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2014年6月

眼福の先生との再会

6月28日(土)

新幹線と地下鉄を乗り継いで3時間ほどかかるところに行く。

眼福の先生」ことT先生と、久しぶりにお会いした。T先生を含む数名のチームで、あるところにおじゃまして、2泊3日の予定で、資料調査をするのだ。

私と妻は数年前から、T先生に勝手に弟子入りして、いろいろなところの調査にご一緒している。

けっこう大変な調査なので、調査をご快諾いただいた先方の担当者の方は、私たちが何をしでかすのか、かなり警戒しているようにも思えた。先方の担当者のkさんが、見た目がかなり恐いことも、少し私をびびらせた。

なるべく、ご迷惑をおかけしないようにしなければならない。

そもそも、われわれのマニアックな調査を、理解していただけるのか、という点も不安だった。

建物の一室をお借りして、午後1時半からはじまった1日目の調査は、5時に終了した。

終わってから、調査チームでお酒を飲みに行く。

今年傘寿を迎えるT先生以外は、みな私と同世代の研究仲間であるので、気兼ねなくお酒が飲める。

調子に乗って焼酎を飲んでいるうちに、7人で芋焼酎を1升飲んでしまった!もちろん、生ビールの中ジョッキを2杯飲んだ後である。

フラフラになってホテルに戻り、そのまま寝てしまったが、なぜか「道路に落とした寿司を拾って食べる」という夢を見た。

飲みすぎて、そうとう気分が悪くなった証拠だろう。

6月29日(日)

朝9時半から、調査開始。

少しあたまが痛かったが、思ったよりお酒は残っていなかった。

調査を続けていくうちに、当初は警戒していたと思われる、先方の担当者のKさんが、私たちの調査をしだいに面白がってくれるようになった。

T先生がじつに楽しそうに、調査の方法や成果をお話になる姿に、魅了されたのだと思う。

T先生のすごさはそこにある。自分が楽しみながら、それでいて周りの人々に気を使い、気がついたら、周りの人々はT先生の世界観の中にどっぷりとつかってしまうのである。

それは、専門が近い、遠いにかかわらず、である。

ああいう人になりたい、と思う。

夕方5時に調査が終わり、この日は、調査チームの4人に加え、先方の担当者のKさんとMさんを交えて、ささやかな懇親会である。

T先生のお話は、止まることを知らず、3時間続いた。

T先生のお話の大半は、戦前から戦後を生きた在野の研究者、M氏のことである

M氏は当時、そうとうの「変わり者」だったらしいが、T先生は、そんなMさんの人生にのめり込んでいった。

T先生は本当に、Mさんのことが好きなんだなあ、と思う。

と同時に、話を聞いていて気がついた。

Mさんの人間性や特徴を、T先生を通じて聞いていると、それはそのまま、T先生にもあてはまるのだ。

そう、T先生は、Mさんなのだ。

Mさんのことが大好きなT先生もまた、Mさんのように生きているのだ。

「昨日、あなたが言っていたねえ」T先生が私に言った。「研究者は、みんなへそ曲がりなんだ、と」

「はあ」昨日はそうとう酔っ払っていて、あまり記憶がなかった。私はそんな失礼なことを言っていたのか、と恐縮した。

「その通りだよ。研究者は、『大へそ曲がり』でなくてはいけないんだ。だって、Mさんがそうだろう」

Mさんは、誰にも顧みられることなく、へそ曲がりと言われながら、研究を続けていた。

その研究は、いま誰よりも、T先生が高く評価している。

これを研究者冥利に尽きると言わずして、なんと言おう。

6月30日(月)

調査3日目。朝9時半から、建物の一室にこもってひたすら調査である。

今回の調査は、当初予定した以上の作業を進めることができ、無事終了した。

だが3日間、緊張の連続だったため、終わってからグッタリと疲れた。

明日からまた、通常の仕事である。

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あまのじゃくの真骨頂

読者諸賢もご存じの通り、私はあまのじゃくである。

ねたみ、そねみ、うらみ、つらみ…そんなことばかり考えている。

読者も減ったことだし、嫌われるのを覚悟で、私がいかにあまのじゃくか、という話を申し上げることにしよう。

今から2年ほど前の話である。

前の職場で、大きなイベントをやることになった。

そのイベントの企画が、ちょっと「アレ」な感じで、

「俺だったら、もっと上手くやるんだけどなあ」

と思ったのだが、私は企画にまったくタッチしていないし、このイベントじたいにまったく興味がなかったので、そのままにしておいた。

ところがそのイベントに合わせて、日ごろの活動を紹介する展示を、別の場所でおこないたい、ということで、私に依頼が来た。

依頼が来たのは、私がかかわっているボランティアグループと、もう一組、学生のサークルである。

詳しく話を聞いてみると、イベントは1号館1階でおこない、活動紹介の展示を、3号館5階でおこなう、という。

…いやいやいやいや。ちょ、待て。

1号館1階と、3号館5階じゃ、だいぶ離れているぜ。

1号館1階のイベントに参加した人が、わざわざ3号館5階まで足を運んで展示を見に来るはずはない。

そんなこと、子どもでもわかる理屈である。

「大丈夫です。お客さんを誘導しますので」

と主催者の職員は言うが、なにが大丈夫なのだ?

さてイベント当日。

案の定、3号館5階までわざわざ足を運ぶ客なんか、いやしない。

完全な放置プレイである。

かわいそうだったのは、サークルの学生たちである。

わざわざ休日、それも学園祭と同じ日に、違うイベントに呼び出されて、前の日から準備して、いつ来るかわからないお客さんを、孤立した3号館5階で待ち続けたのである。

しかも、イベントが終わるころになっても、担当者は片づけに来るわけでもなく、学生たちが自主的に、展示部屋の撤収作業をおこなったのである。

私は、このサークルが年に1度催す「公演」が好きで、毎年見に行っていたこともあり、彼らにかなり同情してしまった。

ないがしろにするにもほどがある。月1回の「大きな会議」のときに、発言した。

「せっかく、サークルの学生たちが一生懸命準備したのに、なぜ、陸の孤島みたいな、誰も来ない部屋で、活動紹介の展示をおこなうのか?せっかく準備した学生がかわいそうである。もし来年も同じイベントをするのであれば、今年度と同じ過ちは二度と繰り返してほしくない」と。

私はそのサークルの顧問でもないのに、しゃしゃり出て発言したのである。

さて、その1年後。

また同じイベントがあった。

すると今度は、そのサークルの活動紹介と公演の宣伝を、そのイベントの時間の中で行うことになった。

「大きな会議」での私の発言を、主催者側もくみ取ってくれたのだろう。

そこまでは、よかったなあ、と思った。

しかし、である。

そこから一転して、今度は、そのサークルを、部局が全面的に応援する、という事態になった。

あらゆる広告媒体を使って「公演」の宣伝をし、さらに特別に補助金までつけることになったのである。

部局をあげての宣伝の甲斐もあって、「公演」は史上最高の観客動員数となった。

そればかりではない。

「公演」には、「社長」もじきじきにお見えになったのである。

「社長」を出迎えるため、部長と係長が会場の前に並んで立っているのを、私は目撃した。

(お前ら、今まで1回も来たことないクセに、なに張りきってんだ?)

「公演」じたいは、ふだん通りで、面白かった。

その後、今度は、そのサークルが、その年の「学生表彰」を受けることになった。

一生懸命がんばった学生に対して、年に1度おこなわれる「学生表彰」である。

表彰状を手にして、にっこりと笑うサークルの学生と関係者が、全世界に公開された。

かくしてこのサークルは、部局の学生サークルの「顔」となっていったのである。

他の学生たちが耐震工事で部屋を追い出される中で、このサークルだけは、特別に部屋を与えられたのである。

…何なの?この変わり様は?

「社長」が公演に見に来ることも、表彰されることも、そのサークルの学生たちにとっては、励みになることだし、喜ばしいことである。

素直に喜んであげる、というのが、ちゃんとした大人、というものである。

しかし、私はダメな大人なんだろうなあ。

私が気に入らないのは、大人たちが手のひらを返したように、そのサークルを「大人の組織力」で全面バックアップした、という事実である。

その年の学生たちと、1年前、2年前の学生たちと、どこがどう違うのだ?

それに、がんばっているサークルはほかにもあるのに、なぜ、このサークルの学生だけ、「組織的にえこひいき」するのだ?

他にがんばっている学生もいることに対するまなざしもなしに、無邪気に「えこひいき」することが、私にはどうにも理解できなかったのである。

それからというもの、私はそのサークルを応援するのを、やめることにした。

幸か不幸か、職場が変わったので、もう「公演」を見に行く機会は、永遠に失われてしまった。

毎年、変わることなく「公演」が成功することを、ただ遠い空から祈るばかりである。

…ほら、あまのじゃくでしょう。まったく、ひねくれた性格である。

私の「ねたみ、そねみ、うらみ、つらみ」は、「名誉なんかいらねえ!」という主張の代償である。

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見に行くべきか、アナ雪

6月27日(金)

早いもので、1年の半分が終わろうとしていますね。

今日、職場で、今年の後半期の予定を確認していたら、暗澹たる気持ちになった。

これまでの人生で最大の試練を迎えそうな予感。

それを思ったら、5年前の韓国留学って、単なる前フリだったんだな。

もっと壮大な試練が待ち受けていたとは!人生とは、本当にわからない。

まあそれは、おいおい書いていくことにして。

大ヒット上映中の映画「アナと雪の女王」を、劇場に見に行くかどうか、思案中。

大人気すぎて、あまのじゃくな私は見に行く気が失せていたのだが、妻が見に行ったらしく、「けっこう面白かった」と感想を言っていた。

私以上にあまのじゃくで、どんな映画評論家よりも手厳しい毒舌家の妻が言うんだから、面白いに違いない。

おりしも、朝日新聞の6月26日付けの「論壇時評」に書いていた、「アナと雪の女王」に関する高橋源一郎の文章がすばらしかった。話題は『上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)にまでおよび、この映画とこの国の本質を、見事に突いた文章だった。

そしてそこに引用されていた、中森明夫の文章もまた、秀逸であった。雑誌『中央公論』に掲載拒否されたという、いわく付きの文章だが、私には、なぜ掲載を拒否されなければならなかったのか、まったく理解できない。

荻上チキは、TBSラジオの「セッション22」で、もっと深読みした「アナと雪の女王」論を展開していたのだという。

曰く、あの劇中歌の日本語訳は、元々の英語のニュアンスとは、若干異なるんだとか。日本語の歌詞は、英語の原詩にくらべて、自己啓発的な意味合いが強いが、もともとあの歌詞に込められた意味は、そうではないのだという。

そこに、日米の思考様式の差異を読み取ることも可能であろう。

…もっとも、私は映画も観ていないし、荻上チキのラジオも聴いていない。ラジオを聴いた妻からの受け売りである。だから私の文章が正確に伝えているかは自信がない。

だが、いま紹介した評論を読むだけでも、この映画のテーマは興味深い。

大学の授業とかで、この映画に関して考えさせたら、面白いんじゃないだろうか。

ジブリ作品よりも、いろいろなことを考えさせられるに違いない(また始まった)。

それにしても、ますます見に行きたくなってきたなあ。

しかし、オッサン一人で見に行くのは、気が引けるので、見に行くかどうかはわからない。

…ということで、週末はまた旅に出ます。

土曜から月曜までの2泊3日。今度は国内です。

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原稿ため込み党、開き直る!

