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2014年7月

新幹線で便意もよおす

7月31日(木)

5時過ぎに職場での仕事が終わり、またまた出張。

7時過ぎの新幹線で、関西方面に行く。

3列シートの窓側の席に座った。同じシートの通路側には、オッサンがすでに座っていた。

座席の前のテーブルを下ろし、弁当を開いてものすごい勢いで食べ始めると、品川駅から乗った客のひとりが、私の隣の席に座った。

女性3人組のうちのひとりで、3人は、並びの席が取れなかったらしく、3列シートの真ん中の席の縦3列に、それぞれ座った。そのうちのひとりが、私の隣の席に座ったのである。

ここまではわかるかな?

おしゃれでお化粧の派手な今どきの20代のお姉さん、という感じで、会話の様子から、東京で用事を済ませ、大阪に帰るところなのだろうと思った。

その人も、座席の前のテーブルを下ろし、駅の構内で買ったと思われるおにぎり2つと、サラダを広げ、食べ始めた。

(やっぱり、今どきの女性は少食だな…)

そこまではよい。問題はそこからである。

弁当を食べ終わった私は、急に便意をもよおした。もちろん、「大」のほうである。

(こりゃあマズいぞ)

一刻も早くトイレに立ちたいが、そういうわけにはいかない。

隣には、おにぎりとサラダをテーブルに広げたばかりの女性。

さらにその隣の通路側の席には、ノートパソコンを開いているオッサン。

つまり私は、まったく身動きがとれないのだ。

(早く食べ終わってくれないかな…)

ところが、思わぬことが起こる。

隣の席の女性は、おにぎりをひとくち食べるごとに、スマホを5分ほど、いじっているのである。

(おいおい…こっちは急を要するのに…)

おにぎりをひとくち食べては、スマホを5分。

サラダをひとくち食べては、スマホを5分。

おにぎりをひとくち食べては、スマホを5分。

この繰り返しである。

…だんだんこっちものっぴきならない状況になってきた。

しかし隣の私がそんなことになっているとはつゆ知らず、おにぎりをひとくち食べては5分スマホをいじる、というペースを、まったく崩す気配がない。

何なんだこれは?新手のダイエット法なのか????

親はいったいどんな躾をしてきたんだ???

(お前とは、絶対に友達になれないぞ!)

と腹の中で思ったが、まあ向こうから願い下げだろうな。

よっぽど「すみません。トイレに行きたいので」といってテーブルを上げてもらおうか、とも思ったが、テーブルの上があれだけ食べ散らかされていては、それを言う勇気が出ない。

こうなったらもう、食べているところをじーっと観察するほかない。

(次も、絶対スマホをいじるぞ…)

と思ったら、やっぱりスマホをいじる。

もはや便意を紛らわすためには、こんなことをするくらいしかないのだ。

ようやく、出発から1時間近くたった新富士駅あたりで食べ終わった。

食べ終わるとすぐに、隣の女性は席を立ち、お化粧直しのためか、トイレの方に歩いていった。

(このタイミングしかない!)

私も席を立ち、彼女のあとを追うように、トイレに行き、空いていたトイレに入ることができ、事なきを得たのである。

…という、「新幹線で便意をもよおした話」でございました。

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名刺広告の攻略法

7月30日(水)

風邪がひどくなり、体がひどくだるくて何も思い浮かばないので、久々の「攻略法シリーズ」を書きます。

名刺広告は、いろいろなパンフレットを作成する際の、重要な収入源と言われています。これから名刺広告への需要もますます高まることでしょう。そこで今日は、誰にでもできる名刺広告の作り方をご紹介します。

私は画像編集ソフトをもっていないので、今回はワープロソフトで名刺広告を作ってみましょう。

たとえば、先方からの依頼が次のようだったとします。

「横100ミリ、縦66ミリの規格で、左側にカラーのイラスト、右側に横書きで店名と営業時間、休業日、住所と電話番号を書いた文字原稿をレイアウトしてほしい」

ではさっそく、作ってみましょう。

1.文書スタイルの設定

〔書式〕→〔文書スタイル〕でウィンドウが開いたら、「用紙設定」をクリックして、さらに〔新規登録〕→〔自由サイズの用紙〕をクリックします。

印字方向を「横方向」とし、用紙幅を100㎜、用紙長を66㎜に設定します。念のため、保存しておきましょう。 これで、用紙設定は終わりです。

2.画像のはめ込み

次に画像をはめ込みます。

カラーイラストをPDFファイルで受け取った場合、これをいったんjpgに変換して保存します。

次に、1で設定した白紙の文書を開きます。

〔挿入〕→〔画像枠〕→〔画像枠作成〕の順で開き、先ほど保存したjpgファイルを選択して、OKをクリックします。

すると、白紙の文書上に、イラストがはめ込まれます。

用紙のサイズに合わせて、イラストの大きさや位置を調整します。

これで、イラストを白紙の文書に貼り付けることができました。

3.原稿の作成

あとは、右半分に文字原稿を打ち込めばできあがりです。

さあ、簡単でしょう?

しかしひとつ不安が。

はたしてこんな自己流な方法で、名刺広告を作っていいものだろうか。

少し不安になってきました。

もっと洗練された方法があるのでしょうか?

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日本でいちばん暑い町

7月29日(火)

(風邪による高熱のため、練った文章が書けない)

朝6時半に家を出て、電車に乗って北関東の地方都市に向かう。

途中、駅の表示板を見て驚いた。

「6時半に起きた人身事故の影響で、○○駅~××駅間で運転を見合わせています」

××駅といったら、私がこれから向かう町の駅ではないか!

せっかく早起きしたのに、出張は中止か?

どうしてよりによって、私が15年ぶりくらいに私鉄特急に乗ろうとする今日に限って、人身事故が起こるのだ?

まったく、引きの強い人間である。

1時間後に運転は再開し、集合時間より20分ほど遅れて、9時50分すぎに出張先に着いた。

今日は、「眼福の先生」ことT先生をはじめとする6人のチームで、資料調査である。

調査じたいは、お昼過ぎに終わった。

その後、調査チームの6人で昼食を食べに外へ出た。

日本一暑い町だけあって、すでにそうとう暑い。

お店に入り、名物の「なまずの天ぷらうどん」を注文した。

いつものことだが、私の目の前で、「眼福の先生」のお話が止まらない。

私も、先生の繰り出す「女工哀史」だの「山びこ学校」だの「青い山脈」だのといった話に食いつくものだから、それに触発されて、先生の記憶の扉が次々と開いて、子どもの頃の思い出が鮮明によみがえっていく。

「あなた、私の話によくついてこれるねえ」と、今年傘寿を迎えたT先生。「だからつい、私も喋りすぎてしまうんだ」

喋りすぎるのは、私に対してだけではないでしょう、と、喉まで出かかった。

長いお昼休みのあとは、午前の資料調査に関わる、関連踏査である。

明治から大正にかけて活躍した文豪の知られざる一面を知る直筆資料をナマで見るなど、知的興奮に満ちた一日だった。

「いやはや、こういうのを『眼福』というんですね」T先生がおっしゃった。

たしかに充実した1日だったが、この数日間の出張続きですっかり風邪を引いてしまい、病院で強い薬をもらったのであった。

今日は早く寝よう。

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工房見学

7月28日(月)

大きい湖のある県の、とある場所で、朝から職人さんたちと仕事をした。

1時半頃にその仕事が終わり、出張続きで疲れたので、

(今日は早く帰れるかな)

と思っていたら、職人さんが私に言った。

「このあと、お時間ありますか?もしありましたら、これから私どもの会社の工房を、見学に来ませんか?」

「これからですか?」

4月に一緒にこの職人さんたちと仕事をしたときに、「1度ぜひうちの会社の工房を見学してください」と言われていたことを思い出した。

「一度見ていてただければ、私たちがどうやってもの作りをしているのかがわかると思います」

「ぜひお願いします」

ということで、急遽、K市にある職人さんたちの会社に、車に乗せてもらって行くことになった。

K市の中心からやや北、閑静な住宅街の中に、その会社があった。

創業100年以上にもなる、伝統の会社である。

工房をひととおり見学して、驚いた。

いま、私たちが作ろうとしているものは、じつに大勢の人たちが関わっていること、そして、想像を絶するような手間暇をかけて作られていることを、初めて知ったのである。

「ご覧になって、いかがですか?」

「…こんなに大変なものだとは、…知りませんでした」

100年以上、守られてきた技術。

もちろん、ここ数年の技術革新により、デジタル操作による省力化がはかられた部分もあった。

しかし、ものを作り上げる最後の部分は、100年にわたる技術の伝承と、職人の経験やセンス、といったものが、大きく作用するのである。

そして何度も失敗を重ねながら、大勢が、それぞれの役割を果たしながら、1つ1つのものを、手作りで作り上げてゆく。

いくらデジタル技術が発達しても、この部分だけは、変わらないのだ。

100年間伝承してきた技術と、それを守り、さらに経験を積み重ねていく職人さんたちのプライド。

その末端に、この4月から関わることになったというのは、いささか興奮する事件である。

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前回の答え

Photo前回の答えはこれでした。

すさのひょんさんの答えは正解だとわかったが、こぶぎさんの答えは凝りすぎていて、正解なのかどうか、もはや私には判断がつかない。

さて、私は、この電車に乗って旅をしたのだが、この電車、妙に懐かしい。

子どもの頃、何度もこの電車に乗った記憶があるのだ。

不思議である。この路線に乗るのは、生まれて初めてなのに。

どうして懐かしいと思うのだろう?わかる人はいるだろうか?

