« 続・嵐のようなあいつ | トップページ | マネキンと旅する男 »

オニガワラーの冒険

出身高校OBの吹奏楽団のことについて、思い出したことを、もう少し書く。

15年以上も前、まだOB楽団に在籍していたころ、広報係というのを担当したことがあった。

ふた月に一度だったか、楽団員向けに広報誌(といっても、ワープロで書いたものをプリントアウトしてコピーしたもの)を発行するのが役目だったのだが、私は広報係の権限で、楽団の話とはまったく関係ない、エッセイみたいなものを、その広報誌に毎回書いていた。

内容は、いまブログで書いているようなことと同じような内容である。

まあ毎回、広報誌に文章を載せるなどという人間は、物好きの私くらいしかいなかったから、広報誌としてよりも、「読み物」として、一部のファンを獲得したのであった。

で、味をしめた私は、広報誌に書くだけでは飽き足らなくなり、なんと、個人誌を発行して、それを、ご丁寧にも、後輩有志に封書で送りつける、ということもやったのである。

一方的に個人誌を作って、それを、読んでもらえそうな後輩たち十数人に有無を言わせず送りつけるのだから、何とも迷惑な話である。

いまならさしずめ「メールマガジン」といったところだが、インターネットやメールが普及していなかったころだったので、わざわざワープロの文章をレイアウトして印刷して、それを必要部数コピーして、わかってくれそうな人に郵送したのである。

個人誌のタイトルは、たとえば私の苗字が「鬼瓦」だとしたら、「オニガワラー」というタイトルをつけた。最後の「ラー」は、「アムラ-」の「ラー」である。

これを、定期的に発行して、十数人に郵送していたのだから、もう、どうかしていたとしか思えない。これは、私の黒歴史の1つである。

大学院生時代って、ヒマだったのか?

で、今日、部屋の掃除をしていたら、4学年下の後輩だったYさんから送られてきた『オニガワラー(仮名)』への投稿原稿、というのが出てきた。

繰り返すが、当時はメールが普及していなかったので、封書である。

消印をみると、98年とあるから、今から16年前である。

タイトルは、「個人誌『オニガワラー』創刊に思う」というもので、創刊号を読んでの感想を、寄せてくれたものである。

この文章が、とても面白かったので、一部固有名詞を変えて、再掲する。

「個人誌『オニガワラー』創刊に思う

私たちは、私たちの住む世界を当然知っていると思っています。しかしそれは、私たちが、自分の目に映り得るものしか「世界」と認めていないからなのかもしれない。世界には、私たちの知らないところに、たくさんの隙間があるに違いない。そんな、日常のなかの非日常を冒険してみせるのが、実在の鬼瓦氏から巧みに抽出された「オニガワラー」というキャラクターです。

この人物は、人一倍好奇心旺盛で気になることはとことん挑戦、負けず嫌いなのに気が小さくて、少々自意識過剰気味、という性格を与えられています。そんな「オニガワラー」の目に映る世界、そして、その性格ゆえに引き起こされる小さな事件に、読者は思わずあたたかい苦笑を誘われてしまいます」

これまで、OB会誌上で、メーリングリスト上で、「オニガワラー」の冒険は展開してきました。そして、新たな物語が提示される度に、私たち読者は、今ごろ「オニガワラー」は、一体、どんな冒険をしているのかしらと、続きを密かに求め続けました。この事態は、鬼瓦氏の思うつぼ、というべきなのかもしれません。しかし「騙されないぞ」と目を光らせることが馬鹿馬鹿しくなるほど、「オニガワラー」の冒険は、ほのぼのとあたたかいのです。

そんなささやき声の高まりに応えての個人誌『オニガワラー』の創刊、心より嬉しく思います。どうぞ末永く「オニガワラー」というキャラクターに、見事なステップを踏み続けさせんことを。しかし、鬼瓦氏自身が「オニガワラー」というキャラクターに取り込まれて呼吸ができなくなってしまわぬよう、杞憂ながら、お祈りして筆を置きます」

さしずめ、今でいうところのブログへのコメント、といったところか。

Yさんの分析力や文章の巧みさから、Yさんがとても聡明な人であることがわかる。

それにYさんの指摘は、このブログに対する文章だとして置きかえて読んでみても、たぶん、十分にあてはまるものだと思う。

ということは、世の中がどれだけ進歩しても、私がやっていることはぜんぜん進歩していない、ということである!

私はむかしっから、いまと同じようなことをしていたのだ。ただ、IT化されて、それが紙媒体からブログに変化しただけである。

しかもちょっと待て!上の文章中に「メーリングリスト上で」という表現が出てくる。ということは、私は紙媒体だけでも飽き足らず、メールマガジン的なことも、当時やっていた、ということである。私はよく覚えていないが。

まったく、どんだけヒマだったんだ?

結局、個人誌「オニガワラー」は、3号くらいまで出して、やめてしまったと記憶する。

Yさんが「末長く」と願った、「オニガワラー」の冒険は、意外とあっさり終わってしまった。

しかし、いま私がブログで書いていることは、まさにあのとき始めた、「オニガワラーの冒険」の続きである。

こぶぎさんのいう、「ブログはファンタジー」という名言とも、通ずるものがある。ブログに出てくる「私」は、実在の「私」ではなく、そこから抽出されたキャラクターである。

しかも、私自身が、ブログ上の「私」に取り込まれて、呼吸ができなくなることもしばしばである。Yさんはそのことを、予言していたのだ。

残念なことに、Yさんとはその後連絡がとれなくなり、私がこんなブログを書いていることも知らない。

いまこのブログを読んだら、どう思うだろう。

もっとも、Yさんは、こんなこと、すっかり忘れているだろう。

|

« 続・嵐のようなあいつ | トップページ | マネキンと旅する男 »

思い出」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 続・嵐のようなあいつ | トップページ | マネキンと旅する男 »