6月26日(木)

以前このブログに書いたが、日本でいちばん大きな図書館の中にある、子ども図書館のホームページに、電子展示会が開設され、そこに、私が書いた「たった3つのセンテンス」が引用されているので、もしよかったら見てやってください。

まったく売れなかった本だったが、その後、人の目にとまり、たった3行だが、子どもたちへのメッセージとして活用されたことは、息を吹き返した感じがして、とてもうれしい。

さて、一昨日に、ある出版社の大型シリーズの原稿を5カ月遅れで脱稿した、と書いた。

すると昨日、今度は別の出版社の大型シリーズへの原稿執筆依頼が来た。

…こう書くと、なにか売れっ子作家みたいだが、こういうのを「自転車操業」という。

シリーズを企画した人の名前を見て、「おや?」と思った。

そこには2人の企画者の名前があったが、いまから7年ほど前、やはり同じ2人が、別の出版社で、大型シリーズを企画して、私に原稿依頼が来たのである。

そのときは、私もけっこうまじめだったので、それほど遅れることなく、原稿を提出したのであった。

ところが、である。

待てど暮らせど、その本が出版されない。

同じシリーズの他の巻は刊行されているのだが、今に至るまで、私が執筆した巻が出ないのである。

つまり、シリーズとしては、未完なのである。

(ははあーん。これは誰か、まだ原稿を出していないヤツがいるな)

1人でもまだ原稿を出していない人がいると、その巻は刊行されない。

業界では、原稿を出さない人を「ストッパー」という。

だいたい誰が「ストッパー」なのか、同じ業界にいれば、おおよその見当はつく。

とくに何巻ものシリーズものの場合、執筆者の数が多いので、そういうケースがよくあるのだ。

しかし、7年間も、書いた原稿が死蔵されているというのは、困ったものである。

にもかかわらず、その2人は、今度は別の出版社から、別のシリーズ企画を立ち上げる、というのだ。

(7年前のシリーズも完結していないのに、また新しい企画を立ち上げて、大丈夫だろうか…)

はたしてこのシリーズはちゃんと出るのか?前のシリーズのように、うやむやにされたりしないのだろうか?

これでは「出す出す詐欺」ではないか!

ということで、依頼を受けるかどうか、目下思案中である。

もうひとつ、実はまだ出していない原稿があった。

ある雑誌から依頼された原稿で、昨年末が締切だったのだが、6カ月すぎても、全然書けていない。

原稿の催促も来ていないので、なかなか書く気も起こらない。

そうしたところ、先日、同じ雑誌から、別のテーマで原稿依頼が来た。

どういうこっちゃ???

まだ前の原稿も出していないというのに、なぜ、別の原稿依頼が来るのか?

前の原稿を書けていないヤツに、新しい原稿が書けるとでも、思っているのだろうか?

ははあーん。さては、以前私に原稿依頼したことを、忘れているのだな。

書かない方も書かない方だが、依頼する方も依頼する方だ。

もっとよく調べてから、依頼してきなさい!

…と、原稿ため込み党の私ととしては、あれこれと開き直って、自己正当化するのである。

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ヒョウが降る

6月25日(水)

昨日の午後、めずらしく母から携帯メールが来た。

タイトルは「凄い天気です」とある。

「こちらは3時過ぎから、雷と雨で凄かったけど、○市の×町は、凄い雹だとテレビのニュースで見ました。あちらの家は大丈夫でしたか?」

あちらの家、というのは、妻の実家のことである。

ニュースが伝えている、○市×町というのは、まさに妻の実家がある町である。

そんなことになっているとはつゆ知らず、慌てて妻にメールして、実家の様子を聞いてみると、

「母が留守にしている間だったらしく、開いていた窓から泥水が吹き込んで床が水浸しになったらしいですが、ヒョウで車が凹むようなことはなかったそうです」

と返信が来た。

ヒョウの被害がなくても、泥水で水浸しになったのだから、無事なのか無事でないのか、よくわからないのだけれど、とりあえず妻の実家が無事であることを母に伝えた。

私のいる職場や自宅のあたりは、何ともなかったのだが、うちの実家と妻の実家付近は、局地的に大雨、雷、そして雹の被害に見舞われたらしい。

そんなこと、母から連絡があるまで、まったく気にもとめていなかった。

そこでふと気づく。

実家の母と連絡を取り合ったのは、先月の大型連休のさいに数時間だけ、実家に立ち寄ったとき以来である。

その間、こちらはなんの消息も伝えなかったし、実家からも何の連絡もなかった。

大雨と雷とヒョウがきっかけで、無事を確認するための連絡が、久しぶりに来たのだ。

そのときあらためて、実家の両親が息災に暮らしていることに気づいたのである。

便りがない、というのは、息災ということなのだろう。

そう思うことにしよう。

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語源俗解

「猫も杓子も」という言葉、わかりますか?

「まったく、猫も杓子もジブリ作品ばかり取りあげやがって!」

「まったく、猫も杓子もお題目みたいにグローバルグローバルって!まずワールドカップの偏狭な応援を何とかしろよ!」

の「猫も杓子も」です。

「どいつもこいつも」という意味ですが、この語源は、一体何なのでしょう?

むかし、こんな説明を受けました。

「猫」というのは禰子。これは、神様に使える禰宜(ねぎ)の子孫のことを言います。

「杓子」というのは「釈子」。つまり、釈尊(ブッダ)の弟子のことを言います。

ということで、「猫も杓子も」とは、「神様を信ずる人も、仏さまを信ずる人も」というのが本来の意味で、それが転じて、「誰もかれも」という意味になったのです。

なるほど、と思わせる説明です。

ところが、です。

そのとき同時に、こんなことも聞きました。

「これはもっともらしい語源の説明だが、語源俗解である」と。

語源俗解。つまり、学問的にはまったく根拠のない、俗説である、と。

しかしインターネットで調べてみると、この語源の説明がなされている場合が多く、あたかも、これが本当の語源のように書かれているものもあります。

はたしてこの説は、語源俗解なのか、そうでないのか?

ずーっとむかしから、気になっていることです。

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真夏の器、砂の方程式

6月24日(火)

1月末が締切だった原稿を、なんと5カ月遅れて、ようやく脱稿した。

イヤー、苦しかった。

400字にして80枚程度。書いては消し、書いては消しの連続。

気が重く、荷が重く、気が乗らない仕事で、遅々として進まなかった。

職場が変わったり、学会発表が2回続いたりして、途中、何度も中断した。

しかし、早く自分の手から離したい、ということで、無理やり今日終わらせて、目をつむって送信した。

編集担当から書き直しを命ぜられること必定であるが、なんとか刊行日には間に合うだろう。

ということで、家に帰ってから、録画していた映画を見ることにした。

東野圭吾原作・福山雅治主演の「真夏の方程式」である!

実を言うと、先週土曜日に放送されたとき、リアルタイムで見ていたのであった。

その日、実家に帰っていた妻から、「面白いから見たほうがいい」と言われて、一人で家で見ることにしたのだが、ザッピングしながら見ていたため、いっこうにストーリーがわからなかった。

「ミステリー映画をザッピングしながら見るなんて、考えられヘン」

とあとでこっぴどく言われたので、もう一度、最初から見ることにしたのである。

福山雅治といえば、いつも私がネタにしているように、私と同い年である!

つまり、同級生、というわけだ。

世が世なら、私が湯川博士(劇中の福山雅治の役名)になっていたかも知れないのだ!

…ということで、自分が演じるつもりになって、見ることにした。

同じシーンを自分が演じたら、どうなるか。

たとえば、地方の小さな居酒屋で一人で地酒を飲んでいるシーン。

福山だからサマになっているし、いろんな人に声をかけられるのであって、私だったら、単なる寂しいオヤジが背中を丸めて飲んでいるだけで、まったく絵にならないだろうな。

とか、

会議に遅れてやってきて、堂々と椅子に座り、印象的なセリフを言ってその場を全部さらってしまうシーン。

福山だからサマになっているのであって、私だったら、大汗かいて会場に入ってきて、「すいません、すいません」なんか言いながら、汗を拭いているうちに、会議が終わってしまうだろうな。

とか。

まあそんなことばかり考えて見ていた。

さて、肝心の映画の内容だが、ライムスター宇多丸さんが、「福山雅治は、映画向きの役者ではないが、この映画(「真夏の方程式」)で一皮むけた」と評していたそうで、たしかに、この映画の福山雅治は、とてもよかったと思う。

さて、この映画を見た人が、誰しも抱いた感想だと思うが…。

「これって、『砂の器』じゃん!」

という思いを強くした。「砂の器」へのオマージュ作品なのではないか。

暗い過去の秘密が明るみに出るのをおそれて、殺人を犯してしまう、という全体のモチーフと、親子愛、というテーマは、まさに「砂の器」の縦糸と横糸である。

過去の事件を真相を確かめようとやってきた人の好い刑事(塩見三省)が、過去を明かされたくない者に殺されてしまう、という構図は、「砂の器」でいうところの、過去が明るみに出ることを恐れた和賀英良(加藤剛)が、人の好い巡査・三木謙一(緒形拳)を殺してしまう、という場面を連想させる。

何よりも、余命幾ばくもない車いすの老人(白竜)に面会した湯川(福山雅治)が、長らく会っていない娘の写真を見せて、それに対して老人が「何も知らない」と答えるシーンは、丹波哲郎扮する刑事が、ハンセン病施設にいる、余命幾ばくのない和賀の本当の父・本浦千代吉(加藤嘉)に息子の写真を見せるシーンと、まったく同じである!