話は変わって。

昨日、懇親会でアウェイと感じたエピソードのうちからひとつ。

15年以上前に、1度だけお話ししたことがある方と、久しぶりにお会いした。

その方は私よりも少し年上で、お喋り好きでとてもいい方なのだが、そのお喋りの雰囲気が、かなり独特である。

ご自身が知っていることを、当然ほかの人も知っていると思って、無邪気に話しかけてこられるのである。

「○○さんが先日、フェィスブックに面白い写真のせてましたよね。ご覧になりました?」

唐突にこう言われた。

私は、そもそも「○○さん」という人を、全然知らない。

それにフェイスブックにも興味がないのだ。

「いいえ」と答えると、

「あ、××さんも最近、フェイスブックをはじめたそうですよ。ご覧になりました?」

私は「××さん」という人も、全然知らないのだ。

「いいえ」と答えると、今度は私に、

「フェイスブックやっておられます?アカウント教えてください」

と聞いてきたので、

「いえ、…やっていません」

と答えると、意外、という顔をされた。

その方にとっては、フェイスブックが、重要なコミュニケーションツールらしい。

しかし私はフェイスブックに興味はないし、仮にやっていたとしても、よっぽど心を開かないとアカウントは教えないだろう。

フェイスブックにこだわるのは、この方だけなのかと思ったら、どうもそうではないらしい。

懇親会で、別の方が言った。

「いやあ、ふだんフェイスブックで交流している人たちとこうして会うと、なんか気恥ずかしいね」

そうか、それぞれ遠く離れていて、1年に1度、この会でしか会わないにしても、ふだんはフェイスブックで交流しているのか。

私は、さらに孤立感を深めたのであった。

話は変わって。

今日の午後、飛行機とバスと電車を乗り継いで、大きな湖のある県にむかった。

バスを降り、K駅から上り方面の快速電車に乗ると、見たことのある人が、ボックスシートの座席に座っていた。

15年ほど前に、あるプロジェクトで一緒に仕事をしたことがある、Dさんである!

「お久しぶりです!」私はビックリした。

「どうしはったんです?」Dさんもビックリしていた。

私はかくかくしかじか、と説明した。

職場が変わったこともお話しして、新しい職場の名刺を渡した。

「今度、必ず遊びに行きますよ」とDさん。

「遠いですけど、ぜひ来てください」

15分ほど会話をして、私は先に電車を降りた。

こんな偶然、あるんだなあ。

やっぱりフェイスブックは、私には必要ない。

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スタバクイズ

Dsc00021さて、どこのスタバでしょう?

制限時間は、本日(27日)午後9時までです。

ただし、ストレートに解答してはダメです。

答えは、次回の記事で!

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アウェイな1日

7月26日(土)

昨日の夜、飛行機で山陰地方の中核都市に着いた。

今日、この町で地元の研究会があり、発表をしなければならないのだ。

先日の23日(水)から24日(木)は、東北地方太平洋側の中核都市に出張し、帰ってきたかと思ったら、今度は山陰地方日本海側の中核都市である。

ホテル暮らしが続いたせいか、風邪を引いたらしく、声が出ない。

それでも午前中、なんとか1時間の発表を終えた。

4人の発表が終わったあとの「自由討論」も、最初は面食らったが、なんとか乗り越えた。

朝10時から始まった研究会は、4時半過ぎに終わり、6時から懇親会である。

もう25年も続いている研究会なので、誰もがふつうに知り合いである。

みんなが、年に1度の再会を喜んでいる様子だった。

もちろん、会に呼んでもらったことじたいはとてもうれしいのだが、初めて呼ばれた私は、その中にまったくとけ込むことができず。完全なアウェイである。

たとえていえば、仲よしグループのひまわりランチに、関係のない私が混じってしまったようなものである。

こういうときの私は、まったくもって無力なのだ。

間が持たないので、ひたすらお酒を飲むしかない。

午後11時半。ようやく解放され、フラフラになってホテルに戻った。

旅はまだまだ続く。

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話を聞く人

むかしから、おそらく小学生の頃から、人の話を聞く人間だった。

とにかく、人の話をじっと聞く。

で、あまり余計な茶々は入れない。というより、気の利いた茶々を入れるほどの才覚がないのである。

だからもっぱら、「ほう」とか、「そうですか」といった相づちを打つ。なんとも芸のないことだが。

だが、私が「おじいちゃん先生」にモテるのは、たぶんそういう理由からだろうと思う。そういう愚鈍な人間だから、「おじいちゃん先生」たちは気持ちよく話せるのだと思う。

まあそんなこともあり、これまでいろいろな人の愚痴を聞いてきた。

それ自体は、とても好きなことである。その人の愚痴を聞き、そこに登場する人物の人間像を推理する。

「その人は、大言壮語を吐けば立派な人物だ、と勘違いしているんじゃないでしょうか」

とか、

「その人は、当初は自分の力量以上のことを意気揚々としていたのが、だんだん今になって自分の中で手に負えなくなってきたのではないでしょうか」

みたいな。

いわば「アームチェア・ディテクティヴ」的な楽しさがあるのだ。

しかし時に、それだけでは私自身の気が済まず、余計なことをつい言ってしまったりする。

以前、ある同僚から、ある仕事に関する愚痴のメールが来たのだが、その内容が、私が体験したことと全く同じことだったので、私の体験をふまえて、返事を書くことにした。

返事を書いたのが夜中だったこともあり、書いていくうちに、だんだんその当時のことを思い出してきて、ヒートアップしてそれはそれは長いメールになってしまった。

しかも、

「これを、『つける薬がない』と言わずして何というのでしょう」

とか、

「ああいう手合いが自然科学の研究者として大手を振っているから、日本の理系の研究はダメなんです」

とか、まあ言わなくてもいい「思い出し悪口」まで書いてしまった。

興奮状態のまま送信してしまったが、それからというもの、その同僚からのメールがパッタリとなくなってしまった。

おそらく、その同僚にしてみたら、ちょっと愚痴を聞いてほしかったていどのことだったのだろう。それを私が、一緒になって、というか、それ以上に上乗せして、愚痴の対象を口汚く罵り、完膚無きまでに打ちのめしたので、「ドン引き」してしまったのである。

(なにもそこまで言わなくても…。こいつとはあまり関わらない方がいい)

と思ったに違いない。

そんな失敗はこれまでに何度もあって、よかれと思って情念を込めたメールを書けば書くほど、相手はドン引きするのである。

そのたびに、反省するのだ。

私は「話を聞く人」なのだ。それ以上でも以下でもないのだ、と。

相手が期待しているのは、「話を聞く人」としての私なのである。

それ以上でも以下でもないのだ。

そのことを、肝に銘じなければならない。

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本日休診

7月24日(木)

無事、出張先でのミッションは終了し、午後に職場に戻ってきたが、戻ってきてから、さっそく仕事がふってきた。

「悪魔のお誘いですよ~」

と同僚が仕事部屋の扉をたたいた。つまり、私を仕事に巻き込む、ということである。

(ま~た出張の仕事かよ!)

