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2014年2月

報われるとき

以前書いてみたのだがボツにした話を掲載する。

うちの職場には、「学生表彰」というのがあって、大きなイベントを成功させた学生とか、ボランティアを頑張った学生を、毎年何人か選んで、表彰をしているらしい。

だが私が本当にやってみたいのは、目立たないところで苦労をした学生を、表彰することである。

私のまわりには、目立たないところで苦労している学生たちが多い。

目の前に立ちはだかる問題をどうやって解決していくか。それを一生懸命に悩み、考える学生が多いのである。

たとえば、Aさんの場合。

ある組織で起こった問題を解決し、よりよい方向に進ませるために、さまざまな提案をするのだが、まわりからすれば、それは面倒くさいことだととらえられてしまう。苦労して考えたことも、冷ややかな視線を浴びせられると、それだけで心が折れそうになってしまう。

メールに、「背負ってしまったものが重すぎ、大きすぎで、なかなかうまくいかないこともあるんだと痛感する毎日です」と書いてあった。

結局、その学生が考えた末の提案によって、何がどう変わったのか?実は、多くの人には、見えにくいものだろう。

しかし大事なことは、その学生の中に確実に、「問題をそのままにしない」「問題の解決のために具体的にどうするかを考える」「自分のできることをできる限り実行する」という意識が、芽生えたことである。

私は返事を書いた。

「こちらがよかれと思ってやったことに対して、風当たりが強くなったり、「めんどくせえな」という無言の空気を感じたりすることは、私にもよくあることです。

たぶんそういう人たちは、どこにでもいて、それに対してあなたのような人間は、いつも面倒な役回りになるのだと思います。

しかし、1つだけ言えることがあります。

それは、何年か経って、あなたと同じようなことを考えたり悩んだりする後輩が、必ず現れてきます。たとえばそれは、今ではなく、大学を卒業してからかもしれません。

もしその後輩に相談を受けたら、あなたはその後輩に、はっきりと言うことができるでしょう。

「あなたの考えていることは、間違っていない」と。

そのときに、あなたのやってきたことは、報われるのだと思います。」

ちょっとわかりにくかったか?

もちろんこれは、自分に言い聞かせていることでもあるので、わかりにくくてもかまわない。

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やめ時が難しい

2月26日(水)

試みにカカオトーク、というのを始めてみたが、あれって、やめ時が難しい。

カカオトークを始めた、ということを聞きつけて、韓国の語学学校でお世話になった先生たちから、韓国語でメッセージが来た。こっちは「チャット」みたいなものに慣れていないので、途中で止めてしまうのは申し訳ないと思ってしまって、いつまでも返事を返そうとしてしまうのだ。

たとえば、4級の授業でお世話になったチェ先生からメッセージが来たのだが、最初はどうしても天気の話になる。あたりさわりのない話題が天気の話であることは、日本も韓国も変わりないのだ。

その流れから、雪の話になった。こっちも物珍しさから、つい、いろいろなことを書いてみたくなる。

「車が雪に埋もれて、掘り出すのが大変でした」みたいなことを書いたら、

「韓国の男性はスコップ仕事が嫌いなんですよ」という返事。

「スコップ仕事が好きな人なんていないでしょう」と返事を書くと、

「韓国の男性は、軍隊でスコップ仕事をさんざんさせられたから、なおさらイヤみたいです」と返事が来て、

「なるほど。でも雪国ではスコップ仕事が一番重要な技術です。私も嫌いですが、仕方なくやっています」

と書いたら、それ以降、ぷっつりと返信が来なくなった。

それ以来、語学学校の先生からは連絡がぱったり途絶えたので、

(こいつとカカオトークをすると、延々と続くからやっかいだ)

と思われたのだと思う。慣れている人は、適当な頃合いをみてやめることができるのだろう。

やめ時、といえば、このブログも、やめ時を考えている。

そうしたらついさきほど、5年ほど前に卒業したF君から、

「卒業してからも先生のブログは毎日チェックしています。先生のブログは私にとって、理不尽なことが多々あるこの社会を生きていく上での支えとなっています」

というコメントが入っていて、やめたら申し訳ない気もしてきた。

物事の終わり、とか、人との別れ、とか、ごく最近までは大仰にとらえていたが、そういうものは、できればさらりとすませた方がいいのだろう、と、ここ数日、そう思うようになってきた。

「これが最後です」

なんてことは言わずに、

「それじゃあまた後ほど」

とかなんとか言いながら、気がついたらそのときが最後だった、みたいな。

裏を返せば、いつでも、「これが最後だ」と思いながら、日々を暮らす。

そうすれば、よけいな感慨なんぞに浸らなくてもすむのではないか、と。

最後の約束なんかせずに。

…ということで、それじゃあまた後ほど!

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江華島の支石墓

2月26日(水)

前の職場の同僚、OQさんは毎年、ゼミ旅行で学生を韓国に連れて行っていたが、私がそのゼミ旅行についていった最初の年が、2001年の夏だった。

そのときは、江華島(カンファド)という、ソウルの北にある島に行った。

OQさんがどこで話をつけてきたのか、運転手さんと小型バスを1日借り切って、広くて見所の多い江華島を1日かけてまわることにしたのである。

江華島に、マニ山(さん)という山があるのだが、「頂上まで登ろう」ということになった。

最初は軽い気持ちで登りはじめたのだが、この山が思いのほか、キツイのである。おまけに真夏である。

まだ30代初めの私ですら、あまりのキツさに、頂上に行くのをあきらめてしまったほどである。

(これじゃあまるで登山だよ…)

OQさんと何人かの学生たちは、頂上まで登って、戻ってきた。

だがこの登山に予想以上の時間をとられてしまったため、世界遺産に指定されている「江華島の支石墓」をまわる時間がなくなってしまった。

「支石墓」とは、大きな石で作った昔のお墓のことである。朝鮮半島の古い時代に特徴的なお墓ともいわれている。

「残念ですねえ。見たかったのに…」と、帰りの車の中で、私はつぶやいた。

今から思うと、せっかくの世界遺産だから見ておきたかった、というていどの気持ちだったのだが、「江華島の支石墓」を見に行けなかったことによっぽど悔しい思いをしていたと、OQさんの目には映ったらしい。

それから4年ほどが経った、2005年の夏のことである。

2002年9月に私の職場は変わったが、OQさんは依然として私を韓国ゼミ旅行に誘ってくれて、2003年の2度目に続き、この年は3度目の珍道中と相成った。結果的にはこれが、最後のゼミ旅行になってしまった。

このときに訪れたのは、韓国と北朝鮮の国境近くにあるオドゥサン統一展望台という場所だった。

Photo_2 ハンガン(漢江)とイムジン河の合流地点につくられたこの展望台からは、北朝鮮の農村地帯を遙かに眺めることができた。

統一展望台での見学が終わり、今度は車で、別の場所に向かう。

どこに行くんだろう?と思っていると、何だかよくわからない場所に着いて、そこから小高い山を登っていった。

(どこへ連れて行かれるんだろう?)

と思ってついていくと、うっそうとした茂みの中に、囲いがあって、その中に、さほど大きくない石がいくつか置いてあった。

説明版を見ると、「支石墓」と書いてある。

2 「支石墓ですよ、Mさん」OQさんは言った。「これが見たかったんでしょう?」

そうだったのか…。

私に支石墓を見せるために、わざわざこの山を登ったのか…。

つきあわされた学生たちは、何がなんだかわからない。なにしろ、小高い山を登って、茂みの中に置いてある石を見に来たのだから。

OQさんは、世界遺産である「江華島の支石墓」に行けずに残念がっていた私のことを、ずっと覚えていたのだ。

それでその代わりに、この近くにある支石墓の場所をあらかじめ調べておいて、私を連れてきたのだ。

しかしそこは、世界遺産でも何でもない、ふつうの場所である。しかも、イメージしていたものよりも、かなり小さい。

(それほど見たかったわけではないんですよ…)

とは、口が裂けても言えなかった。

なぜなら、このわけのわからない場所に、学生たちもつきあわされたからである。

そんなことなどおかまいなしに、私に支石墓を見せてあげようという、ただその1点だけで、わざわざ調べて、見学先の1つに含めてくれたOQさんに、私は感謝した。

山を下りる途中、「今のお墓」があった。

韓国の伝統的なお墓は、土饅頭の形をしていて、山の中腹に作ることが多い。

「せっかくだから拝礼していこう」

Photo_3 OQさんは、縁もゆかりもないそのお墓に、韓国式の拝礼をした。

学生たちには、ますます何のことかわからなかっただろう。

私にとっては、支石墓よりも、見ず知らずのお墓に拝礼するOQさんの姿の方が、後々まで記憶に残った。

結局、OQさんと一緒に、江華島の支石墓を見に行く機会は、永遠に失われてしまった。

その後、江華島の支石墓を見る機会はあったかって?

それから私は韓国に留学し、留学中に一度だけ、江華島に遊びに行ったことがある。2009年8月のことである。

これが、「江華島の支石墓」です。

Photo

ちゃんと見に行きましたよ。

これでOQさんも、もう支石墓のことは気にかけなくてもいいでしょう?

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負けず嫌いは忙しい

2月24日(月)

週末のイベントですっかり疲労したが、負けず嫌いの血が騒ぎ、仕事が終わってからスポーツクラブに行くことにした。といっても、やったのはウォーキングだけである。

負けず嫌いといえば、最近、タブレット端末を入手した。

とりあえず最初に設定したのは、カカオトークである。

試行錯誤の末、設定が終わったが、どうも自動的に知り合いを認識するようで、4年ほど前に、1年ほどこちらに留学していた、韓国のM君から、「先生、カカオトークはじめたんですか?」と連絡が来た。

恐るべし、カカオトークである。

それからほどなくして、今度は語学学校でお世話になった先生とも連絡がとれた。

これまた、恐るべしである。

しかしこんなものにのめり込んでしまうと、私のことだから、ずーっとこれにかかりっきりになってしまうぞ。しかも韓国語ならば、なおさらである。

さて、今日の夕方、職場にて。

3年ぶりくらいに、元職員のMさんにバッタリ再会した。職場に用事があったらしい。

「まあ先生、お久しぶりです。ついこの前も、卒業生のF君と、先生のことを話していたんですよ」

「F君と?」F君とは、5年前に卒業した私の指導学生である。卒業後は、まったく連絡をとっていない。

それにしても疑問である。たしかにF君は、在学中からMさんのことをよく知っていたのだが、卒業してから5年も経つのに、いまだに仲良く連絡を取り合っているのか…?

