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2014年4月

ああ!グリーンピースご飯

ご飯を食べるスピードが、昔から遅い。

ほかの人と食べているときは、なおさら遅い。

保育園の時からそうだった。

私が通っていた保育園では、お昼にはみんなにお弁当が支給される。

「おべんとうばこのうた」をみんなで歌ってから、お弁当を食べる。

…話は横道にそれるが、以前、同世代の友人と話していたときに、その友人が「おべんとうばこのうた」を知らない、というので、たいそう驚いたことがある。

「おべんとうばこのうた」って、有名じゃないのか?

それはともかく。

うちの保育園では、お弁当を早く完食した園児から、外へ出て遊ぶことができる、というルールだった。

だからみんなは、競ってお弁当を早く食べていた。

私は、お弁当を食べるのが遅く、いつも、最後までむしゃむしゃと食べていた。

お弁当を食べ終わるころには、お昼休みが終わっていたのである。

ところが、である。

1度だけ、お弁当を、月組の園児中、「2位」の速さで、食べ終わったことがある。

保育園の先生も、えらくビックリしていた。

そのときのことを、いまでもはっきりと覚えている。

そのときのお弁当は、「グリーンピースご飯」だった。

このグリーンピースご飯が、とても美味しくて、夢中になって食べているうちに、あっという間に食べ終わってしまった。

いつも、ビリッけつの私が、である。

それで、先生もビックリしたのである。

あの時の、グリーンピースご飯は、ちょうどよい塩加減だった。

その時の塩加減まで、いまでも鮮明に記憶しているのだ!

だが、グリーンピースご飯がお弁当で出たのは、そのときだけだった。

後にも先にも、1回だけである。

翌日からまた、私はビリッけつに戻った。

それから長い年月がたった20代のころ、このときのことを思い出し、「あのときのグリーンピースご飯を、もう一度食べたい」と、強く思うようになった。

自分で冷凍のグリーンピースを買ってきて、グリーンピースご飯を作ってみたが、あの時の味を再現できない。

あの時の「ちょうどよい塩加減」が、再現できないのだ。

再現するのをあきらめたまま、今に至る。

さて、2週間ほど前。5日間ほどの出張があった。

出張先で、突然この「グリーンピースご飯」のことを思い出した。

その2日後の夜。

出張先の人たちと、こじゃれた料理屋さんで、ささやかな懇親会が開かれた。

私が新しく着任したので、その歓迎会の意味も込めてということらしい。

美味しい料理が出たあと、最後に食事、つまりご飯である。

そこで出たのが、なんと「グリーンピースご飯」だったのだ!

しかもその味は、私が保育園の時に食べた味に、限りなく近かった。

ほどよい塩加減!

やっと出会えたぞ!という喜び。

今から思えば、2日前に「グリーンピースご飯」について思い出したのは、「虫の知らせ」だったのか?

あの「グリーンピースご飯」の味を、いつか自分でも再現してみたい、と思う。

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原稿ため込み党の憂鬱

原稿が書けない。

…と、いつもそんなことばかり書いているが、今回ばかりは本当に「万事休す」である。

こんな時、いつも思い出すのは、ジブリ映画「魔女の宅急便」である。

ふつうに空を飛べていた魔女が、ある時を境に、急に飛べなくなる。

たしか、そんなシーンがあったと記憶する。

この映画を最初に見たとき、「すげえ恐い映画だ」と思った。

自分に置きかえてみて、いつ、自分が原稿がパッタリ書けなくなるのか、と考えただけで、恐くなるのである。

それ以来、恐くて、この映画を見ていない。

はたして今回は、どうなるのか?

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殺人の再演

4月27日(日)

久しぶりに、劇場に映画を見に行った。

いま最も信頼のおける映画評論家、町山智浩さんが絶賛したドキュメンタリー映画、「アクト・オブ・キリング」である!

1960年代に、インドネシアで起こった100万人規模の大虐殺を取りあげたドキュメンタリー映画なのだが、この映画の説明は、なかなか一筋縄ではいかない。

詳しくは、町山智浩さんとか、ライムスター宇多丸さんの映画評を参照のこと。

インドネシア独立の父と呼ばれるスカルノ大統領の治世下、1965年9月30日に、「急進的左派勢力」による国軍の首脳部暗殺事件が起こり、それに対して、スハルトを代表とする右派の軍部が制圧をする。いわゆる9・30事件である。

この事件をきっかけに、右派軍事勢力による、共産党関係者への大量虐殺が始まる。その数は、100万人規模ともいわれている。

これにより共産党勢力は一掃され、スカルノの求心力も失われ、スハルトに大統領の座を奪われることになる。

インドネシアでは、いまだにその虐殺をした側の勢力が、英雄として称えられているのである。

そのため、大量虐殺の実態、というのは、これまでほとんど知らされることはなかった。

それを、アメリカの監督がドキュメンタリー映画という形で明らかにしていくのだが、その手法が驚くべきものである。

実際に大量虐殺をした加害者たちに、「映画」の中で、殺人の手法を再演させる、というものである。

どうしてこんなことが可能なのか?

それは、加害者たちが、いまも国の英雄だからである。

彼らは、自分が正しいことをしていると信じているのだ。だから、嬉々として殺人を再演してみせるのである。

だがその様子は、じつに滑稽である。

憎むべき残虐行為であるはずなのに、じつに滑稽に見えるのだ。

「歴史は繰り返す。一度目は悲劇として、二度目は喜劇として」という言葉を思い出した。これって、マルクスだったっけ?ヘーゲルだったっけ?

映画の終盤になるにつれ、この映画の主人公であるアンワル・コンゴ(実際に1000人を虐殺したという「英雄」)に、ある変化があらわれる。

殺人を再演することにより、彼の心の中が、大きく揺らいでいくのである。

そして、衝撃のラスト。

彼の心の揺らぎこそが、心理学的にも、汲めど尽きぬ興味を私たちに与えてくれる。

すべての人が、絶対見るべき映画である。

森達也氏は書いている。「まるで悪夢だ。でもやがてあなたは気づく。自分はスクリーンではなくて鏡を見ているのだと」、と。

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原因は不摂生にあらず

4月26日(土)

「同い年の盟友Uさん」から、「腫れ上がった左足の写真をブログに載せたら、痛面白いと思う」と提案してきたので、載せることにする。

Photo 見ると不快になるかも知れないので、ご注意を。

一時期より、だいぶ腫れが引いたので、「なあんだ、この程度か」と思われるかも知れない。2日ほど前は、もっと腫れていたのだ。

午前中、病院に行って、血液検査の結果を聞いた。

尿酸値がビックリするほど高い。

…これは予想していたことだった。したがって、足の痛みは、痛風の発作であることが明確になった。

それよりも、驚くべきことがわかった。

尿酸値以外の数値が、どれも、基準値の範囲内だったのである。

つまり、コレステロールだの、中性脂肪だの、そういったものが、すべて基準値の範囲内だった、というのだ。

前の職場にいたころは、どこかしら数値が高かった。この体格だから、高いのは当然だ、と思われるかも知れない。

だが4月以降、環境や通勤スタイルが変わったり、お昼を手作りのお弁当にしたりしたことが、数値を基準値の範囲内に戻した要因だろう。

では、尿酸値だけが高い、というのは、何を意味しているか?

そう!尿酸値が高いのは、決して、不規則な生活をしているとか、暴飲暴食をしているとかが、理由ではないのだ。

もし、ふだん不規則な生活をしていたり、暴飲暴食をしていたとすれば、他の数値も高くなるはずである。だが、そうはなっていない。

つまり、痛風の原因は、「体質」である、ということが、これで明確になったのである。

やれ痛風はぜいたく病だの、酒の飲み過ぎだの、美味いものの食べ過ぎだのと、これまでさんざん揶揄されてきた。

私はそう言われるたびに、

「まったく、情けないことです」

と自嘲しながらも、心の底では、とても傷ついていた。

だがこれで、大手を振って「痛風はぜいたく病ではない」と言えるぞ!

もう一度言う。

痛風の原因は、体質である。

そして誓う。

健康管理を!