まあ本務なので、当然、断れる仕事ではない。

それに、私よりもその同僚の方が忙しいのだ。

かくして、手帳はオセロゲームのように、真っ黒になっていく。

そのあたりから具合が悪くなった。

明日の会議の後、夕方からまた3泊の出張である。今度は飛行機。

出張の前に、病院に行って薬をもらってこよう。

いつも飲んでいる薬がなくなりそうなので、早めに職場を出て、自宅の最寄りの駅の前にある病院に行くことにした。

(受付は、たしか6時半までだよな…)

必死の思いで、6時半ギリギリに病院のあるマンションの前に着くと、病院の看板が煌々と光っている。

(よかった。まだやってた…)

だが病院のある2階に行くと、

「本日休診」

と書いてあった。

そうか!木曜日は休診日だったか。

確認しなかった私も悪いが、オモテの看板が煌々と光っていたら、誰だって診療中だと誤解するではないか!

うなだれて駐輪場に行って自転車に乗って帰ろうとすると、

(は!自転車、パンクしていたんだ!)

自転車がパンクしていたので、行きは家から駅まで歩いたことを思い出した。

(午後になってから、とことんついてないなあ…。途中までは、うまくいっていたんだがなあ)

いわゆる今日は「ちぐはぐな日」である。

体調の悪いなか、重い荷物を持って歩きながら、久々に軽く死にたくなった。

明日からの3泊は乗り越えられるのか?

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めざせ!ナイスミドル

コメント欄では、「雑誌」に関して盛り上がっているが、雑誌といえば、なんと私の本が、「オサレなナイスミドルしか読まない雑誌」のブックレビュー欄で紹介されていた!

ビックリですよ!

そのことに気がついたのがつい最近で、すでにその号は先月号ということで、本屋さんに行っても置いてなかった。

ところが今日、たまたま大きな駅の近くにある大きな書店に立ち寄ったら、その雑誌のバックナンバーが置いてあって、入手することができた。

その号の特集記事は、「自分に合ったやきものを探す」というもので、用途に合った各地のやきものを紹介したり、気鋭の陶芸家を紹介したりと、通好みの、なんとも風流な記事である。

初めてこの雑誌を買ったが、全編、オサレで埋め尽くされている。

そんな中、あの本のどこをどう読んだら、オサレなナイスミドルたちの琴線にふれるのか、よくわからない。

だが、わざわざカラーで好意的に紹介してくれた、ということは、なんぞ琴線にふれたのだろう。

…ということは…?

私もまた、ナイスミドルの素質がある、ということか???

ナイスミドルの雑誌に紹介されたのだから、もう私も、ナイスミドルの仲間入りである!

これからは、ナイスミドルの路線で行こう!

…ただ、わからないことがひとつある。

私の本が、どうやら茶道の雑誌にも紹介されたらしいのだ。

茶道とまったく関係ない本であるにもかかわらず、これまたどういうわけで紹介されたのか、天目、いや、皆目見当がつかない。

こちらの方は、入手していないので、詳しいことはわからない。

事情はどうであれ、紹介していただけるのは、嬉しい限りである。

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三連休を棒にふる

7月21日(月)

せっかくの三連休だというのに、仕上げなければならない原稿があり、楽しく過ごすこともできず、心の余裕がまったくない。

それでいて、出張続きで疲れてしまって、惰眠をむさぼったりする始末。

まったく、ダメ人間だな。自分がいかにつまらない人間かということがよくわかる。激しい自己嫌悪である。

それでもなんとか、今週末の研究会の報告原稿を仕上げて先方に送り、明日の会議に絶対に必要な書類を作成し、遅れてご迷惑をかけている原稿を3000字ほど書いた。

さて、先日のクイズは、同世代の男子には簡単だったようで、明智こぶ郎探偵は当然正解だったとして、もう一人、同世代の友人男子からもメールで正解をいただいた。

最近はクイズを出すと、明智こぶ郎探偵が、逆にこちらに答えさせるクイズを出してくるので、クイズひとつ出すにも、ためらってしまう。

なんでクイズを出している私のほうが、緊張しなければならないのだ?

Photo_2たとえば、この写真。

この写真は、ある映画のロケで使われた場所なのだが、その映画というのは、このブログでとりあげたことのある映画である。

この町を訪れた本当の目的は、やはりこのブログでとりあげたことのある映画のロケ地を探そうと、駅を降り立ったのだが、事前調査を怠っていたたのと、あまりの暑さに、その映画のロケ地探しは断念してしまった。

その代わりに、別の映画のロケ地である、同じ町のこの場所を訪れることにしたのである。この場所は、駅から比較的近いので、すぐに探すことができた。

しかしこんなことをクイズにしたって、面白くも何ともない。だいいちそれがわかったところで、何の意味もないのだ。

少なくとも、前回のクイズほどには。

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散髪屋における雑誌考

7月20日(日)

いつも思うのだが、散髪屋で渡してくれる雑誌。

あれ、何とかならないものか?

すっかり行きつけになった散髪屋さんに行き、先月カットをしてもらったGさんを指名する

Gさんの故郷は、私の前の職場と同じ県のS市というところで、あと少ししたら家族ともども地元に戻り、地元で散髪屋を開業するのだという。

今日も、「地元ネタ」で盛り上がった。

カットが終わり、カラーリングの段になって、

「しばらくこのままお待ちください。何か雑誌をお持ちします」

そういって渡されたのが、2冊の雑誌である。

1冊は、ゴルフの専門誌。

もう1冊は、地元のラーメン店を網羅的に特集した情報誌。

私は、全く知らない他人から、

「休日にゴルフをする、ラーメン好きのガッハッハオジサン」

と思われているらしい。

先月は、「ワールドカップ」を特集したスポーツ専門誌の「Number」と、「日本橋の美味しい寿司屋」を特集した大人向けの雑誌の2冊が渡された。

もう、完全にガッハッハオヤジと思われているな。

私はサッカーにまるで興味がなかったが、スポーツルポルタージュじたいには興味があったので、「Number」の方を読むことにした。

生まれて初めて「Number」を読んだが、つい、ライターの目線で、記事を読んでしまう。

…うーん。どうにも、スポーツライターの文体、というのがなじめない。

なんとなく、スポーツ選手の「虚像」を無理やり作り上げている気がして、うまく感情移入することができなかった。

私の思い過ごしかも知れない。

…という前回の反省があったから、今回は当然、ゴルフ雑誌には目もくれず、ラーメン雑誌を読むことにした。

全ページ、カラーでラーメンの写真が、美味しそうに掲載されている。

(うちの近くにも、美味しいラーメン屋があるのかなあ?)

とかなんとか思いながら読み耽っていると、いつの間にか時間がたっていた。

「お!ラーメン、美味しそうですねえ」

担当のGさんが戻って来るなり、私に言った。「では、洗髪しまーす」

私は我に返り、急に恥ずかしくなった。

人前でグルメ雑誌を読む行為は、人前でエッチな雑誌を読むのと同じくらい、恥ずかしい行為である、と、そのとき思ったのである。

(どんなラーメンがいいかなあ)と思いながら雑誌を読むことは、自分の食欲を雑誌で満たそうとするおのれ自身を、さらけ出している行為に等しい。

ああ、こんなことなら、ゴルフ雑誌にしていればよかった。

私はひどく後悔した。

こんな感覚、私だけだろうか。

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もうひとつの○○

10年近く前のことだと思う。

前の職場で、「これからは、うちの職場も地域連携を進めていかなければならない!」という掛け声のもと、県の職員さんたちを招いて、職場の会議室で「顔合わせ」をすることになった。

そのとき、担当でも何でもない私が、なぜか上司に命ぜられて、その場に参加することになった。

10人弱の、県職員さんが、お見えになった。

「うちは、役所の縦割りの弊害をなくすために作られた部署なのです!」

と、最初に誇らしげに説明されていたが、県内4つある地域のうちの、別の地域の話をふると、

「いや、それはうちの管轄外なんで…」

という。

(なんだ、やっぱり縦割りじゃん!)

私は、この種の集まりに、全く期待していなかった。

「これからは、いろいろと協力してやっていきましょう」

などと、掛け声はかけるのだが、それが実のある結果に結びついたためしがない。

さまざまな提案も、なんだかんだと理由をつけて、形式主義的な手続き論の中に雲散霧消してしまうのである。

(結局、ガス抜きなんだよな…)

私は会合に参加しながら、ほとんど絶望的になっていた。

顔合わせの会合が終わり、その後同じ会議室で、ささやかな懇親会が始まった。

懇親会、といっても、ジュースとお菓子で、雑談をするというていどのものである。

うちの職場のスタッフと、県の職員さんたちが、交互に座らされた。

(合コンか!)

