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重鎮の法則

3月6日(木)

妻に、身の回りで起こったことを話すと、

「なあんだ。結局は自慢話ね」

とよく言われる。今日も、そんな感じの話。

2時間の会議に出席するために、片道3時間半かけて、隣県のある場所に行く。

途中、列車から見える景色が、猛吹雪で真っ白になって、

(たどり着くのだろうか?)

と心配になった。

はじめて出席する会議なので、どんなことをするのか、まったくわからない。何より、メンバーも知らされていないのだ。

不安に思いつつ会場に着いて、ビックリした。

「重鎮」と呼ばれる方々ばかりではないか!

ひえぇぇぇぇ~。

会議のメンバーが7人出席していたが、私が一番若い。それも相当な年の差で、「若造」というより、「くそガキ」といったレベルである。

他のメンバーの方々からしたら、

「お前に何がわかんねん!」

と思っておられるに違いない。

以前から存じ上げていた方、はじめてお会いする方、さまざまだが、その中に、何度かお会いしたことがあってご挨拶するていど、という重鎮の先生がいらっしゃった。

たぶんこっちのことなんか覚えていないだろうなあ、専門分野も派閥も違うし、などと思って、こちらからご挨拶する間もないまま、会議が始まってしまった。

2時間の会議が終わり、三々五々、メンバーの方々が会議室をあとにする。

するとその重鎮の先生が私のところに近づいてこられて、

「この前書かれた論文、面白かったですよ」

とひと言おっしゃって、会議室を出て行かれた。

「きょ、きょ、…恐縮です…」

こちらから差し上げたわけではないのに、あんな地味な論文を読んでいただいていたのか。

いつも思うのだが、たいてい、思いもかけない人から、そういうことを言われたりする。

かえって自分と近しい人に、そういうことを言われることは稀である。

これって、何の法則?

私がよく言う「味方は外にいる」法則か?

それと、重鎮の先生が重鎮たる理由は、こういうところにあるのではないか、とも思うのだ。

ということは、「重鎮の法則」か?

こういうことがあると、映画「男はつらいよ 寅次郎純情詩集」で、どさ回りの劇団、板東鶴八郎一座が、たまたま信州で寅次郎と再会し、寅次郎に芝居を見てもらったあと、座長の鶴八郎(吉田義男)が、寅次郎に感謝の言葉を述べる場面を、思い出す(また始まった)。

「常日ごろ座員一同には、いつどこでどういうお方がご覧になっているかわからない。少しでも手を抜けば、必ずそのお方の目にとまり、笑いものになる、芝居は常に真剣勝負であらねばならない、こう申し聞かせておりましたが、今日は図らずも、車先生のようなお方にご覧いただき、座員一同励みになりました。ありがとうございました」

座員一同が、フーテン風情の寅次郎をなぜか「先生」と仰いでいるのが、たまらなく可笑しいのだが、それはともかく、座長のこのセリフは、芝居以外のことにもあてはまる。

「いつどこでどういうお方がご覧になっているかわからない」「常に真剣勝負であらねばならない」というのは、つい忘れがちだが、常に心がけておかなければならないことなのである。

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