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世間は狭いのか広いのか

一昨日のI先生の退職記念祝賀会で、円卓の隣の席に座っていたのが、哲学の若き研究者だった。

初対面だったが、同じ職場の同僚だということもあり、いろいろと話をした。

「僕、こういう祝賀会というのは初めてなんです」とその若き哲学者。ホテルを会場にして100人ほどが円卓に座ってスピーチをしたり食事を楽しんだりする祝賀会は、たとえていえば結婚披露宴のような雰囲気である。私は何度か、こういう形式の会を経験していた。

来賓や参席者からのお祝いのスピーチが続く。私も、直前になってスピーチを頼まれ、壇上でお話しした。

席に戻ると、

「いやあ、すごいですねえ。やっぱり慣れですか?」と、その若き哲学者。彼には、何もかもが新鮮に映るらしい。こうした「儀式」をはじめて見た人にとってみたら、たしかに新鮮に映るのだろう。

それに対して私は、こういう「儀式」の席に、すっかり慣れてしまったようだ。

30代前半とおぼしき若き哲学者は、ほかに知り合いがいなかったこともあり、もっぱら隣にいる私と話をするしかなかった。

「○○さんとは、ドイツ留学中に一緒に遊んだ間柄だったんですけどねえ。まさかその後、こうして同じ職場になるとはねえ」とその若き哲学者。○○さんというのは、私も知っている若き哲学者である。

「そんなことがあったんですか。偶然ですねえ」

そう私が言うと、その若き哲学者は、目を輝かせて言った。

「こういうことって、よくあるでしょう」

「ええ。よく言いますよねえ。『世間は狭い』とかなんとか」私にも思いあたる経験がある。

「これについて、先生の研究分野ではどう考えられていますか?こういう事実は、どうやって説明できるのでしょう?」

「え?」

いきなり哲学的な質問である。私は困った。

「いや、それは、その…。それは、我々は偶然に起こった出来事だけを記憶しているから、『世間は狭い』と感じるのではないでしょうか」私は苦しまぎれに答えた。

「果たしてそうでしょうか」とその若き哲学者。「それは、世の中には偶然に起こることなど少ない、という前提に立ってのお考えですよね」

「ええ、たしかにそうです」

「私はちょっと違うと思うんですよ」と哲学者。「人間なんて、世界のすべてにわたって認識しているわけではないんです。そういうことからすると、実は自分の身のまわりには網の目のような関係性がすでに存在しているのではないかと思うんです」

「はあ」

こっちも酔っ払っていたので、その若き哲学者の話を正確に理解しているのかはわからない。だが、おそらくその哲学者が言いたいことは、「人間の縁というものは、必然的なものだ」ということなのだろう、と、このときたしかに感じたのである。

もう少しこの点について彼の話を聞きたかったのだが、私の席には次から次へと知り合いの人がビールをつぎにやってきて、結局この話はここで終わってしまった。

そうこうしているうちに、祝賀会も終了した。

終わってから、私がいろいろな人に挨拶していると、

「じゃあ僕、これで帰ります。お話できて楽しかったです」

と、彼は私に挨拶して去って行った。

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