エーシマだけではない
昨日の記事を書いて、一つ思い出した。
かつて同僚だった友人に、長年の無沙汰をわびる意味もあって、自分の書いた本に手紙を添えて3月末に送ったところ、1カ月くらいたって、長い手紙が届いた。
中身は書けないが、そこには本の感想のあとに「職場構内の書店に行く度に、この本を目立つ場所に置き換えています」と書かれていて、彼一流の茶目っ気で、私の本をこっそりと目立つところに並び替えている姿を想像し、思わず笑ってしまった。
しかしそんなことをしてくれるのは、私を友人だと思ってくれているからだろうな、と、嬉しくなった。
と同時に、長年無沙汰をしていた自分を、大いに恥じたのである。
かつてある事業で一緒に仕事をした方からである。
震災後、自分のふるさとを離れ、北海道に移住された。
3年前の夏、仕事で北海道に行ったおりに再会したが、それ以来、やはり無沙汰をしている。
お礼のメールを送ったら、「アスパラは痛風にいいと書いてあったので、思わず送ってしまいました」と返事が来た。体調のことを気遣ってくれるなんて、ありがたいことである。
かつて一緒に仕事をした人たちと、年を重ねるごとに次々と離ればなれになる。これまで何度も経験してきていることである。
次第に疎遠になってしまう人もいるし、離れていても、何らかの形でつながっている人もいる。
こうやって忘れられずにいる、というのは、嬉しいものである。
そういう人たちに対して、恥じない生き方をしたい。
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