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落語の教科書

どうも落語の話が好評なようで。

幼い頃、ラジオから流れてきた立川談志の「雑俳」を聞いて、腹を抱えて笑った。「雑俳」じたいは、言葉遊びのような噺なのだが、若い頃の談志は勢いがあり、横丁のご隠居と八っつぁんのやりとりが、丁々発止といった感じで、とても面白かったのである。

そのときのラジオで聴いたものとは異なるが、後になって、談志の若い頃の「雑俳」の音源を手に入れ、聴いてみた。

本題に入る前のご隠居と八っつぁんの会話が、まるで「落語の教科書」のようなやりとりである。

このやりとりが自然にできることが、落語の基本なのではないか、と思う。

ということで、文字に起こしてみた。

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八っつぁんに熊さんに横丁の隠居さんという、こういうのは落語の方の大立て者で、ただ八っつぁん熊さんではお差し障りがあるといけないというので、ノーテン熊にがらっ八といういかめしい肩書きを持ってまして。

相手取るのが横丁の隠居さんてえんで、…どういうわけだか隠居さんてのはみんな横丁へ住んでまして、あんまり丸の内のご隠居なんてのはないようでしてな。隠居はじゃまだからというので、みんなこの隠居は、奥の方へ引っ込むことになります。

そこへ八っつぁんとか熊さんなどいう輩が訪れると、落語の方の幕開きになりまして…。

どうも、こんちは。

おや、だれかと思ったら八はっつぁんじゃないかい。まあまあこっちへお上がりよ。

どうもすいませんです、ごちそうになりましてね。

なんだい、その「ごちそうになりまして」てえのは。

「まんまおあがり」といいますから、御膳をご馳走になるんでがしょ?

いや、おまんまじゃないよ。まあまあこっちにお上がり、と言ったんだ。

あー、そうですか。「まあまあおあがり」か。なんだ、メシじゃねえのか。なんだがっかりさせやがって。

なんだよ。飯を食うつもりで来てんのかい?ヘンなやつだな。お上がり。

へい、どうも。えー、ご無沙汰をしまして。

無沙汰は互いだ。お互いに忙しいのはけっこうだよ。どうしたい?仕事が休みかい?

いえ、ハンチクになりましてね。うちでブラブラしてんのもつまらねえから横丁の凸凹(でこぼこ)んとこ行って茶でも飲みながら世間話でもしたら面白いだろうと思ってやってきましたがね。

ほー、ご挨拶だなお前さんは。何だ!

何です?

横丁の何だい。

ですから横丁の何ですよ。

いま言ったことをお前さん、もいっぺん、そう言ってごらん。

仕事がハンチクになったんだ。うちでブラブラしてんのもつまらねえから横丁の凸凹んとこ…、横丁の凸…凸凹ってんですがな。…そこにいたね。

誰と話をしてんだ!

うーん、そうなんだよ。しまったと思ったんだけどね。別に悪気があって言ってるんじゃねえんだ、あっしは。日ごろ言ってるから口癖になってるんだ。

どうも悪いやお前は。どうもしょうがないねえ。まあいいや。気が合う、てえのか、合縁奇縁てえかねえ、お前さんとなんとなく日に一度会わないと、どうも御膳が旨くないような心持ちよ。

そうでしょ。あっしもそうなんだ。隠居さんと気が合う、てえのかねえ。日に一度顔を見ないというと、その日なんとなく「通じ」がなくてしょうがなくってね。

人の顔で「通じ」をつけやがる。どうもあきれたねえ。まあいいや。ゆっくりしてきな。お茶でも入れよう。えー、お茶が入ったよ。さあさ、粗茶だがおあがり。

あーどうもすいません。お宅へ来るといつもこうやって粗茶をご馳走になるんだが、おたくの粗茶ってのはなかなかうめえと思ってねえ。この粗茶は一斤どのくらいの粗茶ですかね。

なんだい、粗茶粗茶てえのは。粗末なお茶だから粗茶てんだぞ。

あーそうか。安いもの出したんだな、あっしが来たんで。

まだあんなこと言ってらあ。卑下して言ったんだよ。けっこうなもんだがそう言いにくいじゃあないか。

はーんなるほど。粗末なお茶が粗茶か。縮めたわけだね。じゃあひいてるこんなのは粗ざぶとんだな。ご隠居さんなんか粗禿頭だ。

なんだい、粗禿頭って。

粗茶菓子はまだ出ませんかね。

こら驚いた。お茶菓子の催促だ。何がいい?

何がいいなんて聞かれると弱っちゃってね。

弱るこたあないや、何でも好きなのをそう言うといい。

あ、そうっすか。じゃあそう言おうかな。腹減ってますから鰻丼にしてくれませんかね。

お茶菓子に鰻丼を食う奴があるか!まったく。どうも図々しいな。羊羹でも切るかな。

ええ羊羹けっこう!

そうかい?何でもいくんだな。到来物の羊羹だがね。

弔いもんですか?

