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もうひとつの○○

10年近く前のことだと思う。

前の職場で、「これからは、うちの職場も地域連携を進めていかなければならない!」という掛け声のもと、県の職員さんたちを招いて、職場の会議室で「顔合わせ」をすることになった。

そのとき、担当でも何でもない私が、なぜか上司に命ぜられて、その場に参加することになった。

10人弱の、県職員さんが、お見えになった。

「うちは、役所の縦割りの弊害をなくすために作られた部署なのです!」

と、最初に誇らしげに説明されていたが、県内4つある地域のうちの、別の地域の話をふると、

「いや、それはうちの管轄外なんで…」

という。

(なんだ、やっぱり縦割りじゃん!)

私は、この種の集まりに、全く期待していなかった。

「これからは、いろいろと協力してやっていきましょう」

などと、掛け声はかけるのだが、それが実のある結果に結びついたためしがない。

さまざまな提案も、なんだかんだと理由をつけて、形式主義的な手続き論の中に雲散霧消してしまうのである。

(結局、ガス抜きなんだよな…)

私は会合に参加しながら、ほとんど絶望的になっていた。

顔合わせの会合が終わり、その後同じ会議室で、ささやかな懇親会が始まった。

懇親会、といっても、ジュースとお菓子で、雑談をするというていどのものである。

うちの職場のスタッフと、県の職員さんたちが、交互に座らされた。

(合コンか!)

ちなみに、うちの職場のスタッフも、県の職員さんも、全員「オッサン」である。

背広を着たオッサンたちが、昼間っから、ジュースを飲み、お菓子を食べながら、雑談しているのだから、客観的に見たら、かなりキモチワルイ。

まあそれはともかく。

私の隣に座っていた職員のオッサンが、饒舌に話しかけてきた。

「町の中心の飲み屋街が、ずいぶんと廃れましてね」

「はあ、そうですか」

「県庁が移転したことが原因です」

「はあ」

「町の中心の飲み屋街を活性化させるための方法は、一つしかない」

「何でしょう?」

「それは、県庁が中心地に戻ることです。そうすれば、お金が町の中心地に落ちます。ガッハッハ」

先ほどの会議では、全く発言していなかった、公務員然とした気弱そうなオッサンが、急に喋りはじめたのである。

(公の場では波風を立てないようにだんまりを決め込んでいるが、ひとたびそこからはずれると、急に喋り出すんだろうか?)

私は少し不思議に思った。

「うちの県も、県外からお客さんに来てもらうために、何かいいキャッチコピーを考えなければいけません」そのオッサンが続けた。

「キャッチコピーですか。なかなかむずかしいですよね」と私が言うと、

「たとえば、こんなのはどうです?『もうひとつの日本、あります』、…なんてね。どうです?ガッハッハ」

そう言うと、そのオッサンは今で言う「どや顔」、つまり「どうだ!」という顔をした。以前からあたためていたキャッチコピーなのだろう。

「もうひとつの日本、あります」というキャッチコピーと、「…なんてね」の間に、かなりの「溜め」があったから、本人としては、そうとうの自信作なのだろう。

(そのキャッチコピー、すげえだっせぇ)

と、そのとき心の中で思ったが、もちろん、そんなことは言えない。

その職員さんは、そのキャッチコピーを思いついたからといって、それを公の場で発言するわけではない。

身近にいる人たちの間で、ガス抜きのような雑談のさいに言う程度である。

私はここに、この国の組織が一様に抱えている問題点を見る思いがしたのである。

…なぜ、10年近く前のこんな些細な出来事を思い出したのか?

それは、JRが力を入れて作った、前の職場があった県の観光キャンペーンのポスターを、ごく最近、たまたま駅で見たからである。そこには、次のようなキャッチコピーがあった。

「山の向こうのもうひとつの日本」

(あの職員のおっさんが、どや顔で言っていたキャッチコピーと同じ、「もうひとつの日本」が使われている!)

調べてみたら、この言葉、ライシャワー博士が県の印象を語ったときの言葉だそうだ。それが、キャッチコピーに使われたのだ。

だとすればあの時「すげえだっせぇ」と感じた私のほうがセンスがなくて、あのガッハッハ職員さんの方がセンスがあったということである。そのことが、10年目にして明らかになった。

つくづく、自分のセンスのなさには、呆れるばかりである。

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コメント

このキャッチコピーを好むか好まないかは別として。

誰を呼び込む対象に書かれているかと考えた時、ライシャワー先生の発言からひっぱってくるのが、効果的なのでしょうか…?

ということで、先輩のセンスがおかしいということは、ないと思いますよ^o^)

ところで、前半の職員の方々の話、やるせなくなります…こういう人ばかりでないことを祈ってります…(-_-;)

投稿: 後輩のI | 2014年7月21日 (月) 13時49分

「山の向こうの」とか「もう一つの日本」というのが、なんとなくオリエンタリズムを喚起させるような言い方で、ちょっと時代錯誤じゃないかなあ、と思ったのでした。それが「ださい」と直感的に感じた原因かも知れません。

「肩書き」と仕事をするのではなく、「人」と仕事をすることを心がければ、いい人はたくさんいますよ。

投稿: onigawaragonzou | 2014年7月21日 (月) 20時44分

「隅田川の向こうの、もうひとつの東京」「京急の向こうの、もうひとつの品川区」「信号の向こうの、もうひとつの町内」…やっぱりなんか変なというか、言われた方には失礼なコピーだよね。

投稿: ぬらりひょん | 2014年7月23日 (水) 00時28分

あのとき、ガッハッハ職員さんが言ったキャッチコピーと、10年後に大手の広告代理店(おそらく)が作ったキャッチコピーが奇しくも同じだった、ということは、なにか今の時代をとても象徴しているように思います。それが何なのかは、はっきりとはわかりませんけれど。

投稿: onigawaragonzou | 2014年7月23日 (水) 00時57分

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