ちなみに、うちの職場のスタッフも、県の職員さんも、全員「オッサン」である。

背広を着たオッサンたちが、昼間っから、ジュースを飲み、お菓子を食べながら、雑談しているのだから、客観的に見たら、かなりキモチワルイ。

まあそれはともかく。

私の隣に座っていた職員のオッサンが、饒舌に話しかけてきた。

「町の中心の飲み屋街が、ずいぶんと廃れましてね」

「はあ、そうですか」

「県庁が移転したことが原因です」

「はあ」

「町の中心の飲み屋街を活性化させるための方法は、一つしかない」

「何でしょう?」

「それは、県庁が中心地に戻ることです。そうすれば、お金が町の中心地に落ちます。ガッハッハ」

先ほどの会議では、全く発言していなかった、公務員然とした気弱そうなオッサンが、急に喋りはじめたのである。

(公の場では波風を立てないようにだんまりを決め込んでいるが、ひとたびそこからはずれると、急に喋り出すんだろうか?)

私は少し不思議に思った。

「うちの県も、県外からお客さんに来てもらうために、何かいいキャッチコピーを考えなければいけません」そのオッサンが続けた。

「キャッチコピーですか。なかなかむずかしいですよね」と私が言うと、

「たとえば、こんなのはどうです?『もうひとつの日本、あります』、…なんてね。どうです?ガッハッハ」

そう言うと、そのオッサンは今で言う「どや顔」、つまり「どうだ!」という顔をした。以前からあたためていたキャッチコピーなのだろう。

「もうひとつの日本、あります」というキャッチコピーと、「…なんてね」の間に、かなりの「溜め」があったから、本人としては、そうとうの自信作なのだろう。

(そのキャッチコピー、すげえだっせぇ)

と、そのとき心の中で思ったが、もちろん、そんなことは言えない。

その職員さんは、そのキャッチコピーを思いついたからといって、それを公の場で発言するわけではない。

身近にいる人たちの間で、ガス抜きのような雑談のさいに言う程度である。

私はここに、この国の組織が一様に抱えている問題点を見る思いがしたのである。

…なぜ、10年近く前のこんな些細な出来事を思い出したのか?

それは、JRが力を入れて作った、前の職場があった県の観光キャンペーンのポスターを、ごく最近、たまたま駅で見たからである。そこには、次のようなキャッチコピーがあった。

「山の向こうのもうひとつの日本」

(あの職員のおっさんが、どや顔で言っていたキャッチコピーと同じ、「もうひとつの日本」が使われている!)

調べてみたら、この言葉、ライシャワー博士が県の印象を語ったときの言葉だそうだ。それが、キャッチコピーに使われたのだ。

だとすればあの時「すげえだっせぇ」と感じた私のほうがセンスがなくて、あのガッハッハ職員さんの方がセンスがあったということである。そのことが、10年目にして明らかになった。

つくづく、自分のセンスのなさには、呆れるばかりである。

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セルフ・エクスカーション・ノスタルジー

7月18日(金)

朝、昨日のイベント主催者の方々に勧められた場所に20年ぶりくらいに訪れたあと、帰りの電車の時間まで、若干時間があったので、少し足をのばして、やはり25年ぶりくらいに、ある場所を訪れることにした。

ふと思い立ったことなので、事前に何も調べていない。以前に訪れた25年前の記憶だけをたよりに探すしかない。

Photo

歩いていると、この場所にさしかかった。

あの映像が鮮烈によみがえってきた。

すげえ懐かしいなあ。むかしの印象と、あまり変わっていない。

このあと、この町の「名所」に立ち寄って町全体を見渡した後、いよいよ目的の場所を探して歩き出す。

ほとんど記憶になかったが、「道標」をたよりに、なんとかたどり着いた。

Photo_2

ここもほとんど変わっていない。

今晩はここでお祭りがあるそうだが、私が訪れた時間は、私のほかには誰も観光客がいなかった。

そういえば、この町に観光に来ている人たちで圧倒的に多かったのは、私よりも年齢が上のご婦人方の集団である。

次に多いのが、若いカップル。

そして、海外からの観光客。

そういう人たちにとってこの場所は、何の感慨もない場所である。

そう考えれば、わざわざこの場所を訪れようと考えるような人間は、もはや「絶滅危惧種」なのかも知れない。

ましてや、1枚目の写真にある「陸橋」を見て感慨深くなる人間は、私くらいなものだろう。

…どうだ、ナンダカワカラナイだろう。

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アラ傘(さん)

7月17日(木)

朝から夕方までのイベントが終わり、5時半から懇親会である。

1次会が終わった後、例によってアラ古稀の先生に2次会に連れていかれ、6名ほどで昨日と同じ居酒屋に行くことになった。

この先生は、気に入ったお店を見つけると、何度も通い続ける、という習性がある。

それはまあよい。

そしてこの2次会に何と、アラ傘(さん)(アラウンド傘寿)の大御所の先生がお見えになった。

もうアラ古稀どころの話ではない。

私はあまりに大御所の先生なので最初は緊張したが、先生はじつに気さくな方で、物腰も柔らかく、またお話もとても面白い。

私のような得体の知れない若造に対しても、決して上から目線では語らない。むしろ、私たちを楽しませようと、面白いお話を聞かせてくれるのだ。

柔らかい物腰で権力者と闘う姿勢もかっこいい。

「座談の名手」とは、こういう方を言うのだろう、と、ついお話を聞き入ってしまった。

お酒も、ガンガンお飲みになる。

夜10時半、ようやく解放された。

結論。アラ傘(さん)はアラ古稀よりも元気だ。

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アラ古稀

7月16日(水)

またまた旅の空です。

西に向かう新幹線で、4時間ほどかかる県に着いた。

明日、朝から夕方まで行うイベントに出席するためである。

昨日、○○先生から電話が来た。

「明日、前乗りするんだろ?」

「はい」

「××さんが、飲みたいと言っている。7時半に、現地集合」

電話をかけてきた○○先生も、話題に出た××先生も、いずれも「アラフォー」ならぬ「アラ古稀」の御大である。

世話になっている先生なので、行かないわけにはいかない。まあ、こうなることは、覚悟していたが…。

ということで、今日はギリギリまで職場で仕事をして、夜遅くに現地に行くつもりが、夜の懇親会に間に合うように出発しなければならなくなった。

うーむ。急に慌ただしくなった。

仕事を、慌てて片づけなければならない。

「たいへんですねえ」

むかしからよく知る、同じ職場に勤めるαさん(同世代)は、○○先生、××先生の名前をあげたところ、すべて事情が飲み込めたようで、全面的に協力してくれた。

汗だくでバタバタと仕事を片づけるが、結局、2時半の電車に乗るはずが、1本遅れの電車に乗ることになった。

東京駅で1本遅れの新幹線に駆け込んだら、もう一人、やはりむかしからよく知る、同じ職場に勤めるβさん(同世代)から、メールが来た。

「さっき休憩中にαさんとコーヒーを飲んでたら、今日鬼瓦さんが職場で、バタバタ汗だくになりながら、時計とにらめっこして、出張に出かけたと言ってました(笑)。

覚悟を決めましょう。

そして原稿を仕上げましょう(笑)。

くれぐれも3日間ありますから息切れしないよう、足をいたわりつつ、乗り越えてください」

なるほど、よくわかってらっしゃる。

そんなこんなで、いろいろな方に支えながら、まあなんとかやっています。

夜8時、予定より30分遅れで、現地で○○先生と××先生に合流。

夜11時までガヤガヤ騒ぎながら日本酒を飲んで、最後はラーメンでしめた。

アラ古稀とは思えない体力である。

結論。アラ古稀は私よりも元気だ。

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原稿ため込み党の日々

7月15日(火)

待ったなしの原稿が、いくつもあって、本当にヤバイ。

こんな日記など書いているヒマはないのだ。

そんな中、先日、出版社の業界誌みたいなところから、奇妙な原稿の依頼が来た。

「小誌では、『出したい本』という欄を常設しています。この欄は、『こういうテーマの本を出してみたいのでどこかで出版してもらないか』という、いわば売り込みのページです。突然とは思いますが、本欄に原稿をお寄せいただければ幸いです。字数は700字、締切は7月18日(金)です」

縁もゆかりもない雑誌なので、最初は詐欺かな?と思った。だが同封された雑誌のバックナンバーをみると、たしかに、そんな欄がある。

出したい本、か。

自分の専門分野に関して、いろいろと頭をよぎるが、まず、目の前の原稿をなんとかしなければならない。

妻に聞いてみた。

「出したい本、というテーマで原稿を書けって依頼が来たんだけど」

「そんなの、韓国留学体験記に決まってるじゃん」

「……」

自分の専門分野に関する本、とばかり思い込んでいた私は、不意打ちを食らった。

「でも、その雑誌、けっこうインテリな雑誌なんだよ」

送られてきたバックナンバーの欄を読むと、専門家が、小難しいことを書いている。全体に、インテリな雑誌なのだ。

「韓国留学体験記は、ちょっと…」私は逡巡した。

「ハイハイ、どうせ私のアドバイスなんて何も聞きやしないんだから」

その言葉に、カチンと来た。

売り言葉に買い言葉で、「じゃあ、その線で書くよ」と言って、書くことにした。

考えてみれば、韓国の留学日記を本にすることは、私の夢だったのだ。

私は、700字の売り込み原稿の最後に、「香川照之『中国魅録』(キネマ旬報社)みたいな、抱腹絶倒な留学日記を書きたい」と、締めくくった。

書き終わって、送信したのが7月13日(日)。締切よりも5日も早い。

本業の原稿は書けないくせに、こういう原稿は、締切前に書き上がるのだ。

しかし、そんな売り込みを真に受けて、「うちから本を出しませんか?」なんてことあるのか?

