伝える力
12月8日(日)
この週末は、新幹線を乗り継いで5時間以上かかる場所で、「同業者祭り」が2日間にわたって開催されたのだが、それについては、この場で書くようなことではない。
なので、いま少し、先日行われた短期留学生帰国報告会で印象に残ったことについて書く。
たしかアメリカに留学したS君が言っていたことだと思うが、彼がアメリカ人の友人に言われたこととして、こんな言葉を紹介していた。
「君がいかに英語が流暢なのかを聞きたいのではない。君が何を考えているのかを知りたいのだ」
そういわれたS君は、大事なことは、「流暢に話すことではなく、自分の意見を伝えることなのだ」と悟ったのだという。
この話を聞いて、妻に聞いた話を思い出した。
妻がテレビを見ていると、帰国子女とおぼしき若い女性歌手が、とても流暢な英語で喋っていたのだという。
「でも、ビックリするくらい、話の中身がなかったんだよ」
せっかく流暢に英語が話せても、話の中身がまったくなければ、じつに薄っぺらに思える、と、そのときに思ったのだそうだ。
あたりまえといえばあたりまえなのだが。
だが、外国語を学ぼうとするとき、知らず知らずのうちに、流暢に喋ることが大事なことだと思い込んでしまうのである。
もう1つ、台湾に留学したNさんが言っていたこと。
「海外で試されているのは、実は日本語の力なのです」
という。
海外留学の機会とは、ふだん何気なく使っている日本語を、自覚的に考える機会でもある。
そこをおろそかにしていると、外国語をマスターする上においても、大きな支障となる。
「外国語の実力は、日本語の実力に比例しますよね」
と私が言うと、パネラーの学生たちは全員、大きくうなずいた。
「大事なのは、流暢に話すことではなく、自分が本当に伝えたいことを持つことである」
若い学生たちが留学して、このことに気づいたのだとしたら、それだけで、留学する意味は十分にあった、というべきだろう。
なぜなら、それがどんな場であっても、いちばん大事なことだからである。
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