「弔いもん」じゃねえ、「到来物」だよ。よそから頂いた…。

そうだろうねえ。買うわきゃねえからね。

口が悪いねどうも。…えー、羊羹を切っておくれ、ばあさんや。薄く切るとまたぐずぐず言うからな。了見なんぞ見られるといけないから厚く切った方がいいよ。お茶入れかえておくれ、ばあさん。

おう!ばあさん、そうだよ。薄く切っちゃいけねえよ。羊羹の薄いのは痛々しいからな、ばあさん。厚く切った方がいいよ、ばあさん。お茶入れかえてね、ばあさん。ね、ばあさん。

この野郎、ばあさんばあさん言いやがって。てめえがばあさんばあさんということがあるか!

妬くな。

妬いてやしねえよ、まったく。どうもしょうがねえなあ、おめえは。…羊羹でも食べなよ。どうだ?近頃変わった話でもあるかな?

いえいえ、変わった話なんてのはねえけどね。この間も大勢集まって一杯やりながら隠居さんの噂が出て持ちきりだよ。

ほーら始まりやがった。また悪口だろ。陰へまわってまたどーのこーのと…。

いえ、そんなことはねえよ。横丁の隠居さんてえのは不思議だ不思議だなんて言ってましてね。

ほう、「不思議だ」…またヘンなことを言われるもんだな。どう不思議なんだ?

いえいえ、どう不思議もなにもさ、毎日美味いもんばかり食っておつななりしてね、柔らけえもの着てるだろ?で、ブラブラブラブラして働いてる様子もねえからねえ。ちょくちょくモノがなくなるが、ことによるとあの人じゃねえか、なんてね。

何だそりゃ!

いえ、ですから気にしない方がいいんだ、そういうことってのは。人が言ってるだけだから。気にしない方がいいよ。

気になるじゃないかお前。火のない所に煙は立たぬと言ってな。噂とは文字で書くと口で尊ぶ、よそ様というのは尊ばないもんだ。悪いとこがありゃ直すのが人の道だ。教えとくれ。

そうですか?それじゃ教えるけどさ。腹立っちゃ困るよ。そう言ってるだけなんだから。隠居さんは泥棒じゃねえかなんて言ってるだけなんだから。

いつアタシが泥棒って…!

だからさ。泥棒「じゃあねえか」てんだから。決めたわけじゃねえんだからさ。

何を言ってやんだまったく。お前だってそこにいたんだろ。ひと言言ってくれなきゃアタシの立場がなくなるってもんだ。

そうなんだ。よっぽどあっしはストーンと言おうかと思ったんだがね。男ってのは言おうと思ってもぐっと腹ん中へしまっておくのがいいって言うからね。あっしはこらえちゃった。

つまらねえものこらえたもんだな。こらえずに言わなきゃいけねえ。

だからひと言、ストーンと向こうの急所を突いたからねえ。

それでいいんだ。

そうでしょう?「隠居は泥棒だなんて、誰だこの野郎!あの人はとっくに辞めちゃった」とあっしはそう言ってやった。

どうにもバカバカしくてモノが言えねえ。それじゃあ、前にやってたようじゃねえか!

あれ?前やってたようじゃねえかって、隠居さん、ずっと前から泥棒じゃねえの?

じゃあアタシを泥棒だと思ってたのかい?

思ってたって言うとアレですが…少しはやってんじゃないかと思ってましたけどねえ。…そりゃ悪かった。

あたりめえだ、大変悪いじゃねえか。

知らなかったねえ。

何を言ってんだ。驚いたねえ。アタシはお前さん方とは違う。言いたかないがね、若い時分からブラブラブラブラ遊んでやしないんだぞ。お前たちとそこが違う。それこそ真っ黒んなって働いたんだ。

あそうか…。知らなかった。隠居さんやっぱり炭屋の小僧だったんですか?

炭屋ばかりが黒くなって働くわけじゃねえや。財産ができた、それを倅に譲って、自分は楽隠居という身の上だ。

なるほど、それで隠居さんと、こういうわけだねえ。へえ、いいもんだねえ、隠居さんて商売は。

商売じゃないよ。「隠れ居る」と書いて隠居だ。

なるほど、隠れ居るんだね。隠れてるんだね、やっぱり。そうするとミミズやなんかも隠居かね。

ミミズと一緒にするやつがあるかい。

いい商売だねえ。

いや、商売じゃあないよ、アタシのは。月々倅のところから分米が来るんだ。それで安楽に暮らしてるんだよ。

ほう、なるほど。ぶんまわしが来るんですか?

ぶんまわしじゃない、「分米」。「分ける米」と書いて分米。

なるほど。じゃあ「分けない米」と書いて「やるまい」とかね。あっしも明日から隠居になっちゃおうかな。楽でいいもの。

おかしいじゃねえか。

ですからさ。隠居さんのところと一緒にやってくんないかね。半分こっちへ回してもらうようにしてさ。あっしも隠居になっちゃうから。

バカ野郎。一緒にされてたまるもんか。あきれけってモノが言えねえや。

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まるでエンドレスのように、「ご隠居」と「八っつぁん」の会話が続く。

談志が、反抗し続けた師匠・小さんの影響を受けていることがよくわかる噺だと思う。

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