それこそ、アヤシイ話である。

だから、宝くじと同じで、当たる確率は低いが、当たれば儲けものである。

さて、このブログが本になる日は来るのか?

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忘却の河

少し前、「余生は山本周五郎の小説だけを読んで過ごそう」みたいなことを、たしか書いたと思うのだが、訂正する。

余生は福永武彦の小説も読むことにした。

これまで、親しい友人には、それとなく福永武彦の小説を薦めてみることにしているのだが、残念ながらこれまでの経験では、ハマる人はまずいない。今までで一人だけである。たぶんそのほかの多くの人は、難解と感じたり、退屈に感じたりしているのかも知れない。

久しぶりに福永武彦の小説を読もうと思って、『忘却の河』を読んだ。

福永の小説は、どれもきわめて技巧的である。つまり、小説の中に仕掛けがあり、その仕掛けを周到に考えた上で、小説を書いている。

その意味で、実は福永は「ミステリー作家」なのである。たとえば『忘却の河』や『海市』の場合、「私」の視点で語っていると思いきや、突然、主語は「彼」に変わり、その視点の変化に、読者は最初は翻弄される。だが読み進めていくうちに、しだいにその意味が明らかになっていく。

『忘却の河』は、ある家族を描いた、連作形式の長編小説である。家族一人ひとりの視点から描いた短編小説の集合体、と見ることもできる。

ある出来事を、視点を変えながら語っていく。

どの視点に立つかによって、ものの見方、というのは、ずいぶん違う。

そこを、見事に描いている。

全く貧しいたとえになるが、映画『羅生門』的な手法を、小説で実践した、と言えなくもない。

なので登場人物のうちの、誰に感情移入するかによって、小説の楽しみ方も変わっていく。

だから、何度でも読めるのだ。

そして何より、福永武彦の言葉の一つ一つが、私の心にピッタリとはまり込む。

まあ、こればかりは読んでもらわないと、わからない。

…もっとちゃんとした感想を書こうと思ったが、眠くなったので、このへんで。

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第九のスズキさん ~歓喜満堂~

第九のスズキさん

続・第九のスズキさん

続々・第九のスズキさん

7月13日(日)

数日前、母から電話があった。

「第九のスズキさんのお宅にいつ行くの?本の整理のこともあるから、早めにうかがったほうがいいわよ」

「第九のスズキさん」は、母の高校時代の友人の夫である。2年前、講演をしている最中、壇上で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。

定年までずっと市役所の職員をしていたが、趣味として、ベートーベンの第九が日本でどのように受容したかについての研究を続け、あるとき、その研究成果をまとめた本を出版した。

定年後は、福祉施設や児童養護施設などで要職を務め、とくに児童養護施設では、とても面倒見のいい園長さんとして、人望が厚かったという。

あまりに突然だった死は、人々に衝撃を与えた。告別式では、第九をこよなく愛した故人を偲んで、音符の形にした花を、祭壇に供えたという。

「第九のスズキさん」の家には、膨大な資料が残された。

私自身は、「第九のスズキさん」にお会いしたことはない。

でも、その資料をひと目見てみたいと思い、母にお願いして、「第九のスズキさん」のお宅に伺うことを約束していたのだ。

そして今日、ようやく「第九のスズキさん」のお宅に、母と一緒におじゃますることになった。

住宅街にある、2階建てのふつうのお宅である。

しかし、中に入ってビックリした。

各部屋に、大きな本棚がいくつも置いてあり、そこに膨大な数の本が並べられていた。

部屋だけではない。廊下にも本棚が並べられていた。

一部屋まるまる、書庫のようになっていた部屋もあった。

「すごい量でしょう」と、第九のスズキさんの奥さん。「突然逝ってしまったんで、整理がつかなくて、そのままにしているんです。生前は、あまりにごちゃごちゃしているので片づけようとすると、『触るな』と怒られたんです。雑然としていて、私には何が何だかわからなくて」

たしかに、本が雑然と並んでいた。まるで、私の家の本棚のごとくである。

「第九の研究が終わったら、今度はキリスト教の研究をするんだと言って、聖書だとかキリスト教の本だとかを、集め出したんです」

居間にある本棚には、キリスト教に関する本が並べられていた。

各部屋の本棚を見せてもらって、驚いた。

てっきり私は、ベートーベンの第九に関する本が集められているとばかり思っていた。

しかし、実際は全然違っていた。

文学、音楽、美術、宗教、哲学、歴史、民俗、ありとあらゆるジャンルの本が、所狭しと並んでいたのだ!

それらを、一つ一つ見ていく。

一見、雑然と並んでいる本だったが、それなりの「法則」にしたがって並んでいることに気づいた。

おそらく「第九のスズキさん」は、彼なりの基準で、本棚の本を並べていたのだ。

それをじっくりと見ていくと、「第九のスズキさん」の思考過程が、手に取るようにわかってきた。

まさに、「本棚に人生あり」である(今日の名言!)。

私は、本棚の本を観察した結果を、まるで絵解きのように奥さんに報告した。

「たしかに一見すると、本が雑然と並んでいるように見えます。でも、ご自身の関心や優先順位にしたがって、書斎の本棚、寝室の本棚、物入れ部屋の本棚に、それぞれ分けて本を並べていたようです」

「そうですか…」

1つの本棚の中でも、棚一つ一つに意味を込めて、ご自身の基準で分類された本を並べています」

「ちっとも知りませんでした」

「本棚をみると、スズキさんの思考過程が、手に取るようにわかります」

私がそういうと、奥さんは驚いていた。「まるで、あなたが夫と話をしているみたいです…」

奥さんは、こんなエピソードを紹介した。

「夫は本当になんにでも首を突っ込む人でねえ。まだハンセン病に対する偏見が強かった時代に、『ハンセン病の病院に行こう』と言って、一緒に行ったことがあったんですよ」

「そうですか」

「私はその頃、ハンセン病は恐ろしいという偏見を持っていて、そのことを夫に言うと、『それは間違いだ』と言うんです。今でこそ、偏見はなくなりつつありますけれど、まだ映画『砂の器』が公開される前でしたからねえ」

なぜ、「第九のスズキさん」は、ハンセン病に関心を持ったのか?

