アジアにボレロはあるか?
私の好きな映画に、クロード・ルルーシュ監督の「愛と哀しみのボレロ」(1981年、フランス)がある。
この映画は、第二次世界大戦をはさむ1930年代から1960年代にかけて、フランス、アメリカ、ロシア、ドイツの2世代4つの家族が、時代に翻弄されつつ生きていく姿を描いている。
一見、交錯することなく歩んできたそれぞれの家族は、映画の最後、パリで行われた「ボレロ」のバレエ公演で一同に会する。4家族が歩んできた長く苦難の道のりを、まるですべて浄化してくれるかのように、「ボレロ」の音楽が流れる。
西欧各国の家族が、大戦や各国の政治的事情で人生を翻弄され、それが「ボレロ」というバレエ音楽に収斂していくクライマックスは、映画的カタルシスを感じる、最高の場面であり、見る者に万感の思いを懐かせる。
この映画を見るたびに思う。
「アジアには「ボレロ」があるだろうか?」と。
この映画を、アジアに置き換えて考えたら、「ボレロ」にあたる音楽は、何だろう?
「第九」ではないだろうか?
1930年代から1960年代にかけて、アジア諸国で、戦争や国の政治的事情に翻弄された人びとが、一同に会して、「第九」を歌う。
そんな映画が作れないだろうか。
「第九のスズキさん」の本を読んでいて、そんなことを思った。
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