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続々・第九のスズキさん

第九のスズキさん

続・第九のスズキさん

「第九のスズキさん」が書いた、「第九」に関する本を、取り寄せて読んでみた。

日本で「第九」が演奏されるようになった歴史が、丹念な資料収集に裏づけられて述べられている。

読み進めていくうちに、私にとって驚くべき記述にぶつかった。

アジア・太平洋戦争の戦局が厳しくなった昭和18年、学生・生徒を徴兵するいわゆる「学徒出陣」が行われる。

その壮行会の場で、「第九」が演奏されることがあった。「第九のスズキさん」の調査では、出陣学徒の壮行会の際に「第九」が演奏された事例を、2例ほど見つけている。

出陣学徒にとって、「第九」は特別な思いのある音楽だった。

戦後、復員した学生たちの中から音楽家になった人たちが中心となり、「壮行会」のときに歌って別れた「第九」を演奏しよう、と、昭和22年12月30日、日比谷公会堂で「第九」が演奏される。この催しは毎年続き、かくして戦後、「年末の第九」が定着していくのである。

さらに「第九のスズキさん」は、アジア・太平洋戦争の際に学徒出陣で出征し、特攻隊員として戦死したE氏の手紙の中に、「第九」が登場していることを発見する。

「…私ももう二度と迎えることなき正月を心静かに送りました。といっても嘗つての私の様に人を気遣せるのではありません。先日久し振りにチェホフを読みましたが、無意義と絶望の中に愛というものが、神が、なければならないのだと焦っている姿は嘗つての様に全幅の感銘出来ませんでした。それよりも積極的な肯定的な力を持って人間が浮び上って来ます。第九の様に。仏心というものもその様なものでないでしょうか」

「第九のスズキさん」が調べた限り、戦没学徒の遺稿の中で、「第九」に言及しているのはこの手紙だけだというのである。しかしそこには、死を目前にして、「第九」を心の拠り所にしようとする出陣学徒の思いがはっきりと読み取れる。

驚くべきは、このE氏がこの手紙を送った相手である。E氏の友人の、K氏にあてたものだった。

このK氏とは、私のいまの職場の、私と同じ専攻分野の前々任者である、K先生なのだ!

K先生は、1985年に「私のいまの職場」を退官後、1993年に亡くなっている。

私は学生時代、1度だけ、学会でK先生にお目にかかったことがある。亡くなる前年のことである。

その10年後、縁あって、私はいまの職場に就職した。その時点ですでに、K先生は亡くなっていたが、私の大学の研究室の大先輩でもあり、いまの職場の大先輩であるということは、いつも頭の片隅にあった。

「第九のスズキさん」は当時、遺稿集に収められたE氏のこの手紙について、そのときの事情をもっと詳しく知りたいと思い、手紙を受けとったK先生に問い合わせたことを、この本に書き記している。K先生は「第九のスズキさん」に、はがきでそれに答えており、本の中でその文面が引用されている。

私と専攻を同じくするK先生ご自身の研究とは、まったく異なる一面が、そこにあった。それは、「昭和十六年から二十年の極限状況下」に生きた、K先生の青春時代の「想念」ともいうべきものであった。

二つの大戦を通じて、「第九」は多くの人の人生を巻き込みながら、戦後の日本社会に浸透していく。

「第九のスズキさん」が、「第九」を通して見たものは、何だったのか?

もう少し、「第九」をめぐる旅を続けていきたい。

…こんなことやってる場合か?俺。

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