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書店徘徊

4月25日(金)

都内のビジネス街で仕事である。

なんか、「できるビジネスマン」みたいだなあ。

こんなところで働いていると、自分を「できるビジネスマン」だと、勘違いする人も多いんだろうなあ。

だが、私は違う。左足が痛くて足を引きずってそろりそろりと歩いている姿は、どう見ても「できるビジネスマン」ではない。

夕方に仕事が終わった。そのまま帰ろうかと思ったが、久しぶりに都内に出たので、神田神保町を歩くことにした。

学生時代は、三日と空けずに神保町の古書店街に通ったものである。

左足を引きずりながら歩いているうちに、思い出したことがあった。

大学院生の時に古書店街で経験したことを、エッセイ風に書いたことがあった。もっとも、書いただけで、誰に見せたわけでもない。

たしか、古いファイルの中に残っていたなあと思い、探してみると、その文章が残っていた。

「古書店街の老人」と題する文章である。

「古書店街の老人

古本屋街を歩くのが趣味である。古本屋街を歩くのは実に楽しい。つい時間を忘れてしまう。私が歩くのはおもに神田・神保町の古本屋街だが、たまに高田馬場の古本屋街に足を運ぶこともある。

4、5年くらい前からだろうか。平日の昼間、神保町の古本屋街を歩いていると、きまってある人とすれ違うことに気づいた。

その人は60歳くらいの白髪で長髪のおじさんで、髪には独特のパーマがかかっていた。背がわりと高く、スラッとした体型で、いつもジーンズをはいており、知的な感じのする丸眼鏡をかけている。

なんとも言葉では説明しがたいのだが、あえて言えば、歌手の菅原洋一をスリムにした感じとでもいえようか。とにかく知的で上品な感じがするおじさんなのである。どことなく哲学者的でもある。

その人は、いつも古本屋で買ったたくさんの本を抱え、颯爽と歩いていた。その風貌からは、ふつうの会社員のようにはとても見えない。いったいあの人は何をしている人なんだろう。そもそも私が神保町に行くたびにいるということは、その人はほぼ毎日、神保町界隈をうろうろしているに違いない。そして毎日、大量の本を買っているのだろう。

さらに驚くべきことがあった。ある時、私が神保町の古本屋街を歩いた翌日に、高田馬場の古本屋街を歩いたことがあったのだが、なんとそこでも、大量の本を抱えたそのおじさんとすれ違ったのである。つまり二日続けて、神保町と高田馬場という異なった場所で、そのおじさんに会ったのである。

こうなるともう、そのおじさんは神保町と高田馬場という都内の二大古本屋街を、毎日ハシゴしているとしか考えられない。そのおじさんの生活のすべては、古本屋街と共にあるのである。

私は彼を、植草甚一のような人なのだろう、と勝手に想像していた。植草甚一のように、古本とジャズと映画をこよなく愛する、そんなジジイになりたい。これは私自身のあこがれでもあった。植草甚一亡き後も、そういう人が世の中にまだいたのだ、と、そのおじさんとすれ違うたびに思っていた。

ところがこの1、2年は、かつてのように平日の昼間に頻繁に古本屋街を歩くという余裕はなくなっていた。都内に出ることがますます億劫になり、よほどのことがないと古本屋街には足を運ばなくなった。そんなおじさんのことなど、すっかり忘れてしまった。

先日、久しぶりに神保町に行った。ちょうど年に一度の「神田古本まつり」の時期である。かつては毎年「神田古本まつり」の初日に足を運んだものだが、昨年はとうとう行かずじまいだった。今年も行くつもりはなかったのだが、時間が空いたので最終日に行くことにした。

久しぶりの古本屋街はやはり楽しい。ひととおり買い物をすませ、神保町の駅に向かおうとすると、地下鉄の駅の出口から一人の男が出てきた。

(あのおじさんだ!)

だがそのおじさんは、かつての様子とはまるで違っていた。

おそらく何か月も洗っていないであろう、うす汚れたシャツとジーンズに身を包み、背中を丸め、傘を杖代わりにして、やっとの思いで歩いている。左手には小さい紙袋をぶら下げている。大量の本を抱え、颯爽と歩いていたかつての面影など、みじんも感じられない。まるで疲れはてた宿無しの老人のようであった。彼は古本屋街と反対の方角をゆっくりと歩き、雑居ビルのたち並ぶ路地へと入っていく。

(人違いだろうか?)

私は彼のあとをつけて路地へ入り、追い抜きざまに、彼の横顔を確認した。独特のパーマをかけた白髪の長髪と丸眼鏡。まぎれもなくあのおじさんだ。しかし背中を丸め、終始うつむいたままで、顔には生気が全くなかった。横を追い抜いていく私のことなど、気づいている様子もない。

あまりの変わり果てた姿に言葉もなかった。いったいこの1、2年のあいだに彼に何があったというのだろう。人はたった1、2年という短い間に、こんなに変わってしまうものなのだろうか。私にはとうてい受け入れがたい現実だった。これはまぼろしなのだろうか?

(ひょっとしたら彼は未来の俺の姿なのかも知れない)

そういう思いもよぎった。そういえば彼はいつも私とは反対の方向から歩いてきた。彼は、鏡に映った数十年後の私自身だったのではないだろうか。

いずれにしても、もう彼と古本屋街ですれ違うことはないだろう。彼を見納める意味で、私は後ろを振り返った。

そこに彼の姿はなかった。」

これが、今から15年くらい前に書いた文章。

クドい文体は、昔から変わっていないんだな。

それはともかく。

今から思うと、その白髪で長髪で丸眼鏡のおじさんは、意外と若かったのかも知れない。

そして私が、左足の痛みに耐えながら、そろりそろりと歩く姿は、まるであの時のおじさんそのものではないか!

15年ぶりくらいに思い出した、あのおじさん。

左足の痛みは、なんとも奇妙な記憶を甦らせたのであった。

書店街を徘徊する目的は、実はもう一つあった。

それは、自分の本がどういう扱われ方をしているか?である!

なんか、やらしいねえ。

しかし気になるものである。

神保町の大型書店であるS書店に行くと、なんと、大量に平積みしてあった!

「4月○日の○○新聞で紹介されました」という帯が巻かれていた!

待てよ。…売れてないってことか?

気になったので、今度は「日本でいちばん大きな駅」の近くにあるM書店に行くことにした。

足が痛いから早く帰ればいいものを、左足を引きずりながら、M書店に行く。

M書店は、発売直後から、平積みにしてくれていたのだった。今はどうだろう。

行ってみると…、

やはり平積みである!しかも発売から1カ月たった今も、同じ場所に平積みなのである!

しかもご丁寧に、新聞の紹介記事のコピーまで、平積みの本の横に掲げてあるではないか!

待てよ…。やっぱり売れてないってことか?

でもこんなこと、たぶん、一生に一度だな。

思わず、記念に写真を撮ってしまった。

しかし、自分の本が書店に並んでいる様子を、自分で写真に撮るというのは、すげえ恥ずかしい。

「あいつ、なに調子に乗ってんだ?バカじゃねえの?」

と、絶対思われているよなあ、と思い、一目散で書店をあとにした。

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45歳の新人研修

4月24日(木)

昨日は、ひさびさに「死にたい」と思った。

「軽く死にたくなった」のではなく、「ガチで死にたくなった」のである。

それもこれも、左足の激痛のせいである。

昨日の夕方くらいから、左足の痛みが極致に達し、自力で歩行することすら困難になった。

それでも、歩かなければ帰れない。

悪いことに、うちの職場は、山の上にある。急な坂道で足を踏みしめるたびに、激痛が走って死にたくなる。

(ああ、死んじゃえば痛みから解放されるのに…)

10メートル歩くのに1分のペース。

さすがにこれは病院に行かなくてはダメだ、と思い、夕方6時半、やっとの思いで自宅の最寄りの駅近くにある病院に駆け込んだ。

そもそも私は、病院を信頼していない。お医者さんに見てもらったところで、何も解決したためしがないのだ。

しかし、背に腹は替えられない。薬をもらうためには、病院に行かなくてはならない。

激痛をこらえながら、待合室で座って待っていると、会社帰りとおぼしき人たちが、次々と訪れる。

診療時間の終了間際には、製薬会社のセールスマンが、2社、セールスにやってきて、その緊張関係が、見ていてなかなか面白かった。

薬をもらい、やっとの事で家に戻り、すぐに床についた。

翌朝になっても痛みはひかない。しかし仕事があるので、やっとの思いで職場に向かった。

(もう面倒くさいから、ブログもやめちゃおうかなあ。友人も、すっかり読まなくなったようだし。職場が変わって内容もつまらなくなったし)

と思っていたら、ある卒業生から「ブログが更新されるのが楽しみです」とメールが来ていた。

なので、痛みをこらえて更新することにする。

ここからが本題。

えええええぇぇぇっ!!!長いよ!

昨日は、新しい職場の「新人研修」だった。

ベテランの職員さんが、「消防法」の説明をした。

その職員さんが、「消防法」を読み上げたとき、私は違和感を持った。

「…又は居住する防火対象物で政令でテイめるものの管理について権原を有する者は…」

…テイめる?

