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授業中における似顔絵の考察

最後の似顔絵

2月3日(月)

お恥ずかしい話だが。

1年生向けの授業では、出席カードの裏の感想欄に、たまに私の似顔絵が描かれることがある。前期の授業では、なぜか学生たちの間で「出欠カードの裏の感想欄に私の似顔絵を描くブーム」があった。

もちろん、「似顔絵も感想の一部である」という信念のもと、描いてもらった似顔絵は、ふつうの感想とともに、受講している学生たち全員に公表している。

そのときに、ブログにこんなことを書いた

「これは一つの提案。

第1回目の授業のときに、学生に似顔絵を描いてもらう。

そして最後の授業のときに、もう一度描いてもらう。

もし最初にくらべて、似ていなかったり、悪意が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってもらえなかったことを意味する。

もし最初にくらべて、似ていたり、親近感が感じられたりしたら、学生たちがその授業に関心を持ってくれたことを意味する。

だから学生の手応えを知るためには、意味のないアンケートをとることなんかより、似顔絵を描いてもらうのがいちばん効果的なのではないだろうか」

もちろんこれは、冗談で書いたのである。実際に授業の場で、こんなことを言ったわけではない。もしこんなことを言ったら、アタマのおかしいヤツである。

実際、今期の授業では、似顔絵が描かれることがほとんどなかった。

しかし、である。

今日、1年生対象の最後の授業で、アンケート用紙を回収したら、1人だけ、私の似顔絵を描いてくれた学生がいた。1年生のMさんである。教壇から向かって右側の席の、前から3列目に座って、いつも熱心に私の授業を聴いてくれている。

最後だからというので、似顔絵を描いてくれたのだろう。

かなり思いを込めて、精巧に描いているではないか!私は感動してしまった!

その似顔絵を見て、ハッと思った。

そうだ、この授業で以前も、似たような似顔絵を描かれたことがある!と。

過去の出欠カードから、その似顔絵を探し出す。

すると、あったあった、ありました!12月2日の授業のときの出欠カードである。

しかも、驚いたことに、そのときに似顔絵を描いた学生は、今日の学生と同じ、1年生のMさんだったのである!

見比べてみて驚いた。

描いている角度がまったく同じである!

それもそのはずである。Mさんはいつも、教壇から向かって右側の席の、前から3列目に座っているのだ。

さらに驚いたことがある。

両者の似顔絵の雰囲気が、明らかに違うのである。

12月2日に描かれた似顔絵が、どことなくコミカルなのに対して、今日(2月3日)に描かれた似顔絵は、どことなく精悍である!

これはどういうことなのか?

長らく見ているうちに、オットコ前に見えてきたということなのかぁぁぁ?

…とまあ、こんなことを書いている時点で、あまりにもバカっぽいのだが、しかし問題の本質は、そんなことではない。

この学生にとって、私の顔が、12月2日の時点と、2月3日の時点で、明らかに異なって見えている、という事実である!

これは、人間の認識の問題を考える、またとない素材なのではないだろうか?

ということで、今後の研究に資するため、恥を忍んで、似顔絵を公開する。

いったいこの「違い」が、何を意味するのか?文字通り「絵解き」をしなければならない。

まずは、Mさんが12月2日に描いた似顔絵である。

Photo_4
次に、同じMさんが今日、つまり2月3日に描いた似顔絵である。

Photo_5

どうだい?最初に描かれた似顔絵のほうは、どことなく間の抜けた感じがするのに対して、あとに描かれた似顔絵のほうは、どことなくキリッとしているではないか。

あるいは、最初は「得体の知れない動物」に見えたものが、しだいに人間の形に見えてきた、ということを意味しているのかもしれない。

いずれにしても、人間は、相手とちゃんと向き合えば向き合うほど、相手をしっかりと認識するようになっていくのではないだろうか。

授業を聴き続けているうち、私のことは「得体の知れない動物」から、「ちゃんとした大人」へと、認識が変貌していったのではないだろうか?

…こんなことを書いている時点で俺、やっぱりアタマがおかしい。というか、すげえキモチワルイ。

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