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セデック・バレ

11月17日(日)

61fjw1lchul__sl500_aa300__3念願の台湾映画「セデック・バレ」を劇場で見た。

今年、妻と見に行きたい映画がいくつかあって、「選挙2」は見ることができたのだが、今年前半に公開された「セデック・バレ」は、ぜひ見たいと思いながらも、公開期間が短く、見ることができなかった。

それがこの日、都内の某名画座でリバイバル上映されるというので、見に行くことにしたのである。

日本統治下の台湾で1930年に起こった、先住民族の抗日武装蜂起である「霧社事件」をテーマに、台湾の先住民族であるセデック族と、日本軍との戦闘を描く、4時間半にわたる劇映画である。これまで、霧社事件が映画で取りあげられたことはおそらくなく、私も恥ずかしながらこの映画ではじめて、霧社事件がどういうものかを、具体的に知ることができたのである。

台湾には、高地に住む先住民族でいて、日本では「高砂族」とも呼ばれている。セデック族もそのうちの1つである。彼らは独特の自然観や死生観を持っていた。とくに、敵の首を狩ることで、一人前の大人になると認められる「首狩り」の風習は、彼らの独特の価値観を表していた。ちなみに映画のタイトルである「セデック・バレ」とは、セデック語で「真の人間」という意味で、真の人間として誇り高く生きようとするセデック族の姿が、この映画の中で描かれている。

だが、台湾を支配している日本からすれば、その風習は野蛮きわまりない。日本は彼らに、野蛮な風習をあらためさせ、「文明化」をめざすべく教育を施す。だが、セデック族にとっては、それは自分たちの文化が奪われることを意味し、屈辱なのである。この食い違いが、「霧社事件」という悲劇を生むことになる。映画ではセデック族と日本軍との戦いに焦点が絞られ、もっぱらセデック語と日本語が使用されている。

このあたりのことは、TBSラジオ「たまむすび」で放送された、町山智浩さんの映画解説を参照のこと。

この映画は、歴史映画として見るだけでなく、戦闘アクション映画としても見るべきである。野山を自由に駆けまわり、近代兵器を持つ日本軍を翻弄するセデック族の戦闘シーンは、圧巻というほかない。

セデック族の戦士や家族を演じる役者たちは、みな、台湾の先住民族の血を引く人たちばかりである。とりわけすごいのは、セデック族のカリスマ的な頭目(リーダー)、モーナ・ルダオを演じた、リン・チンタイである。彼はタイヤル族出身の一般人で、映画初出演であるという。

映画を見た人はみんな思ったと思うが、このモーナ・ルダオを演じたリン・チンタイの存在感やオーラは、ハンパではない。とても映画初出演とは思えない。むしろ日本人のプロの役者の方が、演技がぎこちなく感じられるほどである。

劇中に流れるセデック族の歌もまた、すばらしい。

大事なことは、民族や国籍にかかわらず、人間として誇り高く生きることなのだ、ということを、教えてくれる。

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