原文を見ると、「…政令で定めるものの管理について…」とある。

まさか、「定める」を「さだめる」と読めずに「テイめる」と読んだのか?

「政令でテイめる資格を有する者のうちから防火管理者をサダめ…」

また「テイめる」と読んだぞ!だがそのあとの「定め」は、「サダめ」と読んでいる。

どういうこっちゃ?

「定める」の読み方を知らなかったから、「テイめる」と読んだわけではない、ということは、「サダめ」と読んでいることからも明らかである。

では、なぜ「テイめる」と読んだのだろう?

さらに驚いた。

「若しくは用途の変更又は同項第三号にケイげる建築物の建築について…」

ケイげる?

原文を見ると「掲げる」とある。

どういうこっちゃ?

説明の内容よりも、このことが気になって仕方がない。

あとで調べてみると、「定める」を「テイめる」、「掲げる」を「ケイげる」と読むのは、よくあることらしい、ということが、わかった。

役所で法令案や告示案を作成するとき、2人で読み合わせをするらしいのだが、そのとき、原文が漢字で書いてあることを示すために、「サダめる」ではなく「テイめる」と読むそうなのである。「サダめる」と読んでしまうと、漢字で書いてあるんだかどうだかわからなくなるからね。「掲げる」を「ケイげる」と読むのも、同様である。

たとえば、「規定に定めるもの」といった場合、音だけを聞いていると「キテイ」が「規定」なのか「規程」なのかわからないので、

「きサダにテイめる」

と読むのだそうだ。同様に、「規程に定める」の場合は、

「きホドにテイめる」

と読むことになる。もうナンダカワカラナイ。

恥ずかしいことに、私は45歳になって初めて、この事実を知ったのである!

これって、常識に属することなのか???

たぶん、法律業界の人は、みんな知っていることなんだろうな。誰も教えてくれなかったけど。

45歳にして参加した新人研修で、最も勉強になったのは、この「テイめる」の読み方だったのだ!

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引きが強い話

4月22日(火)

左足の激痛が全然おさまらないので、見てみたら、左足首が象の足のように腫れていた。

うーむ。そろそろ病院に行かなくてはダメだろうか。

20140422154225_61870782_7_052708531 今日も、前の職場から満開の桜の写真が届いた。

いろいろな方が趣向をこらして送っていただくのがありがたい。これで見納めだろう。

私にとって、いい桜の写真の条件は2つあって、1つは、撮った本人が癒やされる写真であること、もう1つは、桜を見上げているような写真であること、である。

桜の写真といえば、すごい発見をした。

「ほぼ日」では、この時期に「ほぼ日桜前線」という企画がある。

それは、「ほぼ日」の読者が、近所で咲いた桜の写真を撮影して、すぐに「ほぼ日」に投稿する。

「ほぼ日」ではその桜の写真の場所を、グーグルの地図の上に落としていく。

かくして、桜前線が、今どのあたりを北上しているかが、わかる、というのである。

なんともゆるい企画で、好きなのだが、今日、たまたま「ほぼ日桜前線2014」を見て、驚愕した。

私が3月まで住んでいた町のところを見てみると、5カ所ほどの、写真の投稿があった。

さらに地図を拡大していって、驚いた。

そのうちの1カ所が、なんと、私が3月末まで住んでいたアパートの、すぐ裏手の公園の桜なのである!

私が毎年、よく見ていた桜である!

全然有名ではない、なんの変哲もない桜ではないのだが、近所の桜、ということで、誰かが投稿したのだろう。

コメントには、「小さな公園の桜です。毎年、開花宣言が出る前に咲きます」と書かれていた。そう、たしかに小さな公園だ。

何万と咲いている桜の中で、たまたま誰かがとって投稿した写真が、私が先月まで住んでいたアパートの裏手の小さな公園の桜だった。

ほかの人にとっては、どうでもいい桜かも知れないが、私にとっては、よく知る桜である。

こんなことって、ある?

ひょっとして、同じアパートの住人が投稿したのだろうか?

こう言うのって、なんて言うの?

偶然、というのとも、すこし違う。

「引きが強い」、だな。

私もよく、気づいたものだ。

私は昔から、「引きが強い」のだ。

どこのどなたかは存じませんが、ありがとう。

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カナリヤは歌を忘れるか

4月21日(月)

相変わらず、「弁当男子」は続いている。

片道1時間半をかけて、自転車と電車と徒歩で、職場に着く。

朝10時から、途切れなくいろいろな打ち合わせが続き、気がついたら、午後4時半だった。

そんな風にして、1日が過ぎてゆく。

3週間が経っても、痛風の発作は治らない。むしろぶり返してきた。

毎日痛い足を我慢しながら通勤している。相当なストレスなのだろうと思う。

授業をやらない毎日、というのは、かなり物足りない。

授業ができる元同僚たちが、うらやましい。

授業を忘れてしまうことに、次第に慣れていくのだろうか。

授業にしても人間関係にしても、忘れることに慣れる、というのは、ちょっとイヤだなあ。

でも、そんなものなのかなあ。周りの対応を見ていると、だんだんそんなふうに思えてくる。

私もそれに合わせて、忘れたふりをした方がいいのだろうか。

…そうそう、これを書かなくちゃ。

会議のために職場に来ていた先週の土曜日、お昼に職場の食堂で、バッタリと「前の職場」の教え子に会った。大学院生のT君とI君である。

「どうした?何でこんなところにいるの?」

私はビックリして聞いた。まさか、いるとは思わなかったからである。

といっても二人は、私に会うために来たのではない。二人はこの日、うちの職場が企画したイベントに参加するために、はるばる来てくれたというのである。嬉しいねえ。

二人にしたって、土曜日に私が職場にいるとは、思っていなかっただろう。

世間は狭い、としかいいようがない。

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絶対に薦められない「蔵の中」

たぶん、ここの読者はまったく知らないと思うが、高林陽一、という映画監督がいた。

高林陽一の映画の特徴を表現するならば、「耽美」、「淫靡」、「猟奇」、「退廃」、「幻想」といった言葉が思い浮かぶ。

横溝正史原作の「本陣殺人事件」を1975年に映画化したことは、金田一映画のファンならば、誰でも知っている。

この映画で金田一耕助を演じたのが、中尾彬である。

このときの中尾彬は、今では想像もつかないくらい美青年であった。

ちなみに中尾彬は、横溝正史原作、篠田正浩監督の映画「悪霊島」(1981年)で、「殺されてしまう悪役」として登場する。

映画で金田一耕助を演じた俳優が、別の金田一映画で金田一以外の役で登場するのは、中尾彬をおいて他にいない。これ、豆知識な。

そんなことはともかく。

高林陽一は、もう一本、横溝正史原作の小説を映画化している。

142080_1_2 それが、「蔵の中」(1981年公開)である。

この映画で、中尾彬は、雑誌編集者の磯貝三四郎という役で出ている。前作の「本陣殺人事件」のイメージとは正反対の、色魔を見事に演じている。

ある日、磯貝の経営する雑誌社に、「蔵の中」という小説が持ち込まれる。胸を病んでいる美青年・蕗谷笛二と名乗る男が、「ぜひあなたに読んでほしい」と持ってきた小説である。

蔵の中に住む胸を病む姉・小雪のところに看病に来た弟・笛二は、彼女を慕い看病するうちに、やがて「蔵の中」で男女の関係を結んでしまう。

このあたりがじつに耽美的なのだが、私の心をとらえたのは、その場面ではない。

蔵の中の退屈しのぎに、遠眼鏡で外を見た笛二は、ある光景を目撃してしまう。

それは、磯貝三四郎が、愛人・お静の家に通っている光景である。

そこで、磯貝と愛人とのさまざまなやりとりを、遠眼鏡越しに目撃することになる。

そう、この映画は、日本版「裏窓」(ヒッチコック監督の映画)なのだ!