それは、日本における第九の歴史を調べていくうちに、ハンセン病の歌人と第九との関係を物語るエピソードを知ったからではなかったか。

そのことは、本の中にも記されている。

第九について調べたことがきっかけで、ハンセン病に対する関心が生まれたのである。

1つのことに没頭していくうちに、あらゆる分野に関心が波及する。

それが、「第九のスズキさん」の思考過程なのだ。

おそらく、一見バラバラに見える本のコレクションも、それですべて説明できると思う。

ここから私たちは、学ぶだろう。

1つのことに没頭することが、やがてあらゆることへの興味・関心へと波及する。

これこそが、「研究」の本質である、と。

「夫は、寅さん映画の大ファンだったんですよ」奥さんが続けた。「夫は、寅さんを地で行くような人でした。困った人がいたら、どこまでも親身になったりしてねえ」

なるほど、寅さん、か。

晩年、児童養護施設の園長さんとして慕われた「第九のスズキさん」は、突然、なんの予告もせずに、この世を去ってしまった。

映画「男はつらいよ」の最終回を、山田洋次監督は次のように構想していた。

それは、寅次郎がテキ屋稼業をやめて幼稚園の用務員になり、かくれんぼをしている最中に息をひきとり、町の人が思い出のために寅次郎のお地蔵さんを作る、というものである。

「第九のスズキさん」の最期と、寅さんの最期が、なんとなく重なるようにも思えた。

「第九のスズキさん」が書いた本を、1冊いただいた。サイン入りである。

「いいんですか?」と私。

「どうぞ。サインをしたまま、家に置いてある本が何冊か残っているんです」

そこには、「歓喜満堂」と書いてあった。

「歓喜」とは、「歓喜の歌」、すなわち第九のことであろう。ご自身も第九を歌うことを趣味としていた「第九のスズキさん」は、第九でお客さんが一杯になることを、いつも夢見ていたのだ。

「これ、夫が最後に書いた、自己紹介の原稿です。告別式のときに、そのコピーをみなさんに配ったんです」

手書きの原稿である。

自己紹介の最後の欄に、「夢」という欄があった。

そこには、2つの夢が書いてあった。

「(1)自分の図書館を創ること

(2)もう一冊本を書くこと。テーマ『クリスマスと日本人』」

そうか。

第九の研究が一段落した後、今度は、「クリスマス」が日本でどのように受容されたかをテーマにした本を、書きたかったのだ。

だから、キリスト教に関するあらゆる文献を収集していたのだ。

しかし、この夢は、叶わないまま、「第九のスズキさん」は旅立ってしまった。

もし、「第九のスズキさん」が、クリスマスの本を書いたとしたら、どんな本になっただろう、と、私は夢想した。

時間があっという間にたち、おいとまする時間になった。

「またおいでください」

「またうかがいます」

最後に奥さんが言った。

「夫が生きているときに、あなたに会わせたかった。あなたとなら、時間を忘れて、自分の好きなことをお喋りできたでしょうね」

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へそ曲がりと好奇心

7月12日(土)

「眼福の先生」ことT先生の傘寿をお祝いする会に参加する。

洋風居酒屋を貸し切って、25名ほどの立食パーティーである。

私は数年前に「入門」したので、学生時代から先生の薫陶を受けている方々とは、ほとんど面識がない。

全員が、先生に対してスピーチをすることになったのだが、学生時代から先生の薫陶を受けている方々は、口をそろえて、「怖い先生だった」と述懐する。

たしかに、専門分野に関してはとても厳しい先生だが、私がふだん調査をご一緒しているときは、先生を「怖い」と思った印象はない。

学生時代にご指導を受けていたとしたら、たぶん怖い先生だったのだろう。

T先生が私のところに近づいてきて、おっしゃった。

「あなたと初めてお会いしたのは、いつだったっけ?」

2011年です

私の職場にお招きして、調査をお願いしたのである。

「私はもう隠居しようと思っていたのに、あの時、あなたに引っ張り出されてから、再び火がついて、それからというもの、あちこちへと調査に出かけることになった。でもそのおかげで、今もこうして健康でいられます」

たしかにそうだった。あの時がきっかけで、今に至るまで、先生は精力的に全国を駆けまわっている。

研究仲間のAさんが、先生に対するスピーチで、「T先生はへそ曲がりと好奇心のかたまりだ」と言っていたが、「へそ曲がりと好奇心」こそが、傘寿を迎えたT先生を、なお突き動かしてやまないのだ。

「年をとる、というのはいいものですよ」

参加者の前で、T先生がご挨拶されたときにおっしゃった言葉である。

「みなさんも、安心して年をとりなさい」

そのためには、いつまでも「健康」と、そして「へそ曲がりと好奇心」を維持していかなければならない。

先生のように。

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日帰り出張

7月11日(金)

先輩同僚と、「大きな湖のある県」へ、日帰り出張した。

移動や待ち時間が長かったこともあり、ふだんじっくりお話しする機会のない先輩同僚と、いろいろな話をする。もちろん、話題はおもに、職場の話である。

このところ、先輩同僚はメチャクチャ忙しく、それは私からみても気の毒なほどであったが、仕事に追われる職場を離れ、しかも話し相手がいたことで、少しはストレスの解消になったのではないか、と愚考する。

夕方、出張先の用務が無事終了し、ホッとして帰途につく。

「ビールでも飲みましょう」

缶ビールを買い込んで、新幹線の中でささやかな打ち上げをした。

かれこれ四半世紀くらいのつきあいになるが、これほどじっくりお話ししたのは、初めてである。

「話す、というのはいいものでな。どんな苦しいことでも、話をすると少しは楽になる」

という、映画「七人の侍」での平八のセリフを思い出した。

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もう一人のヒョン

7月10日(木)

もう一人、私にとってひそかに「ヒョン」(韓国語で「兄貴」という意)と呼べるような人がいて、その人は私より5歳くらい上なのだが、西のほうに住んでいて、お会いするのは、1年に1度くらいである。

(繰り返すが、「ヒョン」と呼ぶのは、実際のところ、かなり照れくさいのだが、ここではそう呼ぶことにする)

長年机を並べて勉強した、というわけでもなければ、長年同じ職場で同僚だった、というわけでもない。

本当に、1年に1度、それも業界の会合でお会いするくらいなのである。しかし会うと、まるで旧知の間柄のごとく、じつにいろいろな話をするのだ。

そして、いつも私のことを気にかけていただいている。

今日、その「ヒョン」から、ふだんはめったに来ることのないショートメールが来た。

「再来週の週末に、仕事でそちらの職場に行くんだが、会えますか?」

所用で私の職場に来ることになったそうなのだが、あいにく、再来週の週末は出張の予定が入っていた。

「残念です。再来週の週末はS県の学会で研究発表です。いつか時間を見つけて、必ず遊びに行きます」

職場が変わったら、少しは近くなりますから、そちらに遊びに行きますよ、と、数か月前から約束していたのだが、いざ入社してみたら、あまりに出張が多いので、なかなか実現しない。それが私にとっても歯がゆかった。

ヒョンから短い返事が来た。

「是非、そうして…。待ってます」

待ち焦がれているかのような返信に、私は恐縮し、感謝した。

これほど強く、私に会うことを楽しみにしてくれる人は、そうはいない。

今度こそ、不義理を重ねないようにしよう。

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3年ぶりの再会

7月9日(水)

私はむかしから、人間の心の機微、というのがよくわからなくて、それがために、しだいに友人と疎遠になってしまう、ということが、よくあった。

ちょっとしたやりとりから、相手の自分に対する優先順位がすっかり下がってしまったよなあと感じたり、それとは逆に、自分がつい不義理をしてしまった結果、疎遠になってしまったり。前者は、自分ではいかんともしがたいが、後者は、私のせいである。

今日の夕方、神保町で、3年ぶりに友人に会った。友人、というのは、おこがましいかも知れない。韓国語で言う「ヒョン(兄貴)」だろうか。仮にここではヒョンと呼ぼう。

三省堂の地下にある放心亭で、ビールを飲みながら、話した。

「本当の友人とは、何十年ぶりに会ったとしても、昨日の続きのような会話ができる間柄のことだ」という言葉が私は好きだが、3年間のブランクを感じさせない、まさにそんな感じだった。

お互い、この3年間にあった出来事を話した。ヒョンは前の職場を辞めてから今までの話。私は、ヒョンが辞めてから3年間の職場の出来事と、4月以降に職場が変わってからの話。

前の職場にいたときに時折見せていた、曇った表情はなく、終始、ヒョンは晴れやかな表情だった。

…ヒョン、と呼ぶのは、かなり照れくさいなあ。まあいい。

話題の中心にあったのは、やはり「前の職場」の話である。

「もう前の職場に対する関心なんて、なくなったでしょう」とよく言われるが、そう思われているとすれば悲しい。ヒョンも私も、前の職場のホームページやフェイスブックを、こまめにチェックしているのだ。

「せっかく作ったものをまた壊して作りなおして、どうしてそういうことにエネルギーを使うんだろうねえ」

「そうですよねえ」

と、2人で深刻になったり、

「あんなにあからさまに利用したら、宮崎さんも怒るんじゃないでしょうか。ちょっとえげつないですよねえ」

「いっそ、宮崎さん本人を呼んできて喋ってもらった方が、たくさん人が集まるんじゃないの?」

「そうですよねえ」

と2人で大笑いしたり。

なぜ、二人はウマが合うのか?

