祖母のこと
父方の祖母が他界したのは、私が大学2年の時の年末、12月26日のことである。もう25年も前のことである。
3カ月ほど入院したのち、老衰で死んだ。
祖母とはずーっと同居していたが、私とはいつも喧嘩ばかりしていた。
意固地な祖母のことを、私は嫌っていたのである。
祖母は祖母で、私が勉強ばかりしていることを快く思っていなかった。
祖母は学業とは無縁の暮らしをしていたせいか、文盲で、自分の名前をカタカナで書くのが、やっとだった。
そのことが、私をさらに勉強に駆り立てた。
高校のとき、アルトサックスを始めたということを祖母に言うと、
「それはラッパみたいなものか」
「うん」
「そんなもの、やめてしまえ」
と言った。
ずいぶん理不尽なことをいうものだと、そのときは腹が立って仕方がなかった。
私の父には、ずいぶん年の離れた兄がいた。私にとっては叔父である。
といっても、私は会ったことがない。父ですら、自分の兄に会ったことがない。
太平洋戦争で、戦死したからである。
祖母にとっては、長男にあたる。
祖母から、その長男の話を聞くことはなかったが、長男を戦死させたことを、誰よりも悔やんでいたのではないか、と、だいぶ後になって気づいた。
祖母は毎朝、欠かさず、仏壇の前でお経を読んだ。
文盲の祖母だったが、お経を読むことだけは欠かさなかった。
入院する前日まで、毎朝、お経を読み続けた。
英霊は靖国に眠る、といわれたが、祖母は一度も靖国神社を参拝したことがない。
息子は国に殺された、自分のせいで死んでしまった、と思っていたからであろう。
だから毎日お経を読み続けたのである。
長男、つまり私の叔父は、軍隊でラッパを吹いていたと、あるとき聞いた。そして戦争のさなかに、中支方面で戦死した、と。
私がアルトサックスを始めたといったとき、猛反対したのは、私もまた長男と同じように、軍隊でラッパを吹く役回りをさせられるのではないか、と、祖母が思ったからではないだろうか。
そんなことを繰り返してほしくない、と思ったのかも知れない。
祖母が死んだのが、12月26日。
長男が死んだのが、6月26日。
つまり、祖母は長男の月命日に死んだ。
私が物心ついてから、祖母は、なにも働くことなく、なんの趣味もなく、ただただ、毎日を漫然と過ごしているように見えた。
この人は、なんのために生きているのだろう、と、私には不思議だった。
だから私は祖母とは違い、一日一日を意味ある日にしよう、と思った。
しかしその考えは、間違っていたと、今になって思う。
祖母は、残りの人生を、長男のために生きたのではないだろうか。
若くして戦死した長男の冥福を祈り続けることが、祖母がこの世で課された、祖母にしかできない使命だったのではなかったのか。
そして、そのつとめを果たした祖母は、長男の月命日の日に、天に召されたのである。
祖母は生前、何も語らなかったので、私はただ、それを想像するのみである。
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