公園で思索にふける
1月3日(金)
新年早々、二つのクイズを出してみたが、マトモに相手をしてくれたのが、こぶぎさんと、数年前の卒業生である江戸川君である。いずれもすばらしい答えだった。こんな「しょーもないクイズ」につきあってくれる2人に、感謝である。
さて今日。
義妹の家の近くにある行きつけのイタリアンレストランでランチをすませたあと、妻と義母は義妹の家に寄ることになったが、私は例によって、一人で散歩に出ることにした。
「ちょっと思索にふけってくる」と私。家に帰ってしまうと、「思索にふける」つもりが、つい昼寝をしてしまうので、ちっとも思索にふけることができないのだ。
レストランを出て、北へ向かって歩き出す。
このあたりは、昔の言葉でいえば「都心のベッドタウン」といった町で、密集している住宅のあいだを、細い道が縫うように走っている。
しかしかつては、自然が豊かに残っていた。近代文学作品の舞台になったこともある。
20年ほど前だったか、この地域の鉄塔をテーマにした小説が出され、映画化もされた。鉄塔の果てを見に行こうと、送電線づたいに少年が旅をする、というプチ冒険物語で、私が大好きな映画なのだが、この映画を見たとき、この地域には、まだこれほどの自然が残っていたのか、と驚いたものである。
私はずっとこの地域で育ったので、この地域の雰囲気が、やはり好きなのだ。
歩いていくと、小さな川をわたる。この地域を象徴する川である。
この地域を西から東へ横断し、都心へ流れていくこの川は、歴史的にも、文学史的にも、とても重要な川なのだが、今はあまり顧みられていないらしい。
この川の片側は緑道になっていて、かろうじて自然を感じることができる。
さらに北へ歩いて行くと、大きな公園にぶつかった。
繁華街に近い、有名な公園なので、多くの人たちでごった返している。とくに、池のスワンボートの混雑ぶりは、笑ってしまうほどである。
私はこの池のほとりのベンチに腰かけ、思索にふけることにした。
…といっても、ひたすら小説を読み続けただけなのだが。
1時間半ほど小説を読んでいると、横のベンチに座っている老夫婦に、話しかける人がいた。その人は、テレビカメラを持っている。
よく聞き取れなかったが、次のようなことを言っていた。
「あのう、実は私、○○という番組を担当している者でして、番組の中で、1万人の方にタイトルコールをしてもらうことになっておりまして、いまここで、タイトルコールをお願いできないでしょうか。1万分の1ということで」
老夫婦は嫌がって、断っていた。
待てよ。断られたら、次はこっちのベンチに来るのか?
冗談じゃない。うっかり私が番組名のタイトルコールをしているところがテレビに映って、誰かに見られたりしたら、恥ずかしくてしょうがない。
急に怖くなって、あわてて立ち上がり、公園をあとにした。
それにしても、あのディレクターは、1万人に番組のタイトルコールをしてもらうまで、ずーっとお願いしてまわるのだろうか?
それに、1万人にタイトルコールをしてもらう番組って、いったいどんな番組なんだ?
1人1秒としたって、1万秒。タイトルコールだけで2時間半以上はかかるぞ。
あのまま座り続けて、彼の負担を減らすために、「1万分の1人」になった方がよかったかな、と、少し後悔した。
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