アルジャーノンに花束を
2月18日(火)
なんか、心がどんよりだなあ。
こういうとき、決まって思い出すのが、ダニエル・キイスの小説『アルジャーノンに花束を』である。
精神遅滞の青年チャーリーは、幼児並みの知能を持ちながらも、周囲に笑顔をふりまき、誰にでも親切であろうとする、おとなしい性格の青年だった。
ある日、彼は大学教授から、開発されたばかりの脳手術を受けるよう勧められる。すでにハツカネズミの「アルジャーノン」は、この手術で驚くべき思考力を発揮していた。今度は人間に対する臨床試験の被験者第1号として、チャーリーが選ばれたのだった。
手術は成功し、チャーリーは高度な知能指数を持つ天才となった。大学で知識を得る喜びも獲得した。だがその一方、人に騙されていた事実を知ったり、自分の過去を知ったりと、知りたくもない事実が自分の前に次々と示される。
天才的な知能の反面、精神が未発達のチャーリーは、そのバランスを欠いたまま、他人を見下したり、正義感を振りかざしたりするようになっていく。周囲の人間は次第に遠ざかり、彼はこれまで経験したことのないような孤独感にさいなまれるのである。
ある日、ハツカネズミのアルジャーノンに異変が起こる。その原因を調査したチャーリーは、手術に大きな欠陥があったことをつきとめる。手術によってピークに達した知能は、やがて失われる性質のものであることが明らかになったのである。そしてチャーリー自身もまた、知能の退行をくい止めることはできず、もとの幼児並の知能を持った知的障害者に戻ってしまう。
同じテイストの映画に「レナードの朝」というのがあって、若い頃、この手の話が、深く心に刻まれたのだった。
最近になって、人間関係というのも、これと似たようなものではないか、と思うようになった。いや、この話は、実は人間関係の本質を暗示した話なのではないか、と。
何かがきっかけで、ある時期から親しくなったり仲のよくなった者同士が、次第にそうではなくなっていったりするというのは、結局、出会った最初のころの距離感に戻った、ということにすぎないのではないだろうか。
それはまるで、「チャーリー」がほんの一時期に体験した「夢のような出来事とその反動」が、次第に薄れていき、もとに戻ってしまうこととも似ているように思えて仕方がないのだ。
人生なんて、そんなものなのだろうか。私はそう信じたくはないのだが。
学生の悩み相談を受けながら、感じたことである。
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コメント
せっかくブログを教えていただいたのでコメントしてみようかと思った次第です。
「幼児並の知能を持った知的障害者に戻ってしまう」このあとどうなったか気になります。
チャーリーが幼児並みの知能でも天才でも、同じように接してくれる誰かがいたのでしょうか……?
先日の話でいうなら、「挨拶をしない」ところを見ると2人が出会った時よりも「退化」してるかもしれませんね(苦笑)
投稿: 葉 | 2014年2月18日 (火) 21時53分
コメントありがとうございます。
小説の内容をほとんどここに書いてしまいましたが、ぜひ、実際に小説を読んでみてください。読みながらいろいろなことを考えられると思います。
かくいう私も、この記事を書いてみて、あらためて『アルジャーノンに花束を』を読んでみたくなったのですが、どこに置いたのか、見つかりません。
投稿: onigawaragonzou | 2014年2月18日 (火) 23時54分