遠眼鏡で磯貝と愛人との一部始終を目撃した笛二は、次第にある「確信」を得るようになる。

それは、磯貝が妻を殺した、という確信である。

そればかりではない。

愛人のお静もまた、磯貝によって、首を絞められて殺されてしまうのだ。

つまり磯貝は、妻と愛人の両方を殺したのである。

それが、薄暗い蔵の中から、ずっと遠眼鏡でのぞいていた笛二が出した結論だった。

笛二は、そのことを「蔵の中」という小説として書き、それを、雑誌編集者の磯貝のもとに持ち込んだのである。

ふだん、持ち込みの小説など読まないと豪語していた磯貝は、その小説を持ち込んだ笛二の妖しげな雰囲気に魅了され、なんとなくその小説を読み始める。

磯貝をモデルにしたと思われるその小説には、驚愕の内容が書かれていた。

自分にとっては全く身に覚えのない、妻と愛人の殺害、という妄想が、書かれていたからである。

つまり、遠眼鏡越しに笛二が見たものは、まったくの妄想だったのだ。

蔵の中から、遠眼鏡越しに見た、外の世界。

そこから、果てしない妄想を広げてゆく笛二。

大学生のときに、衛星放送でこの映画を見た私は、この映画のなんともいえない「淫靡」「耽美」「幻想」「退廃」「猟奇」的な雰囲気に、すっかり魅了されてしまった。

そして告白すると、この映画こそが、その後の私の妄想癖…遠目に見た断片的な光景から、人間関係の妄想をたくましくする癖…の原点だったのだ。

だからこの映画、ほかの人には絶対に薦めません。

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励まされる生き方

4月20日(日)

木曜日までの4日間の出張、そしてこの週末2日間の会議で、グッタリである。

140420_151301 癒やされるのは、ときおり届く、桜の便りである。

今日届いたのは、車窓からの桜。私が幾度となく通った道である。

このところ、励まされてばかりいる。

昨日は、こんなことがあった。

5年ほど前に卒業したMさんが、

「地元の新聞に、先生の本の書評が載っていました」

と、メールで知らせてくれた。Mさんの住む県の新聞らしい。

あわせて、

「新しい職場はどうですか?」

とも書かれていた。

私は、

「学生がいないのでつまらないです。早くも後悔しています」

と返事に書いた。

すると、

「まだ半月ですよ!元学生が今年中にはお邪魔したいと思いますので、そのときはぜひ思う存分、よろしくお願いします」

と返事が来た。私のことを気遣ってくれていて、ありがたい。というか、教え子に慰められる私って、やはり情けない大人だなあ。

そして今日。

Mさんから、地方新聞に載った書評が添付ファイルで送られてきた。

「これを読んで、元気を出してください」と、メールに書いてあった。

書評の内容は好意的だったので、ホッとした。

なにかと励まされてばかりいる。

まったく、私は面倒な人間である。呆れられても仕方がない。

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かなりうかつ

4月19日(土)

今日から2日間、長い会議である。

土日もヘチマもない職場であると悟る。

以前、就活をしている学生から、

「こんど、就活の関係で、先生が学生時代に過ごした町のあたりに行くんですが、どこかお昼を食べるのにオススメのお店はありませんか」

と聞かれたことがあった。

私が学生時代に過ごした町、といっても、もう20年以上も前の話だし、あれからお店も変わっていることだろう。

私は、学生時代に研究室の仲間とよく通っていた洋食屋を紹介した。それなりに、思い入れのある店である。

数日後。

「オススメのお店に行ってきました」とその学生。

まだ、そのお店は潰れずに残っていたのか。

「どうだった?」

と聞くと、

「いまいちでした」

との返事だった。

いや、「いまいち」と、はっきり言ったのかどうかは覚えていない。たぶん学生の表情から、私がそう読み取っただけだったかも知れない。

自分が美味しいと思っている店が、他人にとってはそうでもない、ということは、よくあることで、さほど驚くべきことではない。

とくに、学生時代に出会った味、というのは、そういうものである。

育った地域とか、そのときの自分の年齢とか、そのときの心理とか、それを食べた状況とか、時代状況とか、そういったものが、味覚を大きく左右すると思われるのである。

音楽や映画や小説、などもそうである。

いくら自分がよかれと思って薦めたとしても、何歳の時に、どういう状況で、どういう思いで、音楽や映画や小説に接したのか、が、大きく左右しているのであり、それは、異なる環境で過ごしたほかの人が簡単に共有できるものでもないのだろう。薦められた方も、反応に困ってしまうだろうし。

だから、人はうかつに、自分の好みを薦めるものではないのかもしれない。

そう考えると、私はかなりうかつである。

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窓越しの光景

4月18日(金)

夕方、職場の仕事部屋で書類仕事に追われていると、前の職場の桜の写真が届いた。

140418_164101 「いまいちの構図ですが、構内も桜が満開になりました」

わざわざ時間を割いて送ってくれる、というのは、本当にありがたいことである。

届いた写真の様子から、そうとうに忙しい時間の合間をぬって、わざわざ立ち止まって撮影した姿が想像され、かえって申し訳ない気持ちになった。

毎年この時期になると、「ほぼ日」で、自分の近所で咲いた桜を写真に撮って投稿する「ほぼ日桜前線」という企画があるのだが、ここ最近、そんな感じで、桜の便りをいただくのが、とても嬉しい。

窓越しに見る桜、というのもよい。

そもそも私は、窓越しの風景というのが、好きなのだ。

前の前の職場の仕事部屋の窓からは、広いグランドと木々の緑が見えた。

前の職場の仕事部屋の窓からは、銀杏並木のメインストリートが見えた。

Photo 今の職場の仕事部屋の窓からも、大小さまざまな木々の緑が見える。

おまけに午後になると、ウグイスの鳴き声が聞こえるのだ。

だからいつも、窓は開け放っている。

窓越しの風景には、いつも恵まれていた。

仕事の合間に、仕事部屋の窓の外をぼーっと眺めるのが好きだった。今でもそうである。

窓越しに見える光景が、通常に見る光景と、どこか違う感じがするのは、なぜだろう。

そういえば、私が「人生の後半期の応援歌」として愛してやまない、井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」。

この歌は、歌詞の解釈が難しいのだが、

年を重ねて、気がかりとか、悲しみとか、幸せとか、人によってさまざまな思いを抱くだろうが、それもすべて、「長い坂の絵のフレーム」。つまりフレーム越しに見た長い坂の絵のようなものだ。

フレーム越しに人生を眺めれば、さまざまな気がかりも、わけもない悲しみも、所詮はフレームの中の風景のひとつにすぎなくなるのだ。

そんなことを歌っているように、私には思える。

解釈が間違っているかも知れないが、そう解釈することで、私は救われている。

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ふたたびの、桜の便り

4月17日(木)

4日間の苛酷な出張が終わった。

帰りの新幹線に乗っていると、この3月に卒業したTさんから、携帯にメールが入った。

「先生、風邪の方は大丈夫ですか? お大事になさってください。

こちらもだいぶ暖かくなってきて、お城の桜は今が満開です。今年はずっと晴れていたせいか、とても綺麗に咲いています。桜の写真を添付します。

私もSさんもまだまだ手探り状態ですが、地元の市役所で元気にやっています。課は違いますが、二人とも税務に配属です。税法とか、計算とか、わからないことだらけですが、頑張っていこうと思います。

以上、近況報告でした。返信は不要です。

風邪を長引かせないよう、お身体に気をつけてください。

それではお元気で。またそのうちメールさせていただきます。」

一昨日のブログに、前の職場の桜の写真を載せたことや、風邪をひいたと書いたことなどを読んで、送ってきてくれたようだ。

些細なことにも、気にかけてメッセージをくれる、というのは、うれしいことである。

2枚の桜の写真が、添付されていた。

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Tさん。

ふと立ち止まって、桜の写真を撮ったり、

それをだれかに送ろうと考えたりすることは、

「心にゆとりがある」、ということのあらわれだと思います。

それは、仕事に追われる社会人にとって、とても大切なことだと、私は思います。

新しい環境で、一から仕事を覚える、というのは、大変なことでしょう。

今の私が、その立場なので、とてもよくわかるのです。

どうか、これからも「心のゆとり」を忘れることなく、一つ一つ乗り越えていきましょう。

お互いに。

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五分咲きの便り

4月15日(火)

仕事に支障をきたしてはいないが、相変わらず風邪がひどく、体調が悪い。

Photo 今日、前の職場から、職場に咲く桜の便りが届いた。

思いがけず花見ができて、嬉しい限りである。

まだ五分咲きらしいが、今日あたりから、花見に興じる人たちで盛り上がることだろう。

私の知り合いに、お昼になると毎日、きつねうどんの出前を取って食べている人がいた。

その人の定年退職が近くなったころ、その人が言った。

「あと何回、このきつねうどんを食べられるかなあ」

その人が定年退職に近づくにつれ、きつねうどんに対する思いは強くなっていった。

この話を聞いた妻は、

「そんなこと、どうだっていいじゃん」

と言った。私も、

「そうだよね」

と、そのときは相づちを打った。たしかに、他人にとっては、そんな個人的な感慨など、どうでもいいことである。

しかし、と、冷静になって考えてみる。

私はこの時期、前の職場に咲いていた桜を見るたびに、

「あと何回、この桜を見られるのかなあ」

と思っていたことを思い出した。

前の職場を去ることが決定したときも、

「この店の天ぷらそば、あと何回食べられるかなあ」

とか、

「この店のカレー、あと何回食べられるかなあ」

とか、感慨にふけったものである。

私の感傷は、定年退職間際の人が言った「あと何回、きつねうどんを食べられるのかなあ」という感傷と、何ら変わるところがない、ということに、あらためて気づいたのである。

