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年賀状会議

12月28日(土)

毎年、年末のこの時期になると憂鬱なのが、年賀状作成である。

ここ10年ほど、パソコンの年賀状作成ソフトで作成しているのだが、年賀状には、旅行先で夫婦が一緒に写っている写真を載せる、というのが、恒例になっている。

いや、恒例というよりも、もはや「ルール」である。

そのためこの10年くらいは、旅行先などで、二人一緒に写っている写真を「年賀状用」に撮ることが、半ば義務化しているのである。

誰に頼まれているわけでもないし、誰と約束しているわけでもないのだが、いまや自分たちの作ったルールにしばられて、もはや「年賀状用に写真を撮る」というのが、けっこう面倒になりつつある。

そのせいか、年々、年賀状に載せる候補になるような写真が、少なくなっている。

もう一つ、問題がある。

それは、旅行先では、私が被写体となること、つまり妻が私の写真を撮ることが多いのに対して、逆に妻が被写体になることが少ない。つまりは、私が妻の写真をあまり撮らない、ということである。

妻にいわせれば、私は「自分にしか関心がない人間だ」というのだ。

おそらくこの言葉は、私の本質を最もよく言い当てた言葉である。

昨年の年賀状などは、掲載した写真3枚のうちの1枚が、私が学園祭でアルトサックスを演奏しているときの写真だった。

「どんだけ自分のことが好きやねん!」

と、すっかり呆れられてしまった。

さて今日。

今年撮った写真を持ち寄り、年賀状に載せるにふさわしい写真を2~3枚選ぶ、という恒例の「年賀状会議」が行われた。

…といっても、今年はことのほか、二人で写っている写真が少ない。

二人で写っている写真があっても、やれ髪の毛がぺったんこだの、服装が気にくわないだのと、なかなか候補が決まらない。

しかも、おざなりなものではいけない。それなりにインパクトがあり、面白い写真でなければならないのである。

6,7年前には、わざわざタイまで行って、二人で象に乗った写真を撮り、それを年賀状に採用したことがある。

それくらい、インパクトがなければいけないのだ。

だが、いま思えば、「二人で象に乗った写真」というのが、インパクト写真のピークである。それ以降、どこで撮っても、平凡なものに感じてしまう。

いっそ、二人で写っている写真を載せるのをやめてしまおうか、とも思ったが、それをやめてしまうと、

「何でやめてしまったんだろう?何かあったのか?」

と、年賀状を受け取った人が、ヘンに勘ぐるのではないか、と思い、やめるわけにはいかない。得意の被害妄想である。

会議での検討の結果、3枚の写真が選ばれた。

今年の写真は、数は少なかったが、意外と斬新な写真ばかりである。

写真が決まると、次に、妻が年賀状のレイアウトをする。

妻は職場でも、宣伝用のチラシのデザインをしたりしているので、そういったセンスがあるのだ。

例年とは異なる、斬新なレイアウトの年賀状となった。

しかも、「芸術と文化と学術」にあふれた仕上がりになった!

今年の年賀状会議も、なんとか紛糾することなく終わり、やれやれである。

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