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赤いブログ

この「赤いブログ」にお集まりの読者諸賢。

これからみなさんにお話しすることは、私が退屈しのぎに、これまでの私の半生を振り返る戯れ言に過ぎません。

ただ、この話には、いささか残酷な話が含まれていますから、その手の話を好まない方は、ここから先は、どうぞ読まないでください。

私自身が実際のところ、正気なのかどうか、よくわかりません。これからのお話を聞かれた方は、あるいは私のことを、正気な人間ではない、と思うかもしれません。どうか読者諸賢には、私という人間が、正気なのかそうでないのか、判断していただきたいのです。

私は思春期のころから、この国に漠然とした不満を抱くようになり、いつしかそれは、殺意に変わっていきました。

そして大学に入るころ、世にも恐ろしい計画を思いついたのです。

それは、この国の人々を皆殺しにするという、大量殺人計画でした。

ああ、何と恐ろしことでしょう!

しかし私自身が、兵器を使って大量虐殺をする技術もなければ、度胸もありません。私はそもそも、血を見るのが恐いほどの、臆病者なのです。

しかし、この国から、1人でも多くの人を抹殺してしまいたい。

そのためにはどうすればよいか?

私は必死になって考えました。そして1つの結論にたどり着きました。

私自身が手を下さずに、大量殺人を実行する方法を、です。

私は大学で一生懸命勉強して、卒業後はある企業に勤めました。

そこは、「これからは、電話を1人1台携帯できる時代が来る」として、携帯電話の開発に取り組んでいた企業でした。

ご存じの通り、携帯電話は瞬く間に普及し、国民の誰もが、携帯電話を持つ世の中になったのです。

私は、そこでさまざまな機能を開発しました。携帯電話に簡単なメール機能をつけたり、ゲーム機能をつけたりする仕事です。

やがて、スマートフォンなるものが開発され、そこで私は、さらにさまざまな機能を開発しました。

ゲームやインターネットはもちろんですが、大勢の人たちでチャットが共有できる機能や、自分のつぶやいたことを全世界の人に知らせたり、逆に全世界の人々がつぶやいたことを瞬時に読むことができる機能です。

その結果、どうなったと思いますか?読者諸賢。

たとえば、電車の中の様相が、がらりと変わりました。それまで文庫本を読んだりしていた人が、スマホの画面に夢中になるようになったのです。

電車の中だけではありません。駅や空港や病院の待合室、さらには大学の授業中にも、人々は他のことをそっちのけでスマホに夢中になったのです。

人々は、少しでも早く情報を仕入れたい、と思うようになったのでしょう。しかしこれは、もはや中毒といってよいものでした。

ここまで読んできた賢明な読者はおわかりでしょう。私の目的の第一は、「携帯電話やスマホを使う人々を、中毒にさせるほど夢中にさせる」ということだったのです。

さて、それからどうなったと思いますか?

スマホに夢中になるあまり、さまざまな事故が起きるようになりました。

最初は、スマホに夢中になるあまり、電車から降りそびれたり、しまりかけのドアに激突する、といった、軽微なものでした。

ところがだんだんエスカレートしてきて、ホームの下に転落したり、さらには転落した電車に轢かれて即死する人も出てくるようになったのです。

もうおわかりでしょう。私の真の目的は、そこにあったのです。

スマホを使うことで人々に中毒を起こさせ、不注意により死に追いやる、それこそが、私の真の目的だったのです。

私はこうして、自分で手を下すことなく、人々を死に追いやることに、成功しました。誰も私を疑う者はおりません。それはそうです。私は、スマホという「便利なもの」を開発した人間なのです。感謝されこそすれ、非難される理由は、どこにもないのです。

電車だけではありません。町中を、スマホの画面を見ながら歩いたり、さらには、片手でスマホを持って、それを見ながら自転車を運転したりする人も出てきました。

すぐ近くに車が来ることも気づかずに飛び出した自転車が車に轢かれて、自転車に乗っていた人が死亡する、という事故が、頻発したのです。

それだけではありません。こんな痛ましい事故もありました。

朝、学校に通勤するために車を運転していた教師が、運転操作を誤り、登校途中の小学生の列に車ごと突っ込み、多くの死傷者を出したのです。

原因は、車を運転していた教師が、スマホに気をとられていて前方不注意だったことによるものでした。

ああ、なんということでしょう!スマホに気をとられていた運転手のために、何の罪もないいたいけな子どもたちが、犠牲になってしまったのです。

私はこのときほど、罪悪感にかられたことはありません。

しかし、私を非難する人は、誰一人おりませんでした。運転手だけが責任を問われ、凶器となった「車」と「スマホ」を開発し、売り続けた人々が、責任をとらされることは、なかったのです。

私自身が、事故を目撃したこともあります。

駅の近くの通りを歩いていると、ドーン、と、何かものすごい大きなものが転倒するような物音が聞こえました。

音のした方を振り向くと、バイクが転倒して、人が倒れているではありませんか。どうやら車に轢かれたようです。

手首の先から赤黒い血がドクドク出ているのを、私はつい、みてしまいました。そしてその手には、スマホが握られていたのです。

バイクに乗っていた青年は死亡し、バイクを轢いた車の運転手は、前方不注意による過失致死の罪に問われました。

車の運転手もまた、運転しながら、スマホに夢中になっていたのです。

読者諸賢。私のこの恐ろしい計画は、今もなお、続いているのです。

しかし、思いもかけないことが起こり、私の計画は、頓挫することになりそうです。

それは、政府が憲法解釈を変更し、「どこででも戦争ができる国」にすることを、決定したのです。

これで政府は、合法的に、しかも大量に、この国の人々を死に追いやることができるようになったのです。

この政府の方針の前に、私の計画など、どれほどの力がありましょう?

これで私の計画は、まったく意味のないものとなってしまったのです。

…さあ、ここまで読んでいただいた読者諸賢。

正気でないのは、私なのか?

それとも、政府なのか?

ご判断いただけますでしょうか。

(あとがき)

江戸川乱歩の短編小説「赤い部屋」にインスパイアされて、初めて短編小説に挑戦してみました!江戸川乱歩風です。

もちろん、上の話は、全部フィクションです。

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コメント

忌野清志郎『善良な市民』
https://www.youtube.com/watch?v=wyFbtwp_ggk

投稿: いくじなし | 2014年6月22日 (日) 13時49分

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