小さいおうち
1月3日(金)
先日、映画館で映画を見たとき、山田洋次監督「小さいおうち」の予告編をやっていた。
直木賞を受賞した中島京子の小説「小さいおうち」を映画化したものである。
昭和初期から戦中期にかけて、山形から上京した一人の女性・タキが、女中として、ある家に仕える。彼女の回想を中心に、物語が進んでいく。
昭和初期から戦中期にかけての東京の日常を、おどろくほど詳細に描いている。これほど、日常の視点でこの時代を描いた小説もめずらしい。
読んでいて思うのは、この時代が、今の時代とじつによく似ている、ということである。
小説の中に、1940年(昭和15)に東京でオリンピックが開催される、と決定したことに、人びとが興奮する場面が出てくるが、まさにこれは、いま私たちが目の当たりにしている状況とまったく同じである。関東大震災からの復興、そしてその象徴としての東京オリンピック開催への悲願、という流れは、まさに今の時代そのものではないか。
ちなみに1940年開催予定だった東京オリンピックは、開催が中止され、幻に終わったという話は、有名である。
こうしたディテールを読むだけでも、この小説は読む価値があるのだが、それ以上にすばらしいのは、この小説の「語りの文体」である。
決して派手な展開ではないのだが、この小説の「語り」には、ついつい、引き込まれてしまい、一気に読んでしまった。
この読後感はいったい何だろう?
ハタと、気がつく。
私のきわめて貧しい読書経験からすると、この小説の読後感は、小川洋子の小説「博士の愛した数式」に、とても近いものがある。
そういえばどちらも、家政婦の語りで、物語が進んでいく。
そして、人の心の内面にある「秘密」に、気づいていくのである。
やがてその「秘密」が、さらに多くの人を巻き込みながら、「現在」に継がれていくのだが、このあたりの「ストーリーテラー」ぶりのすばらしさは、実際に読んでみた者にしかわからない。
もちろん、この「ストーリーテラー」ぶりのすばらしさが、この小説の最も魅力的なところなのだが、さらに私は、そこで語られている、主人公の後悔や愛惜、といった、さまざまな感情にも、惹かれたのである。
11年間、女中として平井家に仕えていた主人公・タキは、自分の住んでいた部屋に関して次のように書いている。
「たった二畳の板間をわたしがどんなに愛したか、そのことを書いても、人はおそらくわかってはくれないだろう」
戦争が激しくなったため平井家のもとを離れ、故郷の山形に戻ったタキにとって、東京での生活は、何ものにも代えがたい11年間だったのだ。
その「喪失感」、といったものが、小説の終盤で語られていて、個人的にはそこに強く惹かれるのである。
これを、山田洋次監督が映画化したのか…。
個人的には、小泉堯史監督に映画化してもらいたかったなあ。
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コメント
映画館についてから、大人と子供の間で「奇妙な意見の一致」が生まれ、結局、別の映画を見た。
母親以外は、大人も子供もみな面白いと言ってたし、客席で泣いてる人もいたが、
んー、何かいろいろテーマを盛り込みすぎだし、ヒロインが間接的にしかストーリーに関われない設定なので、各エピソードの展開に深みがないんだよなあ。エンディング曲も合ってないし。
せっかくのネタなのだから、もっと別の料理法もあっただろうに。
というわけで、鬱憤を解消すべく、GyaOの無料映画でランキング上位の「武士の家計簿」と「南極料理人」を連続鑑賞。
どちらも面白かったが、後者の「南極料理人」は、ラジオに出てきた原作者の強烈なキャラに惹かれて早速図書館で本を借りたものの、映画版の主人公は正反対のキャラ設定だと知って敬遠していたもの。
なんのその、ストーリー自体は平板だが、きたろうをはじめ、手練れ(てだれ)の出演陣がいい味を出しています。1/8までの公開なので、未見の方はぜひ。
投稿: マイナス70度こぶぎ | 2014年1月 5日 (日) 01時38分
見に行った映画は、現在大ヒット上映中のあの映画ですか?レビューとか他の人のブログとかで、号泣したとか、感動したとか書いてあるのを見ると、どうも見る気が失せてしまうんですよねえ。
良質のミステリー映画が観たい今日この頃です。
投稿: onigawaragonzou | 2014年1月 5日 (日) 23時31分