以前誰かに、聞かれたことがある。

久しぶりに話していて気がついた。

二人とも、思春期をこじらせたまま、大人になったのだ。

でもたぶんそれは、「ほかの人にはわからない」だろう。

「これ、あなたの母校の高校の近くのお店で買ったコーヒー豆」

コーヒー豆のプレゼントである。ヒョンはいま、偶然にも私の出身高校のすぐ近所に住んでいた。あのあたりをよく散歩するらしい。

「日本酒にしようか迷ったんだけどね。いちばん美味しいと思ったコーヒー豆だよ」

「ありがとうございます」

私が今いちばんほしかったのは、コーヒー豆だったのだ。美味しいコーヒー豆ほど、もらってうれしいものはない。

あっという間の3時間半だった。

「久しく、母校のある町に行ってないですねえ」と私。

「じゃあ今度は、母校のある町で会いましょう。散歩でもしながら」

握手をして別れ、それぞれ反対方向の地下鉄に乗り込んだ。

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暑気払い

7月8日(火)

職場の委員会で、暑気払いである。

1年目から、いろいろな仕事に巻き込まれている。

午前の打ち合わせで、見かねた同僚が、「私にお手伝いできることがあったら何でも言ってください」と言ってくれた。

そんなことを言われたのは、初めてである。

暑気払いの席で、

「この委員会は、いい雰囲気ですね」

というと、別の同僚が、

「たまたま、いいメンバーだからです」

と言った。なるほど、そういうものなのだろう。

つい日本酒を飲みすぎ、最終電車で帰ってきた。

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「型に流し込んで作る」体験イベント

7月7日(月)

うちの職場で、夏休みに向けての体験イベントを行うことになった。

Photo「型に流し込んで作る」体験イベントである。

今日はその試行の意味もあって、うちの教職員のみを対象にした「プレ体験イベント」を行うことになった。いわばリハーサルである。

「お時間のある方は、ぜひご参加ください」という一斉メールが、数日前に来た。

午後、会議もなかったので、参加することにした。

私がこの体験イベントに参加するのには、理由があった。

2カ月ほど前の「いちばん大きな会議」で、この体験イベントについて、担当者から説明があった。

その説明を聞いた私は、手を上げて意見を言った。

「もっと面白くできるのではないでしょうか」と。

入社してまだ1カ月のくせに、何とも不躾な人間である。

なぜこんな不躾なことを言ったかというと、実は、前の職場で、これとまったく同じ「体験イベント」を、中学生を対象に行ったことがあったからである

そのときの体験をもとに、発言したのである。

さらに不躾なことに、その会議が終わったあと、イベント担当の同僚に、前の職場で行った経験をふまえて、かなり具体的なアイデアを提案したのである。

新参者で、しかも担当外の人間であるにもかかわらず、まったく図々しいヤツである。ふつうだったら、煙たがられるだろうな。

ということで、この体験イベントに関して、あれこれと意見を言ってしまった手前、反省と謝罪の意味を込めて、参加することにしたのである。

午後1時半、体験イベントが行われる部屋に行くと、数名の教職員がいた。

イベント担当の同僚が、私を見るなり言った。

「アイデアを採用させていただきました」

見るとたしかに、私のアイデアが採用されていた。

いや、正確に言うと、前の職場の作業仲間たちが考えたアイデアである。

Photo_2どの部分のアイデアが採用されたのかは、見る人が見ればわかるだろう。

「プレ体験イベント」は、たいそう盛り上がった。最初は人数が少なかったが、噂を聞きつけた職員さんたちが、次々とやってきた。そして参加したみんなが、ニコニコして帰って行った。

1時半から参加した私も、あまりに夢中になってしまい、気がついたら撤収の時間となる4時まで居残り続けた。

やはりあのときの会議で発言したことは、無駄ではなかったのだ。

「聞く耳を持ってくれる人」がいるのだ。

些細なことにも聞く耳を持ってくれる人がいる、というのは、職場において、何よりも励みになることである。いや、些細なことだからこそ、なおさらである。

そして何よりも職員さんたちが楽しんだこのイベントは、きっと成功するだろう。

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不義理を反省する

7月6日(日)

この2日間のイベントでは、じつに密度の濃いもので、すっかりと疲れ果ててしまった。

いろいろな人ともお会いした。土曜日は、夜11時まで初対面の人たちと話が盛り上がったが、みなさんかなり酔っ払っていたので、はたして私と話したことを覚えているのかどうかすら、よくわからない。

さて、イベント2日目。

お昼休みに、ある方が声をかけてきた。

「お久しぶりです。Nです」

「あ、どうも、ご無沙汰しております」

Nさんは、私よりもはるかに年上の方で、今から15年以上前までは、各地のイベントに参加したりすると、たまにお目にかかった方だった。ただ、ちゃんとお話ししたことはほとんどなく、お目にかかればご挨拶する程度、という関係であった。もう、お仕事も定年を迎えられた、と聞いていた。

「ちょうど先週末、F県に行ったら、Oさんに会いましてね」とNさん。

Oさんは、今から15年以上前に、ある仕事でご一緒したことのある方である。やはり私よりもはるかに年上の方だった。

「そのとき、たまたまあなたの話題が出たんですよ」

私はビックリした。NさんもOさんも、この15年間、ほとんどお会いしていないのだ。

「初めてお会いしたのは、…たしかどこかの現地説明会でしたよね」Nさんが続けた。

「そうです」と私。

「そのときのこと、よく覚えています。Oさんともそんな話になりましてね」

私もそのときのことは覚えていたが、そのときNさんにちゃんとご挨拶した記憶がない。何よりそのとき私はまだ、一介の学生だったのだ。

「今日、ひょっとしたらあなたに会えるんじゃないかって思ってね。Oさんからもあなたによろしくと言われてきたんですよ」

じつに不思議である。

先週久しぶりに再会したお二人の間で、たまたま話の流れで私の名前が出て(私の名前が出ることじたい、不思議なことなのだが)、その1週間後、じつに久しぶりにNさんは私と会ったのだ。

「今日はお会いできてよかったです」と私は言った。

私はいつも、「自分のことなど、誰も覚えていないだろう」と思いながら、この種のイベントではあまりご挨拶せずに帰ってしまうのだが、数回しかお目にかかったことがない方でも、気にかけていただく方がいるというのは、驚きだった。

昨晩の酒の席でお話しした初対面の方々も、昨晩のことをきっと覚えていることだろう。

そう考えれば、私はこれまでなんと、多くの方々に対して不義理を重ねてきたことか。

これから少しずつでも、これまでの不義理を解消していかなければならない。

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サザンの町

7月5日(土)

今日は、サザンオールスターズの歌で有名になった町に来ています。

この週末、この町で業界のイベントが行われているのですが、なぜか私も巻き込まれ、2日間、この町に滞在することになったのです。

相変わらずの、巻き込まれぶりです。

とにかく、いろいろなところに出向きます。

水曜日は、都内に出て、「時間をストップウォッチで計って、時間が来たらベルを鳴らす仕事」というのをやりましたし、

木曜日も、職場で社長に「チミチミ」と呼び止められ、そのまま社長の車に乗せられ、社長のお供で、車で40分ほどかかる場所に出向いて、急遽「営業」をすることになりました。

そこで、思わぬ人と出会ったり、と…。

…まあ、それはいいとして。

こちらに移って3カ月。

最初は、前の職場にいた頃のほうが楽しくて、「私のようなものが、こちらに来て受け入れられるのだろうか」と不安でしたが、少しずつですが、いろいろな方からあたたかく迎えられるようになり、

(やはりこちらに来てよかったのだ)

と、少しずつ思えるようになりました。

いや、まだまだこれから試練が待っているかも知れません。

とりあえず、明日もまた、「サザンの町」でイベントです。

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あざみの如く棘あれば

7月4日(金)

すっかり疲れて、何も書く気が起こらないので、自分の好きな歌について書く。

茶木みやこの「あざみの如く棘あれば」。

茶木みやこは、いわゆるシンガーソングライターだが、この曲に関しては、作詞が阿久悠である。

阿久悠は、自分のホームページで、「あまり売れなかったがなぜか愛しい歌」の1曲にあげている。

「あまり売れなかったが愛しい」っていうのがいいね。そんなこと言ったら、私の書いた本なんて、全部そうだ。

いや、売れなかったものほど、愛しいのかも知れない。

そんなことはともかく。

「あなたの赤い唇は

いつから歌を忘れたか

酔いどれ酒をそそいでも

道化ることもなくなった」

という歌詞が好きで、なんとなく、人間の悲哀を感じたものである。

「歌を忘れたカナリア」ではないが、

私の周りを見渡してみても、

人間って、あんなに歌っていた歌を、忘れてしまうことがあるんだよなあ、

などと思ったりする。

自分はそうなりたくない、と思っているが、ひょっとしたら、自分もそうなのかも知れない。

「あざみの如く棘あれば

悲しい心さらさずに

この世を生きていけようが

はかない花は罪を負う」

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わきまえなさい

7月3日(木)