「あのう、…F君と話したって…ど、どういうことでしょう?」

恐る恐る聞くと、

「ああ、LINEですよ」

「LINE?」

学生たちがよく使っている「LINE」というやつか。うちの妻もよく使っているという。

MさんとF君は、LINEで連絡を取り合っているのか…。

また例によって、

「ははあ~ん。さては俺のいないところで、みんなで仲よく寿司食ってやがるな」

的な妄想にとらわれて、

「よし、LINEをはじめよう!」

と、負けず嫌いの私は思い立ったのであった。

ということで、目下「LINE」をダウンロードしたところまでは進んだが、登録すべきかどうか、逡巡しているところである。

すでにカカオトークだけで手いっぱいなので、これ以上手を出すと、仕事にならなくなる。

果たしてどうしたものか…。

負けず嫌いは、忙しい。

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本にサインをした夜

2月22日(土)、23日(日)

自分も少しかかわった週末のイベントが、両日とも200人近くの参加者を得て、無事終了した。毎年この時期に行われるが、今年は私の住む地域のメンバーがホスト役である。

私もお手伝いしたが、いつものように、自分の「でくのバー」ぶりを思い知らされた2日間で、軽く死にたくなった。

いろいろなことがあったが、その顛末を書いても仕方がない。

「あなたに会いに来ましたよ」

イベント初日、受付のところで久しぶりにお会いしたTさんが、私を見るなり言った。

最近は1年に一度開かれる、このイベントでしかお会いすることがないが、5歳ほど年上のTさんは、私にとってはなんとなく兄のような存在で、Tさんもまた、私のことを気にかけてくださっている。

大御所も集まっている2次会の席のことである。

隣に座っているTさんと話していると、話題が、昨年お送りした私の本の話になった。

「今日は、本にぜひサインをしてもらおうと思ってね」

最初はからかっているのかな、と思った。

「勘弁してくださいよ」と私が言うと、

「本当だよ。持って帰って、職場の人たちに自慢したいんだ」

そう言うと、鞄の中から私の本を取り出した。わざわざ持ってきてくれていたのだ。

その本には、付箋がびっしりと貼ってあった。すごく丁寧に読んでいただいているのだな、ということがわかって嬉しかった。

私には昔から、「愛読される小説」のような論文を書きたい、という夢があるのだが、それに近い読まれ方をしているのかも知れない。

それだけでも、本を出した甲斐があった、と言うべきだろう。

宴会場の端っこの方で、誰にも気づかれないように、自分の本にサインをした。自分の本にサインをする、というのは、じつに恥ずかしい。

3次会までおつきあいして、気がつくと深夜1時半過ぎである。

自宅に戻り、それから翌日の予習をして、3時過ぎに床についた。

2日目は朝8時に集合し、午後3時までの、ノンストップのイベントである。

無事に終わり、撤収が終わったのが午後4時過ぎである。放心状態。

そのまま家に帰って、泥のように寝た。

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湖上

先日このブログで高橋和巳の『悲の器』のことを書いたら、「俺も高橋和巳の小説、好きだったんですよ」と言ってくれた同世代の友人がいた。

何でも書いてみるものだ。身近なところに同じ趣味の人がいるんだな、と思っていたら、

「でも、中原中也は嫌いだったんでしょ?」

とその友人は言う。

「そんなことありませんよ」

と言うと、

「いや、嫌いだと書いてましたよ」

と言う。

そういえば、中学校の卒業式の思い出について書いたときに、中原中也の詩について、少し触れたのだった。

だが、嫌いだった、とは書いていない。

しかし、中原中也が好きな人からしたら、たしかに「この人、中原中也の詩が嫌いなんだな」と思わせる表現だったのかもしれない。

「俺、ズボンのポケットにいつも詩集をしのばせているくらい、好きだったんですから」

「そうだったんですか」

私はたしかに、熱心な読者というわけではなかった。だが、「湖上」という詩は、とても好きだった。

「湖上」

「ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう。
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。

沖に出たらば暗いでせう、
櫂(かい)から滴垂(したた)る水の音は
昵懇(ちか)しいものに聞こえませう、
――あなたの言葉の杜切(とぎ)れ間を。

月は聴き耳立てるでせう、
すこしは降りても来るでせう、
われら接唇(くちづけ)する時に
月は頭上にあるでせう。

あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで。

ポッカリ月が出ましたら、
舟を浮べて出掛けませう、
波はヒタヒタ打つでせう、
風も少しはあるでせう。」

私はとくに、

「あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで」

という部分が大好きで、この情景を思い浮かべては、なんともいえない幸福な気持ちを想像したものである。

「あなたはなほも、語るでせう、
よしないことや拗言(すねごと)や、
洩らさず私は聴くでせう、
――けれど漕ぐ手はやめないで」

ひょっとしたらこの情景が、今まで想像した中で、私にとっていちばん幸福な情景なのかもしれない、と、今でも思うのだ。

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スポーツクラブと原稿

2月21日(金)

今朝起きたら、少し右足が痛い。

慄然とした。

これは例の、痛風の発作ではないか??

だが誓って言うが、この5日間ほど、一滴もお酒は飲んでいないのだ。

やはり、極度のストレスと疲れから来ているのか?

なぜ慄然としたか、というと、明日からけっこう大きなイベントがあって、それにかかわっている人間の1人だからである。

ほぼギリギリの人数で準備してきたこともあり、この2日間は、絶対に病気になることはできないのだ!

頼む、これ以上痛まないでくれ!!!

慌てて、痛み止めの薬を飲み、少し痛みが和らいだ。

お昼、同世代の同僚が私に聞いた。この世代になれば、自然と互いの健康を気遣う話題になる。

「最近、スポーツクラブに行ってます?」

「いえ、忙しくってね」

「○ちゃんは、最近また通い出して、5㎏痩せたそうですよ」

私と同じような体型の○○さんが5㎏痩せたのか…。別にはりあっているわけではないのだが、なんだかすごく悔しい。その人が「できる人」で、自分がダメ人間のように思えてきた。

スポーツクラブの話題が出るたびに、とても負けず嫌いな私は、その日、必ずスポーツクラブに行くことにしているのだが、今日ばかりは、右足が疼いているので、ヘタに行くと、かえって足が痛くなるのだ。

そんな話をしたところ、

「スポーツクラブと原稿って、どこか似たところがありますよね」

「どういうことです」

「どちらも、あれこれと理由をつけて、先延ばしにするじゃないですか」

なるほど。うまいことを言う。

来週こそは、スポーツクラブと原稿を両立させよう。

その前に、この週末を乗り切れるか?

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キレるポイント

前回、反省記事を書いたが、そうは言っても、どうしても解せないことがあるので、書いておきたい。

私自身、いい加減な人間であることは重々承知しているが、そんな私でも、つい神経質になってしまうことがある。

たとえば、正式な会議の場などで、

「これとこれは、日程がカブっております」

とか言われると、イラッとする。

え?どこが?と思うでしょう?

「かぶる」というのは、私にとって非常にくだけた言い回しに聞こえるのだ。

もともと「重なる」という意味で「かぶる」という言葉を一般化したのは、ほかならぬダウンタウンの松本人志である。

松本人志は、「ネタがかぶる」という言い方をよくしていた。つまり、「ネタが重なる」という意味である。

そこから、「重なる」という意味の「かぶる」の使用法が、急速に一般化したのだ。

だから、「かぶる」は、きわめて口語的な表現である。もっといえば、「芸人用語」である。

たとえば、正式な会議の場で、司会をしている偉い人が、

「最近、チャリ通をしている職員による、チャリンコの違法駐輪が問題化しています。ママチャリだけでなく原チャリも同様です」

などと言ったらヘンでしょう?(ヘンだと思っているのは私だけか?)私にとっては、「日程がかぶる」も、それと同じくらい、違和感のある言葉なのである。

日常会話で言うぶんにはかまわない。だが、会議などの場では、「日程がかぶる」ではなく「日程が重なる」と言うべきだと思うのだ。

そんな些細なことに目くじらを立てるな、と思うかもしれないが、私には気になって仕方がない。そこが私の「キレるポイント」なのだ。

「○○目線」という言葉も、口語的である。

たとえば政治家が、マニフェストとかで

「国民目線で…」

などと書いていると、やはりイラッとする。「国民の立場に立って」などと表現すべきだろう。私には言葉を軽視しているように思えてしまう。そういう政治家に限って、「上から目線」の人間に決まっているのだ。

そんな中、今日の会議で配られた書類の中にで出てきた言葉が、

「どローカル」

という言葉だった。自分たちの住む地域が「どローカル」であることを誇りに思い、そこから世界に挑戦していこう、みたいなキャッチフレーズが書いてあった。

どローカル?

一瞬何のことかわからなかったが、その言葉の説明に「『ど』は強調語です」と書いてある。

そこで初めてわかった。

「ど田舎」と同じ「ど」だ、と。

しかし、この「ど」には、あんまりいいイメージがない。

私が思いつく限りでも、「どスケベ」「ど変態」「ど淫乱」「どM」「どS」「どストライク」…。

ほとんどが、品のない言葉に付く強調語である。

「ドタマかち割ったろか!」の「ドタマ」も、「どあたま」がつづまった言い方である。

友達とおもしろ可笑しく話しているときなら、全然問題ない。だがそれを、正式な書類の中で、しかもいい大人たちが何の疑問も持たずに「どローカル」などと書いていると、例によって私は、

ウキィーッ!!!

となってしまうのだ。

それで思わず、会議の席で

「これは品のない言葉ですね」

と言ってしまった。それから、私の具合が悪くなった。

たぶん誰にも理解されないと思うが、そこが私のキレるポイントなのだから、仕方がない。

私のキレるポイントがヘンなのか?

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反省

このところ、雪が大変だ大変だと騒いでいる。

東京にいる妻に何日かぶりに電話したところ、

「まあ、全然心配なさらないのね」

という。聞いてみたら、先週末から今まで、かなり大変なことになっていたらしい。

すっかりこっちの方が大変だと思い込んでいたが、東京は東京で大変なことになっていたのだ。

「自分のことしか考えない。『俺が俺が』の世界だね」

言われてハタと気づいた。

というか、毎度同じことを言われるたびに、同じことに気づくのだが。

私は結局のところ、自分の都合を優先することしか考えない人間なのだ!

私のふだんの行動は、すべてそれで説明がつく。

人のためによかれと思ってやっている、と自分が思い込んでいる行為や、善意に思って他人とかかわっている、と自分が思い込んでいる行動も、すべては、自分の都合だけを考えて行っているにすぎないのである。

ときおり、家族や親しい友人が私に対してイラッと来ているのではないか、と感じることがあるが、それもこれも、「自分の都合しか考えていない」私に原因があるのだ。

深く反省した。

治るかどうかはわからないが、そのことだけは常に意識して、周りをイラッとさせないように気をつけよう。

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まるっと

先週末のボランティア作業の打ち合わせでの、作業仲間たちの会話。

「あと、どのくらい残ってます?」

「ひと箱、まるっと残ってます」

「じゃあこちらの方は?}

「ええ、こちらの方も、まるっと残ってます」

まるっと???

そういえば以前、同世代の友人からのメールにも、

「まるっと含めて」

という言葉が書いてあって、「まるっとって、何だ?」と、例によって気になって仕方がない。

若者言葉でないことは確実である。なぜなら、使っているのは、いずれも私と同世代の人たちだからだ。

だとしたら、当然私も知っていなきゃいけない言葉なんじゃないか?ますます気になりだした。

作業仲間たちが真剣に議論をしている中、思い切って聞くことにした。

「あのう…」

「何でしょう?」

「先ほどから、『まるっと』『まるっと』とおっしゃってますけども、『まるっと』というのは、どこかの方言か何かですか?」

「はぁ?」議論をしていた3人ともが、怪訝な顔をした。

知っていて当然の言葉ですけども?みたいな反応である。

「方言…ではないと思いますけど。ふつうに使いますし」

「どんな意味なんです?」

私が聞き返すと、3人ともが「お前、そんなこともわからないのか」という顔をした。

「全部とか、まるごととか、そういう意味です」

完全に呆れられてしまった。

「そんなくだらないことはどうでもいいから、時間がないので真面目に話しましょう」

ということで、この話はここで打ち切られて、打ち合わせが再開された。

私は完全に、話の腰を折ったというか、水を差したというか、とにかく打ち合わせの貴重な時間を浪費させたことに、ひどく落ち込んだ。

しかし気になって仕方がない。

インターネットという便利なもので調べてみると、

「『まるっと』とは『まるごと、全部』を意味する方言である。 特に愛知県周辺において使用される。TVドラマ『トリック』において仲間由紀恵が使用していたことにより全国的に広まった」

とある。ほら、やっぱり方言だったのだ!

ただ、仲間由紀恵はたしか愛知県ではなく、沖縄県出身だったはずであるが、「トリック」を監督した堤幸彦氏が、愛知県出身だったことが、ドラマの中で「まるっと」という方言を使用ことと関係しているのだろう。

しかし、この「まるっと」という言葉、どの世代まで広がっているのだろう?少なくとも私は、今の今まで聞いたことがなかったのだ。にもかかわらず、私と同世代の人たちは、ふつうに使っている。

知らないのは、私だけなのか?