たぶんそれは、ほかの人にとっては、

「そんなこと、どうだっていいじゃん」

という程度のことなのだろう。私自身が、そう思っていたように。

…薬を飲んで、早く寝よう。

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お互い、上から目線

4月14日(月)

出張先で、ひどい風邪をひいてしまった。

寒暖の差が激しいことに加え、空気がえらく乾燥していることが原因かと思われる。

長丁場なので、倒れるわけにはいかない。

今日の仕事が夕方に終わり、大事をとってホテルで寝込んでいると、友人や後輩から消息を伝えるメールをもらい、いくぶん元気になる。

昨日ブログで取りあげた、福岡に住む高校時代の友人、コバヤシからも、またメールが来た。

ブログで取りあげたことに対するコメントらしい。悔しいので全文引用する。

「ブログにアップされたのは想定内ではありましたが、本日、昼休みにブログをチェックすると「なんだ結局、俺のブログをお前もチェックしてるじゃん」的な上から目線に少々ムカつきつつも、「美味しい食べ物とお酒が気になる」的な反応もあったので、一応、期待に応えて?昨日の昼のメニューを説明すると、

まず、刺身ということで長崎産天然生マグロの赤身と福岡産の地蛸、カワハギの肝・ポン酢和え。

次いで竹ノ子の酢味噌和え、竹ノ子の煮物、竹ノ子ご飯。

といった感じで、刺身はスーパーで普通に売ってるもの、竹ノ子は近所の商店街に自分ちの山で朝採ったのを茹でて売りに来てるオバチャンがいるのでそれを買ったものです。

近所で、美味しい海の幸も山の幸も手に入る福岡はやはり良い所です。ちなみにお酒は福岡の地酒の新酒、純米吟醸生酒です。

ということで、またそのうち」

なんだ、やっぱりブログをチェックしていたのか。

「上から目線に少々ムカつきつつも」と書いてきてやがる。

しかも今度は、ブログにアップされることを念頭に置いて、日曜日の昼のメニューを、事細かに書きやがった。

美味そうじゃねえか、この野郎!

貴君こそ、「どうだ、うらやましいだろう」の上から目線ではないか!

…最近、つくづく思うのだが。

大人になってからの友人とは、いたわり合い、励まし合うことが大事。

高校時代からの友人とは、言いたいことを言い合うことが大事。

どちらも大切なことに変わりないが、これを取り違えると、大変なことになる。

そんなことを感じるようになった。

体調が悪いので、なおさらそんなことが身にしみる。

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記事がつなぐ

4月13日(日)

高校時代の親友、コバヤシの久々の登場である。

今日、携帯にコバヤシからメールが来た。コバヤシの方からメールを書いてくるなんてことは、まずない。

「コバヤシです。ご無沙汰しています。今朝、○○新聞を読んでいたら貴君の記事が写真入りで載っているのを見て思わず笑ってしまったので、ついメールしてしまいました。まあ昼間っから美味しいものを食べながら酔っ払っているせいもありますが。

新しい職場はいかがですか?私のほうは、まだ九州残留のようで、もう少しこちらの生活を楽しませてもらいます。

東京に行く機会があったら、また飲みにでも行きましょう。

では、またそのうち」

「○○新聞を読んでいたら、貴君の記事が写真入りで載っているのを見て思わず笑ってしまった」というくだりがいい。高校時代の友人からしたら、「お前、何すまし顔で写ってんだ?」というようなものなのだろう。

それに、「まあ昼間っから美味しいものを食べながら酔っ払っているせいもありますが」というくだりも気になる。ずいぶん楽しそうじゃないか。どんな美味しいものを食べているのか?

次に来たメールには、こんなことも書いてあった。

「先日、貴君のブログを昼休みに見てたら、物好きな新聞記者が取材に来たというのがありましたが、それがこの記事だったんですかね?」

なんだ、あれだけ文句言ってたのに、まだこのブログを読んでいたのか。

そう、その通り。あの時の物好きな新聞記者の取材が、この記事です。

記事をたまたま見つけたといって、連絡をくれたのは、コバヤシただ一人。

やはり、高校時代の親友だなあ、と思う。

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ハガキと電話

4月12日(土)

「世話人代表のKさん」から、ハガキが届いた。

3月末に勤務地を離れるとき、世話人代表のKさんにちゃんとした挨拶をしないままだったことが、心残りだった。

Kさんも、そういったことが苦手だったらしく、

「いままでと変わりなく」

と書いてあったのは、いかにもKさんらしい言葉だった。

ハガキの最後に、「ひとつ進言します」とあり、何かと思ったら、

お互い、客の入る企画を心がけましょう

とあったので、思わず笑ってしまった。

夜、出張先のホテルにいたら、携帯電話が鳴った。

前の勤務地の仲間たちからである。

「同い年の盟友Uさん」をはじめとする人たちが、この3月で定年退職した地元の先輩たちの送別会をしていた。もちろん私も、その先輩たちにはとてもお世話になった。

その送別会の席で、私のことが話題に出たのだろう。

入れ替わり立ち替わり、電話に出てくる人たち。

みんな、いい感じで酔っ払っているようである。

ただ、こちらの携帯電話がそうとうボロボロになっていて、音声が割れて聞き取りにくかったために、あまりちゃんとした受け答えができなかったのが申し訳なかった。携帯電話も、そろそろ替え時だな。

メールも悪くないが、ハガキとか手紙とか電話、というのは、やはり嬉しいものである。

いつも、なんでもかんでもメールですませてしまう自分を振り返り、少し反省した。

メール、で思い出したが。

以前、比較的仲のよかった人が、仕事の都合で遠く離れたところに移った。その後、半年ほどは思い出したようにたまにメールが来たりしたのだが、いまでは、まったく来なくなってしまった。

何か、きっかけでもあったのだろうかと考えてみるが、思いあたるふしはない。

私のことだから、例によって余計なことを書いたりして、気に障ったのかも知れない。

こちらからもなんとなく連絡をしづらい感じなってしまって、そのままになってしまった。

だが、縁をつくろうと思えば、またどこかでお会いできるだろう。

いままでだってそうだったんだから。

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バルブはなぜゆるんだのか

4月12日(土)

新しい職場に移って、落ち着くヒマがない。

4月1日から、会議、打ち合わせ、歓迎会、書類作りなどに追われ、その合間に、仕事部屋に届いたコンテナ2台分(約200箱)の本を、段ボールから取り出して仕事部屋の本棚にならべる。

前の職場では、授業が始まったんだよなあ。

前の仕事とは、全く異なる仕事なので、勝手がわからず、頭を切り換えるのに一苦労である。

私生活でも、トラブル続きである。

まず、自転車の後輪がパンクした。これは前に書いた

次に、買ったばかりのオーブンレンジにもトラブルが発生した。

冷凍したご飯を何度温めても、凍ったままである。

つまり、まったく「あたたまらない」のである。

いくらなんでもこれはおかしい、と思い、メーカーに電話して、見に来てもらうと、

「初期不良です」

という。

一流メーカーの新品なのに、こんなことってあるのか?

