気分は夏休み
8月2日(土)
相変わらず体調が思わしくないので、この週末は極力何もせず、休養をとることにした。
ということで、まる一日泥のように寝た。
自宅から歩いて3分の所に大きな河川敷があるのだが、今日の夕方、そこで花火大会があるというので、出かけることにした。
河川敷の花火大会を見に行くなんて、25年ぶりくらいである。
たまたま何も予定のない週末に、家から歩いて3分のところで花火大会があるとは、なんとラッキーなことか!
…何か悪いことが起こる前兆か??
といったいつものマイナス思考を振り払って家を出ると、家の前の道は、河川敷に向かう人ですでに長蛇の列である。
その列に混じって歩いて行くと、河川敷に出た。
すると、ビックリするような数の人が、すでに河川敷にあふれていた。
そればかりではない。川の上にはなんと、屋形船が列をなしているではないか!
花火大会って、こんなに盛り上がるものなのか?と、ちょっとなめきっていた自分を反省した。
7時15分に花火大会が始まった。
打ち上げ花火には、いくつかのパターンがあることに気づいた。
1つめは、単発の大きな花火を、堂々と一つ一つあげていくもの。これは、伝統的な打ち上げ花火のやり方である。
2つめは、連続して次々と花火を派手に打ち上げるパターン。
花火大会ではこれがいちばん盛り上がる。
3つめは、通常の高さよりも低い位置に、花火を打ち上げるパターン。
この3パターンの違いは何なのだろう?と、私の中で妄想がはじまった。
単発の大きな花火を一つ一つ打ち上げていくのは、おそらく老練の花火職人さんによるものではないだろうか?
連続して花火を派手に打ち上げる、いわば「見せ場を作る花火」は、まさにいま脂ののった、中堅どころの花火職人さんによるものではないだろうか?
そして3つめの、通常よりも低い位置に花火を打ち上げるのは、まだ修行中の新米の花火職人さんによるものではないだろうか?
もちろん、根拠はまったくないのだが、どうもそんなふうに思えてきて仕方がなくなってきた。
それで花火が打ち上げられるたびに、
(いまのは老練の職人さんだな、さすがに風格があって、1発1発を丁寧に打ち上げているな)
とか、
(これは中堅の職人さんだな。さすが、連続の打ち上げ花火は勢いがあるな)
とか、
(これは新米の職人さんだな。おそらく打ち上げデビューなのだろうな)
とか、いちいち舞台裏を妄想しながら見ていたのである。
そのことを妻に話すと、
「もっとふつうに花火を見られないのか!?」
と呆れられた。
8時半までの1時間15分は、あっという間だった。
多額のお金をかけた打ち上げ花火が、1時間半であっという間に消えてしまう。
それはあたかも、夢を見るがごとくである。
その夢を見に、多くの人が集まる。
ひょっとしたら、打ち上げ花火を見る、というのは、いちばんぜいたくな遊びなのかも知れない。
…と、つかの間の夏休み気分を味わったのでありました。
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