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遠藤周作の短編小説

遠藤周作の小説を、これまでちゃんと読んだできたわけではない。

大学受験の現代文の模擬試験で、遠藤周作の「異郷の友」という短編小説の一節が問題文として出されていて、

「この人は、自分の劣等感を、なんと赤裸々に語る人なんだろう」

と、設問を解答するのもそっちのけで、読み耽ってしまった。

そのことを思い出し、遠藤周作の短編小説を読んでみようと思い立つ。

エリート意識の強い同世代の作家たちの中にあって、遠藤周作は、人間の弱さや苦悩といったものを、率直に語る作家のように思う。根底にあるのは、強烈な劣等感であり、おそらく同世代の作家たちの中でも、彼はとりわけ劣等感を抱いていたに違いない。

「異郷の友」は、フランスに留学した「私」と、その友人・四国をめぐる話である。

留学先で、たった二人しかいない日本人。

いやがおうにも、二人はともに行動することになるのだが、しだいに「私」は、その友人・四国の言動に耐えられなくなる。

四国は、留学先で、うまく立ち回るタイプの人間であるのに対して、「私」は、そういうことができないのだ。

そうした「私」の劣等感が、わざと四国を不快にさせる行動をとらせることになる。

やがて「私」は気づく。友人の中に見た醜い部分というのは、実は自分の姿が投影されているにすぎないのではないか、と。

「私は四国の中に外国にいたときの自分のみにくい姿を発見し、四国も四国で私の裡に同じものを見つけてしまうからだろう。それは私や四国だけの姿ではなく、おそらく外国に滞在するすべての日本人の矮小な醜悪な身ぶりの投影のような気がするのだ。私は四国を憎んでいるのではなく、あのころの自分をもあわせて憎んでいるのに違いない」

戦時中の学生寮を舞台にした短編小説「イヤな奴」もまた、自分の中の醜い部分に対する苦悩、といったことがテーマである。

主人公・江木の生活する学生寮の学生たちは、そのほとんどがキリスト信者だが、江木と、もう一人、飯島の二人だけは信者ではなかった。

ある日、寮の学生たちが、慈善事業としてハンセン病の病院に慰問に出かけることになった。

慰問することを当然のように思うキリスト教信者の学生たち、そしてそれを偽善だと揶揄する飯島。その間で、江木の心は揺れ動く。

江木はためらいながらも、自分が利己主義者であると思われることをおそれ、できるだけ患者とかかわろうとする。

だがハンセン病に対する偏見が根強かったこの当時、彼もまた例外ではなかった。

偏見を持つ自分と葛藤しながらも、結局、偏見に勝つことができなかったことに最後に気づき、煩悶する。

その心の動きを、さまざまなタイプの人間を周囲に配置しながら、じつに率直に語っている。

遠藤周作の文学を貫いているのは、キリスト教だと言われているが、実は宗教によっても解決できない苦悩が、人間の苦悩のほとんどを占めているのだということを、遠藤周作の短編小説は、教えてくれているようにも思う。

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