オーブンレンジを買った家電量販店で、商品を交換してもらった。

そして昨日の夜。

お風呂の「お湯張り」をしていると、玄関のチャイムが鳴った。

こんな夜に、誰だろう?と思ってインターホンをとると、

「お宅の、オモテのガス器具の置いてあるところから、水がジャージャー流れてますよ」

という。

なんのこっちゃ?と不審に思い、おそるおそる部屋のドアを開けると、そこにサラリーマン風の男の人が立っていた。

「ほら、水が流れているでしょう」

マンションの私の部屋の扉の横には、ガス器具が置いてあるブースがあるのだが、そこから、まるで川の流れのように、水がジャージャーと、共用スペースの廊下部分に流れ出しているのである。

「うわっ」

思わずびっくりすると、その男性が言った。

「とりあえず、お湯を出すのを止めた方がいいと思いますよ」

「ありがとうございます」

どうやら、お風呂の「お湯張り」が原因らしい。

慌てて、お湯張りをするのをやめた。

そして今日。

ガス屋さんに来てもらって、オモテのガス器具を見てもらった。

「お湯張りのときに、このパイプに水が循環する仕組みになっているんですが、どうやらこのパイプのバルブがゆるんでいて、そこから水が漏れていたようです。でも不思議ですねえ」

「何がです?」

「ふつう、このバルブがゆるむことはありません」

「そうなんですか」

「ええ。少なくとも手でゆるめることはできません。特殊な器具を使わないと」

「どういうことでしょう?」私は質問した。「まだ引っ越して間もないんですが、ということは、引っ越した当初から、このパイプのバルブはゆるんでいたってことでしょうか?」

「その可能性はありますね」

「でも、水が漏れて流れていることがわかったのは、昨日なんですよ」

「そうですよねえ。あるいは、たまたま昨日になって気づいたのであって、お引っ越しされた最初からずっと水漏れがしていたのかも知れません」

なるほど、いますんでいるこの部屋は、しばらく空いていたのだから、私が引っ越してくる以前に、何らかの事情でバルブがゆるんでそのままになっていた可能性は考えられるだろう。

しかしおかしい。もしそうだとすると、毎朝、水が流れた跡が残っていたとしても不思議ではない。しかし、いままでそんなことはなかったのである。

やはり、昨日になって、水が漏れ出したのだ。

では、なぜ、ゆるむはずのない、バルブがゆるんだのだろう?

結局、問題はそこに戻ってしまった。

謎を抱えたまま、これから1週間ほど出張に出かけます。

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結局、オサレな美容室

4月11日(金)

仕事帰りの午後7時、昨日見つけた、自宅近くの散髪屋さんに行くと、すでに「closed」の看板が。

午後8時閉店のはずだが、いま店の中にいるお客さんを最後に、店を閉めたのだろう。

だが、明日から来週いっぱい、ずっと公務出張なので、髪を切るとしたら、今日しかないのだ。

背に腹は替えられないので、駅前に軒を連ねるオサレ美容室に行くことにした。

しかし、どの店もガラス張りで、散髪されている姿が丸見えになってしまう。

いくつかある中でも、いちばん目立たない感じのお店を選んだ。

おそるおそるドアを開けた。

「いらっしゃいませ」とオサレな女性店員。

「あのう…男性でも大丈夫でしょうか」

本当は「オッサンでも大丈夫でしょうか」と聞きたかったが、恥ずかしいのでやめた。

「大丈夫ですよ。ここにおかけください」

なんともオサレな作りの店である。

シャンプーをしたあと、鏡の前に座る。

カットしてくれるのは、「鼻ピアス」をした男性店員である。

もちろん、共通の話題などない。

美容室って、カットしてもらいながら雑誌が読めるんだね。手持ちぶさたなので、雑誌を読むことにした。

私の椅子の前には、私が「アラフォーの男性」であることに配慮してか、すでに店員さんが雑誌が3冊ほど用意していた。

そのうち2冊は、アラフォー男性向けのオサレなファッション誌である。

残りの1冊は、下世話な写真週刊誌である。

…いったいどっちを読んだらいいんだ?

というか、「オサレ」と「下世話」の中間くらいの、ちょうどいい雑誌は置いてないのか?

仕方がないので、下世話な写真週刊誌から読み始めるが、途中、あまりに下世話すぎて、ページを開くこともできない。

次に、オサレなファッション誌を開くが、私がそんな雑誌を開いて読んでいると、

「おまえみたいなやつが、勘違いしてオサレなファッション誌を読むなんて、キモチワルイ」

と、女性店員さんに思われるんじゃないか、と思い、ほとんど読まずに閉じた。

いや、そもそも、こんなオサレなお店でカットしてもらおうと思っている時点で、キモチワルイ。

しかも、カラーリング、なんてこともぬかしやがる。

勘違いにもほどがある。

…と、思われているかと思うと、居たたまれなくなってきた。

1時間45分もかかって、ようやく終了した。

「今日は初めてのご来店なので、割引をさせていただきまして、7300円です」

な、な、7300円???

美容室って、そんなに高いのか?顔剃りもないのに。

いったい割引しなかったら、いくらなんだ???

しかし、仕上がりはけっこう気に入っているので、悪い気はしない。

結論、オサレにはお金がかかる。

次回また行くかどうかは、思案中。

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散髪放浪記

4月10日(木)

新しい土地に移り住んで、最も困ることと言えば?

そう!散髪屋さんを選ぶことである!

韓国に留学中、はじめて散髪屋に行ったときには、本当に困った。

「どのようになさいますか?」

という質問に、韓国語でどう答えていいのかわからない。

何回か通ってみてようやく、

「整えてください」

とひとことで答えればよいのだ、ということがわかったのである。

それから後は、散髪屋に行くことも苦にならなかった。

それはともかく。

仕事帰りに、散髪をしようと思って、自宅の最寄りの駅の周りを探してみたが、駅の近くに軒を連ねているお店は、オサレな美容院しかない。

オサレ過ぎて、とても入ることができない。

私の選ぶ散髪屋の条件。

オサレ過ぎる店はダメ。

といって、パンチパーマのオヤジがくわえタバコをしながら店を一人で切り盛りしているような店。

これもダメ。

自分もパンチパーマにされそうで、怖い。

店は、古びた小さな構えより、清潔で広い構えの方がよい。

道具も新しい方がよい。美容院を少し意識した理容店、というスタンスのお店がよい。

散髪用の椅子は、2つ以上はあった方がよい。

ベテランの夫婦が散髪屋を切り盛りしているが、ベテランのオヤジは、半分隠居していて、ベテランのオヤジに鍛えられた若くて腕のいい店員が1人いて、実際にはその店員がお店を支えている。

若い店員は、必要以上に話しかけず、どちらかといえばおとなしい方がよい。

そう!ちょうど、韓国映画「大統領の理髪師」に出てくる散髪屋さんのようなお店だ。

実際、先月まで通っていた散髪屋さんは、そんな感じのお店だった。

店の主人は、けっこういい年齢で、昔からの常連さんしか担当しなかった。

店には1人、腕のいい若い店員がいて、余計なことは言わず、黙々と髪を切った。

3月の初め頃だったか。

いつものように散髪をしてもらい、終わって会計を済ませた後、私はおもむろにその若い店員に言った。

「3月末でこの町を離れるんですよ。ここに来るのも最後かも知れません」

そう言って、店を出ると、その若い店員のあんちゃんが、慌てて店の外まで追いかけてきた。

「今の話、本当ですか?」

「ええ。すみません、今まで黙ってて」

「転勤でしょう?今度はいつ帰ってくるんです?」

「いえ、もう帰ってくることはありません」

「そうですか…残念だなあ」

「3月末までに、もう1回くらい来るかも知れません」

「そうですか…ぜひ来てください」

だが結局、その散髪屋さんをふたたび訪れることなく、私はその町を離れた。

長年通い慣れた散髪屋の印象が強ければ強いほど、新しい町で散髪屋に入るには、かなり勇気がいるのだ。

自分に合う散髪屋は、この町でも見つかるだろうか?

町を徘徊しているうち、それらしい店を1軒見つけたので、入ろうとしたが、

「すみません。今日はもう閉店です」

時計を見ると、午後8時である。

散髪は、明日以降に持ち越しである。

そうだ!

今度あの町に行く機会があったら、時間を作って、通い慣れたあの店で散髪してもらうことにしようか。

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「日の名残り」再見

カズオ・イシグロ原作、ジェームズ・アイヴォリー監督の映画「日の名残り」(1993年公開)を、じつに久しぶりに見た。

やっぱり良いなあ。じつに丁寧な作りの映画である。

アンソニー・ホプキンスと、エマ・トンプソンがいい。

なかでも、アンソニー・ホプキンスの抑えた演技が、じつにすばらしい。

以前に書いたあらすじを引用する。

「謹厳な執事・スティーブンス(アンソニー・ホプキンス)は、厳格なまでにプロ意識をもって執事の職務を遂行する。使用人同士の恋愛が禁じられている執事の世界で、彼は女中頭であるミス・ケントン(エマ・トンプソン)に深い友情を感じながらも、それを決して表に出すことなく、職務に忠実な執事であり続けるのである。

やがて時が過ぎ、長らく仕えていた主人が没落し、新しい主人に仕えるようになったスティーブンスは、結婚して引退したかつての同僚、ケントンのもとを訪ねる。新しい主人の下でもう一度仕事をしようと説得するためである。2人の再会の場面は、スティーブンスとケントンの両者の、決して明かされることのない思いとも相俟って、じつに印象的である。」

