流星ひとつ
人気絶頂だった歌手の藤圭子が引退宣言をしたのが、1979年、28歳のときである。
当時小学校5年生だった私が、鮮明に覚えていることがある。
テレビ朝日の「欽ちゃんのどこまでやるの?」(通称「欽どこ」)というバラエティ番組で、引退直前の藤圭子がゲストに出たときのことである。
「欽どこ」は、欽ちゃんこと萩本欽一の冠番組で、萩本欽一が夫、真屋順子が妻という設定で、スタジオに、家の居間のセットを組んで、そこで巻き起こるさまざまな出来事をコント風に仕立てたバラエティ番組であった。
居間の真ん中には、円形のちゃぶ台があり、そこで、欽ちゃんとゲストの対談なども行われた。
セットの前面には、スタジオ観覧者もいて、さながらそれは舞台のようでもあった。
そこに、めったにバラエティ番組に出ない、アンニュイな藤圭子がゲストとして出演したのである。
しかも、である。
あろうことか、そこで、かつて結婚し、数年前に離婚した前川清と、ちゃぶ台をはさんで、二人だけで対談が始まったのだ。
このとき、欽ちゃんは、舞台裏に引っ込んでしまった。
観客の前に取り残された二人。
今から思うと、欽ちゃん、すげえ残酷なことするなあ、と思う。
もちろん小学生の私には、そんな細かい事情など、わからない。
ただ、二人の会話が妙にぎこちなかったことだけは、はっきりと覚えている。
そして、前川清が、引退する藤圭子に対して、何か優しい言葉をかけていたことも記憶している。
藤圭子は、前川清の顔をまっすぐにじっと見ながら、その話をひたすら聞いていた。
それが、藤圭子に関する、私の唯一の記憶である。
沢木耕太郎が、藤圭子に関する本を出した。
『流星ひとつ』(新潮社、2013年)である。
この本は、1979年に、沢木耕太郎が藤圭子にインタビューしたときの記録である。
だが当時、この本は出版されることはなかった。
2013年の藤圭子の没後に、ようやく日の目を見たのである。
全編が、二人の会話である。
よけいな解説が、ひとつもない。もちろん、写真もない。
私は、藤圭子という人がどんな人だったのか、まったくわからない。
だが、この本を読む限り、もともと、人生のあらゆることに絶望していた人なんだろうな、と思う。
「どうせ自分のことなんて、誰にもわかりっこない。インタビューされたって、みんな同じことを書くに決まっている」と。
実際、この対談の最初で、彼女はそう告白している。
だが、対談が進むうちに、彼女はどんどん心を開いていく。そして、沢木耕太郎の期待を、よい意味で裏切るような言葉を、次々と発していく。
沢木耕太郎のインタビューは、決して上手いとは思えないのだが、どういうわけか、心を開かせる「何か」があったのかも知れない。
もちろん、藤圭子の感性を受けとめ、その感性を効果的に構成した沢木耕太郎の筆力は、驚嘆に値する。
沢木耕太郎は、「後記」で、藤圭子を「輝くような精神の持ち主」であると評した。また、「水晶のように硬質で透明な精神」とも評している。その通りであると思う。
もし、この「透明な精神」の持ち主である藤圭子が、その後、心を病み、最終的には自殺という幕の引き方をしたのだとしたら、ひょっとして間違っているのは、「透明な精神」を生かすことができない、この世の中のほうなのではないか、という気すらしてくる。
結局この『流星ひとつ』は、1979年に出版されることなく、手書きの原稿を1冊の本にして、沢木耕太郎から藤圭子に贈られた。ただ1冊の本である。藤圭子は芸能界を引退したあと、アメリカに渡った。
アメリカで英語の勉強を始めた藤圭子から、あるとき沢木耕太郎のもとに手紙が届く。アメリカでの近況を伝える手紙である。この本の「後記」で、全文が紹介されている。
「お元気ですか。
今、夜の9時半です。外はようやく暗くなったところです。窓から涼しい風が入ってきて、どこからか音楽が聞こえてきます。下のプールでは、また、誰か泳いでいるみたい。ここの人達は、音楽とか運動することの好きな人が多くて、私が寒くてカーディガンを着て歩いているとき、Tシャツとショートパンツでジョギングしている人を、よく見かけます。
勉強の方は相変わらず、のんびりやっています。やる気はとてもあるのですが、行動がついていかないといおうか、テストの前の日だけ、どういうわけか別人(?)のように勉強するくらいです。
8月の始め頃、夏休みをとって、5~6日友達とハイキングに行こうと思っています。Berkeleyに一人で来て、心細かったとき、本当によくしてくれたディーンとジョーという人達と行きます。ディーンは今年law schoolを卒業して、この7月29日、30日と、最終的に大きな試験があるので、今は毎日一生懸命勉強しています。それが終わったら、8月の中頃、弁護士としてカンザスの方に行くので、みんなそれぞれ、ばらばらになってしまうから。
私は8月15日に学校が終わったら、16日のBerkeleyでのボス・スキャッグスのショーを見て、それからニューヨークに行くつもりです。最初は一人で旅をしようと思っていたのですが、クラスメートのまなぶさんという人が友達と車でボストンまで行くというので、一緒に行こうと思っています。車で行く方が、飛行機で行くより、違ったアメリカも見られると思うし、8月30日までにニューヨークに着けばいいのですから…。
ニューヨークでの学校は、まだ、決めていません。ついてから探そうと思っています。なんと心細い話ですよね。本当に。
体に気をつけてください。あまり無理をしないように。
沢木耕太郎様
追伸 「流星ひとつ」のあとがき、大好きです」
なんの変哲もない近況報告といえば、それまでである。
だが、一介のインタビュアーに対して、これほどまでに無防備に、自分の近況を書くことが、あるだろうか。
沢木耕太郎は、この手紙を全文引用したあとで、
「これを読んで、いかにも「青春」の只中を生きているような幸福感あふれる内容であることを嬉しく思った。そして、「追伸」にあるひとことで、『流星ひとつ』についてのさまざまなことを了解してくれたのだと安心した」
と述べている。
だが、これはかなりかっこつけた言い回しである。
「青春」だの「幸福感」だのと、もったいつけているが、本当は、これほどの無防備な近況報告の手紙をもらったことじたいが、沢木耕太郎には、かなり嬉しかったのではないだろうか。
この手紙を、こうして本の中で全文公開していることが、何よりそれを物語っている。
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