11月2日(土)
自分のダメっぷりにひどく嫌気がさすことがしばしばあって、ちょうど実習が終わったあとくらいから、そんな状態になった。実習の期間がどんなに充実したとしても、「ああすればよかった」「こうすればよかった」という悔いが残るのである。
実習が終わってその日のうちに東京の家に戻ればよかったのだが、翌日もまわるつもりで、ずいぶん前にホテルを予約してしまった。
このままでは悶絶しそうだったので、夜、フラフラと駅の近くの居酒屋に一人で入り、カウンターで生、生、酎(ロック)、酎(ロック)と飲んだら、しこたま酔っ払ってしまった。やはり1人で飲むのはよくないね。
おかげで朝は二日酔いである。
さて、どこに行こうかとホテルをチェックアウトするが、とくに計画があるわけではない。
折しも3連休の初日で、駅前のバスターミナルには、バカみたいに人がごった返している。
こちとら、観光地に行く気など、さらさらない。
とりあえず、近くにある博物館まで歩いてみるが、事前に何の下調べもしていなかったことが災いして、行ってみたら閉館中だった。
もう一度駅に戻り、考える。
以前、こぶぎさんに教えてもらって行ってみた本屋さんに、もう一度行ってみることにしよう。
バスと鉄道を乗り継いで、その本屋に向かった。
その本屋は、本好きのツボを突いた品揃えの店で、不思議と店内をまわっていても飽きないのである。
むしょうに福永武彦が読みたい、と思ったが、探してみたら、最近刊行された『福永武彦新生日記』(新潮社)しかなった。福永武彦って、今ぜんぜん読まれていないんだな。
店内をめぐりながら、別の考えが浮かんだ。
先日訪れた、元同僚の弟さんがはじめたという喫茶店に行ってみよう!
水曜日に訪れたときは、定休日だったようで、店に入ることができなかった。
やはり実際にお店の中に入らなければ、この物語は完結しないのだ!
本屋さんを出て、もと来た道を引き返す。電車を乗り継いで、1時間半ほどで、その町の駅に着いた。
駅をおり、古い町並みが残る地区まで歩き、プラハ出身の作家の名前からとったというその店の前に立つと、今日は営業していた。
(入りづらいな…)
旧家を改装したそのお店は、あまりにもおしゃれすぎるのである。
しかしせっかくここまで来たのだ。思い切って入ることにした。
「いらっしゃいませ」
女性の店員さんが、2人ほどいた。
「…1人なんですが」
「どうぞ」
店内には何組かのお客さんがおり、若いカップルか、若い女性の一人旅、といった感じの人たちである。
(ぜったい挙動不審だよな…)
キョロキョロしながら、本棚の前のテーブルに座る。何しろここは、ブックカフェなのだ。
「チキンライスと、コーヒーを」
「コーヒーはいつお持ちしますか?」
「食後にお願いします」
「かしこまりました」
本棚をキョロキョロしていると、店員さんは察したのか、
「どうぞ、ご自由にお読みください」
という。
さっそく本棚の本を見てみたが、不思議なことに、店名にしたというプラハ出身の作家の作品が、ぜんぜん見当たらない。あ、いや、「短編集」という薄い文庫本が1冊あるだけである。
これはわざとなのか?「ツッコミ待ち」というやつか?
仕方がないので、殿山泰司のエッセイ集を読むことにした。アクの強い個性派俳優だっただけに、ひどく下品なエッセイ集だった。
この本棚に置いてある本の基準って、何なのだろう?何か周到な意図があるのだと思うのだが、私にはわからなかった。
そういえば、弟さんはどこにいるのだろう?
再びキョロキョロしてみると、カウンターの奥の狭い厨房で、一人で料理を作っていた。
その服装が、めちゃめちゃおしゃれなのだ!
コック帽ではなく、ミュージシャンがかぶっているようなおしゃれな帽子をかぶり、センスのいい服とジーンズで、厨房に立っている。
その雰囲気は、元同僚のそれとそっくりである!
時折聞こえてくる「声」も、そっくりである。
兄弟って、あんなに似るものなのか?すぐに兄弟だってわかるぞ。
まさに「おしゃれ兄弟」である!
黙々と料理を作り、皿洗いをする。
狭い厨房を一人で取りしきっている姿は、「孤高」というにふさわしい。
殿山泰司のエッセイ集そっちのけで、見入ってしまった。
(ぜったい不審者と思われているよな…ひょっとしたら、「そういう趣味」の人だと思われているかも…)
慌てて視線を殿山泰司の下品なエッセイ集に戻した。
(一体俺は、何をやっているのだ?)
自己嫌悪に陥った矢先、チキンライスが運ばれてきた。
おしゃれで上品な味である!
店内には、「青春デンデケデケデケ」の頃の「洋楽」が流れていた。
ランチを食べ終わり、再び殿山泰司のエッセイ集を読み始めるが、待てど暮らせど、コーヒーが来ない。
(忘れられているのかな?コーヒーを飲む人間に見られていないのだろう)
コーヒーまだですか?と言えばすむ話なのだが、なんかクレームをつけているみたいな感じに思われるのもイヤなので、黙って待っていた。
結局、コーヒーは来なかった。
将来自分が喫茶店をはじめるために、コーヒーの勉強をしに来たと言っても過言ではなかったのだが、仕方がない。
席を立ち、カウンターのレジのところに向かう。
「チキンライスとコーヒーでしたね」
「いえ、…実は、…コーヒーが来なかったです」
「あら、ごめんなさい」
そこでようやく、女性店員さんが気づいたようだった。
たまたま横にいた弟さんも、
「そうでしたか、ごめんなさい」
という。
「いえ、…いいんです。時間もアレなので」
やはりコーヒーを催促すればよかったかな、と後悔した。
「あのう…」私は思いきって弟さんに言った。「Aさんでいらっしゃいますよね」
「そうですが…」
「私、お兄さんの元同僚だった者です」
「そうですか!」弟さんはビックリした顔をした。「何でまた?職場がこちらに移られたとか?」
「いえ、昨日まで学生を連れてこちらに来ておりまして、…風の便りでここでお店をしておられることを聞きまして」
「そうでしたか…。わざわざ来ていただいたのに、粗相をしてしまいましてすみません」
「粗相をしてしまいまして」という言い方が、お兄さんそっくりだった。
「いえ、そんなことはありません。また寄らせていただきます」
なんとなくばつが悪くなり、急いでお店を出たのであった。
結論としてわかったことが2つあった。
1つは、私のような人間が喫茶店をはじめたとしても、お客さんは入らない。
もう1つは、このおしゃれな店で正社員としてはたらくこともまた、無理である。
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