イベント、からの演劇鑑賞
11月30日(土)
午前中のイベントは、100人を超える参加者を得て、大過なく終了した。
公式的には成功、といっていいが、私の司会には反省すべきことが多く、例によって軽く死にたくなった。
「なんか、いろいろすいません」
という気持ちである。
このままこの気持ちを引きずるのもイヤだなあ、と思っていたところ、わざわざイベントに来ていただいた「前の職場」のKさんが、今日の夕方、学生たちと一緒に芝居を見に行くのだという。
「何を見に行くんですか?」
「K町で、こまつ座が、井上ひさし作の『イーハトーボの劇列車』を上演するんですよ。卒業生が、そのホールに勤めていて、見に来てくれといわれたんです」
「いいですねえ」
「今日と明日しか上演しないそうです。明日のチケットは完売だそうですが、今日はまだ余裕があるかも知れません」
こまつ座の芝居は、今まで見たことがない。何より、井上ひさし脚本の芝居じたいを、今まで見たことがないのだ。
仕事は詰まっていたが、どうせ今日は気持ちがふさがってばかりで、はかどらないだろう、と思い、急遽、私もその芝居を見に行くことにした。
幸いなことに、まだチケットがあった。
車で1時間ほどかかるK町についたのは、夕方5時前だった。開演は6時半である。
途中、休憩を挟んで、終演は9時40分という、約3時間の長い芝居だった。
宮沢賢治の青年期の、さまざまな葛藤を描いた作品で、キーワードになるのは、「でくのぼう」である。
圧巻は、前半における、宮沢賢治(井上芳雄)と彼の父(辻萬長)とのセリフの応酬、そして同じく後半における、宮沢賢治と刑事(辻萬長の二役)のセリフの応酬である。
とくに、前半の親子のセリフの応酬は、日蓮宗と浄土真宗の「教学論争」の趣を呈し、どうしてこんなに理屈っぽいセリフの応酬なのだろう?と感じたのだが、この論争が後半のクライマックスで生きてくるのである。
これにかぎらず、前半の何ということのない伏線が、後半に生きてくる場面が多く、やはり脚本の構成力のすばらしさだろう。
構成力だけではない。セリフがどれもストレートで、美しいのだ。
最後の方で、「遅筆の作家」が、それほど必然的とは思えない形で登場するが、井上ひさし自身のパロディであろうか。
何よりこの芝居でよかったのは、前半で宮沢賢治の父、後半で宮沢賢治を追う刑事の二役を演じた辻萬長である。
セリフ回しの、何と心地よいことか。
「芝居が締まる」とは、こういうことを言うんだな。
こういうのを見ると、不遜だが「一生に一度でいいから、演劇の脚本を書いてみたいよなあ」と思ってしまう。
そうそう、そういえば、一緒に見に行った、前の職場のKさんのところの学生さんが、演劇サークルで台本を書いているそうで、先日の学園祭でも上演したというので、
「どんな内容の台本を書いたの?」
と聞くと、
「団子(だんご)を演じた俳優の気持ちを、10分ほどの芝居の台本にまとめました」
と答えてくれた。
だんごを演じた俳優、という設定が、シュールである。
一体どんな芝居だったんだろう?とても気になる。
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