続・親不孝の孝
1月25日(土)
夕方、父の見舞いに行く。
術後まだ2日目ということもあり、かなりしんどそうだった。
しかし、あの気の小さい父が、大きな手術を乗り越えたことは、喜ばねばならない。
手術前、「俺は手術中に死ぬんじゃないか」とか、「あと3日で死ぬ」とか、母に言っていたらしい。
このあたりは、私とそっくりである。
夜、じつに久しぶりに実家に泊まった。
古い日本家屋の1軒屋なので、とにかく寒い。
こんな寒い家で、二人で住んでいるのか…。
テレビで、卓球の選手権のニュースをやっていた。
「そういえばこの前、近所の総合体育館で、国体の卓球の試合があったから、見に行ったのよ」と母。
「卓球の試合?」
「いまテレビに出ている人も来ていたのよ」
テレビに映っている選手は、どうやら有名な選手らしい。
「やっぱり見ていると、勝つ選手っていうのは、試合前の集中力が違うわねえ」
母は、試合前の選手の様子を、じっと観察していたという。
「そういうもんかねえ」
高校時代までバレーボールに打ち込み、国体に出場し、ばりばりの体育会系だった母は、今でも、体育会系の「勘」が健在である。やはり血が騒ぐのだろう。
26日(日)。翌朝も病院に行く。
ふだん、母とはほとんど話をしたことがないが、道すがら、話をした。
仕事をリタイアしてから10年ほど、近くの「障害者センター」というところで、ボランティアをしていた。
理由は「楽しいから」。そこでいろいろな人と知り合ったりすることが、楽しいらしい。
そのせいか、じつに多くの人と知り合いである。なにしろ母は、人間観察の天才なのだ。
ボランティアを気負わずにしているところが、母らしい。母のことだから、いろいろな人に頼られているのだろう。
気負わずに楽しむことが、ボランティアの極意ではないか、とすら思えてくる。
仕事をリタイアしたら、母みたいに生きるのも悪くない、と思ったが、たぶん自分にはできないだろう。
病室に着くと、ベッドがもぬけの殻である。
何かあったのか?と思ってナースセンターに行ってみると、
「今、レントゲンを撮っています」
という。なあんだ。ドラマの見過ぎだな。
ほどなくして父が病室に戻ってきた。昨日よりはいくぶん調子がいいらしい。
母方の親戚が3人、車で2時間かけて、見舞いにやってきた。
「このままだったら、明後日くらいに退院できそうだな」
「3日で死ぬ」と言っていた父は、今度はすっかり強気である。
少し安心して、私だけ先に、病院をあとにした。
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