あらためて映画を見てみてわかったのだが、最後の場面、すなわち、二人が再会する場面が、小説とはやや異なっていた。

原作に比べて、映画の方が、スティーブンスのセリフが、極力抑えられている。

原作の方は、どちらかといえば、スティーブンがやや饒舌なのである。

個人的には、映画版の方がよい。

結婚して「ミセス・ベン」になったかつての旧友、ミス・ケントンから、じつに久しぶりに手紙が送られてきたスティーブンス。

ミス・ケントンの手紙には、「ダーリントン卿のお屋敷で働いていた頃が、いちばん幸福だった」と、書いてあった。それは、現状の生活に不満があるともとれる内容だった。

その手紙を受け取ったことがきっかけとなって、スティーブンスは休暇をとり、20年ぶりにミス・ケントンに会いに行くのである。

道中、スティーブンスの頭の中で、「あの頃のように、また一緒に、屋敷に仕える身として仕事をしたい」という思いが、どんどんとふくらんでゆく。

だが、実際にミス・ケントンに会ってみて、その願いは、ミス・ケントンの「ある発言」で、見事に打ち砕かれる。

そこで、彼の頭の中でふくらんだ「思い」は、急速にしぼんでいくのである。

そのあたりの表情やしぐさを、アンソニー・ホプキンスは、見事に演じている。

地味な内容だが、細部にわたって、じつに丁寧な演出をしている映画だと思う。

こういう映画こそ、何度もくり返し見るべきなのだ。

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めざせ!弁当男子

4月8日(火)

職場の周りには、食堂やコンビニがまったくない。

問題は、お昼をどうするか、である。

朝、出勤したときに、仕出しのお弁当を注文し、お昼に守衛さんのところにお弁当を取りに行く、というのが、最もスタンダードな方法だが、毎日毎日、同じ仕出し屋の500円のお弁当、というのも、じつに味気ない。

そう思ったら、前の職場は、ふつうの学食とか、ちょっとグレードの高い学食とか、「よく喋るシェフのいる店」とか、「ごくごくふつうのおそば屋さん」とか、周りに目先の違った食堂がたくさんあって、すげえ恵まれていたんだな。

一部の同僚たちにとっては、それが息抜きだったのだろうな、と、あらためて思う。

そう考えると、今の職場は、「食」という点からすると、きわめて貧しいのだ。

そこで、弁当を自分で作ることにした。

昨日、弁当箱を買った。「病気の小鳥が食う」ほどの量しか入らない、小さなお弁当箱である。

作る、といっても、ご飯を炊いて、冷凍食品を中心にしたおかずをつめるだけである。

さて、この「弁当男子」、いつまで続くか。

それはさておき、最近強く思うのは、

「職場での昼食とは、最もわかりやすい政治である」

ということである。

前の職場、今の職場を通じて、実感したことである。

ナンダカワカラナイ。

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夜と音楽と友と香り

高校2年の文化祭の演奏会で、「黒いジャガーのテーマ」の曲の最後に、バラの花を客席に投げた、という話

よくよく思い出してみると、「どうかしていた」のは、このときばかりではなかった。

私は高校時代、すげえ「キザ」な人間だったんじゃないだろうか、という疑念が、頭をもたげてきた。

当時、FM東京で放送していた「渡辺貞夫マイ・ディア・ライフ」を毎週欠かさず聞いていたことは、以前にも書いた。

もちろん渡辺貞夫の音楽が好きだったから聞いていたのだが、実はそれだけではなかった。

番組の進行役である小林克也の語りも、大好きだったのだ。

とくに、番組のオープニングの「語り」は、一篇の詩を読むがごとく、とても心地よいものだった。

願わくは、コピーライターとか放送作家になって、こんなふうな原稿を書いて、それを小林克也に読んでもらいたい、と、真剣に思ったものだ。

それが、高校時代の私だった。

「夜には、いろいろな表情があるものだ。

満ち足りた顔。

待ち受けている顔。

不安な顔。

そして、優しい顔。

遠く見渡せるときがあり、

友が浮かぶときがある。

何かを求めて追いかけている夜。

つぎつぎにやってくる思いを、まじまじと見つめている夜。

どこかで、扉が開いた。

輝いた夜には、ふさわしい音楽を、爽やかな香りとともに。

資生堂、ブラバス。

この番組は、東京銀座・資生堂の提供でお送りします。」

「夜。静けさの中で、音楽はたとえようもなく優しかった。

その激しいリズムにも、そのむき出しのやりとりにも、

爽やかな、優しいまなざしがあふれていた。

音楽よ、そして友よ、いつでもわが部屋をノックしたまえ。

君のためにこの部屋を、透き通る爽やかな香りで満たしておくから。

資生堂、ブラバス。

この番組は東京銀座・資生堂の提供でお送りいたします」

オープニングの「語り」は、定期的に変わっていたが、一貫して「夜」「音楽」「友」「香り」というフレーズが入っていたことは、同じである。

今聴くと、すげえキザな語りだなあ。

でもこんな文章を書いてみたいと、高校時代の私は、本気で思っていたのだ。

まったく、どうかしていたね。

でも告白すると、「夜」「音楽」「友」「香り」の4つの言葉を使って、キザな文章を書いてみたい、という気持ちは、今も少しあるのだ。

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「町の自転車屋さん」の幻想

4月6日(日)

引っ越したばかりの町、というのは、えらく住みにくい。

自転車の後ろのタイヤがパンクしたようなので、近くに「町の自転車屋さん」があるかどうか調べてみると、歩いて15分ほどのところにあることがわかり、夕方6時半過ぎ、その自転車屋さんに行った。

自転車屋さんはまだ開いていた。

「すみません。後ろのタイヤがパンクしたみたいなんですけど、見てもらえますか?」

「無理ですねえ」

「え?」

「今日は無理です」

たしかに、夕方遅くに持ってきたこっちも悪い。

「では、預かっていただいて、明日取りに来ますから…」と言いかけると、

「それも無理です」

という。

「うちはスペースが狭くってねえ。ご覧の通り、もういっぱいなんですよ。私一人しかいないもんでねえ」

もう、手一杯、ということらしい。見ると、修理を待つ自転車が何台か並んでいた。

「それに、うちは閉店が7時半なんでね」と、そのお店のおじさんは付け加えた。

まだ、30分以上あるじゃん!と思ったが、そこはぐっとこらえた。

「じゃあ、この近くにどこか他の自転車屋さんはありませんか。私、引っ越して間もないもので、このあたりのことがよくわからなくて…」

「さあ、わからないねえ。国道の方にあったと思うけど、たぶん、うちと同じだと思いますよ」

自分と同じ対応をするだろう、と言いたいらしい。

「じゃあ、○○はどうですか?」

私は、チェーン店の名前をあげた。方角は異なるが、先日、家の近くを車で通ったときに見かけた店である。

「ああ、あそこもうちと同じだと思いますよ。閉店時間も同じだと思いますし」

なしのつぶて、とはこのことである。

悪いのは、こんな時間に自転車を持ってきた俺なのか?

なんとなくあまり良い心持ちがしなくなって、その自転車屋さんをあとにした。

私の実家の前には自転車屋さんがあって、父と幼なじみのゴロウさんがいつも自転車を直してくれていたので、「町の自転車屋さん」には、これまで信仰に近い親しみを感じていたのだが、それが脆くも崩れてしまった。

仕方がないので、踵を返して、チェーン店の店にダメモトで行ってみることにした。夜7時直前に着くと、まだ店は開いていて、中で若い店員さんが自転車の修理をしていた。

玄関のところを見ると、閉店は「7時半」とある。さっきの店と同じだ。

おそるおそる、

「あのう、自転車の後輪がパンクしたみたいなんですけど、…直していただけますか?」

と聞いてみると、

「いいですよ。10分~15分くらいで済みますから。そこへおかけになってお待ちください」

と、その若い店員が答えた。

で、あっという間にパンクが直った。

その親切な対応に、感謝した。

この一部始終を妻に話すと、

「『町の自転車屋さん』が親切だってのは、もう幻想なのかもね。大手チェーン店の方が、今はかえって親切なのかも」

とのコメント。

なるほど、そうかも知れない、と思わせる出来事だった。

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ポトリと落ちたバラの花

軽く死にたくなる思い出話。

高校時代、吹奏楽部に所属していた。

毎年秋に行われる文化祭では、体育館を会場にして、演奏会をした。

高校2年の文化祭では、「黒いジャガーのテーマ」という曲を演奏した。

ね?この曲、めちゃめちゃかっこいいでしょう?

この曲のアルトサックスのソロを、なんと私が担当することになったのだ!

しかも、最後まで聴いてもらうとわかるのだが、この曲の最後は、アルトサックスの哀愁あふれるソロで終わるのだ!