あの、日本映画史上に残る、名シーンである!

以下、映画「砂の器」より。

Katouyoshi丹波哲郎「本浦千代吉さんですね」

加藤嘉「は、はい」

丹波「突然お邪魔したのは他でもありません。こういう人をご存じないかと思いまして」

(写真のコピーを手渡す。しばらくそれを眺めていた千代吉に嗚咽が漏れる)

丹波「こんな顔の人は知らないと?」

加藤「は、はい」

丹波「では、見たことも会ったこともないんですね?」

加藤「は、はい」

丹波「それじゃあ、あなたがよくご存知の人で、五つか六つの子供をこの青年にしてみたとしたら、…それでも心当たりはありませんか」

加藤「(感極まって)うあ~、うあ~!!知らねぇ!!そんな人知らねぇ!!ぅわ~!!」

日本映画史上、最も涙を誘うシーンである。

「真夏の方程式」は、東野圭吾流の「砂の器」をやりたかったんじゃないだろうか。

原作を読んでいないのでわからないが、少なくとも映画としては、そこをめざしていたのではないか、と思う。

ま、映画を見た人誰もが思ったことだと思うが。

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驕るものたち

6月23日は沖縄慰霊の日。

『上野千鶴子の選憲論』(集英社新書)で、「琉球共和社会憲法C私(試)案」(『新沖縄文学』48、1981年)の全文が引用されている。

この憲法試案の前文というのが、すばらしい。ごく一部だけ紹介する。

「浦添に驕るものたちは浦添によって滅び、首里に驕るものたちは首里によって滅んだ。ピラミッドに驕るものたちはピラミッドによって滅び、長城に驕るものたちもまた長城によって滅んだ。軍備によって驕るものたちは軍備によって滅び、法に驕るものたちもまた法によって滅んだ。神によったものたちは神に滅び、人間によったものたちは人間に滅び、愛によったものたちは愛に滅んだ。

科学に驕るものたちは科学によって滅び、食に驕るものたちは食によって滅ぶ。国家を求めれば国家の牢に住む…」

「九死に一生を得て廃墟に立ったとき、われわれは戦争が国内の民を殺りくするからくりであることを知らされた。(中略)われわれはもうホトホトに愛想がつきた。好戦国日本よ、好戦的日本国民と権力者共よ、好むところの道を行くがよい。もはやわれわれは人類廃滅への無理心中の道行きをこれ以上共にはできない」

今の状況を予言するような文章である。

「○○に驕るものたちは○○によって滅ぶ」というのは、すべてにあてはまる本質であるように思う。「科学に驕るものたちは科学によって滅び」なんて、まさに今、どこぞで起こっていることそのまんまじゃん。

同じことを感じたのは、むかし、立川談志が、落語のマクラで、

「いいかい、病院は患者のためにあるんじゃないぜ、医者のためにあるんだぜ。学校は生徒のためにあるんじゃないぜ、先生のためにあるんだぜ。国会は国民のためにあるんじゃないぜ、国会議員のためにあるんだぜ…。そう考えれば、世の中で起こっていることが全部説明できる」

と言っていたのを聞いたときである。なるほどこれが、世の中の本質か、と。

昨今起こっている、さまざまな出来事は、すべてこの理屈で説明できるではないか。

とすれば、私たちがめざすことは、じつにはっきりしている。

病院を患者のもとに取り戻せ。

学校を生徒のもとに取り戻せ。

大学を学生のもとに取り戻せ。

国会を国民のもとに取り戻せ。

…じつに単純明快である。

だがこんな単純なことに、多くの人は向き合おうとはしない。

それが私には、不思議でならない。

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ヤマ場をひとまず越える

職場や住処が変わってからというもの、

このブログからすっかり疎遠になってしまった人もいれば、

再び戻ってきてくれた人もいるようで、

僕は「去る者は追わず、来るものは拒まず」と自分に言い聞かせているし、

「忙しい」ことを理由にしだいに疎遠になることについては、僕自身も身に覚えがあることなので、

どうということはない。

逆に、再び戻って来る人がいるというのは、嬉しいことである。

前回の小説の記事にコメントをくれた方は、

おそらく、再び戻ってきてくれた人なのだろう、と、勝手に想像している。

まあ、そんなことは個人的な感慨なので、どうということはない。

6月22日(日)

学会発表が、無事終了した。

6月10日からの、怒濤の日々だった。

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赤いブログ

この「赤いブログ」にお集まりの読者諸賢。

これからみなさんにお話しすることは、私が退屈しのぎに、これまでの私の半生を振り返る戯れ言に過ぎません。

ただ、この話には、いささか残酷な話が含まれていますから、その手の話を好まない方は、ここから先は、どうぞ読まないでください。

私自身が実際のところ、正気なのかどうか、よくわかりません。これからのお話を聞かれた方は、あるいは私のことを、正気な人間ではない、と思うかもしれません。どうか読者諸賢には、私という人間が、正気なのかそうでないのか、判断していただきたいのです。

私は思春期のころから、この国に漠然とした不満を抱くようになり、いつしかそれは、殺意に変わっていきました。

そして大学に入るころ、世にも恐ろしい計画を思いついたのです。

それは、この国の人々を皆殺しにするという、大量殺人計画でした。

ああ、何と恐ろしことでしょう!

しかし私自身が、兵器を使って大量虐殺をする技術もなければ、度胸もありません。私はそもそも、血を見るのが恐いほどの、臆病者なのです。

しかし、この国から、1人でも多くの人を抹殺してしまいたい。

そのためにはどうすればよいか?

私は必死になって考えました。そして1つの結論にたどり着きました。

私自身が手を下さずに、大量殺人を実行する方法を、です。

私は大学で一生懸命勉強して、卒業後はある企業に勤めました。

そこは、「これからは、電話を1人1台携帯できる時代が来る」として、携帯電話の開発に取り組んでいた企業でした。

ご存じの通り、携帯電話は瞬く間に普及し、国民の誰もが、携帯電話を持つ世の中になったのです。

私は、そこでさまざまな機能を開発しました。携帯電話に簡単なメール機能をつけたり、ゲーム機能をつけたりする仕事です。

やがて、スマートフォンなるものが開発され、そこで私は、さらにさまざまな機能を開発しました。

ゲームやインターネットはもちろんですが、大勢の人たちでチャットが共有できる機能や、自分のつぶやいたことを全世界の人に知らせたり、逆に全世界の人々がつぶやいたことを瞬時に読むことができる機能です。

その結果、どうなったと思いますか?読者諸賢。

たとえば、電車の中の様相が、がらりと変わりました。それまで文庫本を読んだりしていた人が、スマホの画面に夢中になるようになったのです。

電車の中だけではありません。駅や空港や病院の待合室、さらには大学の授業中にも、人々は他のことをそっちのけでスマホに夢中になったのです。

人々は、少しでも早く情報を仕入れたい、と思うようになったのでしょう。しかしこれは、もはや中毒といってよいものでした。

ここまで読んできた賢明な読者はおわかりでしょう。私の目的の第一は、「携帯電話やスマホを使う人々を、中毒にさせるほど夢中にさせる」ということだったのです。

さて、それからどうなったと思いますか?

スマホに夢中になるあまり、さまざまな事故が起きるようになりました。

最初は、スマホに夢中になるあまり、電車から降りそびれたり、しまりかけのドアに激突する、といった、軽微なものでした。

ところがだんだんエスカレートしてきて、ホームの下に転落したり、さらには転落した電車に轢かれて即死する人も出てくるようになったのです。

もうおわかりでしょう。私の真の目的は、そこにあったのです。

スマホを使うことで人々に中毒を起こさせ、不注意により死に追いやる、それこそが、私の真の目的だったのです。

私はこうして、自分で手を下すことなく、人々を死に追いやることに、成功しました。誰も私を疑う者はおりません。それはそうです。私は、スマホという「便利なもの」を開発した人間なのです。感謝されこそすれ、非難される理由は、どこにもないのです。

電車だけではありません。町中を、スマホの画面を見ながら歩いたり、さらには、片手でスマホを持って、それを見ながら自転車を運転したりする人も出てきました。

すぐ近くに車が来ることも気づかずに飛び出した自転車が車に轢かれて、自転車に乗っていた人が死亡する、という事故が、頻発したのです。

それだけではありません。こんな痛ましい事故もありました。

朝、学校に通勤するために車を運転していた教師が、運転操作を誤り、登校途中の小学生の列に車ごと突っ込み、多くの死傷者を出したのです。

原因は、車を運転していた教師が、スマホに気をとられていて前方不注意だったことによるものでした。

ああ、なんということでしょう!スマホに気をとられていた運転手のために、何の罪もないいたいけな子どもたちが、犠牲になってしまったのです。

私はこのときほど、罪悪感にかられたことはありません。

しかし、私を非難する人は、誰一人おりませんでした。運転手だけが責任を問われ、凶器となった「車」と「スマホ」を開発し、売り続けた人々が、責任をとらされることは、なかったのです。

私自身が、事故を目撃したこともあります。

駅の近くの通りを歩いていると、ドーン、と、何かものすごい大きなものが転倒するような物音が聞こえました。

音のした方を振り向くと、バイクが転倒して、人が倒れているではありませんか。どうやら車に轢かれたようです。

手首の先から赤黒い血がドクドク出ているのを、私はつい、みてしまいました。そしてその手には、スマホが握られていたのです。

バイクに乗っていた青年は死亡し、バイクを轢いた車の運転手は、前方不注意による過失致死の罪に問われました。

車の運転手もまた、運転しながら、スマホに夢中になっていたのです。

読者諸賢。私のこの恐ろしい計画は、今もなお、続いているのです。

しかし、思いもかけないことが起こり、私の計画は、頓挫することになりそうです。

それは、政府が憲法解釈を変更し、「どこででも戦争ができる国」にすることを、決定したのです。

これで政府は、合法的に、しかも大量に、この国の人々を死に追いやることができるようになったのです。

この政府の方針の前に、私の計画など、どれほどの力がありましょう?

