窓越しの光景
4月18日(金)
夕方、職場の仕事部屋で書類仕事に追われていると、前の職場の桜の写真が届いた。
わざわざ時間を割いて送ってくれる、というのは、本当にありがたいことである。
届いた写真の様子から、そうとうに忙しい時間の合間をぬって、わざわざ立ち止まって撮影した姿が想像され、かえって申し訳ない気持ちになった。
毎年この時期になると、「ほぼ日」で、自分の近所で咲いた桜を写真に撮って投稿する「ほぼ日桜前線」という企画があるのだが、ここ最近、そんな感じで、桜の便りをいただくのが、とても嬉しい。
窓越しに見る桜、というのもよい。
そもそも私は、窓越しの風景というのが、好きなのだ。
前の前の職場の仕事部屋の窓からは、広いグランドと木々の緑が見えた。
前の職場の仕事部屋の窓からは、銀杏並木のメインストリートが見えた。
今の職場の仕事部屋の窓からも、大小さまざまな木々の緑が見える。
おまけに午後になると、ウグイスの鳴き声が聞こえるのだ。
だからいつも、窓は開け放っている。
窓越しの風景には、いつも恵まれていた。
仕事の合間に、仕事部屋の窓の外をぼーっと眺めるのが好きだった。今でもそうである。
窓越しに見える光景が、通常に見る光景と、どこか違う感じがするのは、なぜだろう。
そういえば、私が「人生の後半期の応援歌」として愛してやまない、井上陽水の「長い坂の絵のフレーム」。
この歌は、歌詞の解釈が難しいのだが、
年を重ねて、気がかりとか、悲しみとか、幸せとか、人によってさまざまな思いを抱くだろうが、それもすべて、「長い坂の絵のフレーム」。つまりフレーム越しに見た長い坂の絵のようなものだ。
フレーム越しに人生を眺めれば、さまざまな気がかりも、わけもない悲しみも、所詮はフレームの中の風景のひとつにすぎなくなるのだ。
そんなことを歌っているように、私には思える。
解釈が間違っているかも知れないが、そう解釈することで、私は救われている。
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