さながら、ドキュメンタリー映画のカメラのようである
11月23日(土)
そもそもこのブログは、韓国留学中に起こったさまざまな出来事を綴るためにはじめた、「セルフ・ドキュメンタリー」というべきものであった。
ブログを書くようになってから、自分が、さながらドキュメンタリー映画のカメラになったような気分になることが、しばしばある。
今日は、まさにそんな1日だった。
Aさんが、40年来のつきあいである、古い友人のBさんを見舞う。今はお互い、遠く離れた場所に住んでいるので、久しぶりの再会である。
長く闘病生活を続けているBさんの体調がこのところ少しずつ回復していると聞いたAさんは、Bさんの住む町を訪れたこの日、外で会食することになったのである。外での会食もまた、久しぶりのようであった。
Aさん夫妻とBさん夫妻が再会し、会食する場面。そこになぜか私は、縁あって、立ち会うことになったのである。
Bさんは、久しぶりにAさんと話ができて、嬉しそうである。
Aさんも、Bさんの体調が回復していることに、喜んでいる。
私は、古い友人どうしが交わす会話を、ただただ見守るほかない。
さながら、ドキュメンタリー映画のカメラのようである。
お昼の会食を終え、ファミリーレストランに場所を変えてお茶を飲んでいると、そこに次々に古い仲間たちが集まってきた。
みんな、Bさんに会うためである。
閑散としていたファミリーレストランの一角で、賑やかな「同窓会」が始まったのである。
私は、自分とはまったく関係のない同窓会に、紛れ込んでしまった感覚にとらわれる。ふたたび私の存在は、ドキュメンタリー映画のカメラとなる。
夕方になり、Aさんが提案する。
「B君と、ほんの少しでいいから、お酒を一緒に飲みたい」と。
みんなで、この近くで10人ほどが入れるようなお店を問い合わせてみるが、週末のためか、お休みだったり、満席だったりして、なかなかお店が見つからない。
少し離れた町に、お魚の美味しい店があるというので、タクシーでそこまで移動する。
たしかにお魚が美味しい店である。Bさんは、Aさんと向かい合って、ビールや日本酒を飲んだ。久しぶりだったのだろう。その表情は、とても嬉しそうだった。
私もしだいに、その「同窓会」の一員として、その古い仲間たちの思い出話を共有してゆく。
まことに不思議な感覚である。
話が尽きないまま、8時半になり、会はお開きとなる。
お店の外に出て、Bさんが一人ひとりと、握手を交わす。
私と握手したとき、Bさんは言った。
「縁があったら、またお会いしましょう」
Bさんの握った手は、とても力強かった。
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