これで私の計画は、まったく意味のないものとなってしまったのです。

…さあ、ここまで読んでいただいた読者諸賢。

正気でないのは、私なのか?

それとも、政府なのか?

ご判断いただけますでしょうか。

(あとがき)

江戸川乱歩の短編小説「赤い部屋」にインスパイアされて、初めて短編小説に挑戦してみました!江戸川乱歩風です。

もちろん、上の話は、全部フィクションです。

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原点は江戸川乱歩

Photo『江戸川乱歩傑作選』は、私の愛読書のうちの1つである。ごくたまに、読み返すことがある。

奥付が「平成4年」となっているから、いまから20年ほど前に買った本である。本の傷みも、かなりはげしい。

もちろん、江戸川乱歩の探偵小説じたいは、小学生のころから愛読していた。

今回、韓国への旅のお供に、久々にこの『江戸川乱歩傑作選』を持っていくことにした。

久しぶりに読もうと思ったのは、このブログのある読者から、江戸川乱歩の短編小説「D坂の殺人事件」を読んだら、主人公の「私」が、この私(ブログ主)のように思えてきた、と言われたからである。

そこで、「D坂の殺人事件」を含む、この本を読むことにしたのである。

たしかに読んでみると、語り口といい、文体といい、このブログの文章とよく似ている。

喫茶店や古本屋が登場するところも、なんとなく私っぽい。

私はむかしから、江戸川乱歩の文章に憧れていたのだ。そのことに、あらためて気づいたのである。

私は無意識のうちに、むかし読んで憧れた文体に、影響を受けていたのだ。

あらためて江戸川乱歩の短編小説を読むと、やはりいい。

たんなりトリックだけではなく、そこには「人間の心理」というものが、深く洞察されている。

明智小五郎、そしてそれを生み出した江戸川乱歩による、人間の心理に対する深い洞察力、そしてそれをクドいまでに説明する表現力は、私の人格や表現力の形成に、大きな影響を与えたのだ。

いつか、江戸川乱歩のような短編小説を書いてみたい、と思う。

…と、ここまで書いて、驚いた。

こぶぎさんのブログで、新シリーズが始まっている。

その名も、「明智こぶ郎の事件簿」。

なんという偶然!

…先を越された。

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散髪屋は、人生だ!

6月20日(金)

オサレな美容室に行くのをやめて、別の散髪屋に通うようになって、今日で2度目である。

美容室ではなく、いわゆる理髪店なのだが、従業員がみな若くて、とても感じがいいのである。

今日、担当してくれたのは、30代前半のGさんという男性店員さんだった。

髪を切りながら、雑談する。

「先週まで、里帰りしていたんです」とGさん。

「ご実家はどちらです?」

「Y県です」

「Y県!」

私は驚いた。私が3月まで住んでいた県である。

「Y県のどちらです?」

「S市です」

「S市!」

私が仕事で何度も通った町である。

「実は、近々、この店をやめて、故郷に店を構えることにしたんです」

「ほう…それはまたどうしてです?」

「この業界では、私くらいの年齢になると、お店を持ちたい、と思うようになるんです。で、不思議なことに、東京を出て、実家の近くで店を開きたいって思うんです」

「そうなんですか…」私は意外に思った。東京で働いている方が、いろいろと条件がいいだろうに、と。

「先月、お客さんの髪を担当したスタッフがいたでしょう?」

「ええ。Tさんですね」

「ええ。彼も僕と同い年くらいなんですけど、来月にはこの店を出て、実家の理容店を継ぐそうです」

「そうなんですか。実家の近くだと、安心するんでしょうかね」

「それがそうでもないんです。僕は高校を出てすぐに東京に出てきましたから、もう15年も東京暮らしです。すっかり東京暮らしの方が慣れてしまって、故郷で暮らしたときのことは、もうあんまり覚えていないんです」

そういうものだろうか、と私は思った。

「だから、田舎でお店を開いても、上手くやっていけるのか、不安なんです」

「なるほど」

「妻にとっては、なおさら知らない町ですからね。いったい、どんなふうになるのか、想像もつきません」

「タイヘンですよ。冬になったら、朝一番で、まず駐車場の雪かきから始めなくてはなりません」私は少しおどかした。

「あ、そういえばそうですね」

「とくに、S市は雪深い町ですからね」

「やっぱり、東京と勝手が違うんだろうなあ」

ひとしきり、店員さんとS市の話で盛り上がった。

しばらくして、見習い店員の若い女性が手伝いに来た。

「この子も、この4月にI県から来たんです」店員さんが私に紹介した。

「よろしくお願いします」とその見習い店員さん。

「I県のどちらです?」

「O町です」

「O町ですか。沿岸部ですね。じゃあ、震災のときは大変だったでしょう」

「ええ」

「そのときは、学生だったんですか?」

「そのときは中三で、あの震災の翌日が卒業式の予定だったんですけど、中止になりました」

ご家族は、みなご無事だったらしい。

「不思議な縁でしてねえ」とGさん。「震災のあとに、うちの店の従業員たちが、散髪のボランティアでO町に行ったんですよ。そのときに、この子と会いましてね。『何かあったら、いつでもうちの店を訪ねてきなさい』と言ったんです。そうしたら3年後に、本当にうちの店に来ちゃった」

「ほう」

「彼女はこれから、この店で修業です」

人間のつながり、とはおもしろい。

いろいろあって今この瞬間、Gさん、見習い店員さん、そして私が、同じ空間にいるのだ。

だがもうじきOさんは、入れ替わるように、北へ帰る。

私の髪を担当するのも、最初で最後かもしれない。

だが私には、S市でしなければならない仕事がまだ残されている。これからも、何度かS市を訪れることになるだろう。

そのときに、Gさんの店をたずねてみようか。

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カタツムリのハンドクリーム

6月19日(木)

思いのほか仕事が順調に進み、予定より少し早く終わったので、飛行機の出発までの間、市内をぶらぶらと歩くことにした。

今回のチーム6名のうち、韓国をよく知る2人は別行動をとることになり、あとの4人で市内を散策することになった。

私以外の3人は、韓国に初めて来た人たちばかりだったので、私がツアーガイドとして、案内することになったのである。ただし、この3人は、この仕事を通じて初めてお会いした方々である。職種がそれぞれ異なることもあり、これまでまったく接点がない方々だった。

かくして、初対面のオッサン4人による市内散策がはじまった。

3人のうちの1人、Mさんが言った。

「妻に、『カタツムリのハンドクリーム』を買っていかなければならないんです」

「カタツムリのハンドクリーム?」初耳である。

「ええ、何でも以前、韓国を旅行した人からおみやげにもらって、それがとてもよかったそうで、韓国に行ったら買ってきてくれと」

おそらく、カタツムリのエキスか何かが入っているハンドクリーム、ということだろうか? 化粧品に関心のない私は、全然わからない。

漠然とした情報だけをたよりに、町の化粧品屋さんをしらみつぶしにあたってみることにした。

「カタツムリのハンドクリーム、ありますか?」

「カタツムリのハンドクリーム?そんなものありません」

どこへ行っても、同じ反応である。なかには、

「うちは、植物性の化粧品しか扱ってないよ」

と言われ、追い返される店もあった。

帰国してから妻に聞いてみると、たしかに数年前までは、カタツムリのクリームは日本人観光客を中心に大流行していたが、いまはすっかりなりをひそめたのだという。

だがこのときは、そんなことを知るよしもない。

「本当に、カタツムリのハンドクリームなんでしょうか?」

私はMさんを疑いだした。

「いや、…カタツムリは間違いないと思うんですが、妻が、何かのクリームをハンドクリームだと思い込んで間違って使っていたのかもしれません」

Mさんも、だんだん自信がなくなってきたようだった。

オッサン4人が、「カタツムリのハンドクリーム」を求めて、化粧品屋に入る姿は、どこか滑稽である。

はたして、本当に「カタツムリのハンドクリーム」なるものは存在するのか?

最後の望みは、百貨店である。

町でいちばん大きい百貨店に行き、探してみると、カタツムリの絵を描いた容器に入ったクリームを発見した!

「これ、カタツムリのハンドクリームですかっ??!!」私は店員さんに聞いた。

「いえ、ハンドクリームではありません。顔に塗るクリームです」

「…そうですか…」

「でも、顔だけでなく、手に塗っても大丈夫です」

そう言うと、店員は私の手に、カタツムリのクリームを塗った。

たしかに、すべすべした感じになる。

「このへんで手を打ちませんか」私はMさんに言った。

「そうですね。これなら、妻も納得すると思います」

これが正解かどうかはわからないが、これで一件落着である。

Photoほかの人たちも、百貨店でおみやげを買って、あとは市場を案内した。

大都市の中の、異空間のような市場である。

私はこの場所が好きで、この町に来ると、必ずここに立ち寄るのだ。

この町を案内するとしたら、この空間がいちばんお薦めである。

Photo_2「せっかくですから、ここの名物を食べましょう」

海に近い市場を見学したあと、名物の魚料理を堪能した。

満腹になったあと、リムジンバスで空港に向かう。

「おかげで楽しい時間でした」と3人。

「またいつかどこかで、一緒に仕事をしましょう」

空港で別れ、それぞれ違う便で、日本に帰った。

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ものづくり

6月18日(水)

今回の韓国でのミッションは、「ものづくり」である。

職場が変わって、いままで経験したことのない仕事ばかりなので、それなりに楽しい。

だが今回は、韓国で、それをやらなければならない。

はたして本当に、うまくいくのだろうか?

自分が思い描くようなものが、作れるだろうか?

