書店徘徊
4月25日(金)
都内のビジネス街で仕事である。
なんか、「できるビジネスマン」みたいだなあ。
こんなところで働いていると、自分を「できるビジネスマン」だと、勘違いする人も多いんだろうなあ。
だが、私は違う。左足が痛くて足を引きずってそろりそろりと歩いている姿は、どう見ても「できるビジネスマン」ではない。
夕方に仕事が終わった。そのまま帰ろうかと思ったが、久しぶりに都内に出たので、神田神保町を歩くことにした。
学生時代は、三日と空けずに神保町の古書店街に通ったものである。
左足を引きずりながら歩いているうちに、思い出したことがあった。
大学院生の時に古書店街で経験したことを、エッセイ風に書いたことがあった。もっとも、書いただけで、誰に見せたわけでもない。
たしか、古いファイルの中に残っていたなあと思い、探してみると、その文章が残っていた。
「古書店街の老人」と題する文章である。
「古書店街の老人
古本屋街を歩くのが趣味である。古本屋街を歩くのは実に楽しい。つい時間を忘れてしまう。私が歩くのはおもに神田・神保町の古本屋街だが、たまに高田馬場の古本屋街に足を運ぶこともある。
4、5年くらい前からだろうか。平日の昼間、神保町の古本屋街を歩いていると、きまってある人とすれ違うことに気づいた。
その人は60歳くらいの白髪で長髪のおじさんで、髪には独特のパーマがかかっていた。背がわりと高く、スラッとした体型で、いつもジーンズをはいており、知的な感じのする丸眼鏡をかけている。
なんとも言葉では説明しがたいのだが、あえて言えば、歌手の菅原洋一をスリムにした感じとでもいえようか。とにかく知的で上品な感じがするおじさんなのである。どことなく哲学者的でもある。
その人は、いつも古本屋で買ったたくさんの本を抱え、颯爽と歩いていた。その風貌からは、ふつうの会社員のようにはとても見えない。いったいあの人は何をしている人なんだろう。そもそも私が神保町に行くたびにいるということは、その人はほぼ毎日、神保町界隈をうろうろしているに違いない。そして毎日、大量の本を買っているのだろう。
さらに驚くべきことがあった。ある時、私が神保町の古本屋街を歩いた翌日に、高田馬場の古本屋街を歩いたことがあったのだが、なんとそこでも、大量の本を抱えたそのおじさんとすれ違ったのである。つまり二日続けて、神保町と高田馬場という異なった場所で、そのおじさんに会ったのである。
こうなるともう、そのおじさんは神保町と高田馬場という都内の二大古本屋街を、毎日ハシゴしているとしか考えられない。そのおじさんの生活のすべては、古本屋街と共にあるのである。
私は彼を、植草甚一のような人なのだろう、と勝手に想像していた。植草甚一のように、古本とジャズと映画をこよなく愛する、そんなジジイになりたい。これは私自身のあこがれでもあった。植草甚一亡き後も、そういう人が世の中にまだいたのだ、と、そのおじさんとすれ違うたびに思っていた。
ところがこの1、2年は、かつてのように平日の昼間に頻繁に古本屋街を歩くという余裕はなくなっていた。都内に出ることがますます億劫になり、よほどのことがないと古本屋街には足を運ばなくなった。そんなおじさんのことなど、すっかり忘れてしまった。
先日、久しぶりに神保町に行った。ちょうど年に一度の「神田古本まつり」の時期である。かつては毎年「神田古本まつり」の初日に足を運んだものだが、昨年はとうとう行かずじまいだった。今年も行くつもりはなかったのだが、時間が空いたので最終日に行くことにした。
久しぶりの古本屋街はやはり楽しい。ひととおり買い物をすませ、神保町の駅に向かおうとすると、地下鉄の駅の出口から一人の男が出てきた。
(あのおじさんだ!)
だがそのおじさんは、かつての様子とはまるで違っていた。
おそらく何か月も洗っていないであろう、うす汚れたシャツとジーンズに身を包み、背中を丸め、傘を杖代わりにして、やっとの思いで歩いている。左手には小さい紙袋をぶら下げている。大量の本を抱え、颯爽と歩いていたかつての面影など、みじんも感じられない。まるで疲れはてた宿無しの老人のようであった。彼は古本屋街と反対の方角をゆっくりと歩き、雑居ビルのたち並ぶ路地へと入っていく。
(人違いだろうか?)
私は彼のあとをつけて路地へ入り、追い抜きざまに、彼の横顔を確認した。独特のパーマをかけた白髪の長髪と丸眼鏡。まぎれもなくあのおじさんだ。しかし背中を丸め、終始うつむいたままで、顔には生気が全くなかった。横を追い抜いていく私のことなど、気づいている様子もない。
あまりの変わり果てた姿に言葉もなかった。いったいこの1、2年のあいだに彼に何があったというのだろう。人はたった1、2年という短い間に、こんなに変わってしまうものなのだろうか。私にはとうてい受け入れがたい現実だった。これはまぼろしなのだろうか?
(ひょっとしたら彼は未来の俺の姿なのかも知れない)
そういう思いもよぎった。そういえば彼はいつも私とは反対の方向から歩いてきた。彼は、鏡に映った数十年後の私自身だったのではないだろうか。
いずれにしても、もう彼と古本屋街ですれ違うことはないだろう。彼を見納める意味で、私は後ろを振り返った。
そこに彼の姿はなかった。」
これが、今から15年くらい前に書いた文章。
クドい文体は、昔から変わっていないんだな。
それはともかく。
今から思うと、その白髪で長髪で丸眼鏡のおじさんは、意外と若かったのかも知れない。
そして私が、左足の痛みに耐えながら、そろりそろりと歩く姿は、まるであの時のおじさんそのものではないか!
15年ぶりくらいに思い出した、あのおじさん。
左足の痛みは、なんとも奇妙な記憶を甦らせたのであった。
書店街を徘徊する目的は、実はもう一つあった。
それは、自分の本がどういう扱われ方をしているか?である!
なんか、やらしいねえ。
しかし気になるものである。
神保町の大型書店であるS書店に行くと、なんと、大量に平積みしてあった!
「4月○日の○○新聞で紹介されました」という帯が巻かれていた!
待てよ。…売れてないってことか?
気になったので、今度は「日本でいちばん大きな駅」の近くにあるM書店に行くことにした。
足が痛いから早く帰ればいいものを、左足を引きずりながら、M書店に行く。
M書店は、発売直後から、平積みにしてくれていたのだった。今はどうだろう。
行ってみると…、
やはり平積みである!しかも発売から1カ月たった今も、同じ場所に平積みなのである!
しかもご丁寧に、新聞の紹介記事のコピーまで、平積みの本の横に掲げてあるではないか!
待てよ…。やっぱり売れてないってことか?
でもこんなこと、たぶん、一生に一度だな。
しかし、自分の本が書店に並んでいる様子を、自分で写真に撮るというのは、すげえ恥ずかしい。
「あいつ、なに調子に乗ってんだ?バカじゃねえの?」
と、絶対思われているよなあ、と思い、一目散で書店をあとにした。
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