« さながら屏風絵である | トップページ | 「町の自転車屋さん」の幻想 »

ポトリと落ちたバラの花

軽く死にたくなる思い出話。

高校時代、吹奏楽部に所属していた。

毎年秋に行われる文化祭では、体育館を会場にして、演奏会をした。

高校2年の文化祭では、「黒いジャガーのテーマ」という曲を演奏した。

ね?この曲、めちゃめちゃかっこいいでしょう?

この曲のアルトサックスのソロを、なんと私が担当することになったのだ!

しかも、最後まで聴いてもらうとわかるのだが、この曲の最後は、アルトサックスの哀愁あふれるソロで終わるのだ!

すっかりテンションが上がってしまった私は、…もうこの時点で「どうかしている」としか思えないのだが…、なんと、仰天の演出を思いついてしまったのである。

それは、胸ポケットにバラの花一輪をさして演奏し、最後の哀愁あふれるソロを吹き終わった後、胸ポケットのバラを客席に向かって投げる、という演出である。

もう、バカでしょう?なんでそんな演出を思いついたのか、わからない。

今から考えると、どうかしていたとしか思えない。「お前、何様だ?」と。

たぶん、ジュリー(沢田研二)が、歌い終わった後、かぶっていた帽子を客席に投げる、みたいな演出をしているのを見て、影響を受けたのかも知れない。

いずれにしても、完全に思春期をこじらせてしまったとしかいいようがない。

例によって、演奏会当日までみんなに黙っていて、「黒いジャガーのテーマ」の曲が始まる直前、バラの花一輪を胸ポケットにさしたのである。

そしていよいよ、「黒いジャガーのテーマ」が始まる。

今から思うと、まあへったくそなソロだったと思うんだが、本人は完全に、「ジュリー(沢田研二)」になりきっているのだ。

そして、いよいよ最後のソロである。

最後のソロは、アルトサックスだけがメロディーを自分のペースで吹くことができる。いわゆる「おいしいソロ」である。

だから、ここだけは、アルトサックスのソロが、自由に音を伸ばしたりすることができるのだ。

もちろん私は、ためにためて、存分に音を伸ばした。

そしてソロが終わり、私は胸ポケットのバラを、客席に向かって投げた。

ところが、である。

思いっきり投げたつもりが、まったく客席に届かず、届かないばかりか、指揮者の目の前で、ポトリと落ちてしまったのである。

アルトサックスは、フルートやクラリネットの後ろ、つまり前から3列目くらいに座っていた。さらにその前には指揮者が立っているので、考えてみれば、客席との距離は、けっこう遠いのだ。

それを計算に入れておらず、無残にもバラの花は、かろうじて前の2列のフルート、クラリネットの諸君たちの頭上を越え、指揮者の前で、ポトリと落ちたのである。

客席からしたら、

「あの人、最後に何をやりたかったんだ?」

と、何が何だかわからなかったことだろう。

結局、苦労して考えた演出は、客席にまったく届かないまま終わったのである。

今でも同期のフクザワに会うと、この話を蒸し返される。だから私は今でも、この話を覚えているのである。

…と、ここまで書いて、はたと思いあたった。

よかれと思って凝った演出したつもりが、ほかの人にまったく伝わらない、というのは、今でもそうではないか!

私の凝った演出など、私の感傷に過ぎないのだ。

そして私の感傷など、ほかの人にとっては、たいしたことではないのだ。

それはまるで、客席に届くことなくポトリと落ちる、バラの花のごとく、である。

あのときにはじまり、今も、バラの花は届かずにポトリと落ちていることだろう。

|

« さながら屏風絵である | トップページ | 「町の自転車屋さん」の幻想 »

思い出」カテゴリの記事

コメント

だいじょうぶ。世の中はそういうものらしいですぞ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10119981945

投稿: KOBUGI JAPAN | 2014年4月 6日 (日) 00時55分

なるほど、これは心強いです。

投稿: onigawaragonzou | 2014年4月 7日 (月) 02時18分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« さながら屏風絵である | トップページ | 「町の自転車屋さん」の幻想 »