まったく予想がつかない。

昨晩、日本各地から韓国に集まった総勢6名のチームは、誰もが不安を感じていたと思う。

今日、朝9時半から、先方におじゃまして、「ものづくり」の準備を始めた。

6名が、各人の持っている技術を持ち寄りながら、1つのものを仕上げていく。

最初の不安はしだいに消えていき、とりあえず、今回のミッションは、順調に進んだ。

初めて一緒に仕事をする人も何人かいたが、いままでだったらお会いする機会がなかったような人と仕事ができるのも、この仕事のおもしろいところである。

それぞれが知恵を出し合い、それぞれの持ち場で頑張る仕事ほど、楽しいものはない。

前の職場でもそうだった。

それぞれが知恵を出し合い、議論しながら、1つのものを形作っていく仕事をしているときが、いちばん楽しかった。

それが、仕事へのモチベーションにつながっているのだと思う。

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猛省

6月17日(火)

移動中に、試みに三浦しをんの長編小説『光』を読んでみることにした。

先日韓国で、妻の友人のへジョンさんにプレゼントした本である。

読んでビックリした。

なんとまあ、エグイ内容なことか…。

小説じたいは、とても面白かった。これは、本当である。

しかしこの小説を、乙女チックで前向きなへジョンさんにプレゼントした、というのは、いかがなものか…。

へジョンさんがもしこれを読んだら、どう思うだろう。

(何でこの小説を私が気に入ると思ったのだろう?)

と、その意図をはかりかねるに違いない。

前回、

「「自分のために薦めてくれた」という気持ちをどれだけ汲んでくれるか、あるいは、汲むことができるか、というところにこそ、本をプレゼントする意味があるのだと、思う」

などと偉そうなことを書いてしまったが、

「こんなもん、汲めるか!」

といわれても仕方がない。

うーむ。やはり読んでない本は、プレゼントしない方がよい。

本を薦めるって、難しい。

繰り返すが、この小説じたいは、とても面白かったのである。

三浦しをんのストーリーテラーぶりに、私自身は、ハマってしまったのだ。

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再次旅行

6月16日(星期一)

我也再次要去三天的旅行。

真的,我可以实现我的任务?

很快再见!

(明日から再び2泊3日の韓国への旅です。

はたして任務を遂行できるか?

ではまた後ほど)

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答えのない本選び

先週の旅の話について、もう少し書く。

先週の韓国への旅では、多くの人に会うのことになっていたので、日本からおみやげを買って持っていくことにした。

誰に何を差し上げるか、というのは、とてもむずかしい問題である。

私も妻も、そういうことが不得手なので、考えているうちに、何だかわかんなくなってしまう。

とくに難しいのは、「本」である。

私の場合、面白いからと言って特定の本を薦めたり、お薦めの本を差し上げたりすると、たいてい憂き目に遭うことになっているので、あとでタイヘン後悔するのだ。

今回、本のプレゼントをすることにしたのは、妻の友人のへジョンさんと、語学学校の先生のキム先生とチェ先生の3人である。

へジョンさんは、日本語を勉強しているので、日本の文庫本をプレゼントすると喜ばれる、と妻が言っていた。

問題は、どんな本にするか、である。

へジョンさんは、アラサーの今どきの女の子なので、

夏目漱石の『こころ』とか、

三島由紀夫の『金閣寺』とか、

そういったものは好まない。

今どきの女の子が好きそうなエッセイや小説を選ばなくてはいけない。

だが、私も妻も、今どきの女の子が好きそうな本、というのを、いっさい読んだことがないので、何がいいのか、サッパリわからない。

何より最大のポイントは、「自分も読んで面白くて、その人にも面白いと思ってくれそうな本」を選ばなくてはならないのである。

決して、あてずっぽうで選んではいけないのである。

妻と2人で長考の結果、

三浦しをんの『光』

中島京子の『小さいおうち』

朝井リョウの『桐島、部活やめるってよ』

の3冊をプレゼントすることにした。

このうち、三浦しをんの『光』はまったく読んだことがなく、というか、三浦しをんの小説じたい、まったく読んだことがない。

だが、いま人気の実力派の作家だし、若い女性には受けるんじゃないか、と思って、選んだ。

2冊目の『小さいおうち』は、私が読んで面白いと思ったのと、映画化もされているということで、選んだ。

3冊目の『桐島、部活やめるってよ』は、小説は読んだことがないが、映画が面白かったので、選んだ。

語学学校の先生であるキム先生とチェ先生は、日本語が読めないので、韓国語に翻訳された日本の小説をプレゼントすることにした。

韓国の「キョボ文庫」という大型書店に行って、選ぶことにした。

これもなかなか難しい。

今度は、アラフォーの女性へのプレゼントである。

いくら私が好きだといっても、横溝正史や松本清張の小説をプレゼントするわけにはいかない(横溝正史の小説も松本清張の小説も韓国語に翻訳されている)。

これまた長考の結果、

チェ先生には、東野圭吾の『手紙』、

キム先生には貴志祐介の『青の炎』

を、プレゼントすることにした。

東野圭吾の『手紙』は、直木賞の候補作にもなり、映画化もされた名作中の名作である。

貴志祐介の『青の炎』は、小説は読んだことがないのだが、蜷川幸雄監督により映画化された作品が、とてもすばらしかった。

自分も面白いと思い、相手も面白いと思ってくれそうなギリギリのライン、というのが、いまあげた小説群なのである。

気になるのは、本をもらった3人の反応である。

最後まで、そのことが気がかりだった。

「本、気に入ってくれるかなあ。やっぱり、趣味に合わないかなあ」

と、さすがの妻も弱気になった。

「大丈夫だろう」

と言ってはみたものの、やはり私も気になる。

本をプレゼントするときは、どんな場合でも、たいていこんな気持ちになるものなのだ。

そして、何が正解なのかなんて、わからないのだ。

「自分のために薦めてくれた」という気持ちをどれだけ汲んでくれるか、あるいは、汲むことができるか、というところにこそ、本をプレゼントする意味があるのだと、思う。

その本にハマるかハマらないかは、二の次なのである。

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キョスニム、母校に帰る・その4

6月14日(土)

国際学術大会2日目。

この日は午前で研究発表が終わり、お昼の会食までが、公式行事である。

お昼の会食で、隣に座っていた、中国からいらした研究者が、日本語で話しかけてきた。

いま、日本の大学に滞在しているのだという。

なあんだ、だったら最初から日本語で会話すればよかった。

いろいろ話してみると、なんとその先生は、私の前の職場の同僚だったNさんのことをよく知っていた!

世間はなんと狭いことか!

…というか、そういう話を、もっと早くからしていれば、うちとけられたのに…。

私は「中国語がわからない」という理由でコミュニケーションをとろうとしなかったことを、ひどく後悔した。

やはり、英語と中国語は、勉強した方が絶対によい。

それはともかく。

お昼の会食が終わり、先生方とお別れする。

私にとっては、長い長い、国際学術大会だった。

午後2時。

一昨日にお会いしたナム先生と、ふたたび大学の北門で待ち合わせすることになっていた。

ナム先生の姉夫婦に子どもが生まれたというので、赤ちゃんの顔を見に、姉夫婦に会うことになっていたのである。

それに、もうひとつ重大なニュースがあった。

ナム先生が、この8月に結婚することになり、その婚約者とも会うことになったのである!

何なんだ俺は?親戚のオジサンか?

ということで、ナム先生ご一家と、市内の喫茶店に行って、3時間ほどおしゃべりをした。

話を聞いてみると、昨年9月にナム先生一家とお会いしたときは、まだナム先生はその男性とつきあってはいなかったのだという。

「でもあの時、私に『結婚式にはキョスニムをぜひ呼びたい』と言ってましたよね」

と私が聞くと、

「ええ、覚えてます。でもあの時は、まだ決まった相手がいたわけじゃなかったんです」

つまり、つきあいだしたのは去年の秋以降で、つきあって1年足らずで結婚を決めた、ということになる。

人生とは、ほんとうにわからないものである。そして「結婚式にはキョスニムを呼びたい」という言葉が、8月に実現するかもしれないのだ。

「またお会いしましょう」

みなさんとお別れしたあと、こんどは夕方6時、妻が語学学校でお世話になったキム先生とチェ先生のお二人と、お会いすることになっていた。

キム先生は、妻と私が4級のときに韓国語を教わった先生で、昨日の国際学術大会の私の発表をわざわざ聞きに来てくれた。

もう一人のチェ先生は、妻が尊敬している韓国語の先生である。

サムギョプサルを食べながら、2時間ほどお話をした。

お二人は私たちに、プレゼントをくれた。

チェ先生からは、済州島で買った、おいしいお茶のセットをいただいた。

Photoキム先生からは、何と自分自身で作って焼いた、陶磁器のコーヒーカップをいただいた!

私たちと会うということで、わざわざ作ってくれたらしい。

何より心のこもったプレゼントである。

「本当は、キョスニムをイメージしたトトロのコーヒーカップを作ろうと挑戦したんですけど、まだ腕が未熟なので、ふつうの形にしました。こんどお会いするときはトトロのコーヒーカップをプレゼントします」

「はあ」

トトロのコーヒーカップ、というのがイメージできなかったが、何にせよ私をイメージしてプレゼントをくれるというのは、ありがたいことである。

午後8時過ぎに2人の先生とお別れした。

6月15日(日)

いよいよ帰国の日。

空港に向かう前に、妻の友人である、へジョンさんと会うことになっていた。

へジョンさんは、以前日本に留学したことがあって、その年の年末に、わが家に招待して年末年始を過ごしたことがあった。

物怖じしない、前向きで明るい人で、話していても、楽しい。

時間があっという間に過ぎ、空港に向かうバス停で、お別れした。

…ここまで延々と書いてきてわかるように、今回の旅は、留学中にお世話になった人たちに、できるだけたくさん再会する、というのが大きなテーマであった。

だから、次から次へと、いろいろな人と約束をして、お会いしたのである。

つくづく、留学中はいろいろな人のお世話になった、と思う。

いまでも忘れずに、会う時間を作ってくれる、というのは、ありがたいことである。

そうそう、昨年、語学学校の先生たちと約束した、中国語の勉強は、どうなったかって?

…そのとき約束を交わした3人の先生(ナム先生、クォン先生、チェ先生)とお会いしたが、誰も、勉強していませんでした。

だが別の意味で、やはり中国語を勉強しなければならないと、今回の旅で強く感じたのである。

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キョスニム、母校に帰る・その3

6月13日(金)

朝9時40分、国際学術大会が、母校の大学の国際会議室で始まった。

聞きに来ていた人たちは、50人くらいであろうか。5年前の留学中に一緒に勉強した、大学院生たちも聴きに来ていて、懐かしい顔ぶれに再会した。

私の持ち時間は、全体で40分で、そのうち発表が20分、討論が20分である。

11時過ぎ。いよいよ私の番である。

つっかえながらも、発表原稿の翻訳文を読み上げ、討論者の先生に対する答えも、準備していたおかげでひととおり答えることができた。

しかし、である。

司会者の先生が言う。

「ここでフロアのみなさんから、質問を受けたいと思います」

ええええぇぇぇぇっ??!!聞いてないぞ!