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世間は狭いのか広いのか

一昨日のI先生の退職記念祝賀会で、円卓の隣の席に座っていたのが、哲学の若き研究者だった。

初対面だったが、同じ職場の同僚だということもあり、いろいろと話をした。

「僕、こういう祝賀会というのは初めてなんです」とその若き哲学者。ホテルを会場にして100人ほどが円卓に座ってスピーチをしたり食事を楽しんだりする祝賀会は、たとえていえば結婚披露宴のような雰囲気である。私は何度か、こういう形式の会を経験していた。

来賓や参席者からのお祝いのスピーチが続く。私も、直前になってスピーチを頼まれ、壇上でお話しした。

席に戻ると、

「いやあ、すごいですねえ。やっぱり慣れですか?」と、その若き哲学者。彼には、何もかもが新鮮に映るらしい。こうした「儀式」をはじめて見た人にとってみたら、たしかに新鮮に映るのだろう。

それに対して私は、こういう「儀式」の席に、すっかり慣れてしまったようだ。

30代前半とおぼしき若き哲学者は、ほかに知り合いがいなかったこともあり、もっぱら隣にいる私と話をするしかなかった。

「○○さんとは、ドイツ留学中に一緒に遊んだ間柄だったんですけどねえ。まさかその後、こうして同じ職場になるとはねえ」とその若き哲学者。○○さんというのは、私も知っている若き哲学者である。

「そんなことがあったんですか。偶然ですねえ」

そう私が言うと、その若き哲学者は、目を輝かせて言った。

「こういうことって、よくあるでしょう」

「ええ。よく言いますよねえ。『世間は狭い』とかなんとか」私にも思いあたる経験がある。

「これについて、先生の研究分野ではどう考えられていますか?こういう事実は、どうやって説明できるのでしょう?」

「え?」

いきなり哲学的な質問である。私は困った。

「いや、それは、その…。それは、我々は偶然に起こった出来事だけを記憶しているから、『世間は狭い』と感じるのではないでしょうか」私は苦しまぎれに答えた。

「果たしてそうでしょうか」とその若き哲学者。「それは、世の中には偶然に起こることなど少ない、という前提に立ってのお考えですよね」

「ええ、たしかにそうです」

「私はちょっと違うと思うんですよ」と哲学者。「人間なんて、世界のすべてにわたって認識しているわけではないんです。そういうことからすると、実は自分の身のまわりには網の目のような関係性がすでに存在しているのではないかと思うんです」

「はあ」

こっちも酔っ払っていたので、その若き哲学者の話を正確に理解しているのかはわからない。だが、おそらくその哲学者が言いたいことは、「人間の縁というものは、必然的なものだ」ということなのだろう、と、このときたしかに感じたのである。

もう少しこの点について彼の話を聞きたかったのだが、私の席には次から次へと知り合いの人がビールをつぎにやってきて、結局この話はここで終わってしまった。

そうこうしているうちに、祝賀会も終了した。

終わってから、私がいろいろな人に挨拶していると、

「じゃあ僕、これで帰ります。お話できて楽しかったです」

と、彼は私に挨拶して去って行った。

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アルジャーノンに花束を

2月18日(火)

なんか、心がどんよりだなあ。

こういうとき、決まって思い出すのが、ダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』である。

精神遅滞の青年チャーリーは、幼児並みの知能を持ちながらも、周囲に笑顔をふりまき、誰にでも親切であろうとする、おとなしい性格の青年だった。

ある日、彼は大学教授から、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。すでにハツカネズミの「アルジャーノン」は、この手術で驚くべき思考力を発揮していた。今度は人間に対する臨床試験の被験者第1号として、チャーリーが選ばれたのだった。

手術は成功し、チャーリーは高度な知能指数を持つ天才となった。大学で知識を得る喜びも獲得した。だがその一方、人に騙されていた事実を知ったり、自分の過去を知ったりと、知りたくもない事実が自分の前に次々と示される。

天才的な知能の反面、精神が未発達のチャーリーは、そのバランスを欠いたまま、他人を見下したり、正義感を振りかざしたりするようになっていく。周囲の人間は次第に遠ざかり、彼はこれまで経験したことのないような孤独感にさいなまれるのである。

ある日、ハツカネズミのアルジャーノンに異変が起こる。その原因を調査したチャーリーは、手術に大きな欠陥があったことをつきとめる。手術によってピークに達した知能は、やがて失われる性質のものであることが明らかになったのである。そしてチャーリー自身もまた、知能の退行をくい止めることはできず、もとの幼児並の知能を持った知的障害者に戻ってしまう。

同じテイストの映画に「レナードの朝」というのがあって、若い頃、この手の話が、深く心に刻まれたのだった。

最近になって、人間関係というのも、これと似たようなものではないか、と思うようになった。いや、この話は、実は人間関係の本質を暗示した話なのではないか、と。

何かがきっかけで、ある時期から親しくなったり仲のよくなった者同士が、次第にそうではなくなっていったりするというのは、結局、出会った最初のころの距離感に戻った、ということにすぎないのではないだろうか。

それはまるで、「チャーリー」がほんの一時期に体験した「夢のような出来事とその反動」が、次第に薄れていき、もとに戻ってしまうこととも似ているように思えて仕方がないのだ。

人生なんて、そんなものなのだろうか。私はそう信じたくはないのだが。

学生の悩み相談を受けながら、感じたことである。

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一期一会

2月17日(月)

昨日、I先生の定年退職記念祝賀会に参席した折、

「先生」

と声をかけてきた男性がいた。見知らぬ男性である。

「僕、1年生のときに、先生の授業をとっておりました」

I先生の教え子ということは、他部局の学生だった、ということである。1年生のときに、教養課程の私の授業をとってくれていたという。

「あの授業、最高でした」

「そうですか。ありがとうございます」

「僕、F君と同級生なんです」

F君、というのは、5年ほど前に卒業した、私の指導学生である。

「2年生以降になってからも、F君からいつも先生のお話をうかがっていました。先生がF君に勧めた本を、今度はF君が僕に勧めてくれて、それを読んだりしていました」

「そうでしたか」

なんとも嬉しい言葉である。

そして今日。

お昼休み、構内のコンビニで買い物をしていると、

「先生」

と声をかけてきた女子学生がいた。これまた他部局のYさんである。

Yさんもまた、私の教養課程の授業を受講していた。

「先生、いろいろとありがとうございました。いま先生を見かけたので、ご挨拶しておこうと思いまして」

Yさんとも、教養課程のマスプロ授業でしか、つながりがなかったのだ。よく覚えていてくれたものだ。

そういえば、道端で拾った寛永通宝を持ってきたのも、Yさんだった。

「こちらこそ、ありがとう」

大勢の教員うちの一人であるはずの私に、わざわざ挨拶をしてくれたのは、とても嬉しい。

しかも、教養課程の授業を、覚えておいてくれたのだ。

これを教師冥利と言わずして、なんと言おう。

あまりに嬉しかったので、書きとめておく。

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ぜんぶ除雪のせいだ!

2月17日(月)

朝、家の外へ出てみて驚いた。

アパートの前の道に除雪車が通ったらしく、道路に積もった雪が、道路の両側に除けられている。

そしてそれが、私が車を停めている駐車スペースの前に、うずたかく積まれているではないか!

さながら、車の前に立ちはだかる、白い壁である。

こぶぎさんが、「万里の長城」と比喩しているがごとくである

毎年のこととはいえ、この仕打ちには、本当に腹が立つ。

何が腹立つといって、この白い壁が、雪が降ってから数日間にわたって踏み固められた「雪のカタマリ」なので、カッチカチで重いのである。

この白い壁を突き崩さなければ、駐車スペースから車を出すことができない。

つまり除雪車が除雪した雪を、今度は自分たちの手で除雪しなければならないのである。

かねて私は、これを「除雪の2次被害」と呼んでいる。

除雪車は、とにかく道路に降り積もった雪をどかせばいい、とだけ思って、それをところかまわず道の両側に寄せていくが、そこで暮らしている住民たちのことはどうなろうと、一切おかまいなしなのだ。

かくして、「道路栄えて、住民滅ぶ」である!

もはやこれは天災ではない。人災である!

住民たちは、その人災の後始末を、自分たちでしなければならない。

天災となれば仕方のないところもあるが、天災にともなう「人災」となれば、腹も立とうというものである。

いつも、人災の後始末に悩まされるのは、そこに住んでいる人たちである!

これは、世の常なのか???

これを解決する方法はないのか?

1つだけ方法がある。

「パンがなければ、ケーキを食べればいいのに」式に言えば、

「雪かきがイヤなら、ブルに乗ればいいのに」

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ぜんぶ雪のせいだ!2日目

2月16日(日)

結論から言うと、今日もタイヘンな1日だった。

今日も朝9時から、市の中心部にある「第一小学校に隣接した公共施設」で、ボランティア作業である。

朝8時。車が使えないので、自宅から歩くことにした。昨日から降り続いた雪はやんだのだが、問題は道路である。

雪が降り積もったためにガタガタの悪路になってしまった道を、転ばないように歩く。

1時間ほどかかって、ようやく「第一小学校に隣接した公共施設」に到着した。外は寒いのに、なぜか汗だくである。

県外から来る予定だった人びとは、たどり着く手段がなく、欠席だったが、それでも20名ほどの人が集まってくれた。

昨日に引き続き、私は別室にてパソコン入力作業の差配である。だが今日は、知り合いの先生の定年退職記念祝賀会に出ることになっていたので、作業の段取りだけ整えることにして、午前10時半に中座した。

祝賀会が終わった夕方、ふたたびこの「第一小学校に隣接した公共施設」にもどると、今日の作業はすでに終わっており、作業のあとかたづけを手伝った。

2日間にわたるボランティア作業は、なんとか無事に終わった。

この2日間、「同い年の盟友」Uさんをはじめとして、この作業の段取りを組んだ仲間たちは、本当によく頑張った。

これが同世代の俺たちの「生きざま」だと、少しは胸を張ってもいいよな、Uさん。

2日間、作業のための資材を運んだり、朝から夕方まで多くの人たちを束ねて作業したりするだけでも大変なのに、その上、この雪が、さらに私たちの体力を消耗させた。

あの大雪で、よくここまでできたものだ、と思う。

「デルス・ウザーラ」を撮影した黒澤明の心境である!

…といっても、わかりにくいか。

でも、やっぱり雪のバカヤロー!

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ぜんぶ雪のせいだ!

2月15日(土)

結論から言うと、今日はタイヘンな1日だった!

今日の予定は次の通りである。

朝9時から夕方5時まで、市内の中心部にある「第一小学校に隣接する公共施設」で、ボランティア作業である。

このボランティア作業は、今日と明日の2日間行われるが、「同い年の盟友」Uさんが企画して段取りを組んだもので、Uさんの熱意に応えるためにも、ぜひとも参加しなければならない。

それが終わると今度は、昨年3月に卒業したCさんと食事会の予定である。

昨年3月に卒業したCさんは、例の「詰めがあまい学年」の一人である。いまは隣県の職場に勤めている。

卒業してから何度か、こちらに遊びに来るついでに私のところにおしゃべりをしに来たい、とメールをもらっていたのだが、そのたびに私は、出張などで、職場を不在にしていた。

そんなすれ違いが、これまで3回ほど続いていたのだ。タイミングが合わないこと甚だしい。

そこで、満を持して今日は夕方に食事会をしようということになったのである。

さて、朝起きると、外は大雪である。

天気予報を見てわかってはいたが、それにしても朝からかなり降っているではないか。

車に降り積もった雪を払い落として自宅を出発し、午前8時45分、やっとの思いで、ボランティア作業場の「第一小学校に隣接する公共施設」に到着した。

すでにUさんは到着している。

Uさんばかりではない。Uさんの奥さんも来ていた。

今回のボランティア作業は、Uさんが人集めから場所の確保、作業の分担や弁当の手配まで、ほとんど一人で獅子奮迅の活躍をしていた。さすがに一人では手が足りなかったので、奥さんにも登場願ったらしい。

「こんな雪で、人、集まるでしょうかねえ」

心配をよそに、次々と人が集まってきた。最終的には20人以上にもおよんだ。私にとっては、初めてお会いする人ばかりである。

午前9時、作業開始時刻である。人が集まったところで、今回の企画者のUさんが、みんなの前で、今日の段取りを説明する。

「オレの生きざま、よく見ておけよ」

Uさんは奥さんにそう言うと、集まった人たちの前で、今日の段取りの説明をはじめた。

20人もの人たち、それも、お互いが初めて会うような人たちをまとめていくことは、容易なことではない。

「オレの生きざま、よく見ておけよ」

とは、そうした人たちを束ねようと努力しているオレの姿を見てほしい、ということなのだろう。

私はその言葉に、奥さんへの愛情を感じ、感動を覚えたのであった。

段取りの説明が終わり、各自がそれぞれの作業を始める。

やや落ち着いたころ、Uさんに

「生きざま、奥さんに見せることができましたね」

と言うと、Uさんは、

「オレ、どうだった?って聞いたら、『あんた、段取り悪すぎ!』と言われました」

Uさんは奥さんに言われた言葉に、かなり凹んだ様子だった。

それはさておき。

私の役目は、パソコンでデータ入力をする仕事を、束ねることである。

大人から高校生まで、10名ほどが、別室にならべられたノートパソコンの前に座り、入力作業を行う。

その作業の差配を行うのである。

私自身が慣れていないこともあり、いろいろなところに気を配らなければならず、かなり神経を使う。

それでも、順調に作業は進み出した。

だが、外は相変わらずの大雪である。

お昼頃だったか、鉄道が全面運休し、県外とを結ぶ幹線道路がすべて通行止めになった、というニュースが入ってきて、

(とうとう、ここも陸の孤島になってしまったか…)

と、窓の外で降りしきる雪を見ながら、ため息をついた。

「こりゃあ、帰れませんね」

隣県に住む作業仲間のSさんは、今日はこの近くのホテルに泊まることを決めたという。

携帯にメールが来た。卒業生のCさんからである。

「今日お会いする予定だったのですが、雪で高速バス、電車ともに運休となってしまいました。なんでこの日に限ってこんな悪天候なんでしょう!今回はぜんぶ雪のせいだということで、いずれまたお会いする機会を設けたいと思いますので、そのときはよろしくお願いします」

なんと、これで4度目の「すれ違い」である!

