あまのじゃくの真骨頂
読者諸賢もご存じの通り、私はあまのじゃくである。
ねたみ、そねみ、うらみ、つらみ…そんなことばかり考えている。
読者も減ったことだし、嫌われるのを覚悟で、私がいかにあまのじゃくか、という話を申し上げることにしよう。
今から2年ほど前の話である。
前の職場で、大きなイベントをやることになった。
そのイベントの企画が、ちょっと「アレ」な感じで、
「俺だったら、もっと上手くやるんだけどなあ」
と思ったのだが、私は企画にまったくタッチしていないし、このイベントじたいにまったく興味がなかったので、そのままにしておいた。
ところがそのイベントに合わせて、日ごろの活動を紹介する展示を、別の場所でおこないたい、ということで、私に依頼が来た。
依頼が来たのは、私がかかわっているボランティアグループと、もう一組、学生のサークルである。
詳しく話を聞いてみると、イベントは1号館1階でおこない、活動紹介の展示を、3号館5階でおこなう、という。
…いやいやいやいや。ちょ、待て。
1号館1階と、3号館5階じゃ、だいぶ離れているぜ。
1号館1階のイベントに参加した人が、わざわざ3号館5階まで足を運んで展示を見に来るはずはない。
そんなこと、子どもでもわかる理屈である。
「大丈夫です。お客さんを誘導しますので」
と主催者の職員は言うが、なにが大丈夫なのだ?
さてイベント当日。
案の定、3号館5階までわざわざ足を運ぶ客なんか、いやしない。
完全な放置プレイである。
かわいそうだったのは、サークルの学生たちである。
わざわざ休日、それも学園祭と同じ日に、違うイベントに呼び出されて、前の日から準備して、いつ来るかわからないお客さんを、孤立した3号館5階で待ち続けたのである。
しかも、イベントが終わるころになっても、担当者は片づけに来るわけでもなく、学生たちが自主的に、展示部屋の撤収作業をおこなったのである。
私は、このサークルが年に1度催す「公演」が好きで、毎年見に行っていたこともあり、彼らにかなり同情してしまった。
ないがしろにするにもほどがある。月1回の「大きな会議」のときに、発言した。
「せっかく、サークルの学生たちが一生懸命準備したのに、なぜ、陸の孤島みたいな、誰も来ない部屋で、活動紹介の展示をおこなうのか?せっかく準備した学生がかわいそうである。もし来年も同じイベントをするのであれば、今年度と同じ過ちは二度と繰り返してほしくない」と。
私はそのサークルの顧問でもないのに、しゃしゃり出て発言したのである。
さて、その1年後。
また同じイベントがあった。
すると今度は、そのサークルの活動紹介と公演の宣伝を、そのイベントの時間の中で行うことになった。
「大きな会議」での私の発言を、主催者側もくみ取ってくれたのだろう。
そこまでは、よかったなあ、と思った。
しかし、である。
そこから一転して、今度は、そのサークルを、部局が全面的に応援する、という事態になった。
あらゆる広告媒体を使って「公演」の宣伝をし、さらに特別に補助金までつけることになったのである。
部局をあげての宣伝の甲斐もあって、「公演」は史上最高の観客動員数となった。
そればかりではない。
「公演」には、「社長」もじきじきにお見えになったのである。
「社長」を出迎えるため、部長と係長が会場の前に並んで立っているのを、私は目撃した。
(お前ら、今まで1回も来たことないクセに、なに張りきってんだ?)
「公演」じたいは、ふだん通りで、面白かった。
その後、今度は、そのサークルが、その年の「学生表彰」を受けることになった。
一生懸命がんばった学生に対して、年に1度おこなわれる「学生表彰」である。
表彰状を手にして、にっこりと笑うサークルの学生と関係者が、全世界に公開された。
かくしてこのサークルは、部局の学生サークルの「顔」となっていったのである。
他の学生たちが耐震工事で部屋を追い出される中で、このサークルだけは、特別に部屋を与えられたのである。
…何なの?この変わり様は?
「社長」が公演に見に来ることも、表彰されることも、そのサークルの学生たちにとっては、励みになることだし、喜ばしいことである。
素直に喜んであげる、というのが、ちゃんとした大人、というものである。
しかし、私はダメな大人なんだろうなあ。
私が気に入らないのは、大人たちが手のひらを返したように、そのサークルを「大人の組織力」で全面バックアップした、という事実である。
その年の学生たちと、1年前、2年前の学生たちと、どこがどう違うのだ?
それに、がんばっているサークルはほかにもあるのに、なぜ、このサークルの学生だけ、「組織的にえこひいき」するのだ?
他にがんばっている学生もいることに対するまなざしもなしに、無邪気に「えこひいき」することが、私にはどうにも理解できなかったのである。
それからというもの、私はそのサークルを応援するのを、やめることにした。
幸か不幸か、職場が変わったので、もう「公演」を見に行く機会は、永遠に失われてしまった。
毎年、変わることなく「公演」が成功することを、ただ遠い空から祈るばかりである。
…ほら、あまのじゃくでしょう。まったく、ひねくれた性格である。
私の「ねたみ、そねみ、うらみ、つらみ」は、「名誉なんかいらねえ!」という主張の代償である。
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