私の語学力は、アドリブに対してはまったく通用しないのである。

しかしまあ、質問なんぞ出ないだろう、と思っていたら、そうしたらあーた、次々と手が上がって矢継ぎ早に質問が出たではないか!

しかし、頭がパニックになってほとんど韓国語が聞き取れず、何も答えることができなくなってしまった。

(ああ、今すぐ死にたい…)

「あのう…壇上で今すぐ自決してよろしいでしょうか…」

と、喉まで出かかった。

はては、中国からいらした方も手を上げて中国語でコメントを言う始末。

こうなるともう、ナンダカワカラナイ。

結局私は、壇上で大恥をかいて、なんとか自分の持ち時間を消費したのであった。

(まあ、多くの人が関心を持って聞いてくれたのだから、よしとするか)

と、なんとか自分を慰めた。

さて、お昼の休憩時間。

食事を終えて会場に戻ろうとすると、私に声をかけるオジサンがいた。

留学中、毎週木曜日に参加していた研究会でよくお会いした、同じ市内の大学の先生である。

その研究会は、日本語がわかる先生が1人もおらず、私も韓国語の発表を聞き取るのに苦労したが、いろいろな先生とお会いできて、楽しい研究会だった。

「お久しぶりです。覚えてますか?」とその先生。

「ええ、研究会でよくお目にかかりました」

「昨日も夕方に研究会があって、あなたのことが話題に出たんですよ。それで聞きに来ました」

「ありがとうございます。お会いできて光栄です」

まだ覚えていただいていたことに、感謝した。

その先生と別れ、ふたたび会場に向かうと、背後から

「キョスニム!」

という女性の声がした。

振り返ると、語学学校の4級のときに習った、キム先生だった。妻も、キム先生から韓国語を習っていたので、2人にとって、懐かしい先生である。

「キョスニム、先ほどの発表、後ろの方で聞いていました」

「えっ?そうだったんですか??」

久しぶりに大学に行くので、事前にキム先生に連絡をとったところ、土曜日の夕方に一緒に食事をすることになっていたのだが、わざわざ時間をとって、私の発表を聞きに来てくれたのである。ありがたいことである。

私は緊張していて、壇上から客席を見渡すことができなかったので、まったく気づいていなかったのだ。

「ずいぶん緊張されていましたね」

「ええ、途中で死にたくなりました」

そういうとキム先生は笑った。

「では明日、お会いしましょう」

さて午後。

緊張の糸がぷっつり切れてしまった私に、急に眠気が襲ってきて、午後はほとんど記憶がない。

夕方6時。1日目の発表が終わり、参加者たちによる会食のあと、例によって指導教授に2次会に連れていかれ、ビールを飲む。

そのあと、カラオケに連れていかれそうになったが、丁重にお断りした。

夜11時、ようやく解放され、ホテルに戻った。

長い1日だった。

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キョスニム、母校に帰る・その2

6月12日(木)

午前、市内のはずれにあるお寺に向かったが、さんざんな目にあった。

まあそれはよい。

今日の夕方は、明日から開催される国際学術大会のレセプションである。

午後5時に、私の母校である大学に大会参加者が集まり、そこから車に分乗して、「山の上の食堂」に向かう。

私の指導教授とも、じつに久しぶりにお会いした。

留学中にお世話になった、何人もの先生とも再会する。

海外から招かれた研究発表者は、アメリカ、中国、そして日本である。

韓国の伝統的家屋の店で、韓国の伝統料理を食べながら、英語と中国語と韓国語が飛び交い、かなりカオスなレセプションだった。

アメリカから来た先生はとても紳士的だし、中国から来た先生はとても愛嬌があるし、いい人ばかりなのだが、いかんせん英語も中国語も喋れないので、コミュニケーションをとることができない。自分の語学力のなさをのろった。

私は、この国際学術大会の事務を担当しているカン先生に、気になっていることを聞いた。

「あのう…、明日の発表のことなんですけど」

「はい」

「韓国語で発表した方がいいんでしょうか?それとも、日本語で発表しても…」

ここまで言いかけて、ハッと気づいた。レセプションに参加しているメンバーの中で、日本語を理解できるのは、私の妻しかいない。

答えは予想通りだった。

「日本語は、通訳をするスタッフがいないんですよ。私たち、日本語がわからないので、できれば韓国語でお願いしたいのですが…。もし先生がどうしても無理ということでしたら、日本語でもかまいません。資料集には、翻訳文もついていますので」

ここで少し説明しておくと、発表原稿は、事前に日本語の原稿だけを提出し、翻訳は、韓国の主催者の方にまかせていた。

ところが、自分の原稿が、どのように翻訳されたのか、まったくわからない。当日に配布される資料集を見ないことには、わからないのである。

もうひとつ、気になることがあった。

韓国の学会では、発表者1人につき、必ず討論者が1人つくことになっている。討論者は、発表者の原稿をあらかじめ読み、疑問点などを書いた「討論文」というのを出す。学術大会当日には、その「討論文」に書かれた疑問などに対して、発表者が答えなければならないのである。

私の発表の討論者は、韓国の研究者だから、当然、韓国語で書かれているはずである。

しかしこの「討論文」もまた、あらかじめ送られて来たわけではなく、当日に配布される資料集を見るほかなかった。

ぶっつけ本番で討論文を読み、その答えを韓国語で答える、などという高度な芸当はできないから、ここはなんとしても、事前に資料集を入手して、あらかじめ答えを準備しておかなければならない。

主催者に頼んで、なんとか資料集を1部もらうことができたが、ここでまた問題が起きる。

指導教授の先生が、親しい者たちに「2次会に行くぞ」と言ったのである。

結局、夜11時半まで指導教授の先生たちと一緒にビールを飲み、ホテルに戻ってから、深夜3時まで、翻訳文の確認と、討論文に対する返答の原稿作成を行ったのであった。

本番前から、もうフラフラである。

はたして、明日の発表はうまくいくのか?

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キョスニム、母校に帰る・その1

6月10日(火)

夜7時の飛行機に乗り、深夜0時、韓国T市のホテルに到着した。

今回の旅の主な目的は、金曜日と土曜日に私の母校の大学で行われる、国際学術大会での研究発表である。

今回は、妻も同行した。

6月11日(水)

午前。

学生時代に日本で一緒に学んだことのあるイさんが、転勤でこの町に勤めていると聞いたので、訪ねてみることにした。

勤務先を訪ねると、イさんがいた。

「どうしたんです?」イさんはびっくりした様子だった。

「金曜日に、私の通っていた大学で国際学術大会があって、そこで発表するんです」

「そうでしたか。知りませんでした」

「一緒にお昼を食べに行きましょう」

挨拶だけして、日本から持ってきたおみやげを渡して帰るつもりだったが、お昼を食べに連れていってもらい、コーヒーまでごちそうになり、しばらくお話をした。

「今日は会えて嬉しかったです」とイさん。「金曜日、都合がつけば必ず聞きに行きます」

夕方6時。

こんどは語学学校でお世話になったナム先生、クォン先生と、大学の北門で待ち合わせをする。私が事前に、国際学術大会のために大学に行くと訪れることを連絡したら、例によって会うことになったのである。

昨年9月に会ってから、9カ月ぶりである。そのときに行った店と同じフグ料理の店に行き、フグ料理を堪能したあと、コーヒーショップでいろいろな話をする。話の内容は、おもに最近の語学学校の話である。

話を聞いてみると、私が勉強していた5年前とは、だいぶ様子が違ってきているらしい。

いちばんの違いは、「スマホ」である。授業中も、休憩時間も、中国人留学生たちはずーっとスマホをいじっていて、授業に集中していないのだという。

まったくコミュニケーションがとれず、先生たちはかなりストレスがたまっているようだった。

「キョスニムがいらした5年前は、教室がうるさかったでしょう」

「ええ」

「でもちゃんと授業に参加してくれていました。いまの学生は、スマホをいじってばかりいて、まったく授業に参加しようとしない」

「そうですか」

「うるさかったころが懐かしいです」

もうひとつ面白い話を聞いた。

語学学校にいる、中国人留学生の男の子と、ロシア人留学生の女の子が、つきあい始めたという。

それもかなり熱烈な恋愛である。

ところが、二人を結びつける唯一の手段である韓国語を、2人はまったく勉強しておらず、韓国語をまったく喋れないのだという。

もちろん二人は、お互いの使っている言語も、まったくわからない。

つまり、意思疎通の手段が、まったくない、というのである。

いったい、意思疎通の手段がないのにもかかわらず、どうやってデートの時間を過ごしているのか?