こうなるともう、一生会える気がしないな。神様がわざと会わせないようにしているとしか思えない。

夕方4時過ぎ、1日目の作業は終了した。

慣れないこともあり、むちゃくちゃ疲れたが、志を同じくする仲間たちとの作業は、やはり充実感がある。

夕方、車で家に帰ることにするが、降った雪の上にできた轍が凍り、大変な悪路である。

やっとの思いで家に戻ると、駐車スペースに、これまでみたこともないくらい、雪が積もっていた。

(仕方ないな。やるか…)

雪かきをしなければ、生きていけない土地なのである。

雪のバカヤロー!

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本当の人間の生活

スポーツ観戦で家族団らん、と書いて思いだした。

毎度毎度恐縮だが、映画「男はつらいよ 寅次郎恋歌」での一場面。

寅次郎の義弟(つまりさくらの夫)である博の母が亡くなり、岡山の実家で葬式が営まれる。

寅次郎は、1人残された博の父・瓢一郎(志村喬)を慰めようと、葬式のあと、その家にしばらく滞在することにした。

瓢一郎は、定年まで大学教授をつとめ、学問一筋でほかを顧みない人だったようである。

ある夜、その瓢一郎が、風来坊の寅次郎に、寅次郎を戒める意味で、ぽつりぽつりと、話しかける。

それは同時に、学問のために多くのものを犠牲にしてきた瓢一郎の、深い反省の言葉のようにも聞こえる。

印象的なセリフなので、書きとめておいた。本来は、志村喬の語りで聞くべきせりふである。

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「そう、あれはもう、昔のことだがね。

私は信州の安曇野(あずみの)というところに旅をしたんだ。

バスに乗り遅れて、田舎道をひとりで歩いているうちに、日が暮れちまってね。

暗い夜道を心細く歩いていると、ぽつんと、一軒家の農家が建っているんだ。

りんどうの花が、庭いっぱいに咲いていてね。

開けっ放した縁側から、明かりのついた茶の間で家族が食事をしているのが見える。

まだ食事に来ない子供がいるんだろう。母親が大きな声でその子供の名前を呼ぶのが聞こえる。

…私はね、今でもその情景を、ありありと思い出すことができる。

庭一面に咲いたりんどうの花。

明々と明かりのついた茶の間。

にぎやかに食事をする家族たち。

….私はそのとき、それが、それが本当の人間の生活ってもんじゃないかと、

ふっとそう思ったら、急に涙が出てきちゃってね。

…人間は絶対にひとりじゃ生きていけない。

逆らっちゃいかん。

人間は人間の運命に逆らっちゃいかん。

そこに早く気がつかないと、不幸な一生を送ることになる。

わかるね、寅次郎君。わかるね」

「へえ、わかります。よくわかります」

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オリンピックは鎹(かすがい)

役立たずの自分に、落ち込む毎日である。 

2月14日(金)

いま、冬季オリンピックというのが開催されているらしい。

私の家にはテレビがないので、何がどうなっているのか、全くわからない。

今ごろはどこの家庭も、家族団らんで、オリンピック中継を見ながら盛り上がっているんだろうなあ。スポーツ一家ならなおのことだろう。

「○○、がんばれ~!」なんつってね。

そもそも私には、スポーツ観戦という習慣がないのだ。

子どもの頃は、野球を見たりプロレスを見たりするのが好きだったのだが、大人になってから、スポーツの観戦の仕方が、まったくわからなくなってしまった。

理由を考えてみるに、応援の仕方がわからなくなったからだろうと思う。

いったい誰に肩入れをしていいのかが、わからない。なぜなら、スポーツ選手は、みな自分にとって縁もゆかりもない人だからである。

これがもし、スポーツ選手の中に私にとっての命の恩人がいたとしたら、私は全力でその人を応援するだろう。

近い身内にスポーツ選手がいたら、さすがの私だって応援するに決まっている。

しかし今のところ、そんな人はいないのだ。

また、ずば抜けた身体能力を持っている人がいたら、すげえなあ、と尊敬の念をいだくが、だからといって、その人が誰かと競って勝ったら嬉しいかというと、そんなことはない。

…つまり私には、スポーツ観戦をする能力がないのだ。

こうしてみると私は、世間的には実につまらない人間といえる。

まったく、融通のきかない、話題のない人間である。

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雪の晴れ間の村に行く

2月13日(木)

同世代の友人からメールが来た。昨日の記事の感想である。印象的だったので無断で紹介、御免。

「詰めがあまい話、久しぶりに笑った。こういうの大好き。こういう毎日だったらいいのにな。だめか」

「こういう毎日」、か。毎日いろいろなことに出くわすが、考えてみたら、私は案外幸福に暮らしているのかも知れない。自分ではまったく自覚していないのだが。

3週間くらい前、仕事部屋に電話が来た。隣県のある村の、見知らぬ職員さんから、仕事の依頼である。

「ぜひいちど、うちの村に来てください」という。

電話口の、人のよさそうな声に惹かれたのと、何より、私を信頼して電話をしてくれたことに感謝して、村にうかがうことを約束した。

そして今日。

車で2時間半ほどかけて、その村に向かった。途中、大きな峠を越えなければならないが、幸い、天気は晴れていて、雪に困らされることもなかった。

人口3000人ほどのその村は、幹線道路からはずれたところにあり、ひっそりとしている。国道には村に入る標識もなく、あやうく通り過ぎるところだった。

学生時代、いちどこの村にあるお寺に訪れたことがあったのだが、20年以上も前のことで、記憶にない。それからいままで、車で何度か、この村を通り過ぎることはあった。

迷いながらも目的地の公民館に着くと、二人の職員さんが出迎えてくれた。

「お待ちしておりました」

「遅くなってすみません。途中、道に迷ってしまいまして」

「どうぞ靴を脱いでお上がりください」

靴を脱ぐと、

「すみません。このまま2階に上がっていただきます」

靴下のまま、ヒタヒタヒタ、と、階段を上がった。

どういうわけか、この建物にはスリッパがないようで、職員さんもみな、床の上をスリッパを履かずに、靴下のまま歩いている。

万が一、石田純一みたいに素足に靴を履いてきた人だったらどうするのだろう、やはりその時も、裸足でヒタヒタヒタ、と歩くのだろうか、と、よけいなことを考えた。

「不便ですみません。いま、私どもの部局は、ここの2階に間借りしているもので」

会議室のようなスペースのひと部屋を、作業部屋として使っているようだった。

この部屋で、初対面の職員さん二人と数時間、話をしながら仕事をすることになったのだが、二人ともいい方で、来てよかったと思った。

いつも思うのだが、異業種の人と仕事をするのなら、肩書きどうしではなく、人間どうしで仕事がしたい、と。

「その肩書き」だから一緒に仕事をするのではなく、「その人」だから、一緒に仕事がしたい、と。

仕事の大きさには関係なく、である。

そういう仕事に出会えたときは、とても心地よい。今日も、そんな仕事だった。

では目に見える成果が上がったのか?と言われると、返答に窮するが、目に見える成果だけが、尊いわけではない。

「肩書き」どうしをつき合わせて、目に見える成果だけを追い求める仕事には、できるだけかかわらないようにしよう。

いい人たちと、仕事をしよう。

残りの人生で、どこまでそれが貫けるか。

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いまさら壇蜜

いまさらヨン様

いまさらレディ・ガガ

でおなじみの、「いまさら」シリーズ。

テレビを持っていないので、全然見ていないのだが、壇蜜という人が売れているらしい。

もちろん、全然知らないわけではない。たまにテレビを見る機会があったりすると、壇蜜という人が出ていたりするのを見て、その受け答えに、なんとなく頭の良さを感じさせる。

…こんなことを思った時点で、たぶん壇蜜の思う壺なんだと思うが。

たまたまインターネットのニュースで、壇蜜のインタビュー記事を読んだのだが、これがなかなか面白い。

「芸能界から退くことを常に意識している。次は立体駐車場を経営したい。なぜなら、立体駐車場は儲かるから」

立体駐車場、という言葉のチョイスがいい。

こんなことも言っている。

「以前、ミッツ・マングローブさんとお話ししたときに、人の情は4年で枯渇するってのを聞いて、すごく共感したんです。そこで意地張って頑張る人もいますが、私は毎日終わることを考えてます」

所詮、人の情なんて4年で枯れてしまうのだから、いつまでもしがみつこうとせず、退くことを考えよう、という趣旨のようである。

こうした「諦観」を感じさせるところに、壇蜜の頭の良さがあるのだろうな。

インターネットのニュースなので、どこまで本人が言った言葉なのかはわからないのだが、「人の情は4年で枯渇する」という表現が、妙にリアルである。

自分の置き換えて考えてみると、4年という歳月は、私が韓国から帰国してから今に至る時間である。

人の情などというものは、4年くらいで枯渇してしまうものなのかなあ。そう考えると、少し寂しい。

あんまりこっちが思うほど、「人の情」というものに期待してはいけないのかもしれない。

…こんなことを考える時点で、やはり壇蜜の思う壺なのか。

いや、ミッツ・マングローブか?

どっちでもいいや。

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詰めがあまい学年

2月12日(水)

午前中、身体が鉛のごとく動かなくなり、午後は仕事部屋に来る学生の対応に追われる。

この稼業を続けていると、それぞれの学年ごとに特徴がある、ということに気づく。

これは本人たちにも直接言っていることなのだが、昨年3月に卒業した学年は、「詰めがあまい学年」である。「詰めがあまい」学生が揃っていた。

誤解のないように言っておくが、この「詰めがあまい学年」とは、決して非難しているのではなく、私なりの愛情表現である。

先日、東京に就職したN君が私に会いに来た、という話は、ここに書いた

そのとき、私にお土産を持ってきてくれたらしい。

しかし、お土産を私に渡すのをすっかり忘れてしまって、それに気がついたのが、帰りの最終の新幹線に乗る直前だったという。

この時点で、すでに詰めがあまい。

たまたま在学中のFさんが、N君と一緒に駅に向かっていたので、N君は帰り際、Fさんに「これを先生に渡しておいて」と、お土産をFさんに託した。

数日後、Fさんが「卒論発表会」のレジュメの添削の件で、私のところに来たとき、

「あ!」と叫んだ。

「どうしたの?」と聞くと、

「先日N君がこちらに来たときに、N君が先生にお土産を渡すのを忘れたといって帰りがけに私に預けていったんですが、そのお土産を、今日持ってくるのを忘れました」という。

これもまた、詰めがあまい。まさに「詰めのあまさ」の連係プレーである。

この3月に卒業予定のFさんは、すでにこちらのアパートを引き払い、隣県にある実家に戻ってしまったので、大学にはめったに来ないのだ。

「今度でいいよ」

というと、

「いつになるかわかりません」

という。果たして私は、N君からのお土産を、受け取れるのだろうか。一生受け取ることができないような気がする。

もうひとり、在学中のOさん。

卒論発表会のレジュメ提出の締切が今日である。

私は念のため、事前に添削した上で、提出してもらうことにしているのだが、Oさんはギリギリになって持ってきた。

それはよくあることなので、別にかまわない。

卒論発表会のレジュメは、B4サイズの縦書き1枚にまとめて、担当の先生の研究室に提出しなければならない。

B4サイズ1枚にまとめる、とはどういうことかというと…。

まず、ワープロソフトで、A4サイズ縦書きに設定して、原稿を2頁分作成する。

これを、プリントアウトする。すると、A4サイズ2枚分の原稿がプリントアウトされる。

…ここまではわかりますか?

