鼓くらべ
山本周五郎の短編小説「鼓くらべ」は、昭和16年1月に『少女の友』という少女雑誌に掲載されたものである。
十五歳の少女・お留伊が、お城の「鼓くらべ」でライバルに勝つために必死に練習するのだが、ある日、余命幾ばくもない老人に出会って、本当の芸術に目覚める、という話。
病の床に伏せっている老人が、主人公のお留伊に語りかけるセリフが印象的である。
「…すべての芸術は人の心をたのしませ、清くし、高めるために役立つべきもので、そのために誰かを負かそうとしたり、人を押退けて自分だけの欲を満足させたりする道具にすべきではない。鼓を打つにも、絵を描くにも、清浄な温かい心がない限りなんの値打ちもない。…お嬢さま、あなたはすぐれた鼓の打ち手だと存じます。お城の鼓くらべなどにお上りなさらずとも、そのお手並みは立派なものでございます。おやめなさいまし、人と優劣を争うことなどはおやめなさいまし、音楽はもっと美しいものでございます。人の世で最も美しいものでございます」
この短編小説を読んで、これを「鼓くらべ」ではなく、今のフィギュアスケートに設定を変えても、その本質はまったく変わらないのではないだろうか、と思った。
私がフィギュアスケートに対して抱いている漠然とした違和感は、この短編小説の中で、すでに説明されていたのだ。
フィギュアスケートの第一線で活躍している人たちは、みんなこの「お留伊」のような思いでいるのではないだろうか。
芸術は、人の心を楽しませ、高めるためにあるもので、誰かを打ち負かすためにあるのではない、というのが、山本周五郎の一貫した芸術観だった。
その山本周五郎が、直木賞を辞退したことは、有名な話である。
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