第九のスズキさん
元旦に実家に帰ったときに、母から聞いた話である。
「第九のスズキさん、亡くなったのよ」
折しも数日前、第九の演奏会を聴きに行ったばかりだったこともあり、久しぶりに「第九のスズキさん」の話が出て、おどろいた。亡くなったのは2年ほど前のことだそうである。
「第九のスズキさん」は、母の友人のだんなさんで、ある市役所の職員さんだった人である。私自身は、会ったことがない。
私が高校の時、「第九のスズキさん」の話を、母から何度か聞いた。私が高校で「第九」を歌ったことがきっかけだったと思う。
「第九のスズキさん」は、市役所に勤めるかたわら、「第九」の研究をしていた。具体的にどんな研究をしていたのか、よく覚えていないが、おそらく、日本で「第九」が演奏されるようになった歴史、のようなことを調べていたと記憶している。うちの母も、第九にはさほど興味がなかったので、「第九のスズキさん」がどんな研究をしていたかについては、よく知らなかったようだった。しかし、「第九」にとりつかれた変わった人だ、ということは、母からくり返し聞かされていたのである。
「第九のスズキさん」は、四国の出身だったと、母は言った。
「ひょっとしてスズキさんの出身は徳島県なんじゃない?」と私。「第一次世界大戦中、徳島県鳴門市にあった俘虜収容所で、ドイツ人の俘虜による楽団が『第九』を演奏したのが、日本で最初に演奏された『第九』だから」
徳島県出身の人なら誰でも知っていることである。「第九のスズキさん」も、「第九」にのめり込んだきっかけが、自身の地元の歴史とかかわっていたと考えて、不思議はない。
「第九のスズキさん」は仕事の休みを利用して、日本全国に残っている「第九」に関する資料を、集めたという。その資料は、膨大だったのだろう。
いつだったか、自らの研究を本にまとめ、それが新聞で紹介されたことがあったように記憶している。
生涯をかけて、「第九」の研究に取り組んだのである。
しかし、家族からしたら、これほど迷惑なことはない。仕事の休みのたびに、「第九」の資料を求めて、日本列島を東へ西へと、飛びまわるのである。
「おまえたちにはねえ、これがどんなにすごいことか、わからないんだよ」というのが、家族への口癖だったらしい。
家族からしたら、ずいぶん厄介な人だったんだろうと思う。
「『第九のスズキさん』が亡くなって、ご家族が困っちゃってねえ」
「何が?」
「集めた資料とか本を、どこか図書館に寄贈しようとしても、手続きが面倒で、嫌がられるし、古本屋に売ってもねえ」
「第九のスズキさん」が生涯をかけて集めた蔵書や資料が、処分されてしまうらしい。
「ご本人にとっては貴重でも、ご家族からしたら、ねえ」
「でも、『第九』に関するまとまった資料をそれだけ集めている人なんて、他にいないと思うよ」と私。
私は「第九のスズキさん」に会ったこともないし、どんな研究をしていたかもわからないのだが、集めた資料が、貴重なものであることくらいはわかる。「第九のスズキさん」だからこそ集めることができた資料が、散逸してしまうのは、じつにもったいない話である。
「できれば、俺が引き取ってもいいくらいだ」
と言ったら、家族にいっせいに、
「ふざけるな。これ以上、がらくたを増やしてどうする」
と言われ、あえなく撃沈した。
しかしインターネットとは、便利である。
「第九のスズキさん」という記憶だけをたよりに調べてみると、たしかに「第九のスズキさん」は、いまから25年ほど前に、自身の研究をまとめた本を出していたのだ。
「第九のスズキさん」は、どんな思いで、生涯を「第九」に捧げたのだろう。
いまはそのことが、むしょうに知りたい。
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