これをB4サイズ1枚の原稿にまとめるにはどうしたらよいか、わかりますか?

コンビニのコピー機などの上に、A4サイズ2枚の原稿をを並べて、A3サイズにする。

コピー機の紙のサイズをB4に設定する。

倍率を、「A3→B4」になるように、「86%」に設定する(「86%」のボタンを選択する)。

コピーのボタンを押す。

…これで、B4サイズ1枚のレジュメが完成しますね。

これを、担当の先生のところに提出するわけです。

ところがOさんは、この作業が、まったく理解できない、という。

「どうやっていいのか、全くわかりません」

「わからないの?」

「ええ」

「じゃあ、コピー機というのは、知ってるよね」

「知ってますよ!」

「使ったことある?」

「使ったことありますよ!だけど、倍率のことはわかりません。そもそも、A4とかB4とか、紙のサイズのことがよくわかりません」

ええええぇぇぇぇぇ!

私は驚いた。

仕方がないので、コンビニまでついて行くことにした。

「教えたとおりにやってみなさい」と私。あらかじめ段取りを教えておいた。

私が横で、わざと黙って見ていると、Oさんは、コピー機の画面とにらめっこしながら、倍率「141%」のところを選択しようとしている。

「ちょっ!おいおいおい!違うよ!それじゃあ拡大されちゃうよ」

「あ、そうですか…もう、どうしていいかわかりません」

そういいながらも、最終的に、なんとかB4サイズ1枚のレジュメが完成した。

「私ひとりだったら、絶対にできませんでした」とOさん。

まるで「はじめてのおつかい・コピー機編」である。

だんだんわからなくなってきた。

A4の原稿2枚を並べてA3サイズにしたものを、縮小コピーをかけて、B4サイズ1枚のレジュメにする、という作業は、ふつうの人にとっては難しい作業なのだろうか。

単に私が、やたらとコピーとか印刷にこだわっている人間だから、他の人も当然できると思っているにすぎないのだろうか。

自分がわからなくなってきた。

だが間違いなく言えることは、彼らを「詰めがあまい学年」として生涯忘れることがないだろう、ということである。

「ご隠居」が「八っつぁん」に、「しょうがないねえ」と、つい言ってしまうような、そんな学年として、である。

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落語の教科書

どうも落語の話が好評なようで。

幼い頃、ラジオから流れてきた立川談志の「雑俳」を聞いて、腹を抱えて笑った。「雑俳」じたいは、言葉遊びのような噺なのだが、若い頃の談志は勢いがあり、横丁のご隠居と八っつぁんのやりとりが、丁々発止といった感じで、とても面白かったのである。

そのときのラジオで聴いたものとは異なるが、後になって、談志の若い頃の「雑俳」の音源を手に入れ、聴いてみた。

本題に入る前のご隠居と八っつぁんの会話が、まるで「落語の教科書」のようなやりとりである。

このやりとりが自然にできることが、落語の基本なのではないか、と思う。

ということで、文字に起こしてみた。

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八っつぁんに熊さんに横丁の隠居さんという、こういうのは落語の方の大立て者で、ただ八っつぁん熊さんではお差し障りがあるといけないというので、ノーテン熊にがらっ八といういかめしい肩書きを持ってまして。

相手取るのが横丁の隠居さんてえんで、…どういうわけだか隠居さんてのはみんな横丁へ住んでまして、あんまり丸の内のご隠居なんてのはないようでしてな。隠居はじゃまだからというので、みんなこの隠居は、奥の方へ引っ込むことになります。

そこへ八っつぁんとか熊さんなどいう輩が訪れると、落語の方の幕開きになりまして…。

どうも、こんちは。

おや、だれかと思ったら八はっつぁんじゃないかい。まあまあこっちへお上がりよ。

どうもすいませんです、ごちそうになりましてね。

なんだい、その「ごちそうになりまして」てえのは。

「まんまおあがり」といいますから、御膳をご馳走になるんでがしょ?

いや、おまんまじゃないよ。まあまあこっちにお上がり、と言ったんだ。

あー、そうですか。「まあまあおあがり」か。なんだ、メシじゃねえのか。なんだがっかりさせやがって。

なんだよ。飯を食うつもりで来てんのかい?ヘンなやつだな。お上がり。

へい、どうも。えー、ご無沙汰をしまして。

無沙汰は互いだ。お互いに忙しいのはけっこうだよ。どうしたい?仕事が休みかい?

いえ、ハンチクになりましてね。うちでブラブラしてんのもつまらねえから横丁の凸凹(でこぼこ)んとこ行って茶でも飲みながら世間話でもしたら面白いだろうと思ってやってきましたがね。

ほー、ご挨拶だなお前さんは。何だ!

何です?

横丁の何だい。

ですから横丁の何ですよ。

いま言ったことをお前さん、もいっぺん、そう言ってごらん。

仕事がハンチクになったんだ。うちでブラブラしてんのもつまらねえから横丁の凸凹んとこ…、横丁の凸…凸凹ってんですがな。…そこにいたね。

誰と話をしてんだ!

うーん、そうなんだよ。しまったと思ったんだけどね。別に悪気があって言ってるんじゃねえんだ、あっしは。日ごろ言ってるから口癖になってるんだ。

どうも悪いやお前は。どうもしょうがないねえ。まあいいや。気が合う、てえのか、合縁奇縁てえかねえ、お前さんとなんとなく日に一度会わないと、どうも御膳が旨くないような心持ちよ。

そうでしょ。あっしもそうなんだ。隠居さんと気が合う、てえのかねえ。日に一度顔を見ないというと、その日なんとなく「通じ」がなくてしょうがなくってね。

人の顔で「通じ」をつけやがる。どうもあきれたねえ。まあいいや。ゆっくりしてきな。お茶でも入れよう。えー、お茶が入ったよ。さあさ、粗茶だがおあがり。

あーどうもすいません。お宅へ来るといつもこうやって粗茶をご馳走になるんだが、おたくの粗茶ってのはなかなかうめえと思ってねえ。この粗茶は一斤どのくらいの粗茶ですかね。

なんだい、粗茶粗茶てえのは。粗末なお茶だから粗茶てんだぞ。

あーそうか。安いもの出したんだな、あっしが来たんで。

まだあんなこと言ってらあ。卑下して言ったんだよ。けっこうなもんだがそう言いにくいじゃあないか。

はーんなるほど。粗末なお茶が粗茶か。縮めたわけだね。じゃあひいてるこんなのは粗ざぶとんだな。ご隠居さんなんか粗禿頭だ。

なんだい、粗禿頭って。

粗茶菓子はまだ出ませんかね。

こら驚いた。お茶菓子の催促だ。何がいい?

何がいいなんて聞かれると弱っちゃってね。

弱るこたあないや、何でも好きなのをそう言うといい。

あ、そうっすか。じゃあそう言おうかな。腹減ってますから鰻丼にしてくれませんかね。

お茶菓子に鰻丼を食う奴があるか!まったく。どうも図々しいな。羊羹でも切るかな。

ええ羊羹けっこう!

そうかい?何でもいくんだな。到来物の羊羹だがね。

弔いもんですか?

「弔いもん」じゃねえ、「到来物」だよ。よそから頂いた…。

そうだろうねえ。買うわきゃねえからね。

口が悪いねどうも。…えー、羊羹を切っておくれ、ばあさんや。薄く切るとまたぐずぐず言うからな。了見なんぞ見られるといけないから厚く切った方がいいよ。お茶入れかえておくれ、ばあさん。

おう!ばあさん、そうだよ。薄く切っちゃいけねえよ。羊羹の薄いのは痛々しいからな、ばあさん。厚く切った方がいいよ、ばあさん。お茶入れかえてね、ばあさん。ね、ばあさん。

この野郎、ばあさんばあさん言いやがって。てめえがばあさんばあさんということがあるか!

妬くな。

妬いてやしねえよ、まったく。どうもしょうがねえなあ、おめえは。…羊羹でも食べなよ。どうだ?近頃変わった話でもあるかな?

いえいえ、変わった話なんてのはねえけどね。この間も大勢集まって一杯やりながら隠居さんの噂が出て持ちきりだよ。

ほーら始まりやがった。また悪口だろ。陰へまわってまたどーのこーのと…。

いえ、そんなことはねえよ。横丁の隠居さんてえのは不思議だ不思議だなんて言ってましてね。

ほう、「不思議だ」…またヘンなことを言われるもんだな。どう不思議なんだ?

いえいえ、どう不思議もなにもさ、毎日美味いもんばかり食っておつななりしてね、柔らけえもの着てるだろ?で、ブラブラブラブラして働いてる様子もねえからねえ。ちょくちょくモノがなくなるが、ことによるとあの人じゃねえか、なんてね。

何だそりゃ!

いえ、ですから気にしない方がいいんだ、そういうことってのは。人が言ってるだけだから。気にしない方がいいよ。

気になるじゃないかお前。火のない所に煙は立たぬと言ってな。噂とは文字で書くと口で尊ぶ、よそ様というのは尊ばないもんだ。悪いとこがありゃ直すのが人の道だ。教えとくれ。

そうですか?それじゃ教えるけどさ。腹立っちゃ困るよ。そう言ってるだけなんだから。隠居さんは泥棒じゃねえかなんて言ってるだけなんだから。

いつアタシが泥棒って…!

だからさ。泥棒「じゃあねえか」てんだから。決めたわけじゃねえんだからさ。

何を言ってやんだまったく。お前だってそこにいたんだろ。ひと言言ってくれなきゃアタシの立場がなくなるってもんだ。

そうなんだ。よっぽどあっしはストーンと言おうかと思ったんだがね。男ってのは言おうと思ってもぐっと腹ん中へしまっておくのがいいって言うからね。あっしはこらえちゃった。

つまらねえものこらえたもんだな。こらえずに言わなきゃいけねえ。

だからひと言、ストーンと向こうの急所を突いたからねえ。

それでいいんだ。

そうでしょう?「隠居は泥棒だなんて、誰だこの野郎!あの人はとっくに辞めちゃった」とあっしはそう言ってやった。

どうにもバカバカしくてモノが言えねえ。それじゃあ、前にやってたようじゃねえか!

あれ?前やってたようじゃねえかって、隠居さん、ずっと前から泥棒じゃねえの?

じゃあアタシを泥棒だと思ってたのかい?

思ってたって言うとアレですが…少しはやってんじゃないかと思ってましたけどねえ。…そりゃ悪かった。

あたりめえだ、大変悪いじゃねえか。

知らなかったねえ。

何を言ってんだ。驚いたねえ。アタシはお前さん方とは違う。言いたかないがね、若い時分からブラブラブラブラ遊んでやしないんだぞ。お前たちとそこが違う。それこそ真っ黒んなって働いたんだ。

あそうか…。知らなかった。隠居さんやっぱり炭屋の小僧だったんですか?

炭屋ばかりが黒くなって働くわけじゃねえや。財産ができた、それを倅に譲って、自分は楽隠居という身の上だ。

なるほど、それで隠居さんと、こういうわけだねえ。へえ、いいもんだねえ、隠居さんて商売は。

商売じゃないよ。「隠れ居る」と書いて隠居だ。

なるほど、隠れ居るんだね。隠れてるんだね、やっぱり。そうするとミミズやなんかも隠居かね。

ミミズと一緒にするやつがあるかい。

いい商売だねえ。

いや、商売じゃあないよ、アタシのは。月々倅のところから分米が来るんだ。それで安楽に暮らしてるんだよ。

ほう、なるほど。ぶんまわしが来るんですか?

