続・第九のスズキさん
1月6日(月)
「仕事始め」だが、エンジンがかからない。
昨日書いた、「第九のスズキさん」のことを、インターネットでもう少し調べてみた。
「第九のスズキさん」は、市役所を退職後、児童養護施設の園長になったようである。
そして2011年6月、その児童養護施設のイベント中に、脳溢血で倒れ、病院へ運ばれる途中で亡くなったのだという。
告別式では、大部分の時間が、弔辞にあてられ、8名の方が、敬意のこもった弔辞を述べられたと書いてあった。多くの人に慕われていたのだろう。
その、児童養護施設というのは、どういうところだったのか?
調べてみると、驚くべきことがわかった。
かつてこの児童養護施設で、組織ぐるみの児童虐待事件が起こった。
1995年、この事件が明るみになると、当時、衝撃的な事件として、国会でもとりあげられた。
そしてこの事件をきっかけに、児童養護施設に対する偏見が強まっていった。
2000年、児童養護施設の園長とその息子が傷害の疑いで逮捕され、実刑判決を受けた。
まるで、韓国映画「トガニ」を思わせるような、児童養護施設虐待事件である。
当然、その児童養護施設は、「悪名高い施設」として、世に広く知られていく。
「第九のスズキさん」は、この事件のあと、この児童養護施設の園長に就任している。おそらく、信頼が失墜してしまったこの児童養護施設の建て直しを、期待されたのであろう。
一度、地に墜ちてしまった児童養護施設に対する信頼を、「第九のスズキさん」は死にものぐるいで回復しようとつとめたことは、想像に難くない。
そして2011年、「第九のスズキさん」は、帰らぬ人となるのである。
ひょっとしたら、母は、このあたりの事情をもう少し詳しく知っているのではないか、と思い、夕方、私は母に電話で聞いてみることにした。
母は、「第九のスズキさん」が、市役所退職後、児童養護施設の園長をつとめたことは、もちろん知っていた。だがその児童養護施設が、それ以前に酷い虐待事件を起こしていたことは、知らなかった。
母によれば、「第九のスズキさん」が園長に就任したのは、市役所を定年退職した数年後のことであり、2000年よりもずっと後であることは、確実であるという。
そこでさらに調べてみたところ、2001年にすべての理事が交代し、新園長により再建がはかられ、その後、「第九のスズキさん」が2006年頃に園長に就任したようである。
いずれにせよ「第九のスズキさん」は、信頼の失墜した児童養護施設の立て直しに奮闘したことに変わりない。信頼を回復することは、並大抵のことではなかったに違いない。
「『第九のスズキさん』は、子どもたちの就職の世話に奔走していたらしいよ。それに、自分のポケットマネーで、子どもたちにごちそうを食べさせたりして、だいぶお金を使ってたって、いつもキャプテンがこぼしていた」
「キャプテン」とは、「第九のスズキさん」の奥さんのことである。母の高校時代の、バレーボール部のキャプテンが、「第九のスズキさん」の奥さんなのである。
私が、告別式のときの8名の方の弔辞が、いずれも敬意のこもったものである、という、インターネットの記事を見つけた、という話をすると、
「その通りよ。だって私、『第九のスズキさん』の告別式に行ったんだから」
母は、その告別式の場に居合わせていたのだ。
「それはそれは、たくさんの人たちが来ていたのよ。祭壇には、『第九』の音符をかたどった花が飾られていたりしてね」
その言葉で、「第九のスズキさん」が、児童養護施設で多くの人に慕われていたことが、十分に想像できた。しかも、彼が「第九」を生涯にわたって愛していたことも、広く知られていたのである。
「じゃあ、すごく慕われた人だったんだね。家族からしたら、厄介な人だったのかもしれないけど」
と私が言うと、
「何言ってんの?冗談じゃない!」
と、母は言った。
「『第九のスズキさん』は、家族思いでもあったのよ。家族を毎年海外旅行にも連れて行ったりしてね。だからお金はほとんど残らなかったみたいだけど」
私は、「第九のスズキさん」に、ますます興味を持った。
「いまも、『第九のスズキさん』が残した資料は、残っているのかな。もし残っていれば、一度見てみたいんだけど」
「じゃあ、キャプテンに聞いてみる」
少し経って、折り返し母から電話が来た。
「いま聞いたらね。資料はまだそのまま残してあるんだって。いつでも見に来ていいって」
「じゃあ、近いうちに行くよ」
私は、会ったこともない「第九のスズキさん」の人生に、どんどんのめり込んでいく。
…いったい俺は、何をしているんだ?
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