「それよりも不思議なのは、お互いに言葉が通じないのに、どうやって会う約束をしているか、ということです」とクォン先生。「私たち教師の間でも、どうしてあの二人がつきあっているのか、不思議で仕方がないんです」という。

「スマホの翻訳アプリを使って意思疎通をしているのではないか」

という結論に達した。

「ケンカをするときも、スマホの翻訳アプリを使うんでしょうかね」

その姿を想像し、爆笑した。

そんなこんなで、夜10時になって、解散した。

今回の旅は、留学中にお世話になった、多くの人たちと会うことになっている。

初日からどっと疲れたが、これはまだ、序の口である。

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旅に出ます

6月9日(月)

明日から日曜日まで、韓国に行ってきます。

今回の旅は、はたしてどうなるか。

さまざまなミッションを無事にこなすことができるか。

それではまた後ほど。

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大根と鶏肉を煮る

6月8日(日)

明後日(10日)より、長い旅に出るので、冷蔵庫の中を空っぽにしておかなければならない。

Photo_2ということで、野菜室に大量に残っていた大根を、鶏肉やゆで卵と一緒に醤油で煮ることにした。

最近、家にいるときは料理ばかりしている。

一見するとおでんのようだが、味もおでんに近い。

料理の秘訣は、記憶力ではないか、という気がしてきた。

むかし母に作ってもらった料理を、見よう見まねで味を思い出しながら作ったりする。

自分の嗜好は、自分がよく知っているから、美味いものを食おうと思ったら、自分で作るのがいちばんである。

…ということで、なんとか冷蔵庫も空になりそうなので、これから旅の準備をすることにしよう。

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カブとひき肉のあんかけ

6月7日(土)

冷蔵庫の野菜室に入っている「カブ」を消費しなければいけなかったので、試みにカブとひき肉のあんかけ、というものを作ってみた。

Photo

やっぱりカブは美味しいねえ。あっという間に平らげてしまった。

遠藤周作の劣等感について、もう少し書く。

遠藤周作と同世代の作家の多くが、東大文学部の出身だった。

遠藤周作自身は、慶応大学の仏文科を卒業していて、なにも引け目を感じることはないはずである。

それにそもそも、どういう学歴をたどろうと、それは作家や作品には、なんの関係もないことである。

しかし東大文学部出身の作家の多くは、自らの学歴をやはりどこか誇示したいらしく、それが表に出る度に、たとえ冗談めかして言った言葉であっても、遠藤には耐えられなかったのではないだろうか、と想像してみたりする。

これとはまったく関係ない話だが、思い出したことがある。

10年ほど前のことであろうか。

最近の作家が書いた推理小説やミステリー小説を読んでみようと思い立ったことがあった。

いつまでも、横溝正史だの、松本清張だのとばかりは言ってられない、と思ったのである。

最近の作家のミステリー小説にわりと詳しいγさん、という人がいて、私はγさんから、折にふれて、面白いミステリー小説を紹介してもらったりしていた。

ある日、詳しい状況は覚えていないのだが、γさんと、γさんと仲のよいβさんが話しているところへ、私が所用で訪ねていったことがあり、そのときたまたま、ミステリー小説の話になった。最近、γさんからミステリー小説を紹介してもらったりしているんですよ、などと、βさんにお話ししたのだと思う。

すると、βさんは私に言った。

「天藤真、面白いですよ」

「テンドウシン?」

「ええ、天藤真です。知りません?」

「はぁ。お恥ずかしいんですが、知りません」

「『背が高くて東大出』。知りません?」

「何ですか?それ」

「小説のタイトルです。本当に知りません?」

「知りません」

まるで知っているのが当然、というような口ぶりだった。

「東大の国文科を出て、ミステリー作家になった人ですよ」

「はあ、そうですか…」

βさんとはそれまでもいろいろな話をしてきたのだが、βさんの口からミステリー小説の話を聞くのは、これが初めてだった。βさん自身、そういうことにあまり関心を持たないタイプのように思えた。

ところが、なぜか今日は、ミステリー小説の話を私にしてくるのだ。

しかし話を聞いているうちに、ある仮説が私の頭の中に浮かんできた。

βさんは、東大の出身である。

つまり、彼が天藤真をしきりに薦めるのは、βさん自身が東大出身であることが、深く関係しているのではないだろうか、と。

しかし、それがいったい何だというのだ?少なくともそんな情報は、作家性とは何の関係もないことである。

しかしβさんは、しきりにそのことを強調していたのである。

しかも、βさんがあげた小説のタイトルが『背が高くて東大出』である。タイトルからすると、おそらく東大出身の人物が重要な鍵を握るような小説なのだろう。

自分の無知を反省し、あとで天藤真について調べてみると、『大誘拐』を書いた人だというではないか。

ふつうは彼の代表作としてあげるとすれば、『大誘拐』なのではないだろうか。だがβさんは『大誘拐』のタイトルはまったく出すことなく、なぜか『背が高くて東大出』を真っ先にあげたのである。

私は、東大国文科出身のミステリー作家の、しかも東大出身者が登場する小説を、βさんが誇らしげに紹介している様子を見て、何となく、どんよりした気持ちになった。

そのとき隣にいたγさんは、βさんの話に相づちを打ちながら私に言った。

「天藤真、たしかに面白いよ」

ミステリー小説好きのγさんも言うくらいなのだから、たしかに面白いのだろう。

しかし、まだ引っかかるところがあった。

それまでミステリー小説にまったく関心を示さなかったβさんが、なぜいきなり、さもミステリー小説に詳しいがごとく、私に薦めてきたのだろう。

もちろん、もともとβさんがミステリー小説に詳しかった可能性もある。

しかしそのとき私の頭をかすめたのは、βさんが、ひそかに好意を寄せるγさんの前で、ミステリー小説に関する知識を披露したかったのではないだろうか、という仮説だった。

そしてβさんとミステリー小説を結びつける要素の一つが、作家が東大国文科出身である、ということだったのではないだろうか。

…しかしここまでくると、完全な私の妄想であり、まったく根も葉もない。

もはやおぼろげな記憶となってしまったが、このときのやりとりそのものは、明確に覚えている。そしてこれがきっかけで、天藤真の小説を書店で見かけても、手に取らなくなってしまったのである。

もう、γさんともβさんともお会いする機会がなくなり、ミステリー小説について話題を交わすこともなくなったのだが、もしいまお会いしたとしたら、

「天藤真原作の映画『大誘拐』は、韓国で『クォン・スンプン女史拉致事件』という、原作のタイトルとは似ても似つかないタイトルで映画がリメイクされて、これがけっこう面白いんですよ」

と、私は言うだろう。

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遠藤周作の短編小説

遠藤周作の小説を、これまでちゃんと読んだできたわけではない。

大学受験の現代文の模擬試験で、遠藤周作の「異郷の友」という短編小説の一節が問題文として出されていて、

「この人は、自分の劣等感を、なんと赤裸々に語る人なんだろう」

と、設問を解答するのもそっちのけで、読み耽ってしまった。

そのことを思い出し、遠藤周作の短編小説を読んでみようと思い立つ。

エリート意識の強い同世代の作家たちの中にあって、遠藤周作は、人間の弱さや苦悩といったものを、率直に語る作家のように思う。根底にあるのは、強烈な劣等感であり、おそらく同世代の作家たちの中でも、彼はとりわけ劣等感を抱いていたに違いない。

「異郷の友」は、フランスに留学した「私」と、その友人・四国をめぐる話である。

留学先で、たった二人しかいない日本人。

いやがおうにも、二人はともに行動することになるのだが、しだいに「私」は、その友人・四国の言動に耐えられなくなる。

四国は、留学先で、うまく立ち回るタイプの人間であるのに対して、「私」は、そういうことができないのだ。

そうした「私」の劣等感が、わざと四国を不快にさせる行動をとらせることになる。

やがて「私」は気づく。友人の中に見た醜い部分というのは、実は自分の姿が投影されているにすぎないのではないか、と。

「私は四国の中に外国にいたときの自分のみにくい姿を発見し、四国も四国で私の裡に同じものを見つけてしまうからだろう。それは私や四国だけの姿ではなく、おそらく外国に滞在するすべての日本人の矮小な醜悪な身ぶりの投影のような気がするのだ。私は四国を憎んでいるのではなく、あのころの自分をもあわせて憎んでいるのに違いない」

戦時中の学生寮を舞台にした短編小説「イヤな奴」もまた、自分の中の醜い部分に対する苦悩、といったことがテーマである。

主人公・江木の生活する学生寮の学生たちは、そのほとんどがキリスト信者だが、江木と、もう一人、飯島の二人だけは信者ではなかった。

ある日、寮の学生たちが、慈善事業としてハンセン病の病院に慰問に出かけることになった。

慰問することを当然のように思うキリスト教信者の学生たち、そしてそれを偽善だと揶揄する飯島。その間で、江木の心は揺れ動く。

江木はためらいながらも、自分が利己主義者であると思われることをおそれ、できるだけ患者とかかわろうとする。

だがハンセン病に対する偏見が根強かったこの当時、彼もまた例外ではなかった。

偏見を持つ自分と葛藤しながらも、結局、偏見に勝つことができなかったことに最後に気づき、煩悶する。

その心の動きを、さまざまなタイプの人間を周囲に配置しながら、じつに率直に語っている。

遠藤周作の文学を貫いているのは、キリスト教だと言われているが、実は宗教によっても解決できない苦悩が、人間の苦悩のほとんどを占めているのだということを、遠藤周作の短編小説は、教えてくれているようにも思う。

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はじめてのおつかい・2日目

6月6日(金)

出張の2日目。

前日、ホテルにチェックインの手続きをしていると、フロント係の方が、

「あのう、失礼ですが、お酒はたしなまれますか?」

と聞く。

「はあ」と答えると、

「ただいま、こちらのお酒のモニタリングをしておりまして」といって、フロントの後ろにある冷蔵庫から、1本のビンを取り出した。

ウォッカにレモンをまぜて飲みやすくした商品が売り出されたらしい。

「よろしければお部屋でお飲みください。ロックでお飲みになるのがよろしいかと」

という。それにしても、一人用にしては、ずいぶんと量がある。300ccくらいある。

「あのう…ウォッカといったら、度数がそうとう高いんじゃないですか?」

私が心配して聞くと、

「いえ、それほどでもないです。大丈夫です」

という。なにが大丈夫なのかわからない。

部屋に戻って、しばらくしてから、もらったお酒を飲むことにする。

言われたとおり、コップに氷を入れて、ロックで飲むことにするが、案の定、かなり度数が高い。

それに、やたら甘くて、私の口に合わないのである。

しかし、開けてしまったものは仕方がない。最後まで消費しなければならない。

かなり我慢しながら、ビンの中のお酒を、ひたすら消費することに専念した。

(受け取るんじゃなかったなあ)

あっという間に酔いがまわり、そのままベッドに倒れ込み、気を失うように寝てしまった。

翌朝も、若干頭が痛い。

(無駄な酔い方をしたもんだ)

もう二度と、このお酒を飲むことはないだろう。

さて、昨日とは場所を変え、今日もまた、初対面の方とお仕事である。

仕事がひととおり終わり、私がこの場所を初めて訪れた、ということを告げると、1時間以上かけて、職場をご案内いただいた。ありがたいことである。

いろいろな人に助けられて、今回の「はじめてのおつかい」は終了した。

一期一会かもしれないし、またどこかで、一緒に仕事をするのかもしれない。

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はじめてのおつかい

6月5日(木)

たまには仕事の話を。

職場が変わって、これまで経験したことのない内容の仕事が多くなった。

戸惑うことばかりだが、この年齢になって、それまでと違う仕事をするというのは、めったに経験できることではないから、この状況を楽しむことにしている。

今日は、自分が初めて段取りを組んだ出張である。

出張先で、初対面の人たちと作業をしなければならない。

作業場となるA社、一緒に仕事をするB社の双方と日程調整をして、出張日を確定する。

昨日になって、極度の心配性である私は、急に心配になった。

(日程はちゃんと伝わっているだろうか?)

