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地球賛歌

12月30日(月)

高畑勲監督「かぐや姫の物語」を観てきました!

ふだんはぜんぜん見ないジブリ作品を、今年は2作品(もう一つは「風立ちぬ」)も劇場で観たのである。

古典文学「竹取物語」を独特のタッチで描いている。映画的映像美にあふれた作品である。「一人の女性が、自分らしさを取り戻す」という、高畑監督らしい作品といえる。

と、エラそうに書いてしまったが、高畑監督の作品をほとんど見たことがないので、このとらえ方が正しいのかどうかはわからない。

事前に何の予備知識も入れなかったのだが、どうやらいろいろなタレントが声の出演をしている、ということだけは知っていた。

なかでもすばらしかったのは、竹取の翁の声を演じた地井武男である。

この映画は、絵が完成してから声を当てる「アフレコ」ではなく、まず最初に役者がセリフを吹き込み、そのあとで絵を作り上げる「プレスコ」という方式で作られた。

地井武男は、2011年の夏に声を録音したという。亡くなったのは、2012年6月である。

そして今年になって、ようやく映画が完成し、公開された。

完成した作品を観ることなく世を去ったのは、じつに残念である。

鑑賞後に買ったパンフレットの中で、次のようなエピソードが書かれている。

台本を読んだ地井武男は、「高畑監督、これは地球を否定する映画なんですか?」と、高畑監督に尋ねる。

するとすかさず監督は、

「まったく逆です。これは地球を肯定する映画なんです」

と応じた。

この答えに安心した地井武男は、声優初心者として、楽しそうにプレスコを続けたという。

これは、この映画の本質にかかわる、象徴的なやりとりであると思う。

地球にやってきたかぐや姫は、そこでさまざまな体験をする。

子どもの頃に育った田舎では、自然の営みの美しさや厳しさ、人の温かさに触れるが、都では、人のあざとさとか、欲望とか、底意地の悪さ、お仕着せの「幸せ」など、ほとんど絶望に近い体験をするのである。

だが、いよいよ月に帰らなければいけないというときになって、かぐや姫はこの星に住み続けたい、と思うのである。

映画では、月の様子が描かれているわけではないが、月ではおそらく、人びとが恨んだりねたんだり騙したりすることなく、誰もが平穏に、穏やかに過ごしているのだろうということが、想像できる。

つまり月は、「美しくて清らかな世界」の象徴なのである。

だがかぐや姫は、そんな月に帰ることに、最後は激しく抵抗する。

どんなにイヤな思いをしたりしていても、地球にいたときの記憶を、消し去りたくはないのだ。

なぜなら、心がときめいたり、嬉しくて走り回ったりした記憶をも、同時に消し去ることになってしまうからである。

むかし読んだ、福永武彦の小説「未来都市」で、主人公が言った言葉を思い出した。

「悪の部分を機械的に抹殺して、それで残りが善だとどうして言えます?人間は善と悪とを弁証法的に繰返して、ほんの少しずつ、善の方に進んでいくものです」

穏やかで、美しく、誰もが心乱れぬ世界。

喜怒哀楽、愛別離苦に身を焦がす世界。

どちらが、人間らしい生き方だろうか。

そして、この星に絶望しつつも、この星を去りたくない、というかぐや姫の苦悩は…。

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