謎が解けた
岡本喜八監督、勝新太郎主演の映画「座頭市と用心棒」(1970年)を見た。
座頭市(勝新太郎)と用心棒(三船敏郎)の二大ヒーローの夢の対決である。
企画としては、「ゴジラ対キングコング」と同じノリである。
二大ヒーローの競演を、娯楽映画の巨匠・岡本喜八が監督するんだから、面白くないはずがない!
ただ、えてしてこの種の「対決もの」は、「お祭り感」が強く、そういうつもりで見るべき映画である。
映画に対する評価はともかく、この映画を見て、気がついたことがあった。
先日、稲垣浩監督・三船敏郎主演の映画「待ち伏せ」(1970年)を見たのだが、ここでも二人は共演している。
だがこのときの勝新太郎は、出番が少ない。
オイシイところを、全部三船が持っていっているのだ。
そりゃああたりまえだ。「三船プロダクション」が製作しているんだから。しかも、その第1回作品である。
役にうるさい勝新は、自分の役がオイシくないことに怒らなかったのだろうか?
「座頭市と用心棒」を見て、その疑問は氷解する。
この映画は「勝プロダクション」の製作である。それまで座頭市シリーズは大映の製作だったが、この作品から座頭市シリーズは勝プロダクション製作となるのである(配給は大映)。その、記念すべき第1作というわけだ。
当然、この映画では、用心棒よりも座頭市の方が、オイシイ役である。
つまり三船は、自社製作の映画に勝新を呼び、一方で勝新も、自社製作の映画に三船を呼び、二人がそれぞれ自社製作の映画でオイシイ役を演じる。そうすれば、三船プロダクションの映画で、勝新は三船を立てるし、勝プロダクションの映画で、三船は勝新を立てることができるのである。
これで二人は対等である。
奇しくも、公開は2作品とも同じ1970年。
この2作品は、絶妙なバランス・オブ・パワーの上に成り立っている映画なのではないだろうか。
アクの強い二人が、もめることなく映画を完成させたのもうなずける。
だから、どちらか一方の映画だけを見て評価してはいけない。
この2作品を一体のものとしてとらえなければならないのである。
…という、いつものどうでもいい妄想映画評論でした。
「座頭市」シリーズを、初めてちゃんと見たが、勝新は、すごい役者だねえ。
韓国の怪優・チェ・ミンシクは、「韓国の勝新太郎」だね。
(おまけ)
「座頭市と用心棒」は、監督が岡本喜八なので、若干コメディタッチなのだが、なかでも面白かった場面があるので、心覚えに書いておく。
無実の罪で牢屋に入れられた市(勝新太郎)が、生糸問屋の旦那(滝沢修)の力で釈放される。旦那は、市に按摩をしてほしいというのである。
お礼を言おうと市が旦那の屋敷に行くと、番頭が言う。
「旦那様が、4階でお待ちです」
「よ、4階…?」
健常者にとっては何でもないことだが、市にとっては、4階に上ることは至難の業である。
しかし、命の恩人に呼ばれたのだから、行かないわけにはいかない。
このあと、ときにつまずいたりして、ひどく脂汗をかいて苦労しながら市が4階にたどり着く場面が、あますところなく映し出される。
物語の本筋にはまったくかかわらない些細な場面なのだが、座頭市を4階まで上らせても何とも思わない、生糸問屋の旦那の人間性が、よくわかるのである。
私も、痛風を患っているときに4階まで階段で上るときの苦しさがわかるので、この場面、我が事のように見入ってしまった。
こういう細かいところを描く岡本喜八は、やっぱりすごいなあ、と思う。
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