今朝、B社の方々と現地で合流し、作業場となるA社に向かうと、A社の方も、すでに作業場の段取りを組んでいただいていた。

(取り越し苦労でよかった…)

考えてみれば、A社もB社も、私よりもはるかに経験豊富な方々なのである。

人一倍コミュニケーション能力のない私が、まる一日、初対面の方々と仕事ができるだろうか、と心配だったが、経験豊富な方々のおかげで、なんとか無事に終わる。

新しい職場になってから、職人や職人気質の方々と仕事をするケースが多い。

今日、一緒に仕事をしたB社の方々も、いってみれば職人の方々である。

こちらがアイデアを出したり判断をしたりしながら、それを職人の方々が形にしていく。

職人の方々は、ヘタな仕事はできないから、当然、最高のものを作ろうとする。

その仕事に、私も応えていかなければならない。

(俺みたいなヤツに、いったい何がわかるというのか?)

と、自己嫌悪に陥りながらも、職人さんたちと議論しながら、作り上げていく。

ひょっとして、これが「ものづくり」なのだろうかと、作業が終わってから気づいた。

祖父が大工だったにもかかわらず、無類の不器用で、中学校の「技術家庭」の成績が5段階評価で「1」だった私。

それだけに、昔から職人には憧れるのだが、いまの仕事は、ほんの少しだけ、憧れの職人に近づいているのかもしれない。

なんにせよ、自分には向いてないなあと思いながらも、その状況を楽しむしかないのだ。

前の職場のときだって、そうだったんだから。

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東京駅の品格

6月4日(水)

今月は、魔の出張月間である。

…いや、正確には「今月から」である。

夕方、東京駅から新幹線に乗って目的地に向かう。

少し時間があったのと、ものすご~くお腹が減ったので、東京駅の改札内で、何か食べようと思った。

こういうときは、立ち食いそばに限るのだが、たまに食べに入っていた東京駅改札内の立ち食いそば屋さんが、だいぶ前になくなってしまった。駅構内のリニューアル工事で、立ち退いてしまったようなのである。

(あとで調べてみると、東京駅改札の立ち食いそば屋さんは他にもあるらしいのだが、このときはそんなことは知らない)

代わりに、寿司だの中華だの、オサレなお店が増えている。

しかもどの店もスゴイ行列である。

駅の立ち食いそばは、一つの文化である!高校生のときに私鉄のKO線のBG駅で食べた立ち食いそばの美味しさは、いまでも忘れられない!

(立ち食いそばがダメなら、カウンターだけのカレー屋さんがあったよなあ)

そのカレー屋さんも、お手軽な感じが好きでよく行っていたのだが、なんとその場所に行ってビックリした。

カレー屋さんが、忽然と消えているのである!

ついに、カレー屋さんも、オサレな店の勢力によって閉め出されてしまったのか…。

駅改札内にはもう一軒、カレー屋さんがあるにはあるのだが、オサレな本屋と一体になったような店の作りで、食べている人も、みんなオサレである。

(あんなオサレな店、絶対に行くもんか!)

「渇しても盗泉の水は飲まず」は、私の座右の銘なのだ!

…ちょっとたとえが違うかもしれない。

困ったなあ。腹が減って死にそうである。

オサレな店以外、選択肢がないのか…。

いや、最後の望みがある。

おにぎり屋さんである!

手ごろに食べられるお店は、あとはおにぎり屋しか残っていない。

記憶をたよりに歩いて行くと、おにぎり屋さんがあった。

これほど、おにぎりが美味しいと感じたことはない。

それにしても、である。

オサレなお店が次々とできる反面、手軽に食べられるお店が駆逐されていくのは、ちょっと悲しい。

それとも、オサレになることを、みんなが望んでいるのだろうか?

それならば仕方がない。

ますます、東京駅での居場所がなくなっていくなあ。

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海の見える町

伊藤整の短編小説「海の見える町」を思春期のときに読んだ。

この小説自体が、伊藤整の思春期のことを書いた私小説のようなものである。

一読して、思春期の「私」があまりに自意識過剰で、それでいて嫉妬深いところが、恐いくらいに、当時の私にもあてはまっていた。

伊藤整の小説は、これ以外、読んだことがない。

あらためて調べてみると、この小説が書かれたのは、1954年で、伊藤が49歳のときである。

そこである疑念がよぎる。

この小説の中で書かれている、思春期のときの面倒くさい感情は、本当に当時の感情だったのだろうか。

いや、本当にそうだったとしても、このときの感情を事細かに書いたのは、なぜなのか。

いまの自分の感情を、思春期の時代に投影したかったからではないだろうか。

この小説に見える「自意識過剰」や「嫉妬」の感情は、その後もずっと、伊藤を支配し続けたに違いない。

大人になって、わかったことである。

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めざせもこみち!キーマカレー編

6月2日(月)

朝の情報番組の「もこみち」の料理コーナーで、もこみちがキーマカレーを作っていたので、職場から帰宅後の夜、材料を買いそろえて、キーマカレーを作ることにした。

タマネギ、にんじん、シイタケ、ジャガイモなどをみじん切りする。

これが、けっこう面倒くさい。これだけで汗だくである。

みじん切りにした野菜と、牛挽肉を炒める。グリーンピースとトマトも投入する。

ニンニクとショウガのみじん切り、塩胡椒、ソース、トマトピューレ、スープの素、コリアンダー、クミンシード、ガラムマサラ、小麦粉、カレー粉を、適当に混ぜる。

Photoということで、見よう見まねでできあがったが、小麦粉を入れすぎたせいか、ちょっと固まってしまった。

だが、味は保証する。おそらく、香辛料のおかげである。

苦労して作ったわりには、あっという間に平らげてしまった。

しかし冷静に考えてみると、もこみちが作るとおりに毎日料理を作っていたら、絶対にもこみちのようなスタイルは維持できないぞ。

…というか、本当にもこみちになりたいのか?

「もこみち」って言いたいだけじゃないのか?

Photo_2そのあと、久しぶりに梅酒を作ることにした。

飲めるようになるのは1年後である。

明日の弁当の仕込みまでしていると、あっという間に1日が終わってしまう。

ついでに寒天ゼリーを作ろうか、とも思ったが、今日はさすがに疲れたのでやめた。

明日も朝から弁当作りだ。

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ひと筆書きの旅

5月31日(土)

前日、太平洋側の中核都市での仕事を終え、国土の真ん中を背骨のように貫く山脈をバスで横断し、日本海側の町に向かう。

この町で、講演をするためである。

今から5年ほど前に卒業したF君が、この町の隣の町に住んでいて、私が講演に来るという話を聞きつけ、同期の卒業生にも呼びかけてくれたらしい。F君に加え、Oさん、Kさんも聴きに来てくれた。

F君はそれだけでなく、講演会の後の夕食に、寿司屋を予約してくれた。

「ちょっと駅から離れているんですが、一度行ってみたい寿司屋さんがあったんです」

「なんというお店?」

「○○寿司」です。

「かっぱ寿司?」

「いえ、○○寿司です」

ほんのちょっとだけ、「かっぱ寿司と発音が似ているが、もちろん回転寿司屋さんではない。地元ではかなり人気のお寿司屋さんらしい。

駅前から、タクシーで960円ほどの距離である。

なるほど、たしかに美味しい店である。繁華街にあるわけではないにもかかわらず、けっこうひっきりなしにお客さんがやってくる。

もうひとり、今日の講演会のことを聞きつけた人がいた。

「同い年の盟友Uさん」である。

実は今回、この町に訪れることを、誰にも言わなかったのだが、Uさんは偶然、ある人からその話を聞いた、というのである。

Uさんからメールが来た。

「何にも知らされてないんですけど(怒)」

講演会で訪れた町は、Uさんの実家がある町でもある。

しかも翌日曜日の朝から、Uさんはこの町で仕事があるというのである。

しかし、まさかUさんが仕事でこの町に来るなんて、こっちだって知らない。

この日に県南の町で仕事だったUさんは、日曜日の朝に家を出るか、土曜の夜のうちにこの町に入ることにするか、迷っていたようである。

寿司屋で舌鼓を打っていると、メールが来た。

「どうよ?久々の第2の故郷の料理は?いま仕事が終わったんで、いったん家に帰って奥さんと相談する」

家族会議で、今晩中に家を出るかどうかを決めるらしい。

私は返事に、

「第2の故郷の料理最高!酒がまわってます」

と書くと、ほどなくして、

「いま家を出ました。うちのカレーも負けてないぞ。エヘン」

と返事が来た。46歳どうしの会話か?

夕食はカレーだったらしい。

そして奥さんとの家族会議で、OKが出たらしい。

お寿司を堪能した私たちは、ふたたびタクシーで駅前に戻る。

Oさん、Kさんとお別れして、Uさんと合流し、3人で2次会である。

F君とUさんは初対面だが、ともにこのブログの読者である。

「電車の中で泣くのはやめた方がいい。あと、それをブログに書いちゃだめ。もう46歳なんだから」

「そうだね。私もあの時はどうかしてた」

さっそくダメ出しである。Uさん夫妻はいい意味で、私にとって最も厳しい読者なのだ。

「こぶぎさんから最近コメントが来ないのは、うまくコメントを引き出すような本文記事を書いていないからではないか」

「壊れた自転車の写真とか、開かない宅配便ポストの写真とかも、どんどんアップしてくれ」

「やっぱり誕生日の日のコメント欄は閉じるべきではない」

「山本周五郎の…」

など、さまざまな意見が相次いだ。

そんなこんなで、あっという間の時間だった。

Uさんは明日に備えで実家に戻り、最後はF君と2人で、駅前のチェーン店の居酒屋で3次会である。

ハイボールを飲みながら、仕事の話などを聞く。

すっかり深酒してしまった。

翌日、二日酔いのまま、日本海側を走る鉄道に乗り、帰宅することにした。

さて、卒業生たちと行った寿司屋は、何という名前のお寿司屋さんだったのだろう?

本文にこれだけの手がかりがあれば、こぶぎさんだったら、簡単に調べあげることができるだろう。

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