自分のふがいなさに、反省の日々である。

私は超メジャーになってからの三谷幸喜、より具体的に言えば映画「マジックアワー」以降の三谷幸喜に、まったく興味がなくなり、それ以降の映画や舞台は全く見ていない。

だが、それ以前の、「マイナーメジャー」くらいまでの作品は、いまでも時々見返すことがある。

このブログでもたびたび取りあげている演劇「笑の大学」(西村雅彦、近藤芳正)は、いまでもいちばん好きな作品である。

戦争色が濃厚になる昭和15年。舞台は警視庁の検閲係の一室。

登場人物は、警視庁検閲係の向坂睦男(西村雅彦)と、浅草の軽演劇(コメディ)劇団の座付き作家、椿一(つばきはじめ)の二人。

演劇の台本は、上演前に検閲を受けたうえで、適切と認められた場合、上演許可を出すことになっていた。

非常時に低俗な軽演劇などまかりならん、という向坂は、椿の書く台本に無理難題を浴びせて、なんとか上演中止に追い込もうとする。それに対して椿は、無理難題を受け入れ、さらに面白い台本に仕上げていく。そのうち二人はいつしか協力し合い、より面白い台本を作りあげていくのである。

とりわけ印象深いのは、最後の方のシーンである。

芝居の台本を2人で直していくうちに、2人はお互いの立場を忘れ、しだいに友情を感じるようになってゆく。

物語の終盤、椿は、向坂をかけがえのない友人と感じ、彼に国家権力に対する「踏み込んだ本音」を話し始める。それは、なんでも打ち明けられる友人だからこそ言える、本音であった。

「なぜ、そんな話を、私に?」

「向坂さんなら、わかってくれると思って」

「…そんな話、聞きたくなかった。…残念です…。私たちは台本作りに夢中になるあまりに、互いの立場を忘れていたようだ。椿さん、私はあなたが立ち向かった権力の末端にいる人間だ。そんな話を聞いて私が放っておけるとでも思うんですか?人を甘く見るのもいい加減にしたまえ!」

ここから、向坂の態度が急に変わり始める。向坂は、自分の立場というものに気づき、椿となれ合っていた友情に、壁を作り始めるのである。再び2人は、検閲官と座付き作家という関係に戻ることになる。

もちろん、話はここで終わらないのだが、この作品が好きなのは、こうした人間どうしの心の機微、というものが、実にうまく表現されているからである。

同じ三谷が脚本を書いたテレビドラマ「古畑任三郎」のなかで、刑事の古畑(田村正和)が、犯人の天才ピアニスト(木の実ナナ)としだいに心を通わせていくが、ついに犯人が罪を認めたあと、自分に心を開いてくれたと思い込んだ古畑は、つい調子に乗って、ピアニストとしての彼女に最後にこんな馴れ馴れしいお願いをする。

「あのとき弾くことができなかった曲、いまここで弾いていただけますか?」

これに対して彼女はきっぱりと答える。

「…わきまえなさい」

彼女は、自分がプロのピアニストであるという立場を思い出し、そうやすやすと、馴れ馴れしい望みに応えるわけにはいかないことを、きっぱりと表明するのである。

「わきまえなさい」

おそらく三谷自身が、よく体験したことなのかもしれない。

私も、よく反省することである。

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芝浜

昨日の話の続き。

人間の業(ごう)を肯定する落語は、どんな噺も、ほとんど例外なく、ハッピーエンドで終わる。

つまり、落語には「救い」があるのだ。

ダメな人間が、最後の最後に救われるからこそ、人々は落語を愛したのである。

典型的なのは、人情噺として有名な「芝浜」である。

天秤棒で魚の行商をしている勝(かつ)は、腕はいいが酒に目がなく、失敗を繰り返すうち、酒浸りになり、うだつの上がらない日々を送っていた。

ある朝、女房にたたき起こされた勝は、魚河岸に向かうが、朝早すぎて、まだ市が立っていない。仕方がないので、芝の浜で顔を洗っていると、偶然財布を見つける。財布の中には五十両の大金が入っていた。

びっくりして家へ飛んで帰り、友達を呼んで大盤振る舞いをし、泥酔して寝てしまう。

翌朝起きると、女房がいつもと変わらず、「早く起きて、芝浜の魚河岸へ行っておくれ」という。

「もう俺は魚屋なんてやらねえよ。あの金があるじゃねえか」

「なんだい、あのお金って?」

「昨日、芝の浜で拾った金よ」

「お前さん、昨日は芝に行ってないよ」と女房。

「何言ってやがる、きのう朝起きて…」

「お湯へ行って、何がめでたいのか知らないけど、みんなを呼んでどんちゃん騒ぎして寝ちまったんじゃないか」

「……」

「お前さん、夢でも見たんじゃないのかい?」

たしかに財布はない。女房のいうとおり、俺は夢を見ていたんだ、と愕然とし、それからというもの、一念発起して、酒を断って商売にいそしむことになる。

もともと腕のいい商売人である。たちまち借金は返済し、それどころか3年目には、表店(おもてだな)で、2,3人の奉公人を置く魚屋のあるじとなった。

3年目の大晦日、座敷で茶をすする勝に、女房は言う。

「お前さん、酒、飲みたいだろうね」

「馬鹿いえ。人間、働くことが何よりだ。酒なんか飲みたかねえや」

実際、以前の自分を反省し、「もう酒は飲まない」と誓ったからこそ、ここまで店を大きくすることができたのだ。

そこで女房は、財布を差し出した。

「お前さん、この財布に、見覚えはないかい」

勝は驚いた。3年前に拾った財布である。

「夢じゃなかったの。堪忍しておくんなさい。三年もの間、お前さんを騙してしまって」

女房の告白を聞いた勝は、怒るどこか、自分を真人間として立ち直らせてくれたことに、感謝をするのだった。

「お前さん、お祝いに一杯飲んでおくれよ。一杯ぐらいなら、いいじゃないか」

女房のすすめに気持ちは傾くが、最後に思いとどまって、勝が言う。

「あ、よそう。また夢になるといけねえ」

これがサゲである。

このサゲで、勝は正真正銘の真人間になったことがわかる。落語は、人間の愚かさを認めた上で、最後の最後に、救いの手をさしのべるのである。

…この「芝浜」をモチーフに、政治風刺の落語を作ってみたいが、いまはその時間がない。

サゲだけはすでに決まっている。

「あ、よそう。また悪夢になるといけねえ」

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その業(ごう)は、肯定できるか

立川談志の落語のマクラに、

「なぜ政治家は悪いことをするのか」

というのがある。

「人間は、いいことばかりすると、身がもたないのだ。だから、つい悪いことをするのだ」

というのが、談志の主張である。

たとえば、理想に燃える政治家がいたとして、いいことばかりしていたとする。

だが、そんなことが、現実には長続きするはずがない。人間、いいことばかりしていては、身が持たないのだ。

だから、政治家は悪いことをしたがるのである。

理性的ではない心の動き、これを「業(ごう)」という。

そして落語の本質は、「人間の業の肯定」である、と談志は言う。

落語に登場する人物は、理性に反して、ついうっかり、悪いことをしてしまったり、怠けてしまったりする。

そうした人間の「業」を肯定してあげるのが、落語なのだ、と。

肯定、というのは、賛成、という意味ではなく、「人間とはそういうものだ」と、認めることである。

たとえば、「戦争はよくない。武器を持たずに、平和をつらぬこう」という国があったとする。

だが政治家たちは、そんな理想ばかりで政治を行っていけば、どこかでつまらなくなり、飽き足りなくなってしまうのではないか。

そこで、理性に反して、「ちょっとくらい武器を持って、戦争をしてみよう」と思うようになる。

つまり政治家たちは、落語に出てくる熊さん、八っつぁんと同じように、理性的ではなく、心が弱く、愚かな人間なのだ。

決して、理性でものを語っているわけではない、ということに、私たちは、注意すべきである。

理性的な判断のできない愚かな彼らを、憐れみをもって見つめるべきである。

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