかったのである。

何年も前に卒業したO君はいま、首都圏の中学校で教師をしている。

ふと思う。

彼は、展覧会のために東京に来ている仏頭に、再び会いに行ったのだろうか。

それとも、そんなことなどすっかり忘れてしまい、日々の仕事にいそしんでいるのだろうか。

| | コメント (0)

« 2013年10月 | トップページ | 2013年12月 »