ぶんまわしじゃない、「分米」。「分ける米」と書いて分米。

なるほど。じゃあ「分けない米」と書いて「やるまい」とかね。あっしも明日から隠居になっちゃおうかな。楽でいいもの。

おかしいじゃねえか。

ですからさ。隠居さんのところと一緒にやってくんないかね。半分こっちへ回してもらうようにしてさ。あっしも隠居になっちゃうから。

バカ野郎。一緒にされてたまるもんか。あきれけってモノが言えねえや。

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まるでエンドレスのように、「ご隠居」と「八っつぁん」の会話が続く。

談志が、反抗し続けた師匠・小さんの影響を受けていることがよくわかる噺だと思う。

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バイトといえばおそば屋さん

2月10日(月)

先週、今週と、連日のように学生がアポを取ってやってきて、話を聞いたり相談に乗ったりしている。

1年生から4年生、それに社会人聴講生など。

1日平均3人、ひとり30分としても、1時間半である。それぞれの話に、真剣に対応しなければならないから、けっこうヘトヘトになる。これで、あっという間に1日が終わってしまう。

しかし、決して苦になるわけではない。

夕方、1年生のMさんがはじめて相談に来た。授業で似顔絵を描いてくれた学生である。

「似顔絵をありがとう」というと、

「先生たしか、おっしゃってましたよね。授業が終わりに近づくにつれて、似顔絵というのは似てくるものだ、と。それを思い出して、最後の授業のときに似顔絵を描いてみたんです」

全然覚えていなかったが、やはり私は授業中にそんなことを言ったんだな。

「でも、最初に描いた似顔絵は、決して悪意があったわけではありませんから」

そうか、それもたぶん授業中に言ったんだな。

天真爛漫、というか、話していて、とても気持ちがよい。

聞いてみると、おそば屋さんでアルバイトしているという。

「私の指導学生にも、おそば屋さんでアルバイトしている学生がいるけど、おそば屋さんのアルバイトって、楽しいらしいね」

「めっちゃ楽しいです!」Mさんは目を輝かせた。

そういえば3年生のHさんも、アルバイト先のおそば屋さんの話になると、目を輝かせている。Hさんからは何度も、おそば屋さんのアルバイトが楽しいという話を聞いていた。

私はある仮説に行き着いた。

「おそば屋さんで働くのが楽しいのは、たぶん、おそば屋さんのご主人やおかみさんが、いい人だからでしょう?」

「そうです。その通りです!」

やはりそうだった。Hさんからも、そんなことを聞いたことがある。ご主人やおかみさんがいい人だと、たぶん、とても居心地がいいのだろう。

長続きしているおそば屋さんというのは、きっとご主人とおかみさんの人柄がいいお店なのだろう。

人柄だけではない。職人としての自負もあるのだ。

人柄がいいから、アルバイトの学生も、気持ちよく仕事ができる。

アルバイトの学生も、それにつられて人柄がよくなっていく。

するとますます、感じがいいということで、お客の入りがよくなる。お店の雰囲気もよくなるのだ。

そうか、これは寅さん映画でいうところの、葛飾柴又のだんご屋さんと同じではないか!

もし学生に、「どんなところでアルバイトしたらいいですか?」と相談されたら、こう答えよう。

「老舗のおそば屋さんがいい」と。

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笠碁

私にとって、金原亭馬生といえば、「笠碁」である。

むかし、テレビで馬生の「笠碁」を見て、感動してしまった。もちろん、リアルタイムの映像ではなく、ずっと前の映像である。

かけがえのない友人どうしが、片方の家で囲碁の勝負をする。

「待ったなし」というルールを決めるが、このルールを決めたことにより、囲碁の勝負で2人は大げんかをする。

「おまえなんかと二度と会うもんか!」と、2人は絶交する。

しかし2人は、お互いのことが気になって仕方がない。

何かをきっかけに、2人は仲直りしたいと思っている。

唯一の頼みの綱は、1人が、もう1人の家に忘れていった「タバコ入れ」である。

タバコ入れを忘れてきた方は、それを取りに行く、という名目で、その友人の家に行くことを思い立つ。

もう一方は、「きっとこのタバコ入れを取りにあいつは来るだろう」と、家の軒先に碁盤を置いて、今か今かと彼が来るのを待っている。

雨の降る日。例によってタバコ入れを忘れた友人を待ち焦がれるあまり、外を眺めていると、古笠をかぶった友人がやってくる。

「やっぱり来た!」

しかし、古笠をかぶった男は、照れくさくて、家の前を行ったり来たりして、なかなか家に入ろうとしない。

「なんだあいつ!うちに入ってこないのか!オレは二度とあいつとはつきあわねえ!」

自分の気持ちを翻弄する友人に対して、自分勝手にいらだつのである。

しかし、思い切って声をかけると、そこで堰を切ったように仲直りをする。

「囲碁の勝負をしよう。今度は、待ったなしなんてくだらないことはやめよう。あれ、碁盤のところにだけ雨が漏ってるなあ。雨漏りか?…いや、お前さん、笠被ったまんまだ」

これがサゲ。

地味だが、これほど、友情の機微を鮮やかに描いている噺はない。馬生はこれを、見事に演じている。

私は馬生の「笠碁」が、大好きである。

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はさまっていたメモ用紙

2月9日(日)

大雪の中の踏査と自宅の雪かきですっかり疲れ切った。

高橋和巳の小説『悲の器』が、つい最近、河出文庫から復刊されているのを知り、驚いた。

今の時代、高橋和巳の小説が受け入れられるのか?ということに、である。

『悲の器』がまぎれもない傑作であることは間違いないが、もともと中国文学者である高橋和巳の文体は重厚で格調高く、とても今の人に受け入れられるとは思えない。

私はこの小説を、高校時代、むさぼるように読んだ。高橋和巳の重厚で格調高い文体に魅せられたのである。

刑法学者で、ある大学の法学部長をつとめる正木典膳は、家政婦から婚約不履行により告訴される。法学界の権威によるスキャンダルは、周囲からの孤立を招き、次第に追い詰められていく。戦後知識人の苦悩と葛藤がじつにスリリングに描かれ、その心理描写がじつに丹念に描かれる。

正木典膳のモデルとなったのが実在の法学者であることも、よく知られている。

これほど、法学界や大学における「知識人(インテリ)」「学問的権威」の悲哀や苦悩を描いた小説はないだろう。おそらく私と同世代か、それより上の世代の法学徒たちは、こぞって読んでいたはずである。

数年前、久しぶりに読みたいと思い、大型古書店で新潮文庫版の『悲の器』を買い求めた。

その本には、小さくて謹厳な文字が書かれたメモ用紙が何枚か挟まっていた。おそらく、「元の持ち主」のはさんだメモが、そのまま残っていたのだろう。

表紙をめくったすぐのところには、「私的タイトル」と題されたメモ用紙が挟まっていた。

『悲の器』は全部で32章からなるが、もとの小説には、章のタイトルは存在しない。そこに、「元の持ち主」はタイトルをつけているのである。心覚えのために書き出しておく。

「第1章 醜聞(スキャンダル)」「第2章 弁明」「第3章 「国家」の頃」「第4章 前兆」「第5章 名誉毀損」「第6章 転向」「第7章 妻の死」「第8章 通夜」「第9章 訴状」「第10章 ボイコット」「第11章 昔日の棘」「第12章 父と娘」「第13章 断崖」「第14章 肉欲の幻影」「第15章 技術者」「第16章 堕落の埠頭」「第17章 倫理と論理」「第18章 調停(1)」「第19章 調停(2)」「第20章 失墜への道」「第21章 敗北の譜」「第22章 遺稿二つ」「第23章 謹慎」「第24章 父と息子」「第25章 乖離」「第26章 失脚」「第27章 記憶」「第28章 雑事」「第29章 退官演説」「第30章 別離」「第31章 妻の手記」「第32章 悲の器」

小説を読んだ人ならわかると思うが、じつに適切で、センスのよいタイトルである。もしこの小説が連続ドラマになるとしたら、これをこのまま、各回のタイトルにしてもよさそうなくらいである。

いったい「元の持ち主」は、どんな人だったのだろう?

このほか、小説の本文中にも、付箋のようなメモ用紙が、何カ所かに挟まっているのだが、とくに私が目を引いたのは、38頁と39頁の間にはさまれた、「P39、L2~」というメモである。

この箇所は、大学の事務室の隣にある教官室(複写機や新聞などが置いてあり、さながら談話室のようなもの)に正木典膳が行くと、正木が来ていることに気づかない他の若手教官数人が、正木のスキャンダルについてあれこれと噂話をしているところに出くわす、という場面である。

「P39、L2~」というメモ書きは、39頁の2行目から、という意味であろう。その部分には、こんな叙述がある。ちなみにこの小説は、主人公・正木典膳の「独白」という形をとっているので、以下の文章は、すべて正木の視点である。

直接、自己の失敗や破廉恥から起こるのではない羞恥感に私は苦しんだ。恥ずべきなのは蔭口をたたいている側であるにもかかわらず、他者の行為があたかも自己の罪のように、血が逆行するのはなぜだろうか

なかなかまわりくどい表現である。「陰口をたたいているのは自分ではないのに、しかも自分に対する蔭口がたたかれているのに、なぜかその陰口をたたいている若手同僚たちの行為が、まるで自分の罪のような恥ずかしさにとらわれる」という意味だろうか。

小説では、若手同僚たちの陰口と、それに対する正木のコメントが続くが、このあたりは、正木の心情がよく表れている。とりわけこの場面の最後の方にあたる、次のくだりは、私にとっては印象的である。

専門領域を離れた学者の会話はおおむね児戯に類する。そこに悪意のない場合は、それも一つの愛嬌かもしれない。だが、その発言には明らかにとげがあった

これもまたまわりくどい表現であるが、丹念にパラフレーズしていくと、高校生の時にはわからなかったが、今の私には、じつに印象的な文章である。とくに「児戯に類する」という言葉がよい。いちど使ってみたい言葉である。

この小説が戦後インテリの苦悩を見事に描いているのは、まさにこういう細かな心理描写においてである。

しかし、謎である。

「元の持ち主」が、「P39、L2~」というたったこれだけを書いたメモ用紙をはさんだのは、この部分に、どんなことを感じたからなのだろう?

ほかのところにはさんであるメモには、たとえば、「P280、後L9 果たしてそうだろうか。」と、短いコメントが書かれているものもある。「元の持ち主」が、この箇所に何か特別の印象を持ったことは間違いないのだ。

私もまた、この箇所が印象的だっただけに、なおさら興味がある。

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久しぶりの大雪

2月8日(土)

たしか、同じようなことがあったな、と過去の記事を探してみる。

そうだ。2年ほど前の、同じ時期である

あのときは、記録的な大雪の日にもかかわらず、豪雪地帯の町で、講演をしたのだった。

今日もまた、大雪の中、ある町で講演会である。

今回は私だけではない。

東海地方からお招きしたK先生も一緒である。

「新幹線が遅れて、間に合わないかと思いました」

昼の12時、新幹線からローカル線に乗り継ぐ駅のホームで、K先生と合流し、今日の講演会場である町に向かう。

K先生は、この地が初めてだという。ましてや、雪のない地方からおいでになったとあって、この雪の多さに面食らっていたが、「こういう時に来ることができて、むしろ貴重な体験です」と、この状況を楽しんでおられるようだった。

数年前、K先生と一緒にある仕事をしたことがあって、それがご縁で、ぜひにと、今回、講演会にお呼びしたのである。

私が講演会で人をお呼びするときの第一の条件は、「人柄」である。どうせ一緒に仕事をするなら、心地よく仕事をしたいからである。

「こんな天気で、講演を聴きに来る人なんているんでしょうか」とK先生がいぶかしむ。たしかにこの大雪では、聴きに来る人なんていないんじゃないか、と思うのも無理はない。