すっかりテンションが上がってしまった私は、…もうこの時点で「どうかしている」としか思えないのだが…、なんと、仰天の演出を思いついてしまったのである。

それは、胸ポケットにバラの花一輪をさして演奏し、最後の哀愁あふれるソロを吹き終わった後、胸ポケットのバラを客席に向かって投げる、という演出である。

もう、バカでしょう?なんでそんな演出を思いついたのか、わからない。

今から考えると、どうかしていたとしか思えない。「お前、何様だ?」と。

たぶん、ジュリー(沢田研二)が、歌い終わった後、かぶっていた帽子を客席に投げる、みたいな演出をしているのを見て、影響を受けたのかも知れない。

いずれにしても、完全に思春期をこじらせてしまったとしかいいようがない。

例によって、演奏会当日までみんなに黙っていて、「黒いジャガーのテーマ」の曲が始まる直前、バラの花一輪を胸ポケットにさしたのである。

そしていよいよ、「黒いジャガーのテーマ」が始まる。

今から思うと、まあへったくそなソロだったと思うんだが、本人は完全に、「ジュリー(沢田研二)」になりきっているのだ。

そして、いよいよ最後のソロである。

最後のソロは、アルトサックスだけがメロディーを自分のペースで吹くことができる。いわゆる「おいしいソロ」である。

だから、ここだけは、アルトサックスのソロが、自由に音を伸ばしたりすることができるのだ。

もちろん私は、ためにためて、存分に音を伸ばした。

そしてソロが終わり、私は胸ポケットのバラを、客席に向かって投げた。

ところが、である。

思いっきり投げたつもりが、まったく客席に届かず、届かないばかりか、指揮者の目の前で、ポトリと落ちてしまったのである。

アルトサックスは、フルートやクラリネットの後ろ、つまり前から3列目くらいに座っていた。さらにその前には指揮者が立っているので、考えてみれば、客席との距離は、けっこう遠いのだ。

それを計算に入れておらず、無残にもバラの花は、かろうじて前の2列のフルート、クラリネットの諸君たちの頭上を越え、指揮者の前で、ポトリと落ちたのである。

客席からしたら、

「あの人、最後に何をやりたかったんだ?」

と、何が何だかわからなかったことだろう。

結局、苦労して考えた演出は、客席にまったく届かないまま終わったのである。

今でも同期のフクザワに会うと、この話を蒸し返される。だから私は今でも、この話を覚えているのである。

…と、ここまで書いて、はたと思いあたった。

よかれと思って凝った演出したつもりが、ほかの人にまったく伝わらない、というのは、今でもそうではないか!

私の凝った演出など、私の感傷に過ぎないのだ。

そして私の感傷など、ほかの人にとっては、たいしたことではないのだ。

それはまるで、客席に届くことなくポトリと落ちる、バラの花のごとく、である。

あのときにはじまり、今も、バラの花は届かずにポトリと落ちていることだろう。

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さながら屏風絵である

4月3日(木)

職場の周りは桜の名所だというのに、仕事部屋の荷物整理に追われて、花見をする余裕がまったくない。

夕方、荷物整理をしていると、開け放しにしてある仕事部屋の前を同僚が通りかかった。

「今がちょうど見ごろですよ」

「何がです?」

「夜桜ですよ」

仕事の手を止め、大きな窓ごしに桜が見えるという、職場内の場所に向かう。

建物の中の電気はすでに消されていて、窓の外の桜の木がライトアップされていた。

それはそれは、幻想的な風景である。

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さながら屏風絵である。

「どうです、少しは癒やされましたか?」

気がつくと、先ほどの同僚がいた。

「ええ、まあ」

たぶん、今年の花見はこれでおしまいである。

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会いたい人に、会いに行く

4月2日(水)

慣れない環境のためか、2日目にしてすでに疲労困憊である。

先日出したばかりの本がある新聞記者の目にとまったらしく、

「本を読んで興味を持ったので、ぜひ、インタビューをしたい。1時間程度でいいので、時間がとれませんか」

と連絡が来た。

よくあんな地味なテーマの本に目をつけたものだ。

そして今日の午後、その記者の方が職場にやってきた。

私と同世代くらいの、飄々とした感じの男性記者で、

「この3月に、自分の希望でこの部署に異動したんですけど、実は文化面を担当するのは初めてなので、ヘンな質問ばかりするかも知れませんけれど、ご容赦ください」

という。

私としては、「門外漢」の記者が読んで興味を持ってくれただけでも嬉しい。

まだ全然片づいていない仕事部屋でお話をすることになったのだが、私が勝手にイメージしている記者とはやや異なり、ギラギラした感じがない、というか、肩の力の抜けた感じがする人なのである。

職業柄だと思うが、こちらの話を、面白いですねえ、と感心しながら聞いてくれる。

わからないことをこちらに率直に質問し、その質問に必死に答えると、「よくわかりました」と納得してくれる。

だから話していて、全然ストレスがたまらないのだ。

ひとしきり話が終わり、記者が「写真を撮らせてください」という。新聞記事に載せる写真を撮る、というのだ。

「このデジカメで、ですか?」と私。えらくちっちゃなデジカメである。

「そうです。私、プロではないので、スナップ写真ていどのものですけれど」

仕事部屋で何枚か撮った後、こんどは建物の外に出て撮ることになった。

何枚も撮った後、その撮った写真を、私に見せてくれた。

「ほら、これなんか、Mさんらしい感じが出ているでしょう」

「はあ」

初対面なのに、すでに「私らしい感じ」をとらえているというのが、可笑しかった。

1時間の予定が、すでに1時間45分を経過していた。

「すみません。こんなに長く」と記者。

「ひとつ、質問していいですか?」私は記者に質問した。「なぜ、私の本を選んだんです?」

記者が答えた。

「我が社に送られてきたりする本から、記者がそれぞれ本を選ぶんですが、私の場合、その選ぶ基準、というのが、本を読んでみて、『この人に会って話が聞きたい』というものなんです。お恥ずかしい話ですが、単に、会って話が聞きたい、という人のところに行くだけなんです」

「なるほど」

本を読んでみて、「この人に会って話を聞いてみたい」と思った記者が1人いた、というだけでも、嬉しいことである。

だが、売れると、もっと嬉しい。

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八角形の館

4月1日(火)

2008年11月30日、韓国に留学した初日の日記に、私は次のように書いた。

「むかし、手塚治虫先生の『ザ・クレーター』という短編マンガ集の中に、漫画家だった男が、まったく別の人生を生きたいと思い、それまでの人生を捨ててプロボクサーとして生きるという話があったことを、なぜか思い出した。これからの1年3カ月の世界は、これまでの世界とは、まったく別の世界のように思える」

今日もまた、同じ心境である。

さて、この短編漫画の内容を、もう少し詳しく思い出してみよう。

主人公の漫画家の男は、漫画家の人生に失望し、ある古びた八角形の館に行った。その八角形の館は、別の人生を歩むことのできる場所だった。彼は気がつくと、プロボクサーになっていた。

だがこの八角形の館の掟は、「2度目の後悔は許されない」というものであった。つまり、「新しい人生に後悔した瞬間、とんでもないことが起こる」というのである。

決して後悔なんかするもんか、と、彼はプロボクサーになるのだが、初試合でこてんぱんに負けてしまった彼は、リングに倒れ、朦朧とした意識の中で、プロボクサーに失望し、「やはり漫画家になればよかった」と、後悔するのである。

その瞬間…。

その漫画は、とんでもない結末を迎えて、終わる。

たしかそんな内容だったと思う。

1日にして、まったく新しい世界に飛び込む。

一生に何度か、それも、この日がそれにあたることが、多いのではないだろうか。

では、この日にちなんだ曲を1曲。

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春の便り

3月31日(月)

少しだけ時間が空いたので、実家の近くのお寺に立ち寄ることにした。

ここのお寺は、桜が見事なことで有名である。

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子どものころ、私はこのお寺の境内で、友達と鬼ごっこをしたりして遊んだ。

この寺の山門が、黒澤明監督の映画「羅生門」の、あの巨大な門のセットのモデルとなった山門であることを知ったのは、ずっと後のことである。

しかも、この山門の設計者は、私が14年ほど前に、2年半ほど住んだ町の出身の有名な建築家であることも知った。

そんなことも知らずに、子どものころはこのお寺で遊んでいたのだ。

さて、今回のクイズは簡単ですな。

「めぐる季節を 私は見てる

それぞれの思い出 ぬぎすて そして

春へと贈る手紙は 今も

ピリオドを打てずにいるから」

では、また。

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