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学問の神様

菅原道真は、死後、いろいろあって、学問の神様になった。

彼を祀った福岡県の太宰府天満宮は、いまや合格祈願のメッカである。

やはり彼を祀っている東京の湯島天神は、それに次ぐ、合格祈願のメッカである。私も中学3年のとき、初詣でで湯島天神をお参りし、高校合格を祈願した。

昨日、菅原道真について調べている学生が、私に言った。

「菅原道真について調べていたら、先生のことを思い出しました」

「どういうこと?」

「調べていて、身近に思いあたる人がいるなあ、と思って考えたら、先生でした」

学問の神様ってことか?

どうも違うらしい。

「彼は、耳の痛い意見とかを、はっきり言ったりしたでしょう」

「そうだね。そこが似ているってこと?」だとしたら、まんざらでもない。

「それだけじゃないんです」

「何?」

「どうも友だちが少なかったようなんです」

「そうなの?」

「心を許せる人が、少なかったそうです」

そっちのほうか!私のことをよく見てるなあ。

その学生は、ある貴族の名前をあげた。

「心を許した数少ない友人の1人が、キノハセオという人でした」

「キノハセオ?」

「ええ、彼は、キノハセオという人には、心を許していたそうなんです」

「ほう」

「しかしそのキノハセオは、もちろん道真のことを慕ってはいましたけど、どちらかといえば、堅実な人柄というのか、ほかの派閥にも顔が利く人でした」

「ほう」

「その一方で、道真は次第に孤立していって、左遷されるでしょう?」

「そうだね」

「たぶん、取りなしたりすることが、苦手な人だったんじゃないかと思います」

道真の意固地な性格が想像された。

「じゃあ、道真とキノハセオは、だんだん疎遠になっていったの?」

「いえ、違います。道真は、最後までキノハセオを信じていたんだと思います」

「どうしてそれがわかるの?」

「左遷され、もはや後のない道真は、死に臨んで自分が書いた詩集を、都にいるキノハセオに託すんです」

「ほう」

「これって、最後までキノハセオを信じていたってことでしょう?」

「たしかにそうだね」

私は少し安心した。

ふと思う。

学生のこのまなざしは、どこからくるのか?

私と同じように、その学生もまた、道真に自分を見ていたのではないだろうか、と。

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