「いえ、来ますよ。2年前の同じ時期に、豪雪地帯の町で講演したときも、大雪にもかかわらず40人近くのお客さんが来ましたから」私はかなり自信をもって答えた。

さて、午後1時半。控室を出て、講演会場に入る。

K先生の予想に反して、というべきか、私の予想通りというべきか、会場には100名以上のお客さんが集まっていた。

K先生と私が、1時間ずつ講演をし、30分ほどの質疑応答を経て、講演会は無事終了した。

「先生、お久しぶりです」

昨年3月に卒業した卒業生のAさんが聴きに来てくれていた。Aさんはこの町の出身で、今はこの市役所に勤めているのだ。

「久しぶりに、授業を聴いているようでした」

「わざわざ来てくれてありがとう」

控室に戻る。

「今日は思いのほか、なごやかな講演会になりました」と主催者の先生。

たしかに、いい雰囲気の講演会だった。

それは、K先生の人柄によるところが大きいのだろう、と思った。

明日はこの大雪の中、K先生をご案内しての踏査である。事故がなければいいが。

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演歌風ニューミュージックで煮染める

このブログも、気がついたら、何と1500本近くの記事を書いている。

最近はすっかり飽きられたのか、読者が離れていっているようなので、まったくわからないことを書いてやろう。

高校生の頃、大晦日の紅白歌合戦の裏番組として、日本テレビで年末時代劇スペシャル、というのをやっていた。里見浩太朗とかが主演で、数多くのキャストが出て、とにかく、映画並みのお金と時間をかけてつくられた時代劇だった。たしか、この年末時代劇スペシャルは、数年は続いたと思う。

私は当時、その時代劇が、けっこう好きだった。「時代の悲哀」みたいなものを感じさせるストーリーだったのだ。

ストーリーもさることながら、主題歌もまた、話題になった。

1986年の「白虎隊」の主題歌は、堀内孝雄の「愛しき日々」

1987年の「田原坂」の主題歌は、堀内孝雄の「遙かな轍」

1988年の「五稜郭」の主題歌は、さだまさしの「夢の吹く頃」

1989年の「奇兵隊」の主題歌は、さだまさしの「冬の蝉」

1990年の「勝海舟」の主題歌は、堀内孝雄の「青春で候」

いずれも名曲であることには違いないのだが、高校生の私は当時、どうも腑に落ちなかった。

「フォーク」とか「ニューミュージック」とかいっていたミュージシャンが、時代劇の主題歌を歌い、しかも演歌みたいな歌を歌っていたことに、である。

「アリス」って、こんな枯れちゃいなかったぜ、なんて思ったりして、ちょっと違和感を抱いたのである。「アリス」のファンは、当時どう思っていたんだろう。

そう思ってつらつらと考えてみると、もともとこの傾向は、80年代前半にさかんに公開されていた「戦争大作映画」の影響を受けているのではないか、という仮説に行き着いた。

1980年公開の「二百三高地」(東映)の主題歌は、さだまさし「防人の歌」

1981年公開の「連合艦隊」(東宝)の主題歌は、谷村新司「群青」

1982年公開の「大日本帝国」(東映)の主題歌は、五木ひろし「契り」

1983年公開の「小説吉田学校」(東宝)の主題歌は、堀内孝雄「少年達よ」

「小説吉田学校」は戦争大作映画ではないが、オールスターキャストの大作映画という点では、作品のテイストは変わらない。

こうしてみると、「アリス」とさだまさしがぶっちぎりで、戦争大作映画の主題歌を歌っているんだな。

「年末時代劇スペシャル」の主題歌は、こうした「戦争大作映画」の流れを引くものであることは、ほぼ確実である。

80年代はどういうわけか、こうした「時代に翻弄された人たちの悲哀」というものを戦争や時代劇を通して描き、最後に「演歌風ニューミュージック」で煮染める、というスタイルが、好まれていたらしい。

作風も出演陣も演出も、戦争大作映画や大型時代劇にかかわらず、ほとんど同じである。

…とここまで書いてきて気がついた。

最近もそうじゃないか?

「男たちの大和」とか、「永遠の0」とか、最後はやはり「演歌風ニューミュージック」とか「演歌風ロック」で煮染めているんじゃないだろうか?

私はどちらも見ていないので、よくわからないが。

ただひとつ言えることは、ニューミュージックやロックの歌手が、「戦争大作映画」の主題歌を歌うようになると、私の心は、なんかザワザワしてしまうということだ。

高校生の頃、「腑に落ちない」と思ったように、である。

「ああ、あいつもついにそうなっちゃったか」と。

この微妙な気持ち、たぶん誰にもわからないだろうなあ。

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馬生と志ん朝

馬生と志ん朝は兄弟。馬生が兄で、志ん朝が弟。ともに5代目志ん生の息子である。

馬生の娘が池波志乃である。

むかしむかし、フジテレビの昼のドラマで「おりんさん」(1983年)というのがあって、志ん生と妻のおりんの半生を描いた物語だったのだが、私はこのドラマがとても好きだった。といっても、ストーリーは全然記憶にない。

志ん生を演じたのは中村嘉葎雄、この志ん生は、絶品だった!

これ以来、志ん生といえば中村嘉葎雄、中村嘉葎雄といえば志ん生、というイメージが、すっかり私の中で定着してしまった。

妻のおりんを演じたのは、志ん生の孫であり、馬生の娘である、池波志乃である。

そしてなんと、ナレーションが古今亭志ん朝!つまり志ん生の次男である。

今から考えると、何と贅沢な昼ドラマなんだろう。ソフト化されていないのが残念でならない。

さて、馬生と志ん朝である。

一般に、志ん朝は、誰もが認める名人とされる。

兄の馬生は、弟の志ん朝ほどには、有名でない。

54歳という若さでなくなってしまったことも、その原因の1つかもしれない。

長生きすれば、名人といわれる存在になっただろう、と、人はいうが、しかし長生きしたとしてもやはり、人は志ん朝のほうを評価するだろう。

飛ぶ鳥を落とす勢いの志ん朝と、マイペースな馬生。

私はどちらかといえば、馬生のほうが好きである。

たとえば、「文七元結(ぶんしちもっとい)」

私が最も好きな人情噺である。

志ん朝の「文七元結」は歯切れが良く、完璧である。

だが、私は、馬生の「文七元結」の方に、笑い泣きしてしまう。

最後のほうに出てくるセリフ。

「ときに、酒だけでは何でございますので、酒の肴を…」

「酒の肴なんかいらねえ。指しゃぶったって1升くらい飲んじゃうんだから」

このセリフが、可笑しくてたまらない。

志ん朝はここを、

「あっしはねえ、味噌舐めたって5合くらい引っかけちゃうんだ」

としている。ここは、「味噌舐めたって」より、「指しゃぶったって」の方が、そこはかとなく可笑しい。

最後の最後。

お金がないためにボロをまとって、人前に出られない格好をしている長兵衛の妻が、娘のおひさに「おっかさん!」と呼ばれて、人目もはばからず屏風の影から飛び出していく場面。

これも、馬生の語り口のほうが「泣き笑い」を誘うように思う。

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N君、来たる!

2月5日(水)

昼休み、ひとりの食事が終わって仕事部屋に戻ろうとすると、昨年3月に卒業したN君とバッタリ会った。

「先生、お久しぶりです!」

N君は今、東京のある企業に勤めている、社会人1年生の営業マンである。

「どうしたんだ?」

「先生に会いに来たんです」

さすが営業マン、嬉しいことを言ってくれる。休みを取って、深夜バスで来てくれたらしい。

「先生、今日の夜、ヒマですか?」

「ヒマってことはないが…時間はないことはない」

「僕、このあと最終の新幹線で帰るんで、それまで夕食でもどうですか」

ということで、N君と同期で在学中のOさん、Fさんも交えて、夕方、駅前の沖縄料理屋に行くことになった。

N君は在学中、うちの大学の「花形サークル」の会長をつとめたり、学園祭の実行委員長をつとめたりと、まあ忙しいヤツだった。

いまは営業マン。たぶん天職だろう。N君の特徴をひと言で言えば、「めげないヤツ」、あるいは「超プラス思考」である。そんな彼が、なぜ、こんな「マイナス思考」の私のもとで勉強していたのか、いまだに謎なのだが。

「まだ入社して1年ほどですが、仕事をつらいと思ったことは1度もありません」という。それはそうだろう、と思う。N君のことだから、みんなに愛されているのだろう。

あまりお酒を飲まないつもりだったが、あまりに3人の話が面白くて、つい、泡盛のロックに手を出してしまう。気がつけばもう3杯目である。

とくに、N君とOさんの丁々発止のやりとりは、彼らが大学2年の時から聞いているが、いつ聞いても面白い。

私がひそかに自慢に思っていることは(ここからは自慢話)、

もともと、N君とOさんは、2年生のときまで、全く違う分野を専攻していた。

しかし、今ひとつ、自分が専攻した分野の勉強が面白くない。

そんなとき、私の授業を聴いて、「これだ!」と思った、という。

異なる分野を専攻していた2人が同時に、奇しくもそんなことを思い、2人は私のもとにやってきたのである。

…私が言ってるんじゃないですよ。本人たちがそう言っていたんですから。

これを「因縁」と言わずして、何と言おう。

気がつくと、最終の新幹線が出発する10分前である。

つかの間の時間だった。N君は駅に走っていった。

私は3人との「因縁」を感じながら、雪道を帰った。

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鴨肉の焼き方

2月4日(火)

お昼、「よく喋るシェフ」のお店に行く。先週金曜日のリベンジである。

「先週の金曜日は気を使っていただいてありがとうございました」と私。

「いえいえ」とシェフ。

基本的に、美味い料理をつくる人は、機転が利く人なんだな。

カウンターに座ってランチを食べながら、少しだけ、シェフの「料理論」を聞く。

「お客さんのペースに合わせていたら、いい料理なんか出せません」とシェフ。とくにコース料理は、料理を出すタイミングというのが、難しいらしい。

「たとえば、鴨肉」とシェフ。「鴨肉を焼いたら、すぐに切らずに、20分くらい、温かいところに置いておかなければならないんです」

「どうしてです?」

「すぐ切ると、肉汁が出てしまって、旨みがなくなってしまうんです。肉の色も悪いしね。ところが20分くらい温かいところに置いておくと、そのあいだに、肉汁を閉じ込めることができて、肉の色も赤みがかって、美味しくなるんです」

「ほう」

「だから、鴨肉を注文される方には、20分とか30分とか、待ってもらわなければいけません」

「なるほどねえ」

「素材によって、扱い方ってのが違うんです」

素材に合わせてその良さを引き出す、という点において、料理も教育も同じだ、と思ったのだが、あまりに陳腐な言い回しなので、口に出さなかった。

「しかし今のこの仕事、非人間的ですよ」シェフが続ける。

「どうしてです?」

「だって、1週間のうち6日、この狭い厨房の中に、朝9時から夜11時までいるんですから」

「月曜日はお休みでしょう?お休みの日は何をしているんです?」

「午後からは、1週間分の買い出しと、仕込みです」

結局、人生のほとんどの時間を、この厨房で暮らし、料理のことを考えて生きているのだ。

私には、口を開けば「いやだいやだ、こんな仕事やめて、楽な仕事をしたい」と、愚痴る。

だが本当にイヤなら、とっくにやめているのではないか、とも思う。

「こっちだって、客を選びたいですよ」とシェフ。「でも、そんなことを考えるオレって、ダメだなあ、と思ったりもして…。オレも落ちぶれたよなあ」

悩むポイントは、私も同じである。

「いやだいやだ」といいながら、これがオレの仕事だと自分に言い聞かせつつ、シェフは今日も、料理を作りつづけるのだ。

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授業中における似顔絵の考察

最後の似顔絵

2月3日(月)

お恥ずかしい話だが。

1年生向けの授業では、出席カードの裏の感想欄に、たまに私の似顔絵が描かれることがある。前期の授業では、なぜか学生たちの間で「出欠カードの裏の感想欄に私の似顔絵を描くブーム」があった。

もちろん、「似顔絵も感想の一部である」という信念のもと、描いてもらった似顔絵は、ふつうの感想とともに、受講している学生たち全員に公表している。

そのときに、ブログにこんなことを書いた

「これは一つの提案。

第1回目の授業のときに、学生に似顔絵を描いてもらう。

そして最後の授業のときに、もう一度描いてもらう。

もし最初にくらべて、似ていなかったり、悪意が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってもらえなかったことを意味する。

もし最初にくらべて、似ていたり、親近感が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってくれたことを意味する。

だから学生の手応えを知るためには、意味のないアンケートをとることなんかより、似顔絵を描いてもらうのがいちばん効果的なのではないだろうか」

もちろんこれは、冗談で書いたのである。実際に授業の場で、こんなことを言ったわけではない。もしこんなことを言ったら、アタマのおかしいヤツである。

実際、今期の授業では、似顔絵が描かれることがほとんどなかった。

しかし、である。

今日、1年生対象の最後の授業で、アンケート用紙を回収したら、1人だけ、私の似顔絵を描いてくれた学生がいた。1年生のMさんである。教壇から向かって右側の席の、前から3列目に座って、いつも熱心に私の授業を聴いてくれている。

最後だからというので、似顔絵を描いてくれたのだろう。

かなり思いを込めて、精巧に描いているではないか!私は感動してしまった!

その似顔絵を見て、ハッと思った。

そうだ、この授業で以前も、似たような似顔絵を描かれたことがある!と。

過去の出欠カードから、その似顔絵を探し出す。

すると、あったあった、ありました!12月2日の授業のときの出欠カードである。

しかも、驚いたことに、そのときに似顔絵を描いた学生は、今日の学生と同じ、1年生のMさんだったのである!

見比べてみて驚いた。

描いている角度がまったく同じである!

それもそのはずである。Mさんはいつも、教壇から向かって右側の席の、前から3列目に座っているのだ。

さらに驚いたことがある。

両者の似顔絵の雰囲気が、明らかに違うのである。

12月2日に描かれた似顔絵が、どことなくコミカルなのに対して、今日(2月3日)に描かれた似顔絵は、どことなく精悍である!

これはどういうことなのか?

長らく見ているうちに、オットコ前に見えてきたということなのかぁぁぁ?

…とまあ、こんなことを書いている時点で、あまりにもバカっぽいのだが、しかし問題の本質は、そんなことではない。

この学生にとって、私の顔が、12月2日の時点と、2月3日の時点で、明らかに異なって見えている、という事実である!

これは、人間の認識の問題を考える、またとない素材なのではないだろうか?

ということで、今後の研究に資するため、恥を忍んで、似顔絵を公開する。

いったいこの「違い」が、何を意味するのか?文字通り「絵解き」をしなければならない。

まずは、Mさんが12月2日に描いた似顔絵である。

Photo_4
次に、同じMさんが今日、つまり2月3日に描いた似顔絵である。

Photo_5

どうだい?最初に描かれた似顔絵のほうは、どことなく間の抜けた感じがするのに対して、あとに描かれた似顔絵のほうは、どことなくキリッとしているではないか。

あるいは、最初は「得体の知れない動物」に見えたものが、しだいに人間の形に見えてきた、ということを意味しているのかもしれない。

いずれにしても、人間は、相手とちゃんと向き合えば向き合うほど、相手をしっかりと認識するようになっていくのではないだろうか。

授業を聴き続けているうち、私のことは「得体の知れない動物」から、「ちゃんとした大人」へと、認識が変貌していったのではないだろうか?

…こんなことを書いている時点で俺、やっぱりアタマがおかしい。というか、すげえキモチワルイ。

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創作落語「新・寝床」改め「てんてこ舞い」

鬼瓦亭権三(ごんざ)でございます。アタクシの好きな落語に「寝床」ってのがありましてね。今回の噺は、それをちょっともじったものでございます。

「策士、策に溺れる」とはよく言ったもので、あんまり気をまわしすぎますと、かえって自分にはね返ってくるなんてことは、よくあることでございますな。

ご隠居ー!

おう、だれかと思えば八っつあんじゃないか。気が合う、てえのか、合縁奇縁てえかねえ、お前さんとなんとなく日に一度会わないと、どうも御膳が旨くないような心持ちよ。

そうでしょ。あっしもそうなんだ。隠居さんの気が合う、てえのかねえ。日に一度顔を見ないというと、その日なんとなく「通じ」がなくてしょうがなくってね。

人の顔で「通じ」をつけやがる。どうもあきれたねえ。今日はどうした?

ほかでもねえ、大家の若旦那のことなんでさあ。

大家の若旦那がどうした?

最近、義太夫に凝っちまいましてね。長屋の連中に、義太夫を聴かせてやるから集まれと、こう言うんですよ。

なかなか粋な趣味じゃないか。

それがそうじゃありませんで…。その若旦那の義太夫ってのが、こう、ひどい声でしてねえ。とても下手で聴いちゃいられないんで、聴くと心持ちが悪くなるって次第で。

なるほど、昔から下手な義太夫語りのことを「五色の声」と言ってな。「まだ青き 素(白)人浄瑠璃 玄(黒)人がって 赤い顔して 黄な声を出す」などと言ったもんじゃ。

ほう、うまいこと言うねえ。さすがご隠居。いよっ!

からかうやつがあるか。…で、相談というのは何だ?

今度、長屋の連中が義太夫を聴きに来いと呼ばれているんですが、なんかこう、聴かずにすむ方法ってのが、ないもんですかねえ。

ふむ、そういうことか。…その長屋には、どんな連中がおるのか?

あっしのほかに、金物屋に小間物屋に鳶の頭に、それに豆腐屋です。

八っつぁん、おまえたしか提灯屋だったな?

へえ。

だったら、それぞれに理由(わけ)を作って、その日は聴きに行けない、と言えばよい。

そんなことができますかい?

できるとも。

じゃあ、あっしはどうすりゃいいんです?

「開店祝いの提灯を山のように発注されて、てんてこ舞いです」と、こう言うんだ。

なるほどねえ。うまい言い訳だねこりゃ。じゃあ、金物屋は?

「無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかない」と、こう言えばよい。

小間物屋は?

「女房が臨月だから」と、こう言いなさい。

ほう、たしかにあすこは、カカアをもらったばかりだからなあ。鳶の頭は?

「成田山へお詣りの約束がある」とでも言いなさい。

なるほど。じゃあ豆腐屋は?

「法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しだ」と、こう言う。

ほう、うまいことを考えるもんだ。

こういうときにはな、相手の気分を害さずに断る知恵というものが必要だ。しかも、あからさまではなく、それとなく断るってのが大事だぞ。

さすがご隠居。ダテに長生きはしていないねえ。それにしてもご隠居、よく知恵が回りますなあ。まるで策士だ。

おいおい、策士だなんて、人聞きが悪い。

さっそく長屋の連中に教(おせ)えてきます!

数日後。

ご隠居ー!

八っつあんか。どうした?例の件は。うまくいったか?

それがうまくいかなかったんで。

なぜだ?

教えてもらったとおり、長屋のみんながあれこれと理由をつけて断ったら、今度は店の使用人たちに聴かせようとしまして…。そしたら使用人たちは、やれ腸チフスだの、やれウドンコ病だの、やれジステンパーだのと、全員が仮病を使って、聴こうとしません。

ほう。

で、さすがに若旦那が腹を立てて、義太夫を聴かなかったら全員「店(たな)立て」だ!と、こう言うんです。

長屋から追い出すってことか?

へえ。それで仕方なく聴きにいったんですが、まあこれが下手なこと下手なこと。こうなりゃ酒でもかっくらって寝ちまえってんで、義太夫を聴くふりをして酒をがぶ飲みして、全員居眠りしちまったんです。

ほう。じゃあ若旦那はカンカンだったろう。

へえ。でも、丁稚の定吉が一人だけ起きておりましてね。ひどく泣いているんです。若旦那はそれを見て、自分の義太夫に感動して泣いているんだと思って、どこに感動したのか?と、定吉に聞いたんです。

ほう、それで?

そしたら定吉、「みんなが寝ちまって、自分の寝床がないんです」と。

なるほど、こりゃあ可笑しい!まるで落とし噺のようだな。ま、ともあれ、これで一件落着じゃないか。

おかげさまで。

そうそう、最近わしは俳句をはじめてな。今日もいくつか作ってみたんだが、どうだ、ちょっとわしの作った俳句を聞いてみないか。

すいません、ご隠居。

どうした?

あっしはいま、開店祝いの提灯を山のように発注されて、てんてこ舞いなんです。

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知らない町をなめてかかるな!

2月1日(土)

知らない町を、なめてかかってはいけない。

そもそもこの日に、仕事で東海地方の中核都市であるN市に行かなければならないことはわかっていたのに、

「どうせ、ホテルなんて掃いて捨てるほどあるんだろう」

などと高をくくっていたのが悪かった。だいたい、N市に行くことなんて、今まで数えるほどしかなかった私が、なめてかかったのが悪い。

1週間ほど前に、旅行サイトからホテルを予約しようとしたら、

「この日に泊まれるホテルは1軒もありません!」

と答えて来やがった。この日、N市のホテルはどこも満室なのである!

こりゃあ困った、と、慌てて周辺を探してみるが、見つかったのは、N市の隣のT市にある、N駅近くのホテル、ただ1軒だけだった。

(どこだ?T市のN駅って…)

全然わからないが、背に腹は替えられないので、とりあえず予約した。N市のN駅から、私鉄に乗って行くということだけはわかった。

さて当日。

今日は、N市のN駅から地下鉄で9駅ほどの場所で仕事があり、夕方に終わると、その仕事先のすぐ近くの料理屋さんで懇親会である。総勢20名以上が参加した。

懇親会の最中も、T市のN駅のことが気になって仕方がない。懇親会に参加している地元の方に何人か聞いてみたが、

「T市のN駅?聞いたこともありませんなあ」

という。地元の人たちにもよほど知られていない場所らしい。

さて、懇親会はそれなりに盛り上がり、みんなけっこういい心持ちで酔っ払って、気がつくと9時半である。

会はお開きとなり、N市のN駅に向かう地下鉄に乗り、三々五々、各自が泊まっているホテルのある最寄りの駅で、降りていった。

最後まで残り、N市のN駅で降りたのは、ボスと、研究仲間のIさんと、私の3人。時間は夜10時すぎである。

「もう1軒行くか」とボス。ボスはこのN市のN駅の近くのホテルに泊まるらしい。

「いいですねえ。行きましょう」とIさん。Iさんは、日本酒をしたたかに飲み、かなりハイテンションだった。

私は、自分が泊まるホテルの場所がどこかもよくわからなかったので若干不安だったが、断るわけにはいかない。なにしろ、ボスは話し足りなそうなのである。

土地勘がないので、どこに飲み屋があるかもわからなかったが、とりあえず駅ビルの上の方に飲食店街があるのを見つけ、その中の1軒に入る。

閉店時間の11時にお開きとなり、2人とお別れした。

さて、ここからT市のN駅に向かう私鉄の駅を探さなければならない。

なにしろ今まで、乗ったことがないのだ。

案内表示に導かれながら私鉄の駅に着くが、やっかいなことに、N市のN駅から、私鉄の路線が四方八方に広がっていて、いったいどの路線に乗ればいいのかわからない。

駅員さんに聞いた。

「あのう、N駅に行くのは何番線ですか?」

「4番線です」

「次は何分ですか?」

「15分です。そのあとは39分です。それが最終です」

時計を見ると11時14分。

急いで4番線に行く。ギリギリ15分発の電車に乗ることができた。乗ったと同時に発車。

(本当にこの電車は、目的のN駅に着くのだろうか?)

若干不安だったが、仕方がない。

不安は的中した。

この電車は急行で、N駅には止まらなかったのだ。

気がついたときには、N駅の3つ先のO駅である。

(困ったなあ)

残る方法は、O駅で降りて、その足で反対側のホームに行き、逆から来る電車に乗ってN駅に戻ることである。

O駅で降りて、急いで駅員さんに尋ねる。

「あのう、N駅に行く電車はまだありますか?」

「もう終わりました」

えええぇぇぇぇぇ!

仕方がない。この駅で降りて、タクシーで行くしかない。

駅のロータリーで10分くらい待っていると、タクシーが来た。

「N駅の近くの○○ホテルまでお願いします」

「わかりました」

「N駅って、急行がとまらないんですねえ」

というと、

「ええ、何もないところですから」

という。どうりでみんなが知らないわけだ。

ようやく目的地のホテルに着いた。

夜12時である。あたりは真っ暗でよくわからない。

俺はいったい、何をやっているのだ?

そして、ここはどこなんだ?

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